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本編
72話 初雪 その48
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「すいません、遅れましたー」
とティルとミーンが玄関から勢いよく食堂に入ると、
「あら、あんたらも今日はそっちから?」
とソフィアがグデーと椅子に伸びており、その隣のフェナも見事に伸びていた、子供達はワイワイと暖炉の前に集まり、職人達が隅で何やら作業中である、さらにエルマとカトカとレインがパチパチと何やらを弄り回して楽しそうに笑っていた、
「なんじゃこりゃ?」
ミーンの正直な感想がポロリと飛び出し、アッと叫んですいませんと誰にともなく謝り、ティルも今日もまた騒がしいなとフフッと微笑んでしまう、
「いつもの事よ、じゃ、お仕事にしますか」
よっこらしょとソフィアはテーブルに手をついてゆっくりと立ち上がった、
「・・・大丈夫ですか?」
「そうですよ、なんか・・・疲れてます?」
ティルとミーンがソフィアを気遣うと、
「あー、大丈夫よー、今日はねー、朝から走るわ、さっきは跳びはねるわでね・・・すっかり歳なのよ・・・」
ソフィアにしては珍しい気弱な言葉にエッと言葉を無くすティルとミーン、
「そうですねー・・・歳なんですかねー・・・」
フェナも溜息交じりであった、
「あら・・・何です?二人して・・・」
ティルが眉を顰めてしまう、
「いいの、歳なの、決してあれよ、運動不足とか鍛え直さないとミナにも負けるって事じゃないの、歳なの、歳」
どうやらソフィアは筋力と持久力の衰えを年齢の為であると結論付けたらしい、それはある意味で逃避である、つい一年前であればこの程度の運動で音を上げる事等あるはずも無く、決して寮母の仕事にかまけて身体を鈍らせた訳ではない、と、自分に言い聞かせてみたりしていた、実際には見事に鈍らせてしまったわけである、ソフィアの内にあるちょっとした矜持に大きな傷が入った数刻の出来事であった、
「ならいいですけど・・・」
とミーンがもうと目を細めると、フワリと甘く香ばしい香りが漂ってきた、あらっとソフィアが暖炉を見つめ、それにつられる二人である、
「良い匂いね」
「だろー」
とタロウが振り返る、しかし、子供達が邪魔をしてその顔は見えず、
「ちょっと邪魔」
とノールとノーラの間に隙間を作りそこから顔だけ覗かせた、
「わっ、タロウさんも戻ってたんですか」
ティルが小さく驚いた、ティルは今日、屋敷での朝礼とミーンとの打ち合わせの後、エレインとテラのお願いで商会の事務所に顔を出していた、ミーンがパスタの製法を身に付けていなかった為であり、ティルは商会で奥様達にパスタの製法の指導にあたったのである、リーニーとカチャーもそれに加わるが、マフダはチャイナドレスとメイド服の改良に忙しく、そちらにも数人の奥様が従っている、ティルはあくまで王家に雇われたメイドであったが、こういった和気藹々とした雰囲気もいいよなー等と思いつつも、厳しく教え込み、リーニーとカチャー、奥様達もそれに応えるべく奮闘した、何より大変に美味しく保存も聞く素晴らしい食材だとのティルの説明に、本気にならざるを得なかった事もある、
「そだよー、あっ、ティルさんお店にいなかったねー」
「はい、今日はあれです、パスタの指導で事務所の方に来てました」
「あっ、そうなんだ・・・フフッ、素早い対応だね、流石エレインさんにテラさんだ」
アッハッハとタロウが笑うと、
「まだー」
とミナがその顔面をペシリと叩く、
「あっ、痛いなもー」
「いいのー、まだー」
「良くない、簡単に人を叩いたら駄目だ」
「ムー、タローが真面目にやらないからでしょー」
「真面目ってさ、まぁ、そうだけど、大人だからいいの」
「良くないー、まだー」
「まだ」
とタロウは暖炉に向き直り、子供達はウズウズと暖炉を覗き込む、
「えっと・・・何ですか?」
ミーンが不思議そうにソフィアに訊ねると、
