微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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二章

32 五月 変化

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 深淵の底の底に
 光は
 届くのだろうか――




 五月のハーフタームまでに、地下のあの部屋で二度子爵さまに逢った。
 子爵さまと、きっちり蝋燭の燃え尽きるまでお話していた。

 お話だよ、お話!

 何人もの相手をするよりも、よほど疲れたよ……。

 僕は失礼のないように、ずっと緊張しっ放し。なんでこんな事になったかって?
 前回僕は倒れてしまったし、その前は泣きだしてしまったから、子爵さまは、ご自身がちゃんと逢いにきて、僕がつつがなくお相手しないと、梟に怒られるって変に誤解してしまったんだ。

 ああ、善良な子爵さま……。

 おかげでジョイントが貰えるのだから、僕は別にかまわないんだけどね――。



 ジョイントを僕にくれるのは、梟から鳥の巣頭の役目になった。その代わり、子爵さまに逢う前じゃなく、後。
 鳥の巣頭は子爵さまが何もしない事を知っている。その方が、匂いを気にしなくてもいいし、僕はジョイントを吸うとお喋りになるからって。ジョイントなしで子爵さまとお話するのは緊張するけれど、吸った後は、僕の記憶はどこか朧げで頼りなくなる。後まわしにした方が確かに安心だ。

 こいつもたまには、まともな事を言う。おが屑頭のくせに。

 梟はもうAレベルの試験勉強で忙しいから、僕にはかまっていられない。しばらくはその代わりを鳥の巣頭が務めるってことだ。どんな経緯でそんな事になったのかは知らないけれど。こいつは相変わらず、鬱陶しいけれど。

 早く梟の試験が終わらないかな。



 子爵さまは、意外にお喋りだ。いろんな事を取りとめもなく、とても楽しそうに話してくれる。

 ラグビーの話とか、試験の話とか――。友だちの失敗談に、家の事。勉強の事――。

 試験前なのに、僕に時間を割いてもらって大丈夫なのかと訊ねると、子爵さまは「前倒しでGCSEは受け終わっているから、心配いらないよ」と、逆に「勉強、見てあげようか」と言ってくれた。
 でも、僕は今年は受験しない。梟に、無理に周りに合わせて早期受験することはない、って言われたし。成績がまた、落ちてきていたから……。

 でも、こんなふうに言ってもらえたことが、僕にはちょっと誇らしかった。
 子爵さまは、優しいんだ。もう前みたいに、怖い目で僕を睨んだりしない。



 本当に緊張して、あまり上手く喋れなくて、僕はずっと聞き役だけれど、蝋燭の燃え尽きるのは意外に早かったんだ。




 でも、鳥の巣頭がくれるのは、子爵さまの帰った後の薄いジョイントが一本きり。こんなもので足りるわけがない。当然、僕は眠れない。

 また、悪夢の繰り返しだ。冷えきった身体を自分で抱き締め凍えるしかない。
 また、あの白い手が、僕の足を掴む。引きずる。深淵へと。

 喉元まで悲鳴が出かかった。

 僕は汗びっしょりで暗闇を見つめる。蛇が――。

 僕がうなされているっていうのに、鳥の巣頭は知らんぷりだ。僕のベッドに来ない。

 それどころか、眠りかかる度に僕が呻き声をあげて起きるものだから、見かねて国語やラテン語が僕のベッドに来ようとすると、鳥の巣頭は起きだしてきて邪魔をした。

 そんな事が三日も続き、とうとう国語とラテン語が切れた。消灯後に助っ人を三人ばかし呼んできて、五人がかりで鳥の巣頭を押さえつけ、猿轡をかまして縛りあげた。

 僕はため息をついて言った。

「一晩に五人は勘弁してよ。一人だけ。せめて順番にして」

 馬鹿な鳥の巣頭――。
 いったいこいつは何がしたいのか、まるで判らない。

 僕を疲れさせ、眠らせてくれるのなら、別に誰だっていいんだ。お前である必然性なんてこれっぽっちもないって、どうして解らないのかなぁ。

 頭の中、おが屑だからか?




 翌日の夜、鳥の巣頭はジョイントをくれた。消灯の点呼を終えてから一番端の反省室に行って、窓を全開にして吸った。

 気持ち良かったよ。最高だ。

 鳥の巣頭にキスしてやった。軽く触れただけで、こいつは頭を振って顔を逸らしてしまったけれど。

 ジョイントさえあれば僕は眠れる。冷たい僕を温める奴も必要ない。

 僕はベッドに潜り込んですぐに寝てしまった。

 真っ暗な室内で、鳥の巣頭と国語やラテン語が、何かボソボソ喋っていたけれど、邪魔にならないくらいぐっすりと眠れた。




 ハーフタームは家で過ごした。鳥の巣頭が遊びにきた。
 ちゃんと寝る前にジョイントをくれた。薄い奴だけれど。

 僕は何度か鳥の巣頭を誘ってみたけれど、あいつは顔を伏せて頭を横に振るだけだ。
 それなのに僕が眠りかかった頃に、「愛しているよ、マシュー」って、こっそり髪に触るんだ。何のために同じベッドに寝ているのか、意味が解らない。
 苛立たしいから訊いてみたら、「また夜中に発作が起きたらいけないから」と、おどおどした調子で呟かれた。

 発作って、何?
 あの白い手のこと?

 あれは、僕のせいじゃないじゃないか。人のこと、きちがいみたいに言うなよ!

 だからこいつは嫌いなんだ。馬鹿で、思い込みが激しくて、おまけに愚図で――。
 なんだって、いまだにこいつは僕の傍にいるのだろう? 本当、鬱陶しくて堪らない。


 ハーフタームが終わればすぐに創立祭だ。梟の試験も終わる。
 ジョイントのために、こんな奴と一緒にいる必要もなくなる。


 梟はなんだって、こんな奴にジョイントを預けているんだろう――。
 僕に直接、くれればいいのに――。





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