微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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一章

17 八月 出逢い

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 運命的な出逢いってやつを、きみは信じるかい?



 夏期休暇中、僕は無為に日々を過ごした。鳥の巣頭は、合宿だの、旅行だのでずっと会えなかったから。仕方がないから、同室の奴らの家に一週間ずつ遊びに行った。退屈だったよ。
 あいつらは本当、使い物にならなくて、僕が軽くキスしてやるだけでぽーとなって、それでおしまい。鳥の巣頭の方がまだマシだ。僕は凍えて眠れないっていうのに……。


 夏も終り近くになって、やっと鳥の巣頭は帰ってきた。僕は喜んで遊びにいった。ジョイントが欲しくて、欲しくて、辛くて堪らなかったんだ。
 最後に吸ったのはいつだっけ? 確か、学年末試験の結果が出て、蛇の卒業セレモニーの数日前。もう二ヶ月近くなるじゃないか……。

 僕はこの休暇中、泥のように彷徨っていた。どこかを。眠れないまま。暗闇の中を。あの白い煙が僕を蛇の体内に連れ戻してくれることを願いながら。あの中に還りたい。どこだか分からない場所にいるよりずっとマシだ。



 鳥の巣頭は僕を見ると、喜んで飛びついてきた。
「マシュー、元気だった? きみに会えなくて寂しかったよ」
「僕もだよ」
 僕はにっこりと笑う。鳥の巣頭の母親は、顔を伏せたまま僕を見ない。
「また、お世話になります」
 僕の言葉に彼女は無理に引きつった笑顔を作り、両手を所在なげに組みかえて、「ゆっくりしていらして」と震える声で応えた。

 僕は、自分でもよく笑い出すのを我慢できたと思うよ。 



 前と同じ部屋に案内された。ドアを閉めて僕がキスしようとすると、鳥の巣頭は僕を押し退けるように引き離して、首をぶんぶんと横に振った。
「駄目だよ、マシュー。良くないよ、こんなこと」

 勝手な奴。言ってろ。



 僕は鳥の巣頭を部屋に残して庭に出た。庭から白樺の林に抜ける。そのまま森小屋まで歩いていった。
 やっと辿りついて、玄関前の段差に腰かけた。
 放ったらかしにされている空き地は雑草が生い茂り、むわりと立ち上る草いきれに包まれている。気分が悪い。
 ふと足下を見ると、小さな点のような蟻が忙しなく動き回っている。僕は一匹摘み上げて、傍らのテラコッタの植木鉢の、枯れかけた低木に張った蜘蛛の巣に落としてみた。蟻は小さな足をバタつかせて暴れている。すかさず、葉の影から蜘蛛が出て来て蟻に糸を絡め始めた。そして巻き終わると、また直ぐに葉の陰に引っ込んだ。

 なんだ、食べないのか――。

 僕はもう一匹、蟻を落としてみた。
 また蜘蛛が出て来た。糸を巻きつける。

 もう一匹。蜘蛛は大忙しだ。

 でも、四匹目になると蜘蛛はもう顔を出さなかった。つまらない。僕は木の枝を折って、蜘蛛の巣を滅茶苦茶にしてやった。


 僕の誤算は、折角この家にやって来たのに、アヌビスがいなかったことだ。どうだっていい鳥の巣頭がいたって、仕方がない。

 あんな、役立たずの意気地なしなんか!


「マシュー、」
 顔をあげると鳥の巣頭が、口をへの字にして立っていた。ちょっとつついたら泣き出しそうな。
「ごめんね。きみのことが嫌いな訳じゃないんだ」
「うん。いいんだよ、」

 どうだって。お前のことなんか!

 鳥の巣頭が隣に座る。僕はそっと肩にもたれる。
「ごめんね。ずっと眠れないんだ。それで、」
 鳥の巣頭は、今度は逃げない。僕はおずおずと腕を伸ばした。
「寒いんだよ」

 身体が凍りつきそうに冷えていて眠れない。これは、本当。ジョイントがないと眠れない――。

「うん。解るよ。可哀想なマシュー」
 鳥の巣頭も腕を廻して抱きしめ返してきた。

 初めからそうしろよ、もったいぶって。

 キスしようとすると、鳥の巣頭はすいっと立ちあがって僕の手を引っ張り立たせた。

「戻ろうか。兄さんが帰っているんだ。きみに会いたいって」

 やった!

 満面の笑みの僕を見て、鳥の巣頭も嬉しそうに笑った。
「ねぇ、本当に兄さんはもう、きみに酷いことをしたりしていないんだね?」
 だが直ぐにその笑みを緊張で強張ったものに変え、今まで何度も尋ねた質問を、またしつこく繰り返す。
「そんな訳ないだろ! だって、僕はきみの友達だよ。前のことだって、誤解だって解ってくれたもの」
 
 創立祭が終わり蛇が卒業するまでの間に、僕は何度か身体に軽い内出血の痣を残し、鳥の巣頭に見咎められて問い質されていた。こいつは、自分の兄や、その取り巻きの仕業ではないかと疑っていた。僕は、気がつかなかったとか、ぶつけたんだ、と曖昧に誤魔化した。実際は、蛇の友人たちがつけたのだけれど。そんな事、こいつに話せるはずがないじゃないか。

 嬉しくて顔が緩みっぱなしだ。いつもよりずっと声のトーンも高くなっている。足取りも軽く、鳥の巣頭の手を引っ張った。




 息せき切って扉を開けた応接間で、アヌビスが僕を待っていた。けれど、彼は一人ではなかった。がっかりして、その場に立ち尽くしてしまった。アヌビスの連れがいるとなると、僕との時間を取れるかどうか判らないじゃないか。ジョイントだけでも、くれないかな……。

 僕がアヌビスをびっくりまなこで見つめたせいか、当の本人は声を立てて豪快に笑った。
「久しぶりだな。学校じゃ、ちっとも会わなかったものな」

 意気消沈してしまった僕に、アヌビスは連れの男を紹介している。新三学年生――、僕より一学年上だ。

 礼儀を欠かないように、僕はそいつに笑顔を向けた。随分と背が高い。ラグビー部の後輩だけのことはある。野蛮なアヌビスと違って、こちらはずいぶんとお上品だけど。

 ――その名前を聞いて、僕の背筋が一気に伸びていた!

 現役内務大臣の嫡男。侯爵家子爵様だ!
 僕なんかとは身分が違う!

 顔色の変わった僕を見て、怒っているような厳しい目つきで僕を食い入るように見つめていた彼は、にっこりと笑顔を見せてくれた。

「よろしく、モーガン」

 差し出された手を、僕はおずおずと握り返した。







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