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いくつもに分かれた常緑のガーデンルームを背にして、彼女は白い籐椅子に腰かけていた。袖なしの黒のミニドレスは銀のドットが夜空の星のように散りばめられている。首から胸元までが薄く透けて見え、豊かに流れる金髪と相俟って、昨夜とは別人のように妖艶で神秘的だ。組まれた足先に巻かれた白い包帯が、痛々しくも眩しかった。
「ジオ!」
また彼女に見とれてぼんやりとしてしまっていた僕を、ロバートが呼んだ。僕を紹介する彼の声にもどこか上の空のまま、僕はしどろもどろで挨拶し、執事のマーカスが用意してくれた椅子に腰かけた。
「ネルって呼んでね」と、彼女は艶やかに微笑んだ。
彼女から一番遠いテーブルの端っこについたことで、やっと、彼女以外まるで目に入らなかったこのテーブル周りに目を配る余裕ができた。
彼女の横にはロバート。すっかり鼻の下を伸ばして、彼女のためにクッキーだのケーキだのを取り分けて、しきりに彼女に勧めている。彼女は、軽く首を振って断っている。ざまあみろ。
ロバートの隣には栗色の髪のぽっちゃりとした、冴えない女の子が座っている。彼女もロバートの友人らしい。それとも彼女の友人だったかな? 何か言っていたような気がしたけれど、印象が薄すぎて記憶に残っていない。
それから彼女の左隣には、なぜか兄の友人がいて、とてもスマートに冗談を言い、彼女を笑わせていた。その横も、そのまた横も兄の友人だ。名前はちょっと思いだせないけれど。
どうやら皆で、ボートに乗るか、池で泳ぐか、それとも、という話をしているらしい。
彼女は怪我しているのに――! 僕はむっとして、「そんなの彼女に失礼でしょう! 足を痛めていらっしゃるのに!」と思わず口を挟んでしまった。僕よりもずっと年上の兄の友人たちの会話に! 口出ししてしまってから無作法に気づき、下を向いて赤面した。恥ずかしさで、ギュッと掌でスラックスの生地を握りしめる。
「その彼女の提案だよ!」
「見ているだけでも楽しいから、て!」
揶揄うように言われ、ますます固くなってしまった僕の耳に、「優しいのね。ありがとう」と、彼女の涼やかな声が飛びこんできた。
跳ねるように顔をあげた。彼女は僕を見てにっこりと微笑んでくれた。――まだ何か、兄の友人たちに揶揄われたり、冷やかされたりしていたような気がする。でも、ちっとも耳に入ってこなかった。この世界に、僕と彼女しかいないみたいに。
すぐに僕のことなんて忘れたように話題を戻した兄の友人たちの騒がしい声が、ゆっくりと僕を現実に戻してくれた。僕は火照った顔を冷ますために、彼女に釘づけにされていた視線を無理矢理引き離し、ガーデンルームに移した。そこに見つけた背中に、ほっと吐息が漏れる。
立ちあがり、欄干に手をかけて大声で呼びかけた。
「兄さん! 帽子を被っておかないと、また真っ赤に日焼けしてしまうよ!」
兄の友人たちもバラバラと欄干に駆け寄って、口々に兄の名を呼び、大きく手招きする。
「ディック! こっちに来いよ!」
「ディック、お茶は?」
薔薇の茂みに佇む兄は、いつもにも増して酷い恰好をしていた。普段ロンドンに住む兄は、彼自身の執事を連れてここに滞在しているのに――。きっと兄の執事であるマーカスは客人の世話で忙しく、着替えを手伝わなかったに違いない。優秀な彼が着替えを用意しておかないはずはないのだから。おそらく兄はそれに気がつかずに、適当なものを着たに違いなかった。
フォーマル用の白のウィングカラーシャツをタイなしで無造作に着て両袖をたくし上げ、下はジーンズに緑のゴム長靴という常軌を逸した組み合わせなんだもの。
兄の友人たちにしても、お客様がまだいらっしゃるというのに庭いじりする気満々のこんな兄のことはよく分かっているから、服装のことで揶揄ったりはしなかったけれど――。
テラスの下から片腕を伸ばし、無邪気に笑って掌をひらひらさせる兄を、友人たちが引っ張りあげた。
まったく、横着せずに階段を廻ってくればいいのに!
兄はそのまま欄干に腰かけた。すぐさま兄の友人たちが、兄のためにテーブルの菓子だの、ケーキだのをがっさりと皿によそっている。
「おいおい、そんなに取ってはお嬢さん方の楽しみがなくなってしまうよ」
「そのお嬢さん方は、体形を気にして召し上がらないんだよ」
気を使ってわざわざ小声で教えられたのに、兄は驚いた顔で素っ頓狂な声をあげた。
「そんな、折れそうに細いのに!」
そして、一口サイズのクッキーを摘まむと、座ったまま身体を捻って、びっくり顔で兄を見つめていた、あの冴えない女の子の口元に差しだした。
「ボイドさんのお菓子は本当に美味しいのですよ」
こんな格好をしていてさえ上品で紳士的な兄ににっこりと微笑まれ、彼女は顔を赤くして固まってしまった。だがすぐに隣に座るロバートをチラリと見ると、パクリ、と兄の持つクッキーをその口に含んだ。
兄は満足そうな顔で、「ね、美味しいでしょう? 食べないなんてもったいないですよ」と念を押すように言って、またにっこりする。
カシャ―ン!
陶器の割れる音に、皆、飛びあがっていた。
ネルが、なぜか緊張したような、怒っているような強張った顔で、こちらを見ていた。
「ジオ!」
また彼女に見とれてぼんやりとしてしまっていた僕を、ロバートが呼んだ。僕を紹介する彼の声にもどこか上の空のまま、僕はしどろもどろで挨拶し、執事のマーカスが用意してくれた椅子に腰かけた。
「ネルって呼んでね」と、彼女は艶やかに微笑んだ。
彼女から一番遠いテーブルの端っこについたことで、やっと、彼女以外まるで目に入らなかったこのテーブル周りに目を配る余裕ができた。
彼女の横にはロバート。すっかり鼻の下を伸ばして、彼女のためにクッキーだのケーキだのを取り分けて、しきりに彼女に勧めている。彼女は、軽く首を振って断っている。ざまあみろ。
ロバートの隣には栗色の髪のぽっちゃりとした、冴えない女の子が座っている。彼女もロバートの友人らしい。それとも彼女の友人だったかな? 何か言っていたような気がしたけれど、印象が薄すぎて記憶に残っていない。
それから彼女の左隣には、なぜか兄の友人がいて、とてもスマートに冗談を言い、彼女を笑わせていた。その横も、そのまた横も兄の友人だ。名前はちょっと思いだせないけれど。
どうやら皆で、ボートに乗るか、池で泳ぐか、それとも、という話をしているらしい。
彼女は怪我しているのに――! 僕はむっとして、「そんなの彼女に失礼でしょう! 足を痛めていらっしゃるのに!」と思わず口を挟んでしまった。僕よりもずっと年上の兄の友人たちの会話に! 口出ししてしまってから無作法に気づき、下を向いて赤面した。恥ずかしさで、ギュッと掌でスラックスの生地を握りしめる。
「その彼女の提案だよ!」
「見ているだけでも楽しいから、て!」
揶揄うように言われ、ますます固くなってしまった僕の耳に、「優しいのね。ありがとう」と、彼女の涼やかな声が飛びこんできた。
跳ねるように顔をあげた。彼女は僕を見てにっこりと微笑んでくれた。――まだ何か、兄の友人たちに揶揄われたり、冷やかされたりしていたような気がする。でも、ちっとも耳に入ってこなかった。この世界に、僕と彼女しかいないみたいに。
すぐに僕のことなんて忘れたように話題を戻した兄の友人たちの騒がしい声が、ゆっくりと僕を現実に戻してくれた。僕は火照った顔を冷ますために、彼女に釘づけにされていた視線を無理矢理引き離し、ガーデンルームに移した。そこに見つけた背中に、ほっと吐息が漏れる。
立ちあがり、欄干に手をかけて大声で呼びかけた。
「兄さん! 帽子を被っておかないと、また真っ赤に日焼けしてしまうよ!」
兄の友人たちもバラバラと欄干に駆け寄って、口々に兄の名を呼び、大きく手招きする。
「ディック! こっちに来いよ!」
「ディック、お茶は?」
薔薇の茂みに佇む兄は、いつもにも増して酷い恰好をしていた。普段ロンドンに住む兄は、彼自身の執事を連れてここに滞在しているのに――。きっと兄の執事であるマーカスは客人の世話で忙しく、着替えを手伝わなかったに違いない。優秀な彼が着替えを用意しておかないはずはないのだから。おそらく兄はそれに気がつかずに、適当なものを着たに違いなかった。
フォーマル用の白のウィングカラーシャツをタイなしで無造作に着て両袖をたくし上げ、下はジーンズに緑のゴム長靴という常軌を逸した組み合わせなんだもの。
兄の友人たちにしても、お客様がまだいらっしゃるというのに庭いじりする気満々のこんな兄のことはよく分かっているから、服装のことで揶揄ったりはしなかったけれど――。
テラスの下から片腕を伸ばし、無邪気に笑って掌をひらひらさせる兄を、友人たちが引っ張りあげた。
まったく、横着せずに階段を廻ってくればいいのに!
兄はそのまま欄干に腰かけた。すぐさま兄の友人たちが、兄のためにテーブルの菓子だの、ケーキだのをがっさりと皿によそっている。
「おいおい、そんなに取ってはお嬢さん方の楽しみがなくなってしまうよ」
「そのお嬢さん方は、体形を気にして召し上がらないんだよ」
気を使ってわざわざ小声で教えられたのに、兄は驚いた顔で素っ頓狂な声をあげた。
「そんな、折れそうに細いのに!」
そして、一口サイズのクッキーを摘まむと、座ったまま身体を捻って、びっくり顔で兄を見つめていた、あの冴えない女の子の口元に差しだした。
「ボイドさんのお菓子は本当に美味しいのですよ」
こんな格好をしていてさえ上品で紳士的な兄ににっこりと微笑まれ、彼女は顔を赤くして固まってしまった。だがすぐに隣に座るロバートをチラリと見ると、パクリ、と兄の持つクッキーをその口に含んだ。
兄は満足そうな顔で、「ね、美味しいでしょう? 食べないなんてもったいないですよ」と念を押すように言って、またにっこりする。
カシャ―ン!
陶器の割れる音に、皆、飛びあがっていた。
ネルが、なぜか緊張したような、怒っているような強張った顔で、こちらを見ていた。
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