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本編

72話 初雪 その49

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「戻りましたー」

レスタが静かに食堂に入ると、食堂内はワイワイと騒がしく、エッと足を止めてしまった、

「お帰り」

エルマがニコリと振り返り、

「丁度良かったー」

とカトカが満面の笑みである、レスタは丁度良かった?と首を傾げ、しかし、食堂内の妙な熱気に怖気づいてしまう、まぁ、いつもの事と言えばそうなのであるが、今日はまた人が多い、見ればタロウと学園長、ブラスに名前を知らない職人さんがマリンバを真ん中に置いて話し込んでいる様子で、時折コンポンとマリンバの音が響き、暖炉の前には子供達が集まっており、その中心にいるのが何故かサビナである、そして今声を掛けてくれたエルマとカトカのテーブルにはレインとユーリ、ゾーイが座っており、見知らぬ女性もいた、そしてそのほぼ全員がモゴモゴと何やら口にしており、食堂内はお腹の鳴りそうな美味しそうな匂いが充満していた、まったくこれだからとレスタは顔を顰めてしまう、

「・・・えっと・・・」

取り合えずどうしたものかとレスタはカトカに視線で問いかける、カトカはん?と首を傾げ、アッと一声上げると、

「こちらフェナさんね、商会の新しい従業員さん、まだ会ってない?」

「あっ、聞いてました・・・宜しくお願いします」

レスタが囁き声でお辞儀をすると、フェナが慌てて立ち上がりこちらこそと頭を下げた、カトカが簡単にレスタを紹介し、商会の方にも時々手伝いに行ってるみたいですと付け加えると、

「そうなんですね、先輩ですね、宜しくお願いします」

と明るい笑顔を見せた、

「あっ・・・はい、そうですけど・・・その、お手伝いですから・・・」

再びの囁き声である、フェナはあぁ静かなお嬢さんなんだなと瞬時に理解する、小柄でおどおどとした様子を見るに、どちらかと言えば幼く感じられ、昨日会った他のこの寮の生徒で創業者であるというジャネットやオリビアらとは大きく印象が異なっていた、

「ほら、座んなさい、ベルメル出来たわよ」

とユーリが自身の隣りの席をポンポンと叩く、

「えっ、ベルメルですか?」

「そうよー、量産第一号って所ね、良い感じみたいだから、使ってみなさい」

とユーリはレスタを誘いつつ、その左手は中央に置かれた皿に延び、それに盛られた茶色の薄い一欠けらを手にして口に運ぶ、パリパリと軽快な音がレスタの耳まで届いた、

「・・・えっと・・・」

「あっ、これね、ナンブっていう薄いパン?」

「ですからー、ナンブセンベイですよー」

「長いのよ、ナンブでいいでしょ」

「またそんな事言ってー、ミナちゃんじゃないんだからー」

「ムッ、なによ、一緒にしないでよ」

「一緒ですよ、まぁ、ミナちゃんが名前決めちゃったみたいですからそれでいいですけど」

「ならいいじゃない、ほら、ケイスさんも摘まみなさい、美味しいわよー、このナンブってやつ」

「あっ・・・はぁ・・・」

こうして疑問の二つは何とか解決した、見知らぬ女性は新しい従業員のフェナさんで、モグモグと皆が食べているのがナンブという名称の新しい料理であるらしい、多分これもタロウさんだなと思いつつ、荷物を床に置いてユーリの指定した席に腰を下ろすと、

