8 / 28
7
しおりを挟む
連日、入れ替わり立ち替わり、いろんな人たちが僕らの屋敷を訪れた。兄に会いにきているのか、それとも、逗留している美しい彼女に会いにきているのか、どちらだろう。
彼女はいつもこの兄の友人たちに傅かれ、僕やロバートなんて話しかける機会さえないほどだ。僕とロバートは、テーブルの隅で、ピクニックの荷物持ちで、散歩の列のしんがりで、前以上によく話をするようになった。
僕はロバートから、彼女についての様々な情報を仕入れることができた。
まず、彼女はアメリカ人だけど彼女の母親が英国出身で、冴えないルーシー嬢の遠い親戚だということ。高校を卒業したばかりで夏季休暇で英国に遊びにきているということ。僕より三つ年上の十八歳だ。夏が終われば本国に帰って、大学への進学が決まっているらしい。アメリカのとんでもない大富豪の一人娘なのだそうだ。趣味は、ピアノ。テニス。スキー。特技は、フランス語。実に堪能。それから――。
そんな肩書なんてどうでもいいほど、彼女は美しいのだ。僕とロバートは、いかに彼女が美しくて可愛らしいかについて、競い合うように褒め合った。この点で、僕とロバートは完全に気が合った。どっちみち、彼女の周囲は兄の友人たちがガッチリと取り巻いていて、僕たちは端の方から見ているだけだったから、彼女を眺めてその美点を見つける暇はたっぷりとあるのだ。
僕とロバートは、冴えないルーシー嬢のことはほとんど話題に出さなかった。
一度、「あの子、きみのガールフレンドなんだろ?」と訊いたとき、ロバートが苦々しそうに顔を歪め、ブンブンと首を振って「違う」と言ったから。僕が見た感じでは、ルーシー嬢の方はそうは思っていないようだけど。
僕は少しルーシー嬢のことが哀れで、できるだけ彼女に親切にしてあげた。それが紳士というものだろう? そうしたら彼女、僕のことまで縋りつくような視線でじっと見つめてくるようになって、僕は困ってしまった。彼女のことは避けることに決めた。変に誤解させてしまったら、ますます可哀想だものね。
昼間はそんなこんなで、ピクニックに行ったり、池や川で泳いだり、ボートに乗ったりで屋外で遊んだ。そして夜はカードや、ビリヤードを――、もちろん僕とロバート、同い年のルーシー嬢を除いた大人の皆さま方のみで興じて、いつもの年よりもずっと賑やかな夏が過ぎていった。
そんな中、僕ののんびり屋の兄はというと、時々みんなの輪に加わり、でも大抵は庭の世話に明け暮れて、大変満足そうに過ごしていた。
そんなある晩のこと。
その日はなぜか妙に寝つかれず、寝返りばかり打ちながら彼女の事を考えていた。
開け放った窓にかかる薄布のカーテンがそよとも動かない、風のない夜だった。煌々とした月灯りが、窓から忍び込む梢の影を、カーテンのひだの形のままにいびつに歪めて、長く、黒々と部屋の床に刻んでいた。
夜の静寂を破る密やかな話し声に、背中がびくりと反応する。
女の子?
そっと寝台を滑り降りた。足音を忍ばせて窓辺により、腰高窓の下に隠れるようにしゃがみ込んで耳をそばだてた。
話し声は途切れ途切れで、何を言っているのか判らない。そもそも、どこから聞こえてくるのだろう? 隣の兄の部屋ではないことは確かだ。じゃあ、反対隣? それも、違う――。
僕は静かに立ちあがり、ふわりとした柔らかい薄羽のようなカーテンに包まって、そうっと窓の外を覗き込んだ。
眼下のテラスには誰もいない。
それなら下の部屋のどこか? この下なら図書室だ。この推察に首を捻った。
今頃? なんで? 灯りもついていないのに――。
と、小さいけれどはっきり笑い声が響いた。彼女の声に似ている。
こんな時間になぜ? 誰と? 兄も、もう部屋に帰ってきている。夜のゲーム遊びは終わっているはずなのに……。彼女の部屋は、僕のこの部屋からはずっと離れた別の階のはずなのに。
モヤモヤとした息苦しさに襲われて、僕は床にへたり込んでいた。心臓がドクンドクンと音を立てている。ぎゅっと目を瞑り、神経を集中させてもう一度耳をそばだてる。
だけどもう――、自分の押し殺した息遣い以外、何も聞こえなかった。
彼女はいつもこの兄の友人たちに傅かれ、僕やロバートなんて話しかける機会さえないほどだ。僕とロバートは、テーブルの隅で、ピクニックの荷物持ちで、散歩の列のしんがりで、前以上によく話をするようになった。
僕はロバートから、彼女についての様々な情報を仕入れることができた。
まず、彼女はアメリカ人だけど彼女の母親が英国出身で、冴えないルーシー嬢の遠い親戚だということ。高校を卒業したばかりで夏季休暇で英国に遊びにきているということ。僕より三つ年上の十八歳だ。夏が終われば本国に帰って、大学への進学が決まっているらしい。アメリカのとんでもない大富豪の一人娘なのだそうだ。趣味は、ピアノ。テニス。スキー。特技は、フランス語。実に堪能。それから――。
そんな肩書なんてどうでもいいほど、彼女は美しいのだ。僕とロバートは、いかに彼女が美しくて可愛らしいかについて、競い合うように褒め合った。この点で、僕とロバートは完全に気が合った。どっちみち、彼女の周囲は兄の友人たちがガッチリと取り巻いていて、僕たちは端の方から見ているだけだったから、彼女を眺めてその美点を見つける暇はたっぷりとあるのだ。
僕とロバートは、冴えないルーシー嬢のことはほとんど話題に出さなかった。
一度、「あの子、きみのガールフレンドなんだろ?」と訊いたとき、ロバートが苦々しそうに顔を歪め、ブンブンと首を振って「違う」と言ったから。僕が見た感じでは、ルーシー嬢の方はそうは思っていないようだけど。
僕は少しルーシー嬢のことが哀れで、できるだけ彼女に親切にしてあげた。それが紳士というものだろう? そうしたら彼女、僕のことまで縋りつくような視線でじっと見つめてくるようになって、僕は困ってしまった。彼女のことは避けることに決めた。変に誤解させてしまったら、ますます可哀想だものね。
