微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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一章

18 繭

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 可哀想?
 そんなもの、優越感だろ?
 良かったね、きみじゃなくて




 案の定、挨拶をすますとアヌビスは僕にかまうこともなかった。しばらくは同じテーブルでお茶を飲みながら、神妙な顔をして話につき合った。けれど僕にはラグビーの話は解らないので、相槌の一つも満足に打てなくて、ずいぶんと居心地が悪かった。

 鳥の巣頭はラグビー部と仲の悪いボート部に入部している。だからその事をアヌビスに当てこすられて、ぷんとふくれっ面をして意地になって反論していた。

 どうだっていいけれど。

 ふっと子爵さまに目をやると、彼はカップを口許に運んだまま、ぼんやりと僕を見ていた。目が合うと、すっと視線を伏せる。深い緑の瞳が宝石みたいだ。僕の白金の髪プラチナブロンドよりももっと濃い金髪を、ラグビー部員らしく短く刈り揃えている。お日さまみたいな暖かな金色。アヌビスの仲間のラグビー部員より、ずっと繊細で優しそうだな。
 僕があまりに不躾に見ていたせいだろうか。子爵さまはまた僕をちらりと見ると、体勢ごとアヌビスの方へ向きを変えた。

 話題も、またラグビーに戻っている。僕はもう諦めて部屋に戻ることにした。滞在中に一度くらいはチャンスがあるはず。その時に、ジョイントをまとめて何本か貰えばいいんだ。

 鳥の巣頭と二人、断って席を立った。視線を感じて振り返る。また、目を逸らされた。こうも露骨に避けられると、さすがに不愉快だ。



「プレップの頃のソールスベリー先輩に似ている」
 ドアを閉める直前、そんな声が聞こえた。

 まただ! 一体どこが似ているのか教えて欲しいよ!

 腹が立って、僕は傍らの鳥の巣頭を睨めつけた。

「大嫌いだ」

 我慢できずにそう口走った。踵を返して部屋に駆け戻り、ベッドに倒れ込んでむせび泣いた。

 暫くして、小さなノックの音がする。僕は返事をしなかった。

 鳥の巣頭なんか、大嫌いだ!
 ずっとずっと、嫌いだった! 
 あの目、僕を憐れむあの瞳、えぐり取ってやりたい!
 あの男も!
 似ていると言った、あの男も、アヌビスも、皆、大嫌いだ!

 断りもなくドアが開いた。鳥の巣頭がおずおずと入ってくる。ベッドに腰かけて、僕の背中にそっと手をのせる。

「ごめんよ、マシュー。さっきの事、怒っているのなら謝るよ。でも解って、マシュー。僕はきみのことが本当に好きなんだ。だから――」

 僕は返事をしなかった。寝たふりをしてずっと無視した。
 もう我慢出来なかった。
 僕はこいつが大嫌いだ。



 夕食の席にも出なかった。
 鳥の巣頭と口を利くのも嫌だったからずっと寝たふりをしていたら、本当に少しだけ眠れた。森まで散歩して疲れていたからだ、きっと。
 夜中に起き出して、お風呂に入った。ちゃんと自分でお湯を張ったし、別にあいつがいなくたって、これくらい自分でできる。僕だって、ずっとプレップ・スクールで自立心を培ってきたのだから。


 身体が温まったせいか、ベッドに戻ってごろんと転がっていると、またふわりと微睡んできた。久しぶりだった。こんな風に眠れそうなのは。

 目を瞑っても、僕を掴んで引きずる手は現れない。触れるその箇所から僕を凍りつかせていく手も――。

 こんなの、本当に久しぶり。あの日から、僕はずっと凍りついたままだったのに。ジョイントだけが僕を溶かして温めてくれていたのに。
 僕の口から吐息が漏れる。嬉しくて。僕は微笑んで微睡んだ。温かな湯船にいまだ浸かっているみたいだ。


 微睡みの中で見つけた温かな繭は、いつしか細い生糸となって、僕をぐるぐる巻きに縛りあげていた。押さえつけられ、締め上げられ、僕は身動きできない。息ができない。
 あまりの苦しさに目を開けた。

 アヌビス!

 伸しかかるこいつを押しのけようと、強く押し返した。びくともしない。
「なんだ? えらくつれないじゃないか。わざわざ会いに来たくせに」

 大きな手が、強く僕の腕を掴み押さえつけ、組み伏せる。

 痛い! また痣になる――。寮長に怒られる――。

「いや! やめ、」
 声を荒らげた僕の口を、硬い掌が覆う。

 苦しい。息ができない。
 しらふでお前の相手なんかやっていられるか!
 苦しい。痛い。気持ち悪い。息ができない。

 お前なんか、大嫌いだ!

 彼は、彼はどこ? 早く彼を見つけなくては。
 粉々になった彼、霧になって消えてしまった。
 早く、早く白い彼を――。

「ジョイントをちょうだい」

 僕は切れ切れの息の下、やっとそれだけ吐き出した。

 ジョイントを。白い煙を。繭を作って。真っ白い繭を。僕を包んで。隠して。忘れさせて。僕を、消し去って。

 涙が止まらなかった。

 アヌビスはおかまいなしだ。
 僕を揺すぶりなぎ倒し切り刻む。その鋭い牙で。


 天井の葉の影から、蛇が僕を嗤っている。




「マシュー、おはよう」

 鳥の巣頭の声に、目を開けた。白い世界が、パズルのように少しずつ合わさって形を作る。

「昨夜はずいぶんとよく眠っていたんだね。眠れないって言っていたきみが、よく眠れているみたいだから、僕、起こさなかったんだ」

 何事もなかったように、笑っている。

 絶対に、許さない。
 僕は、お前を許さない。

「お風呂に入りたい。歩けないから連れて行って」

 指の痕のくっきりと残る腕を、鳥の巣頭に差しだした。やつの顔がさっと青褪める。

「これ――」
「判らないの? きみが僕にしたことを、きみの兄貴もしただけだよ。あんなに頼んだのに、きみ、僕のところで寝てくれなかったんだもの」


 そうだ――、全部お前が悪いんだ!





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