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一章
12 梟
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神は人に自由意思をお与えになった
僕はもう、それが神の茶番だと知っている
打ち身や擦り傷はきちんと手当がされていた。痛いことには変わりなかったけれど。だから、目を開けたら鳥の巣頭がいる、と思っていた。それなのに、ベッド脇のスタンドが仄かに照らす薄暗い室内にいたのは知らない誰かで、その人は座ったままうたた寝をしていた。
見たことがある、ような気がした。身体がズキズキと痛んで視界がぼやけて、上手く思い出せない。
ふっとその人が目を開けた。
黒のジャージに翡翠色のラインは――、どこの部だったろう――。
僕が目を開けていることに気がついて、その人は立ち上がって覗き込んできた。この瞳……、薄灯りに反射する煙水晶のような瞳、……副寮長だ!
心臓が、凍りつくかと思った。
「気がついたのか? ほら、痛み止めを飲んでおけ」
副寮長は、僕の頭を持ち上げて薬を飲ませてくれた。それから、じっとりと汗をかいて、額にへばりついている髪の毛を掻き上げてくれた。
「時間も遅いしな、寮の医務室なんだ。熱が下がらないようなら、朝に医療棟へ連れて行ってやる」
僕は解りました、と小さく頷いた。副寮長はまた壁際の椅子に戻って、腕組みして目を瞑った。そしてすぐに、うつらうつらし始めた。
やはり、大枝に留まる梟みたいだ。
蛇の代わりに梟が僕を見張っている。闇の中、金色に光る眼で。その寂寥たる存在感は、何故だか不思議に心地よかった。
次に目を覚ますと横にいたのは鳥の巣頭で、昨夜の事は夢だったのだ、とそう思った。心配そうに僕を見る鳥の巣頭に、にっこりと笑いかけた。鳥の巣頭の眼は真っ赤で、泣き腫らしたのか瞼も腫れ上がっていた。
「ごめんよ、マシュー。僕はもう絶対にきみから離れない」
鳥の巣頭はもう泣かなかった。僕の手を取って、掌に唇を押しつけた。
「ありがとう。きみにまで迷惑がかからなくて良かったよ。大丈夫。僕はこんなことくらい、へっちゃらだよ」
僕はそう言って微笑んだ。
嘘じゃない。抵抗さえしなければ、あいつらは乱暴なことはしないし、僕はただ、終わるのを待てばいいだけだもの。
昏がりをじっと見つめていると、細かな粒子がランダムに飛び交うのが見えてくる。粗い画像がチラチラと動いていて、それらが僕の視界を変容させる。小さなルービックキューブを沢山並べて、一斉に廻しているみたいだ。そうやって待っていれば、そのうちにいきなり頭が真っ白になって、僕はどろどろに溶けていく。どろどろになって流されるのだ。ウロボロスの環の中を。ぐるぐる、ぐるぐる。
「……副寮長が、」
漂っていた意識が、ふっと戻る。
「副寮長がきみを見つけてここに運んで手当してくれたんだ。僕、点呼が終わってすぐに抜け出してきみを探していたんだ。偶然、副寮長に会って……。安心して、マシュー。副寮長は、寮長みたいな酷いひとじゃないよ。きみが見つかった後、直ぐに僕にも知らせてくれたし。今朝だって、きみのお世話を頼んだよ、って。わざわざ、きみの様子を伝えにきて下さったんだ」
そんな事を真剣な顔をして言うから、僕は可笑しくなってしまった。
僕は知っている。
梟は、猛禽類だってことを。
いつか必ず、あの鋭い爪と嘴で僕を捕まえに来るに決まっている。
鳥の巣頭はやっぱり、鳥の巣頭だ。その頭、藁屑でできているんだろう?
僕がクスクス笑ったので、鳥の巣頭も安心したように微笑んでいた。
成績が落ちた。
蛇は怒っている。蛇はもう僕を見ない。
代わりに梟が僕を見張る。
僕はジョイントが欲しいのに。
アヌビスに言えば貰えるのに。
梟が、あの眼で僕を見張っている。
アヌビスの寮は遠くて、校舎も違うから会うこともない。一度、鳥の巣頭に頼んでみたけれど、言葉を濁して、兄はラグビーにAレベル試験の勉強で忙しくて会えないと思う、と言われた。
鳥の巣頭は疑っているんだ。この間のあれが、アヌビスのせいじゃないかって。馬鹿な奴が言った事をそのまま信じているんだ。この藁屑頭が!
夜眠れなくて、僕は毎晩のように泣いていた。
みんなが寝静まってから、鳥の巣頭は僕のベッドに入ってくる。僕がそうして、て頼んだから。寒くて堪らないんだ。鳥の巣頭に抱きしめて貰ったら、ほんの少しだけ眠れるもの。
ほかの奴らも僕たちの事に気づいていたけれど、何も言わない。
だって、あいつらも入学したての頃、夜中に泣いて鳥の巣頭に手を繋いで貰っていたもの。
だけど時々、鳥の巣頭のことを凄く羨ましそうに見ている。だから、僕はそいつらと二人っきりになった時には、「好きだよ」て言ってキスしてやるんだ。それで万事OKだ。他の奴らには喋らない。宿題のレポートもやってくれるし、体育の記録も誤魔化してくれる。
僕は心から母に感謝している。
僕を美しく産んでくれてありがとう。
僕はもう、それが神の茶番だと知っている
打ち身や擦り傷はきちんと手当がされていた。痛いことには変わりなかったけれど。だから、目を開けたら鳥の巣頭がいる、と思っていた。それなのに、ベッド脇のスタンドが仄かに照らす薄暗い室内にいたのは知らない誰かで、その人は座ったままうたた寝をしていた。
見たことがある、ような気がした。身体がズキズキと痛んで視界がぼやけて、上手く思い出せない。
ふっとその人が目を開けた。
黒のジャージに翡翠色のラインは――、どこの部だったろう――。
僕が目を開けていることに気がついて、その人は立ち上がって覗き込んできた。この瞳……、薄灯りに反射する煙水晶のような瞳、……副寮長だ!
