微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

文字の大きさ
上 下
26 / 200
二章

25 支配

しおりを挟む
 蛇が脱皮するように
 こいつは自分を脱ぎ捨てた
 中から出てきたのは別の生き物




「兄さんがいる時、きみはいつも甘い香りがしていたね?」
 横たわる僕の髪を丁寧に梳き上げながら、鳥の巣頭が僕に訊ねる。僕はもう疲れ果てて眠いのに。
「地中海の庭、貰ったんだよ」
「誰に?」
「誰って――。アヌビ……。ああ、そうか、貰ったのはナイルの庭だ」
「学校にいる時は違う香りがしている」
「だから、地中海の庭だって」
「誰に貰ったの?」
「寮長」

 煩い。しつこい、鳥の巣頭。おが屑頭のくせに――。

「マシュー、」

 煩い、まだやる気なのか。

「ジョイントって何?」

 鳥の巣頭の唇の触れる背中が、びくりと跳ねあがった。心臓がドキドキともの凄い速さで脈打っている。

 梟に怒られる――。気付かれるな、て言っていたもの――。

「誰に痕をつけるな、って言われたの?」

 鳥の巣頭が僕の肩に歯を立てる。

「答えて、マシュー」

 僕はもちろん応えなかった。

「マシュー」

 目も耳をしっかりと塞いだ。

 煩い、煩い、煩い! 鳥の巣頭のくせに!

 白いシーツを握りしめて、小刻みに震える僕を鳥の巣頭が抱きしめる。のしかかる。我が物顔で。

「マシュー」

 囁く声が僕を追いつめる。やめろ! その名を呼ぶな! 僕はお前なんか知らない!




 鳥の巣頭がジョイントをくれた。
 あの森小屋で。

 スノードロップが咲いていた。

 僕はこの花が嫌いだ。
 視界に入るのも嫌だったから、ずっと俯いていた。
 真っ白に染まる小径を、足の裏にサクサクとした霜の抵抗を感じながら、黙りこくって鳥の巣頭の後ろに従って歩いた。



 鉄製の薪ストーブに火を入れてやっと部屋が温まってから、アヌビスの銀のシガレットケースを出された時には、自分の目を疑ったよ。

「誰にも言わないから安心して」

 鳥の巣頭が僕の肩に腕を廻す。僕が銜えたジョイントに火を点けてくれる。白い煙がふわりと立ちあがる。

 白い彼が微笑んでいる。

 僕に会いたかった?
 僕もだよ。

 ゆっくりと、少しずつ、白い彼で胸を満たした。
 ほら、白い彼は僕を蕩かす。
 鳥の巣頭にもたれかかって、少しずつ、少しずつ、彼を解き放つ。僕はもう彼。彼と一緒に溶け出して揺蕩う。

 嬉しくて、嬉しくて、くすくす笑い出した僕を、鳥の巣頭が、あのでかい目をもっとでかくして見つめている。僕はますます可笑しくて、声を立てて笑い、鳥の巣頭にキスしてやった。

「まだだよ。吸い終わるまで駄目」

 シャツの中に入れてきたこいつの手を、掴んで止めた。
 白い灰がポロポロと落ちる。

 正面にある窓の傍に、子爵さまが佇んでいる。背中を向けて。雨が止むのを待っている。

 涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 顔を背けて、薪ストーブの小さな窓から覗く金色の炎を覗き込んだ。
 きらきらと躍る煌き。パチパチと跳ねる色彩。

 僕は、助けて、と白い彼を吸い込む。彼は、僕を分解して溶かして流す。ぽろぽろと灰と一緒に零れ落ちる僕。


 微睡む僕には会えなかった。


 天井に大きく張った蜘蛛の巣が、膨張した空気に揺らめく。蜘蛛が僕を狙っている。
 背中に当たる固いラグに溶け出した僕が染み込んでいく。細い繊維の中に隠れて、僕はこっそりとあの蜘蛛から逃れるんだ。

 僕の中にストーブの小さな炎が燃え移る。熱く。激しく。突き上げる。僕を灰にするために。

「マシュー」

 どこかで誰かが呼んでいる。

「答えて」

 木霊のように繰り返される。

 答えて。答えて。応えて。こたえて。たえて。堪えて――。


 ――約束する。次も必ず僕が来るから。


 逢いたい――。彼に、逢いたい。




 鳥の巣頭がジョイントをくれたのは、たったの一度切りだった。
 嘘つきの鳥の巣頭。やっぱりおが屑野郎だ。お前なんかストーブの中に着火剤替りに放り込んでやりたい!

 前よりももっと重たい頭に、重たい手足。
 ぐったりと起きあがれない僕。
 それなのに、こいつはジョイントをくれない。

 役立たず!

 僕は思い切りこいつを罵った。手当たり次第に手近なものを投げつけた。枕とか、時計とか。

 それなのに、力じゃまるで叶わなかった……。

 僕は組み伏せられてされるがままだ。


「僕はきみだろう? きみが僕にそう言ったんだよ。僕だけがきみの痛みを解ってあげられる。だから、そんなふうに言ったんだよね。きみは、僕が好きなんだよね?」

 お前なんか大嫌いだ。

「もう寮長と寝ないで」

 梟はそんなことしない。それなのに、何度違うと言っても信じてくれない。

「きみがもう、誰ともこんなことをしないのなら、僕がきみにジョイントをあげる」

 嘘つき。お前の言うことなんて信じられるか。たった一本のジョイントで僕を騙した。アヌビスよりも性質たちが悪い。


「僕がきみを守ってあげる」


 吐き気がする――。

 誰か、僕を、助けて――。





しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

兄のやり方には思うところがある!

野犬 猫兄
BL
完結しました。お読みくださりありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 第10回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、そしてお読みくださった皆様、どうもありがとうございました!m(__)m ■■■ 特訓と称して理不尽な行いをする兄に翻弄されながらも兄と向き合い仲良くなっていく話。 無関心ロボからの執着溺愛兄×無自覚人たらしな弟 コメディーです。

処理中です...