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二章
21 九月 陽溜まり
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地中海の庭に
梟の声が告げる
時は満ちた、と
学年が上がり寮長になった梟は、僕の顔を見るなり眉をひそめて、顎をぐいと掴んで上向かせた。
「お前は本当に学習しない子だな」
吐息をついてソファーに座り、煙草に火を点ける。
「学年代表を続けたいならジョイントは禁止だ。俺はこれでもお前のことを気にいっているんだ。失望させないでくれよ」
僕は恥ずかしさで俯いたまま。優しい梟に嫌われるのは嫌だった。
梟が手招きして、自分の横に座るように促している。僕は操り人形のようにふらふらと引きよせられ、蛇の時と同じように身を摺りつけた。
梟は身を屈めて、ローテーブルの上のアフターエイトをつまみ、薄紙を破って僕の口に咥えさせた。
「当分はこれで我慢だ。お前がいい子にしているなら、月に一度は吸わせてやる。だからまずはこの顔色をなんとかしろ」
にっこりと笑い、僕の髪をくしゃくしゃと撫でる。
寮の部屋の位置が変わった。今年はテムズ川が見えない。窓からの景色は屋根、また屋根。面白くもなんともない。がっかりだ。
でも同室の顔ぶれは変わらない。それだけは助かった。きっと梟が僕の希望を通してくれたんだ。他の奴らとも喋りはするけれど、やっぱり、これからの一年間同じ部屋で、また一から関わるなんてのは面倒だもの。
後一年の辛抱だ。三学年からは個室になる。
鳥の巣頭はめっきり無口になったけれど、相変わらず僕の代わりに、他の奴らの世話を焼いている。
ジョイントを禁止された僕は、いつも霧がかかったようにぼーとしていて、上手く思考が働かない。やめて十日もすれば楽になるから、と、梟は言ったけれど。
僕はジョイントの代わりに煙草を吸うようになった。全然違う。こんなものじゃ代わりにならない。それでも、何もないよりはマシだった。
夜、眠れない。寒くて――。
肌から赤い染みが浮き出てきて太い指になる。僕を押さえ付ける。しめやかな雨がいつの間にか衣服を濡らし、まといつかせるように、冷え切った汗でぐっしょりと濡れ、毎夜凍える。
うなされる僕の声で皆眠れなくなるから、鳥の巣頭がベッドに入ってくる。
暗闇には、荒い息遣いだけが――。
残る二人は両隣のベッドで息を殺して、終わるのを待っている。僕の吐息で自分自身を慰めながら。
梟は、よく僕を連れ歩いた。下級生の僕一人では行けないような上級生の学舎や、部活動の施設や部室、生徒会の執務室なんかに。
梟は生徒会役員も兼ねていたから、各部活への伝達を滞りなくするための伝達係として、顔を覚えて貰うためだと説明された。こうして今から顔を売っておけば、四学年に上がる時には生徒会役員への推薦が貰える。スポーツで活躍した奴だけが役員に選ばれる訳じゃない、と教えてくれた。そんな奴らだけじゃ、生徒会が廻らないだろ? と。
霧の中で、梟の声だけが僕の道標。
僕はなかなか人の顔も、名前も覚えられなかったから、大抵鳥の巣頭も一緒だった。あいつも梟のことを尊敬している。
去年よりもずっと外に出て歩き回るようになった。時々、校内で子爵さまを見かけた。彼も赤のネクタイをしていた。どこの寮なのだろう? 子爵さまはいつも取り巻きに囲まれていた。でも、たまに僕に気がつくと、にっこりしてこっそりと手を振ってくれた。
結局、子爵さまと話したのは、あの白樺の林での僅かな間でしかなかったのに、覚えてくれているのが無性に嬉しかった。
