15 / 200
一章
14 白い輝き
しおりを挟む
ウロボロスは捻れて閉じたメビウスの環
僕が蛇の内にいるのか、蛇が僕の内にいるのか、
僕にはもう判らない
僕は本当にラッキーだった。
百足の男は、僕にジョイントをくれたんだ。
おかげで痛みはなかったし、久しぶりにハイになれたよ。
楽しくって仕方がない。
梟が、ベンチに寝転がったまま宙を見つめる僕に近寄ってきた。そして、軽く眉を寄せて僕を見下ろした。
「ご苦労様」
刹那、苦笑して僕の髪にコロンを振りかける。
「ミント――、寮長の香り――」
「鼻がいいな。『地中海の庭』、同じものを使っているだけだ」
梟は普段コロンはつけないのに。
それから梟は、僕の口に『アフターエイト』を咥えさせた。それは半分どろどろで、僕は上を向いて口内に落とし、唇の周りにべったりとついたチョコレートを、ゆっくりと舐めとった。ミントの香りと、白い甘味が僕をクリアにする。
ミントと、カカオと、地中海の庭が交じり合う。
ジョイントの匂いを覆い隠す地中海の庭はどこか刺激的だ。僕は内も外も清涼なミントで透明になる。磨硝子の窓を通り抜ける淡い光は、埃っぽいこの部屋の空気すらきらきらとした宝石に変える。僕はその中にこっそりと混ざり込むのだ。誰も僕に気がつかない。誰にも僕は見えない。僕がどこにもいないなんて、なんて気持ちがいいんだろう。
おかしくて、たまらない――。
梟は僕の口を濡れたタオルで拭き、身体を拭き、服を着せて、ネクタイを結び、おまけに髪に櫛まで入れてくれた。
クリケット場に戻った時には、ずいぶん時間が経っていた。
両親は梟に頼まれた誰かに案内されて特等席でボートの儀式を見学し、今はクリケットを観戦中だ。父はここで知己と再会して、懐かしそうに語り合い、母は母でその夫人と談笑していた。
「まぁ、もう平気なの? もっと休んでいらっしゃい」
母が心配そうに僕を見る。
梟が、僕はこの陽気のせいで暑さに倒れ医療棟で休んでいる、と伝えたからだ。しばらく休めばよくなるから、お二人は催しを楽しんでいて、と僕が言っていた、と。
僕は梟に感謝した。お陰で父母に心配をかけずに済んだ。やはり、梟は優しいのだ。
「ソールスベリーだ」
梟が呟いた。見あげた僕にちらと目をやり、「ストライカーが奴だよ」
と軽く顎をしゃくる。
フィールドは遠すぎて、それに彼はヘルメットを被っていて、僕からは、僕が似ているという彼の顔は見えなかった。
ただ澄み渡る青空の、明る過ぎる陽光を恐れることもなくすっと佇む、全身白のユニフォームに身を包んだ彼の上品で清廉な姿態は、この距離からであっても他を圧倒し、抜きん出て人目を惹きつけ、鮮やかな芝の緑に浮き上がり輝いて見えた。
彼は、陽の当たる場所に当たり前に立っている。
「また彼の一人勝ちだよ」
いつの間にか横にいた蛇が苦笑いしている。
カーンと、綺麗な打撃音と共に白球が空高く飛んだ。
「彼の打席で試合は終わりそうだな」
梟は真剣に、ランをする打者を目で追っている。
「今年もハーフセンチュリー達成、間違いないね」
「カレッジ寮の運動音痴どもを率いての頭脳戦だろ? よくやるよ」
「相変わらず容赦ない試合運びだったよ。紳士面したラザフォードとは大違いだ」
呆れたような口調で話しながらも、二人とも、視線はピッチに立つ彼に釘づけにされている。
後ろから急に腕を掴まれた。
「マシュー」
鳥の巣頭だ。
僕の横に立つ寮長の事を気にしながら、鳥の巣頭は僕を人垣から外れたテントの下に引っ張っていった。
寮長はちらと僕たちを見たけれど、何も言わなかった。
「大丈夫? また目の下が真っ黒になっている。酷いクマだよ」
ああ、久しぶりにジョイントを吸ったからね。
「今日の準備で忙しかったからかな。緊張してあまり眠れなかったんだ」
僕はこいつを安心させるために微笑む。
「顔色も悪いよ。座っておきなよ」
こいつはいそいそとパイプ椅子を運んでくる。
「ありがとう」
ああ、確かにそろそろ効き目が切れてきたところだよ。
僕は倒れかかるように腰を下ろした。目を瞑ると、さっきの白い輝きが、残像のように残っていた。
そうして僕はまた蛇の体内に戻ったのだ。冷たくて熱い。べたべたとしてねっとりして、そのくせ薄い皮膜のような蛇の腹に――。
蛇の冷たい鱗が僕を刺激し、あの赤い舌が僕を這いずる。僕は蛇に巻きつかれたまま蛇を呑み込む。
そう、僕は気づいたんだ。
蛇が僕を呑み込んでいるんじゃない。
僕が蛇を呑み込んでいるのだということに。
ウロボロスの体内で僕は微睡み、僕の中で蛇が目覚める。白い輝きと共に――。
僕が蛇の内にいるのか、蛇が僕の内にいるのか、
僕にはもう判らない
