微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
32 / 200
二章

31 懺悔

しおりを挟む
 僕は手を組み天を仰ぐ
 どうか僕を救って下さい
 どうか僕にジョイントを下さい




「まったくラグビーは紳士のスポーツだなんて、誰が言ったんだろうな」
 医療棟のベッドで目覚めた時、一番に視界に入ってきた梟は、くすくすと笑いながら話していた。
「紳士のやる野蛮なスポーツですよ、寮長」
 鳥の巣頭だ。梟とずいぶん仲良さそうな声音だ。視線を横に移すと、両頬にシップを貼った不格好なあいつが、丸い顔をますます丸くしていた。おたふく風邪か虫歯で頬を腫らした、赤い風船みたいだ。

「あ、マシュー、気がついたんだね」
 あんなふうに殴られたわりに、明るい声で呼びかけられた。唇が切れて赤く引き攣れている。
「校医に、お前は少し栄養失調気味だと言われた。もっとしっかり食べろよ」
 梟は僕の頭をくしゃりと撫でて腰を浮かせた。
「もう行くの?」
「あの坊ちゃんと話してくる」
 にっと笑って肩をすくめる。

「お前も災難だったな」
 慌てて立ちあがろうとした鳥の巣頭のもしゃもしゃの頭にぽんっと手を置いて、梟は、かまわない、と押しとどめた。鳥の巣頭は微笑んだまま、首を横に振っている。

 ドアがきちんと閉められ、その姿が部屋から完全に消えるまで、梟の背を見送っていた。そんなこいつの能天気な顔をぼんやりと見つめる僕に気づいて、鳥の巣頭はそれまで梟のいた椅子に座り変え、僕から見えやすい位置に移動してきた。点滴につながれた僕の手を、そっと握る。


「ごめんよ、マシュー」

 なんでお前が謝るんだ。

「僕は彼に殴られて、やっと気づいたんだ」

 鳥の巣頭の手に力が入る。

「僕が今まできみにしていたことは、兄さんたちと同じだった、ってこと」

 声が震えている。

「僕はきみを愛しているのに、していることは愛じゃなかった。きみの弱みにつけ込んでいただけだった。きみの苦しみなんて、ちっとも見えていなかったんだ。――ごめんよ、マシュー」

 ぼろぼろと涙を溢れさせ、掠れた声が言葉を紡ぐ。

「愛している、っていいながら、僕はただ、きみが欲しかっただけだなんて――。マシュー、ごめんよ」

 何を言っているんだ、こいつは……。

 何も答えない僕に、こいつはベッドの前に跪いて肘をつけ、祈るように両手を組んで顔を伏せた。

「僕を許すと言って、マシュー」

 こいつ、頭がおかしいんじゃないのか……。

 面倒臭い――。
 僕は顔を背けた。それなのに涙が溢れていた。なぜだか、全然解らない。





 梟が戻ってきた。子爵さまと一緒に。鳥の巣頭は拳で涙を拭って立ちあがると、顔を伏せたまま梟と一緒に部屋を出た。

 僕は子爵さまが視界に入らないように、点滴のパックを見ていた。金属の棒にぶら下がるぶよぶよした透明の袋。まるで死刑台だ。ぶら下がるのは、絞りだされた僕の体液。管をつたって戻される。


 子爵さまは、用なんてないのに逢いにくる。梟にお金を渡しにくる。僕に施しをするために。

 これぞノブレス・オブリージュだ。
 僕は哀れな乞食。
 子爵さまのお慈悲にすがってジョイントを貰う――。


「すまなかったね、きみを怖がらせてしまった」

 子爵さまの、ちょっと気まずそうな、戸惑いがちな声がする。

「きみ、こっちを向いて。失礼だろう」

 苛立たしげな厳しい声に、びくりと緊張が走る。おずおずと子爵さまを見あげた。あの宝石のような深い光彩の瞳を。有無をいわさぬ支配者の瞳を。

「そんなふうに怯えないで」

 困ったように苦笑する子爵さま。

「彼にも申し訳ないことをしてしまった。でも、あの状況では誤解しても仕方ないだろう? きみはひどく怯えて、嫌がっているように見えたし――」

 眉をよせ、後悔しているのか、それともまだ怒っているのか判らない複雑な表情を浮かべ、子爵さまは押し黙った。



「――でも、すぐに僕の誤解だった、って解ったよ。彼は、あれだけ僕に殴られてふらふらだったのに、きみが倒れたのに気がつくと僕のことなんか眼中にない様子できみに走りよっていたんだ。自分のことよりも、きみを医療棟に連れていってあげてって」

「あの、僕、余り覚えていないんです――」

 霧がかかったみたいに、頭がぼーとしていた。ジョイントを吸った後みたいだ。

 スノードロップが――、咲いていた――。

 それしか記憶がない。

 気がつくと、子爵さまが鳥の巣頭を殴っていた。

「そう……。可哀想に」



 子爵さまは考えこんでいるように目を細める。
 どこか憂いを含んだその表情が、いつもの闊達な子爵さまらしくなくて、僕はなぜだか恥ずかしくなった。本当になぜだか判らなかったけれど。

「心配しないで。約束は守る。僕がきみを守ってあげるよ」

 子爵さまはにっこりと笑った。陽だまりのように。

 恐る恐る睫毛を伏せた。その眩しさが怖かった。僕が身を浸す心地良い闇が、その光に侵される。侵食される。

 白い彼が、悲鳴をあげる。

 憐れまれるくらいなら、死んだ方がマシだと。消えた方がマシだと。



 僕はジョイントを貰えるの?
 後で梟に聞かなくっちゃ。
 今日の分はやり直し? 



 僕は僕に注がれる子爵さまの視線を感じ、じっと息を潜めていた。






しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

Original drug

佐治尚実
BL
ある薬を愛しい恋人の翔祐に服用させた医薬品会社に勤める一条は、この日を数年間も待ち望んでいた。 翔祐(しょうすけ) 一条との家に軟禁されている 平凡 一条の恋人 敬語 一条(いちじょう) 医薬品会社の執行役員 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

処理中です...