「あっ、はい、これでちゃんと手を拭いて」

とユーリが甲斐甲斐しくも湿ったタオルを差し出した、エッと思わず目を剥くケイス、

「なに?」

「・・・あっ、いえ、その・・・エッ?」

思わずカトカに助けを求めるケイスである、カトカはニコリと微笑み、

「今日からこの寮では手を洗う事を義務化する事になったのです」

ムフンと微笑むカトカ、さらにエツと首を傾げるケイスに、

「もう、だから、それだけでは訳が分からないですよ」

とエルマが困ったような声音であった、表情が見えない為、非難しているんだか困惑しているんだか判断が難しい、

「そうよねー、まぁ、それはほら、明日かな?ちゃんと話すから、だって、戻ってくる生徒達一人一人に一々話すと疲れるし、明日まとめて一気にね」

「そうでしょうけど・・・まぁ、そういう事みたいだから、さっ、ケイスさんも」

と優しく促されケイスはおずおずとタオルに手を伸ばし、ゆっくりと両手を拭う、冷たい湿り気が手を覆い大変に心地良い、目が覚めるようだなと感じる、

「それでいいわ、でね、ベルメルもなんだけど、ついでにケイスさんね、数学、ちゃんと勉強してみない?」

ユーリが早速と本題に入るが、

「待って下さいよ、その前にほら、試してみて、出来立ては美味しいわよー」

ゾーイがソッとナンブとやらが盛られた皿をケイスに押しやる、ありがとうございますとケイスは呟き、恐る恐ると手を伸ばした、別に遠慮している訳では無く、単純にこの空気感に慣れない故である、そしてゆっくりとその欠片を口に入れると、

「・・・ん、美味しい・・・甘いですね・・・何ですかこれ?パンですか?」

「でしょー、美味しいよねー、ほら、今もね、サビナが焼いてるのよ」

ユーリが振り返り、ケイスはそっと首を伸ばす、なるほど、疑問の三つめが解決した、サビナは暖炉に向かって調理中らしい、それを子供達が見守っており、何が楽しいんだかキャッキャッと騒がしい、しかし、何故サビナが?という疑問が発生した、まぁ、確たる理由は無いのかもしれない、また、大変にどうでもいいと言えばどうでもいい事象ではある、

「・・・へー・・・」

とケイスは静かに納得すると、自然に手が皿に伸びた、あっと思うも、美味しいわよねーとエルマが母親のような声である、子供扱いだなーとケイスはムッとすると同時に何となく嬉しくもあった、そして、

「でだ、話しは戻るんだけどさ」

とユーリがズイッと身を乗り出し、あっハイと答えつつナンブを口に入れるケイスであった。



それから少しして、マフダがノーラ達三人姉妹を迎えに来ると、では私達もとフェナと姉弟も寮を辞した、そしてその手にはしっかりと焼き上げたばかりのナンブと名付けられた南部煎餅が握られている、ノーラ達は姉に食べさせるのだと嬉しそうで、フロールとブロースはおじいちゃんにお土産だーとはしゃいでいた、そしてブラスとリノルトも新たに発注された仕事にこれはまた忙しくなるなと若干肩を重くしており、学園長はまた明日来ると意気揚々と学園に戻っている、そうして、すっかりと夕方になっていた、冬の一日は早いなーと思いつつタロウとレインは南部煎餅を焼き続けた、何となく手持無沙汰になった為と、材料を仕込み過ぎた為であったが、やってみると意外に楽しい作業である、焼き器を追加で発注してはいるが、もっと作って貰えば良かったかなとタロウは思いつつ、それでもポンポンと煎餅は山になっていき、それは続々と帰寮した生徒達の口に放り込まれ、これは美味しいと絶賛の嵐となる、無論、エレインとテラ、ジャネット達はこれは売れると早速の作戦会議で、まったく逞しいものだとタロウとレインは微笑んでしまった、そうしていつも通りに騒がしい夕食を終えた後、片づけを終え今日も何とか終わるかしらとソフィアが腰を下ろし、ミナとレイン、ニコリーネとテラが入浴中となる、

「あっ、忘れてた」

とタロウは白湯をグイッと飲み干して腰を上げた、

「なに?」

「んー、何でもない・・・事も無いな、お湯って沸いてる?」

「お湯?白湯じゃなくて?」

「うん、お湯、沸騰してなくてもいいけど熱いやつ」

「湯沸し器のじゃ駄目なの?」

「あー・・・あれでもいいがもう少し熱いのがいいかな?」

「もう・・・飲まないならすぐに沸かせるわよ」

「悪い、頼む、あっ、でね」

とタロウは今日仕入れてきた荷物の上に置いておいたリノルトに発注した品の一つに手を伸ばす、それに気付いたサレバが顔を上げ、エルマやユーリも気付いたようで、

「それ、なんなんですかー」

サレバが明るく大声となる、となれば全員顔を上げてしまうもので、タロウは、

「んー、良いものだよー、美容と健康に大事なんだなー」

「美容?」

「健康?」

エレインがガタリと腰を上げ、ユーリはまたかと大声になってしまった、

「うん、とっても大事、あっ、すんごい単純なんだけどねー、だからこそ大事なんだなー」

タロウはニヤリと微笑みやたらと無骨な金属塊を手にすると、

「まずはこっちから、ちょっと待っててなー」

と厨房へ入った、そしてすぐに戻ると、

「これはねー、上手くいけば最高なんだけどねー」

とニヤニヤと暖炉へ向かう、その奇妙な物体のさらに奇妙に長い取っ手を握り、重量があるのかやや難儀しているようで、お湯を入れるんじゃなかったと小さくぼやいた、そしてサビナがふと呟く、

「変な薬缶ですね」

「ありゃ、なんだよサビナさん、先に言ったらつまらんよー」

タロウはモウと振り向いた、

「なっ、だって・・・それあれですよね、薬缶の口を伸ばして取っ手を長くしただけですよね」

「あっ、ホントだ・・・」

「うん、それだけだ」

「確かに・・・」

とやや拍子抜けする女性達である、タロウの手にしたそれは確かに薬缶である、お湯を沸かす道具であり、それ以上でも以下でもない、この場にいる者なら全員が知っている道具であって、通常のそれと違うのは注ぎ口である首が異様に長い事と、それと同じくらいに取っ手が長い事であった、

「まぁ、その通りなんだけど、これがね、上手くいけば便利なんだなー」

とタロウは暖炉の前に腰を下ろすと、フローケル鍛冶屋から購入してきたばかりの大ぶりの五徳の上にその奇妙な薬缶を乗せた、その五徳はこれの為に買って来たといっても過言ではない代物で、先程までの煎餅焼きにも大変に塩梅が良く、流石俺と自画自賛してしまった品となる、

「・・・それだけ?」

ユーリが目を細めつつ首を伸ばして覗き込む、

「ん、これだけ、でだ、この長い首がね、大事でね」

と薬缶の向きを調整するとゆっくりとその注ぎ口から湯気が上りだす、その湯気を顔に当てながら暖炉の外側に向け、流れを確認すると、

「おっ、良い感じ、うん、これが大事なんだなー」

タロウは満足そうに微笑み腰を上げた、なんだなんだと一同が覗き込むもそこにあるのは奇妙な形の薬缶が湯気を立てているだけで、予想通りの光景であった、

「・・・それがなに?美容と健康?」

「そうだよ、とっても大事」

「待って、流石に意味があって言ってるわよね」

「勿論だよ、俺が無駄な事やるわけないじゃない」

「いや、それはない」

「あっ、断言するかなー」

「するわよ、で、どういう理屈なの?得意でしょ、説明なさい」

ギンとユーリがタロウを睨み、確かになーと研究所組は苦笑いである、

「そだねー、まずね」

とタロウは顎先を指でかくと、

「うん、君らのさ、あれ、しっとりクリーム?なめらかクリームだっけ?」

「うるおいクリームですか?」

「そう、それ、あれの目的って何か分かる?」

エッと女性達は顔を見合わせ、エルマはキョトンと不思議そうである、

「簡単に言えばね、皮膚の水分を保つ事があれの一番の目的、油分も大事なんだけど、やっぱり水分なんだよね」

「そう・・・ですね・・・」

「うん、確かに」

エレインとケイスが小さく頷いた、

「でしょ、でもね、特に冬場、この時期はねこう空気が乾燥するもんでね、それがほら、あかぎれとか、唇のひび割れとかになって、痛い思いをしちゃう、それは実感できるでしょ?」

確かにと頷く者多数、特にカトカは勢いよく頷いている、

「だったらさ、その乾燥した空気にね、水分を含ませてあげればいいんだよ、こんな風に」

なんとも簡単にタロウは言い放ち、その奇妙な薬缶を見下ろした、エッと言葉を無くす女性達、

「・・・あらっ、駄目?」

反応が薄いなとタロウが一同を見渡すと、

「ちょっと待って、それだけでいいの?」

「それだっけってなにさ」

「いや、ほら、そうやって湯気を出すだけ?」

「うん」

「うんって、ちょっと・・・エッ・・・マジ?」

「マジ、まぁ・・・うん、少し話せばだけど、こうしてね暖炉で暖を取るって方法自体が空気を乾燥させちゃう、それはなんとなく分かるでしょ、で、ならほら、素直にね、鍋でも薬缶でもかけておけば良いって事になるんだけど、それでも駄目、何故なら大事な湯気が煙突に上って飛んで行ってしまうから煙と一緒にね、となると、暖炉とは別に魔法板とかでお湯を沸かせばいいんだけど、それはそれでね面倒かなって思ってね、折角暖炉があるんだしなって思って、で、これを作ってもらったのよ」

タロウが暖炉を指しながら説明すると、

「あっ・・・それで、その形・・・」

カトカが気付いたようで、レスタもコクコクと大きく頷く、その薬缶はタロウの言う通り、その長い口を暖炉の外側にヌッと飛び出させており、そこから立ち上る湯気は天井まで届かずにゆらりと漂って消えている、

「そっ、出来ればね、この部屋の大きさだともう二三個置きたいくらいなんだけど・・・まぁ、お試しだからね、ほら首が長いから引っ掛けちゃうと事故の元だし、子供も多いから、こうやってね、先が少し暖炉から出て、湯気が室内に向くようにしてみた感じ、煙突に吸い込まれないようにするにはこれがいいのかなって思ってね、まぁ、こうやってね、この食堂だけでも湿気を増やせば、肌の乾燥を気持ち程度は防げるだろうし・・・ただ・・・そだね、目に見えて効果があるものでもないからな・・・気持ち程度の対策にしかならないかもだけど、それでもやらないよりは遥かにマシってもんでね、いやー、リノルトさんもさ、こんなの作った事ないって困ってたけど、流石職人さんだよねー、あっという間に作ってくれたよー」

アッハッハと笑うタロウに、マジかと目を見張る女性達、

「待って、健康になるってのはどういう理屈よ」

ユーリが問い直すと、

「あぁ、簡単に言えば流行り病を予防できるぞ、それもまぁ、気持ち程度の効果なんだが、やっぱりね、やらないよりは遥かにマシ」

「まって、それ本当?」

ユーリが愕然とタロウを見つめ、ケイスもこれはと目を丸くする、

「本当、ほら、流行り病の内でもさ、軽い病気って言ったら変だけど、季節で流行る風邪みたいな病気あるだろ?」

「あるわね」

「あれってさ、何故かこの今の時期とか、冬場にはよく流行るけど、夏場とかはまず聞かないじゃない?」

「・・・それもそう?」

ユーリがカトカを睨み、カトカがポカンとしていた為ケイスへ視線を移す、ケイスは確かにそうだと頷いた、

「だよね、まぁ、それがね、乾燥したから流行ったって訳では無いんだけど、流行る原因の一つではあるらしいんだな」

「待って、どういう理屈よ」

「あー・・・それは俺も説明が難しいな・・・」

とタロウはどうしたものかなと右目を閉じる、女性達は呆気に取られてタロウを見つめるばかりであった。
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