僕は本当にラッキーだった。
百足の男は、僕にジョイントをくれたんだ。
おかげで痛みはなかったし、久しぶりにハイになれたよ。
楽しくって仕方がない。
梟が、ベンチに寝転がったまま宙を見つめる僕に近寄ってきた。そして、軽く眉を寄せて僕を見下ろした。
「ご苦労様」
刹那、苦笑して僕の髪にコロンを振りかける。
「ミント――、寮長の香り――」
「鼻がいいな。『地中海の庭』、同じものを使っているだけだ」
梟は普段コロンはつけないのに。
それから梟は、僕の口に『アフターエイト』を咥えさせた。それは半分どろどろで、僕は上を向いて口内に落とし、唇の周りにべったりとついたチョコレートを、ゆっくりと舐めとった。ミントの香りと、白い甘味が僕をクリアにする。
ミントと、カカオと、地中海の庭が交じり合う。
ジョイントの匂いを覆い隠す地中海の庭はどこか刺激的だ。僕は内も外も清涼なミントで透明になる。磨硝子の窓を通り抜ける淡い光は、埃っぽいこの部屋の空気すらきらきらとした宝石に変える。僕はその中にこっそりと混ざり込むのだ。誰も僕に気がつかない。誰にも僕は見えない。僕がどこにもいないなんて、なんて気持ちがいいんだろう。
おかしくて、たまらない――。
梟は僕の口を濡れたタオルで拭き、身体を拭き、服を着せて、ネクタイを結び、おまけに髪に櫛まで入れてくれた。
クリケット場に戻った時には、ずいぶん時間が経っていた。
両親は梟に頼まれた誰かに案内されて特等席でボートの儀式を見学し、今はクリケットを観戦中だ。父はここで知己と再会して、懐かしそうに語り合い、母は母でその夫人と談笑していた。
「まぁ、もう平気なの? もっと休んでいらっしゃい」
母が心配そうに僕を見る。
梟が、僕はこの陽気のせいで暑さに倒れ医療棟で休んでいる、と伝えたからだ。しばらく休めばよくなるから、お二人は催しを楽しんでいて、と僕が言っていた、と。
僕は梟に感謝した。お陰で父母に心配をかけずに済んだ。やはり、梟は優しいのだ。
「ソールスベリーだ」
梟が呟いた。見あげた僕にちらと目をやり、「ストライカーが奴だよ」
と軽く顎をしゃくる。
フィールドは遠すぎて、それに彼はヘルメットを被っていて、僕からは、僕が似ているという彼の顔は見えなかった。
ただ澄み渡る青空の、明る過ぎる陽光を恐れることもなくすっと佇む、全身白のユニフォームに身を包んだ彼の上品で清廉な姿態は、この距離からであっても他を圧倒し、抜きん出て人目を惹きつけ、鮮やかな芝の緑に浮き上がり輝いて見えた。
彼は、陽の当たる場所に当たり前に立っている。
「また彼の一人勝ちだよ」
いつの間にか横にいた蛇が苦笑いしている。
カーンと、綺麗な打撃音と共に白球が空高く飛んだ。
「彼の打席で試合は終わりそうだな」
梟は真剣に、ランをする打者を目で追っている。
「今年もハーフセンチュリー達成、間違いないね」
「カレッジ寮の運動音痴どもを率いての頭脳戦だろ? よくやるよ」
「相変わらず容赦ない試合運びだったよ。紳士面したラザフォードとは大違いだ」
呆れたような口調で話しながらも、二人とも、視線はピッチに立つ彼に釘づけにされている。
後ろから急に腕を掴まれた。
「マシュー」
鳥の巣頭だ。
僕の横に立つ寮長の事を気にしながら、鳥の巣頭は僕を人垣から外れたテントの下に引っ張っていった。
寮長はちらと僕たちを見たけれど、何も言わなかった。
「大丈夫? また目の下が真っ黒になっている。酷いクマだよ」
ああ、久しぶりにジョイントを吸ったからね。
「今日の準備で忙しかったからかな。緊張してあまり眠れなかったんだ」
僕はこいつを安心させるために微笑む。
「顔色も悪いよ。座っておきなよ」
こいつはいそいそとパイプ椅子を運んでくる。
「ありがとう」
ああ、確かにそろそろ効き目が切れてきたところだよ。
僕は倒れかかるように腰を下ろした。目を瞑ると、さっきの白い輝きが、残像のように残っていた。
そうして僕はまた蛇の体内に戻ったのだ。冷たくて熱い。べたべたとしてねっとりして、そのくせ薄い皮膜のような蛇の腹に――。
蛇の冷たい鱗が僕を刺激し、あの赤い舌が僕を這いずる。僕は蛇に巻きつかれたまま蛇を呑み込む。
そう、僕は気づいたんだ。
蛇が僕を呑み込んでいるんじゃない。
僕が蛇を呑み込んでいるのだということに。
ウロボロスの体内で僕は微睡み、僕の中で蛇が目覚める。白い輝きと共に――。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説



ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる