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一章
2 寮
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無為に過ぎてゆく時間はコマ遅りのフィルムのよう
どんなに欠伸を繰り返しても、終わらない
終わらない一日は緩慢な拷問。僕を緩やかに蝕んでゆく
英国一の名門校が面白かったのも、僅か数日間だけだった。人間の営みなんて、どこへ行っても変わらない。
本に書いてあることをなぞり、さも自分の考えのように主張する猿ども。僕もそんな猿山の猿の一匹に過ぎない。いや、雑多な生き物が生きる大陸から切り離された南極のペンギンか――。
何百年も前から受け継がれているそのままの、古臭い燕尾服が制服の僕らは、他校や、この学校のある街の連中からはペンギンと呼ばれている。黒と白の陰気な制服と同じく、ここは全てが旧式な学校だ。
停滞と保全、それを大人は伝統という。
その思考停止した伝統に、僕は守られ育てられてきた。だって、僕は特権階級に生まれついたのだから。僕の義務は、必死に勉強してこの学校に入ること。下級生組の三年間は学年代表に選ばれること。上級生組に進級したら、監督生か、生徒会役員になること。そうすれば、外交官への道が約束されたも同然だ。祖父と同じ道を歩む。それが、この家に生まれた僕の義務。
それなのに、奨学生に選ばれなかったなんて。祖父と同じ道を辿れなかったなんて……。
成績と校長推薦で選ばれる監督生は、ほとんどが奨学生の中から選別される。僕たちみたいな、それ以外にはチャンスはない。僕の人生の選択肢の半分が、土砂崩れで埋まったも同然だ。
もうこれ以上の失敗は許されなかった。
監督生への道が閉ざされた今、次の道筋は学年代表だ。この地位を手に入れればエスカレーター式に寮長になれる。それで面目は保たれる。コネが全ての外交官の道にも、かろうじて引っかかるというもの。
それなのに――。
僕は学年代表にすらなれなかった。
どうしてかって?
あの錆色の鳥の巣頭が、現生徒総監の弟だったからさ。
それなのに、それなのに、それなのに――。僕の毎日はこの言葉で埋め尽くされている。
残る選択肢の生徒会に入るには、人気の部活で花形選手にならなければいけない。生徒会役員は、前役員の推薦の後の人気投票だ。人気のスポーツで活躍した選手が当選しやすい。クリケットか、ラグビー、ボート、テニスでもいい。
――汗にまみれ、泥にまみれる毎日なんて冗談じゃない。何が、健全なる精神は健全なる身体に宿るだ! 健全なる精神を持ち合わせていないから、有り余る情欲をスポーツで発散させているんだろうが! 気色の悪い!
毎日毎日、年から年中走り回っているあの連中ほど嫌いなものはない。だから、奨学生に選ばれて監督生になりたかったのに……。
後、残された選択肢は?
誰か、僕に教えてくれ。
「マシュー」
鳥の巣頭がまた僕を呼ぶ。
「もうじき夕食の時間だよ。遅れないようにそろそろ行かなきゃ」
豚小屋に引っ張られて有り難く餌を頂く時間だって? 行きたきゃ勝手に行けばいいだろ。
「ああ、僕、今日は気分が悪いんだ。遠慮しておくよ」
僕はわざと弱々しく微笑んでみせる。
鳥の巣頭はすぐに心配そうに僕を見つめた。
「大丈夫? きみ、前もそう言って食べなかっただろ? どこかしら具合を悪くしているんじゃないのかい?」
「まだ寮生活に慣れていないのかな。僕はちょっと神経質な所があるから。ありがとう、気に掛けてくれて」
僕がにっこりと微笑み掛けると、鳥の巣頭ははにかんだように瞼を伏せた。
「後で何か、貰ってくるよ。ビスケットか何か……」
「ありがとう。きみって本当に親切で面倒見がいいんだね」
鳥の巣頭は耳まで真っ赤になった。
「ほら、みんな行こう! きみはゆっくり休んでいてね」
部屋を出しなにもう一度僕に声をかけ、他の二人を引き連れてやっとこの部屋を出て行ってくれた。そいつらも、ちらちらと僕の方を気にしながら、でも何も言わずに鳥の巣頭の後に続いた。
急に静まり返ったこの部屋で、僕は安堵の吐息を漏らす。
鬱陶しい――。
この部屋で二年間も過ごすなんて!