その日、いつもの様に梟と学舎の中庭を歩いていた。ふと梟が立ち止まる。僕は何気なくその視線の先を追った。
子爵さまと、知らない誰か。それに、白い彼がいた。
子爵さまは頬を紅潮させ、瞳をきらきらと輝かせながら、懸命に白い彼に話しかけていた。
白い彼は、優しげな柔らかな笑みを返している。
知らない誰かが白い彼の肩を抱いて、大声でふざけだした。
子爵さまは唇を尖らせてふくれっ面だ。
陽溜まりの中の彼らは、とても眩しい。
――――。
「え? お前、彼を知っているのか?」
梟が驚いたように僕を振り返る。
「今、名前を呼んだろう?」
自分が声を発していたなんて、気がつかなかった。
「夏期休暇で偶然にお会いして――」
慌てて言い訳するように早口で言葉を濁した。いい終わらない内に、梟は拳を口許に当て、クスクスと笑いだす。
「なるほどな。同じラグビー部だものな」
楽しげに煙水晶の目を細め、梟は僕の肩にその大きな手を置いた。
「ご褒美だ。ジョイントを吸わせてやる」
週末、連れていかれたあの古ぼけたボート小屋の控え室で、約束通り梟はジョイントを一本くれた。それはアヌビスがくれるものよりも、軽くて薄い気がした。視界を遮る程の濃い白い煙は、これでは生まれない。微睡む僕に会えない。僕はベンチに腰掛けた梟にもたれかかった。これだけでは足りない、と。
梟は僕の頭をくしゃりと撫でた。
「それだって安くはないんだ。もっと上等なのが欲しかったら、しっかり稼いでこい」
耳許でそう囁いて、ついっと部屋を出て行った。
入れ替わりに、何となく顔に覚えのある誰かが入ってきた。
そいつを見上げて言った。
「吸い終わるまで待って」
それから、ゆっくりと、深く、深く、白い煙を吸い込んだ。少しでも、僕の中で濃くなるように。微睡む僕を起こさぬように。僕を包む薄霧の白い彼が、この紛い物の薄い煙で、少しでも戻ってきてくれるように。
梟の声が告げる
時は満ちた、と
学年が上がり寮長になった梟は、僕の顔を見るなり眉をひそめて、顎をぐいと掴んで上向かせた。
「お前は本当に学習しない子だな」
吐息をついてソファーに座り、煙草に火を点ける。
「学年代表を続けたいならジョイントは禁止だ。俺はこれでもお前のことを気にいっているんだ。失望させないでくれよ」
僕は恥ずかしさで俯いたまま。優しい梟に嫌われるのは嫌だった。
梟が手招きして、自分の横に座るように促している。僕は操り人形のようにふらふらと引きよせられ、蛇の時と同じように身を摺りつけた。
梟は身を屈めて、ローテーブルの上のアフターエイトをつまみ、薄紙を破って僕の口に咥えさせた。
「当分はこれで我慢だ。お前がいい子にしているなら、月に一度は吸わせてやる。だからまずはこの顔色をなんとかしろ」
にっこりと笑い、僕の髪をくしゃくしゃと撫でる。
寮の部屋の位置が変わった。今年はテムズ川が見えない。窓からの景色は屋根、また屋根。面白くもなんともない。がっかりだ。
でも同室の顔ぶれは変わらない。それだけは助かった。きっと梟が僕の希望を通してくれたんだ。他の奴らとも喋りはするけれど、やっぱり、これからの一年間同じ部屋で、また一から関わるなんてのは面倒だもの。
後一年の辛抱だ。三学年からは個室になる。
鳥の巣頭はめっきり無口になったけれど、相変わらず僕の代わりに、他の奴らの世話を焼いている。
ジョイントを禁止された僕は、いつも霧がかかったようにぼーとしていて、上手く思考が働かない。やめて十日もすれば楽になるから、と、梟は言ったけれど。
僕はジョイントの代わりに煙草を吸うようになった。全然違う。こんなものじゃ代わりにならない。それでも、何もないよりはマシだった。