昼間はそんなこんなで、ピクニックに行ったり、池や川で泳いだり、ボートに乗ったりで屋外で遊んだ。そして夜はカードや、ビリヤードを――、もちろん僕とロバート、同い年のルーシー嬢を除いた大人の皆さま方のみで興じて、いつもの年よりもずっと賑やかな夏が過ぎていった。
そんな中、僕ののんびり屋の兄はというと、時々みんなの輪に加わり、でも大抵は庭の世話に明け暮れて、大変満足そうに過ごしていた。
そんなある晩のこと。
その日はなぜか妙に寝つかれず、寝返りばかり打ちながら彼女の事を考えていた。
開け放った窓にかかる薄布のカーテンがそよとも動かない、風のない夜だった。煌々とした月灯りが、窓から忍び込む梢の影を、カーテンのひだの形のままにいびつに歪めて、長く、黒々と部屋の床に刻んでいた。
夜の静寂を破る密やかな話し声に、背中がびくりと反応する。
女の子?
そっと寝台を滑り降りた。足音を忍ばせて窓辺により、腰高窓の下に隠れるようにしゃがみ込んで耳をそばだてた。
話し声は途切れ途切れで、何を言っているのか判らない。そもそも、どこから聞こえてくるのだろう? 隣の兄の部屋ではないことは確かだ。じゃあ、反対隣? それも、違う――。
僕は静かに立ちあがり、ふわりとした柔らかい薄羽のようなカーテンに包まって、そうっと窓の外を覗き込んだ。
眼下のテラスには誰もいない。
それなら下の部屋のどこか? この下なら図書室だ。この推察に首を捻った。
今頃? なんで? 灯りもついていないのに――。
と、小さいけれどはっきり笑い声が響いた。彼女の声に似ている。
こんな時間になぜ? 誰と? 兄も、もう部屋に帰ってきている。夜のゲーム遊びは終わっているはずなのに……。彼女の部屋は、僕のこの部屋からはずっと離れた別の階のはずなのに。
モヤモヤとした息苦しさに襲われて、僕は床にへたり込んでいた。心臓がドクンドクンと音を立てている。ぎゅっと目を瞑り、神経を集中させてもう一度耳をそばだてる。
だけどもう――、自分の押し殺した息遣い以外、何も聞こえなかった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
三度目の庄司
西原衣都
ライト文芸
庄司有希の家族は複雑だ。
小学校に入学する前、両親が離婚した。
中学校に入学する前、両親が再婚した。
両親は別れたりくっついたりしている。同じ相手と再婚したのだ。
名字が大西から庄司に変わるのは二回目だ。
有希が高校三年生時、両親の関係が再びあやしくなってきた。もしかしたら、また大西になって、また庄司になるかもしれない。うんざりした有希はそんな両親に抗議すべく家出を決行した。
健全な家出だ。そこでよく知ってるのに、知らない男の子と一夏を過ごすことになった。有希はその子と話すうち、この境遇をどうでもよくなってしまった。彼も同じ境遇を引き受けた子供だったから。
こちら夢守市役所あやかしよろず相談課
木原あざみ
キャラ文芸
異動先はまさかのあやかしよろず相談課!? 変人ばかりの職場で始まるほっこりお役所コメディ
✳︎✳︎
三崎はな。夢守市役所に入庁して三年目。はじめての異動先は「旧館のもじゃおさん」と呼ばれる変人が在籍しているよろず相談課。一度配属されたら最後、二度と異動はないと噂されている夢守市役所の墓場でした。 けれど、このよろず相談課、本当の名称は●●よろず相談課で――。それっていったいどういうこと? みたいな話です。
第7回キャラ文芸大賞奨励賞ありがとうございました。
隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち
鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。
心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。
悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。
辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。
それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。
社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ!
食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて……
神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
瞬間、青く燃ゆ
葛城騰成
ライト文芸
ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。
時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。
どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?
狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。
春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。
やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。
第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる