微睡む宵闇 揺蕩う薫香

二章

２７ 追悼ミサ

　フーガの旋律が響き渡る
　厳かに、しめやかに、切れ間なく
　終わりのないウロボロスの環のように、くるくると
　



　翌日の全体朝礼で、昨夜死んだ奨学生のことを話していたそうだ。すごく疲れていて今にも倒れそうだったから、後から鳥の巣頭に聞いたのだけれど。

　あの人は、監督生だったらしい。

　僕の憧れの監督生。死んでしまったら意味がない。

　僕、あの人が車に跳ねられる瞬間、見たんだよ――。

　と、喋りたくてたまらなかったけれど、梟に口止めされていたから、僕はただ、「ふーん」と気のない返事をしておいた。

　見た、なんて言うと、警察に証言しに行かなきゃいけないし、僕の顔色で、見る人が見れば、すぐにジョイントをやっていることがバレてしまうから、って。梟はいつも僕を気遣ってくれる。優しいんだ。



　でもあれから、梟にはほとんど会えなかった。生徒会の会議だとか、死んだ監督生の追悼ミサの準備だとかで忙しかったからだ。
　梟のところに逃げられないから、鳥の巣頭につきまとわれて鬱陶しいかと思ったら、こいつはこいつで、追悼ミサのオルガン弾きでいなかったから助かった。

　ミサは強制参加じゃなかったし、僕は行かなかった。

「自殺のくせに、よくミサなんてしてもらえたよね」
「事故なんだろ？　表向きは」
「だって、あの噂――」

　国語とラテン語が、あの監督生のことを喋っている。どうでも良かったから、話には加わらなかった。もうこの世にいない奴なんて、どうだっていいだろ。

　そのうちこの二人は、話に飽きて僕のベッドに腰掛けた。

「死んでしまったら終わりだよね」
「生きているうちに楽しまないと」

　くすくす笑いながら、僕の髪にキスをする。シャツの下に手を入れてくる。動くのも億劫な僕のことなんて、おかまいなし。

　僕はちっとも楽しくない。
　白い影の手に弄まさぐられるよりも、本物の手の方が温かいだけマシだってだけ。

　僕を眠らせてくれないあのたくさんの手は、死んだ監督生と同じ。もうここにはいないはずなのに、密やかに囁かれる噂話のように、絡みついて離れない。

　こいつらの手は――。ただ、それだけのこと。



　イースター休暇の直前になって、やっと梟に呼ばれた。十日ぶりだ。
　梟はなんだか、やつれていた。顔色も悪かった。
　横に座って身を擦り寄せると、梟は僕を避けて煙草に火を点けた。

　まるでジョイントを吸う時のように、薄い煙を長く吐き出す。
　それから、僕に疲れた笑みを向けて、頭をくしゃっと撫でてくれた。

「あの人は自殺したの？」
　なんとなく引っ掛かっていた言葉が口からついて出た。そうじゃない、て分かっているのに。だって、見ていたのだから。
「殺すつもりはなかったんだ。手を引かせたかっただけで――」
　小刻みに震える指先の煙草から、不安定に煙が揺蕩う。

「あれは、事故だったじゃないか。目の前で見たもの」

　僕は梟の言う意味が判らなくて、首を傾げた。
　煙草を灰皿でもみ消して、梟は深い溜息を吐いた。

「その前に、ぶん殴っていたんだ。まともに歩けないくらいに。あの時、あいつはお前をソールスベリーと間違えて道を渡ろうとした。――本当に、死ぬなんて思わなかったんだ。――卒業までの数ヶ月、大人しくしていてくれたらいいな、と、願っただけで……」

　梟は骨ばった両手の長い指で、顔を覆った。

　僕はこんな梟を見たことがない。どうしていいか判らなかった。判らなかったけれど、梟をぎゅっと抱きしめた。

　僕は梟の微かに震えている背中に腕を廻しながら、白い彼のことを考えていた。

　どこまでも、どこまでも、僕を追いかけてくる白い彼――。

　僕にまといつく白い影――。
　僕の不幸の元凶。

　しばらくして梟は静かに顔を起こして僕を眺め、微かに微笑んでくれた。

「だから当分、お前にジョイントはやれない。警察が調べているからな。表向きは、あいつの死因は事故でカタがついたらしいよ。目撃者が大勢いたからな。でも、身体中に暴行の痕が残っているんだ。事故で終わるはずがない」

　梟は、くっと口を引き結んだ。

「嫌いじゃなかったんだ。あいつは俺に少し似ていた。血筋はいいのに金はなくて、自分だけが頼りだった。だから、あいつには知られたくなかったし、これ以上、彼に近づいて欲しくなかったのに……」
「彼って？」

　白い彼？

「ブライアン――」

　はは、と梟から乾いた笑いが溢れる。
「すまないな、愚痴って。こんな話ができるのもお前だけだよ」

　梟をもう一度抱きしめようと腕を伸ばした。梟は苦笑して首を横に振る。

「もうあんな真似はしないよ。あの時は、ただ寒くて、温もりが欲しかっただけだ。俺一人でいたら、気が変になりそうだった」

　梟は目を細めて微笑み、僕の頭をくしゃくしゃ撫でた。

　梟も、僕と同じ。
　白い影に捕まったんだね……。


「あのお坊ちゃんが、お前に逢いたがっている。ジョイントは渡せないけど、平気か？」

　梟の煙水晶がしめやかな色を載せる。

　警察――。
　この言葉は、何よりも鋭く、冷たく、僕を掴んでいた。
　ジョイントを貰えない僕の焦燥を嘲笑うかのように。
　
　僕は小さく頷いた。

　だって、子爵さまに逢える、たったそれだけのことで、身体の強張りがふわりと解けていたのだもの。