夜、眠れない。寒くて――。
肌から赤い染みが浮き出てきて太い指になる。僕を押さえ付ける。しめやかな雨がいつの間にか衣服を濡らし、まといつかせるように、冷え切った汗でぐっしょりと濡れ、毎夜凍える。
うなされる僕の声で皆眠れなくなるから、鳥の巣頭がベッドに入ってくる。
暗闇には、荒い息遣いだけが――。
残る二人は両隣のベッドで息を殺して、終わるのを待っている。僕の吐息で自分自身を慰めながら。
梟は、よく僕を連れ歩いた。下級生の僕一人では行けないような上級生の学舎や、部活動の施設や部室、生徒会の執務室なんかに。
梟は生徒会役員も兼ねていたから、各部活への伝達を滞りなくするための伝達係として、顔を覚えて貰うためだと説明された。こうして今から顔を売っておけば、四学年に上がる時には生徒会役員への推薦が貰える。スポーツで活躍した奴だけが役員に選ばれる訳じゃない、と教えてくれた。そんな奴らだけじゃ、生徒会が廻らないだろ? と。
霧の中で、梟の声だけが僕の道標。
僕はなかなか人の顔も、名前も覚えられなかったから、大抵鳥の巣頭も一緒だった。あいつも梟のことを尊敬している。
去年よりもずっと外に出て歩き回るようになった。時々、校内で子爵さまを見かけた。彼も赤のネクタイをしていた。どこの寮なのだろう? 子爵さまはいつも取り巻きに囲まれていた。でも、たまに僕に気がつくと、にっこりしてこっそりと手を振ってくれた。
結局、子爵さまと話したのは、あの白樺の林での僅かな間でしかなかったのに、覚えてくれているのが無性に嬉しかった。
その日、いつもの様に梟と学舎の中庭を歩いていた。ふと梟が立ち止まる。僕は何気なくその視線の先を追った。
子爵さまと、知らない誰か。それに、白い彼がいた。
子爵さまは頬を紅潮させ、瞳をきらきらと輝かせながら、懸命に白い彼に話しかけていた。
白い彼は、優しげな柔らかな笑みを返している。
知らない誰かが白い彼の肩を抱いて、大声でふざけだした。
子爵さまは唇を尖らせてふくれっ面だ。
陽溜まりの中の彼らは、とても眩しい。
――――。
「え? お前、彼を知っているのか?」
梟が驚いたように僕を振り返る。
「今、名前を呼んだろう?」
自分が声を発していたなんて、気がつかなかった。
「夏期休暇で偶然にお会いして――」
慌てて言い訳するように早口で言葉を濁した。いい終わらない内に、梟は拳を口許に当て、クスクスと笑いだす。
「なるほどな。同じラグビー部だものな」
楽しげに煙水晶の目を細め、梟は僕の肩にその大きな手を置いた。
「ご褒美だ。ジョイントを吸わせてやる」
週末、連れていかれたあの古ぼけたボート小屋の控え室で、約束通り梟はジョイントを一本くれた。それはアヌビスがくれるものよりも、軽くて薄い気がした。視界を遮る程の濃い白い煙は、これでは生まれない。微睡む僕に会えない。僕はベンチに腰掛けた梟にもたれかかった。これだけでは足りない、と。
梟は僕の頭をくしゃりと撫でた。
「それだって安くはないんだ。もっと上等なのが欲しかったら、しっかり稼いでこい」
耳許でそう囁いて、ついっと部屋を出て行った。
入れ替わりに、何となく顔に覚えのある誰かが入ってきた。
そいつを見上げて言った。
「吸い終わるまで待って」
それから、ゆっくりと、深く、深く、白い煙を吸い込んだ。少しでも、僕の中で濃くなるように。微睡む僕を起こさぬように。僕を包む薄霧の白い彼が、この紛い物の薄い煙で、少しでも戻ってきてくれるように。
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