プレップの時よりベッド数が減って、少しは静かになるだろうと思ったらとんでもなかった。四人部屋になってから、空気が余計に密になった。べたべたとして馴れ馴れしい、気持ち悪い空気。まるでバカンスで訪れたコートダジュールの潮風だ。ねっとりと暑苦しく肌に残る。息苦しくて仕方がない。
僕は自分の机について、引き出しから、母の持たせてくれたビタミン剤を取り出した。置きっ放しにしていたペットボトルのミネラルウォーターで、いつものように流し込む。生温い液体に不快を感じながら、小さな粒を押し流した。
得体のしれないものを食べさせられるより、この方がよほどマシだ。
僕は立ち上がり窓枠に腰掛けた。
すでに戸外は闇に沈み、川向こうの隣街はオレンジ色の明かりを灯している。その灯と、僕のいるこの場所をくっきりと隔てる黒々とした川の流れ。それは蛇行する大蛇のごとく禍々しく横たわり、僕を孤独に打ち沈める。
僕はここからのこの眺めが、何故だかひどく気に入っていた。
どんなに欠伸を繰り返しても、終わらない
終わらない一日は緩慢な拷問。僕を緩やかに蝕んでゆく
英国一の名門校が面白かったのも、僅か数日間だけだった。人間の営みなんて、どこへ行っても変わらない。
本に書いてあることをなぞり、さも自分の考えのように主張する猿ども。僕もそんな猿山の猿の一匹に過ぎない。いや、雑多な生き物が生きる大陸から切り離された南極のペンギンか――。
何百年も前から受け継がれているそのままの、古臭い燕尾服が制服の僕らは、他校や、この学校のある街の連中からはペンギンと呼ばれている。黒と白の陰気な制服と同じく、ここは全てが旧式な学校だ。
停滞と保全、それを大人は伝統という。
その思考停止した伝統に、僕は守られ育てられてきた。だって、僕は特権階級に生まれついたのだから。僕の義務は、必死に勉強してこの学校に入ること。下級生組の三年間は学年代表に選ばれること。上級生組に進級したら、監督生か、生徒会役員になること。そうすれば、外交官への道が約束されたも同然だ。祖父と同じ道を歩む。それが、この家に生まれた僕の義務。
それなのに、奨学生に選ばれなかったなんて。祖父と同じ道を辿れなかったなんて……。
成績と校長推薦で選ばれる監督生は、ほとんどが奨学生の中から選別される。僕たちみたいな、それ以外にはチャンスはない。僕の人生の選択肢の半分が、土砂崩れで埋まったも同然だ。
もうこれ以上の失敗は許されなかった。
監督生への道が閉ざされた今、次の道筋は学年代表だ。この地位を手に入れればエスカレーター式に寮長になれる。それで面目は保たれる。コネが全ての外交官の道にも、かろうじて引っかかるというもの。
それなのに――。
僕は学年代表にすらなれなかった。
どうしてかって?
あの錆色の鳥の巣頭が、現生徒総監の弟だったからさ。
それなのに、それなのに、それなのに――。僕の毎日はこの言葉で埋め尽くされている。
残る選択肢の生徒会に入るには、人気の部活で花形選手にならなければいけない。生徒会役員は、前役員の推薦の後の人気投票だ。人気のスポーツで活躍した選手が当選しやすい。クリケットか、ラグビー、ボート、テニスでもいい。
――汗にまみれ、泥にまみれる毎日なんて冗談じゃない。何が、健全なる精神は健全なる身体に宿るだ! 健全なる精神を持ち合わせていないから、有り余る情欲をスポーツで発散させているんだろうが! 気色の悪い!
毎日毎日、年から年中走り回っているあの連中ほど嫌いなものはない。だから、奨学生に選ばれて監督生になりたかったのに……。
後、残された選択肢は?
誰か、僕に教えてくれ。
「マシュー」
鳥の巣頭がまた僕を呼ぶ。
「もうじき夕食の時間だよ。遅れないようにそろそろ行かなきゃ」
豚小屋に引っ張られて有り難く餌を頂く時間だって? 行きたきゃ勝手に行けばいいだろ。
「ああ、僕、今日は気分が悪いんだ。遠慮しておくよ」
僕はわざと弱々しく微笑んでみせる。
鳥の巣頭はすぐに心配そうに僕を見つめた。
「大丈夫? きみ、前もそう言って食べなかっただろ? どこかしら具合を悪くしているんじゃないのかい?」
「まだ寮生活に慣れていないのかな。僕はちょっと神経質な所があるから。ありがとう、気に掛けてくれて」
僕がにっこりと微笑み掛けると、鳥の巣頭ははにかんだように瞼を伏せた。
「後で何か、貰ってくるよ。ビスケットか何か……」
「ありがとう。きみって本当に親切で面倒見がいいんだね」
鳥の巣頭は耳まで真っ赤になった。
「ほら、みんな行こう! きみはゆっくり休んでいてね」
部屋を出しなにもう一度僕に声をかけ、他の二人を引き連れてやっとこの部屋を出て行ってくれた。そいつらも、ちらちらと僕の方を気にしながら、でも何も言わずに鳥の巣頭の後に続いた。
急に静まり返ったこの部屋で、僕は安堵の吐息を漏らす。
鬱陶しい――。
この部屋で二年間も過ごすなんて!
プレップの時よりベッド数が減って、少しは静かになるだろうと思ったらとんでもなかった。四人部屋になってから、空気が余計に密になった。べたべたとして馴れ馴れしい、気持ち悪い空気。まるでバカンスで訪れたコートダジュールの潮風だ。ねっとりと暑苦しく肌に残る。息苦しくて仕方がない。
僕は自分の机について、引き出しから、母の持たせてくれたビタミン剤を取り出した。置きっ放しにしていたペットボトルのミネラルウォーターで、いつものように流し込む。生温い液体に不快を感じながら、小さな粒を押し流した。
得体のしれないものを食べさせられるより、この方がよほどマシだ。
僕は立ち上がり窓枠に腰掛けた。
すでに戸外は闇に沈み、川向こうの隣街はオレンジ色の明かりを灯している。その灯と、僕のいるこの場所をくっきりと隔てる黒々とした川の流れ。それは蛇行する大蛇のごとく禍々しく横たわり、僕を孤独に打ち沈める。
僕はここからのこの眺めが、何故だかひどく気に入っていた。
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