心臓が、凍りつくかと思った。
「気がついたのか? ほら、痛み止めを飲んでおけ」
副寮長は、僕の頭を持ち上げて薬を飲ませてくれた。それから、じっとりと汗をかいて、額にへばりついている髪の毛を掻き上げてくれた。
「時間も遅いしな、寮の医務室なんだ。熱が下がらないようなら、朝に医療棟へ連れて行ってやる」
僕は解りました、と小さく頷いた。副寮長はまた壁際の椅子に戻って、腕組みして目を瞑った。そしてすぐに、うつらうつらし始めた。
やはり、大枝に留まる梟みたいだ。
蛇の代わりに梟が僕を見張っている。闇の中、金色に光る眼で。その寂寥たる存在感は、何故だか不思議に心地よかった。
次に目を覚ますと横にいたのは鳥の巣頭で、昨夜の事は夢だったのだ、とそう思った。心配そうに僕を見る鳥の巣頭に、にっこりと笑いかけた。鳥の巣頭の眼は真っ赤で、泣き腫らしたのか瞼も腫れ上がっていた。
「ごめんよ、マシュー。僕はもう絶対にきみから離れない」
鳥の巣頭はもう泣かなかった。僕の手を取って、掌に唇を押しつけた。
「ありがとう。きみにまで迷惑がかからなくて良かったよ。大丈夫。僕はこんなことくらい、へっちゃらだよ」
僕はそう言って微笑んだ。
嘘じゃない。抵抗さえしなければ、あいつらは乱暴なことはしないし、僕はただ、終わるのを待てばいいだけだもの。
昏がりをじっと見つめていると、細かな粒子がランダムに飛び交うのが見えてくる。粗い画像がチラチラと動いていて、それらが僕の視界を変容させる。小さなルービックキューブを沢山並べて、一斉に廻しているみたいだ。そうやって待っていれば、そのうちにいきなり頭が真っ白になって、僕はどろどろに溶けていく。どろどろになって流されるのだ。ウロボロスの環の中を。ぐるぐる、ぐるぐる。
「……副寮長が、」
漂っていた意識が、ふっと戻る。
「副寮長がきみを見つけてここに運んで手当してくれたんだ。僕、点呼が終わってすぐに抜け出してきみを探していたんだ。偶然、副寮長に会って……。安心して、マシュー。副寮長は、寮長みたいな酷いひとじゃないよ。きみが見つかった後、直ぐに僕にも知らせてくれたし。今朝だって、きみのお世話を頼んだよ、って。わざわざ、きみの様子を伝えにきて下さったんだ」
そんな事を真剣な顔をして言うから、僕は可笑しくなってしまった。
僕は知っている。
梟は、猛禽類だってことを。
いつか必ず、あの鋭い爪と嘴で僕を捕まえに来るに決まっている。
鳥の巣頭はやっぱり、鳥の巣頭だ。その頭、藁屑でできているんだろう?
僕がクスクス笑ったので、鳥の巣頭も安心したように微笑んでいた。
成績が落ちた。
蛇は怒っている。蛇はもう僕を見ない。
代わりに梟が僕を見張る。
僕はジョイントが欲しいのに。
アヌビスに言えば貰えるのに。
梟が、あの眼で僕を見張っている。
アヌビスの寮は遠くて、校舎も違うから会うこともない。一度、鳥の巣頭に頼んでみたけれど、言葉を濁して、兄はラグビーにAレベル試験の勉強で忙しくて会えないと思う、と言われた。
鳥の巣頭は疑っているんだ。この間のあれが、アヌビスのせいじゃないかって。馬鹿な奴が言った事をそのまま信じているんだ。この藁屑頭が!
夜眠れなくて、僕は毎晩のように泣いていた。
みんなが寝静まってから、鳥の巣頭は僕のベッドに入ってくる。僕がそうして、て頼んだから。寒くて堪らないんだ。鳥の巣頭に抱きしめて貰ったら、ほんの少しだけ眠れるもの。
ほかの奴らも僕たちの事に気づいていたけれど、何も言わない。
だって、あいつらも入学したての頃、夜中に泣いて鳥の巣頭に手を繋いで貰っていたもの。
だけど時々、鳥の巣頭のことを凄く羨ましそうに見ている。だから、僕はそいつらと二人っきりになった時には、「好きだよ」て言ってキスしてやるんだ。それで万事OKだ。他の奴らには喋らない。宿題のレポートもやってくれるし、体育の記録も誤魔化してくれる。
僕は心から母に感謝している。
僕を美しく産んでくれてありがとう。
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