「新しい料理だって、美味しいらしいわよ、タロウさんの郷土料理って言ってたかな?私も初めてだけどね、どうかしら?」
「えっ、またですか」
ミーンが小さく驚いた、
「また?」
「はい、さっきもお店で新しい料理を見せてくれたんです、だし巻き玉子ってよんでましたけど」
「なにそれ?」
「はい、えっとですね、玉子をいっぱい溶いて、そこに鳥の骨のスープを入れてそれでこう、まるっと焼くんですよ、だからダシの入った巻く玉子焼き?なのでだし巻き玉子だそうです、ソフィアさんにも教えてないって言ってましたけど・・・」
「・・・確かに・・・聞いた事無いわね・・・」
ムッとソフィアが眉間に皺をよせゆっくりとタロウの背を睨む、アッ、まずかったかなとミーンは背筋を寒くするも、
「まぁ、そういう事もあるのよね、気まぐれなんだから、もう・・・」
とソフィアは呆れたように溜息を突き、
「じゃ、今日はそれにしてみようかしら、美味しいの?」
「勿論です、絶対売れるってみんなで喜んじゃいました」
「そっか、じゃ、それにしましょう、玉子あったかな?」
「あっ、屋敷から頂いてきますよ」
「あー・・・悪いわね、お願い、じゃ、今日はそれと、後はどうしようかなー」
とソフィアは厨房に向かい、ティルはミーンに目配せして階段に向かう、ミーンもソフィアの後を追って厨房に入った、あー、もう夕食の準備なんだなーとのんびりと眺めてしまうフェナである、エフモント家の夕食時間は若干遅かった、エフモントの帰りが遅い為で、それに合わせて準備をする為、今すぐに戻らなくても間に合うのは確実で、さらにタロウが作っているそれを食さなければフロールとブロースも泣き出してしまうだろう、ここはゆっくりと待つことにしようかと、身体の各所から響く痛みのようなむず痒い悲鳴もあって、怠惰に堕してしまった、その瞬間、
「ん、出来たぞ」
とタロウがよっと腰を上げ、オッと大人達も振り向いた、
「出来た?出来た?」
「おう、いい匂いだろ?」
「うん、いい匂いー」
「美味しそー」
「どんなの?どうなるのー」
と子供達がピョンピョン飛び跳ね、
「こりゃ、危ない、跳ねるな」
すぐにタロウの叱責が飛ぶ、ピタリと跳ねるのを止めた子供達であるがその目は爛々と輝いている、
「ん、じゃ、三枚しかないからな、ちょっと待ってな、割るから、喧嘩しないで食べるんだぞ、あっ、離れてろ、危ないからな」
タロウは子供達を二三歩下がらせると、真っ黒い無骨な鉄の棒の先、小さな皿状の丸い鉄板からポンと何かを手元の皿に取り出し、
「うん、良い感じだ」
ニヤリと微笑む、
「ホント?」
ミナがズイッと首を伸ばし、当然のように子供達も距離を詰める、
「おう、ホントだ、あっ、こら、近づくな、まだ危ないぞ」
タロウはまったくと一睨みし、さらに二枚のそれを皿に載せると、パキリと幾つかに割り砕いてテーブルに置いた、
「なにこれー」
ミナが我先にと飛び付き、子供達がワッとばかりに覗き込む、さらにブラスとリノルトも子供達の上から首を伸ばし、レインにカトカ、エルマもそっと腰を上げた、無論フェナも重い腰をゆっくりと上げる、
「んー・・・まぁ、いいか、南部煎餅って食べ物だ」
「ナンブセンベイ?」
「そうだぞ、南部煎餅」
「変な名前ー」
アハハーとミナが笑い、そうだねーとフロースもノールもノーラも笑顔になる、
「なんだよ、美味いんだぞ、ほれ、焼き立てが一番だ、喧嘩するなよ、ブラスさんもリノルトさんも食ってみ?」
と若干遠慮している様子の大人達に笑いかけタロウは次を焼くかと準備にかかる、すると、
「ん、美味しいー」
ミナの大声が響き、
「美味しー」
と子供達の声が続いた、そして、
「わっ、すげぇ、甘い・・・あれか小麦の甘さだ・・・すげー」
「うん、これは美味いな」
「ホントだ・・・えっ、小麦だけでしたよね?」
「そうですね、小麦だけでした・・・」
「これは凄いな・・・いや、固パンなんかより全然美味しいぞ・・・」
「ですね、なんでしょう、焼き立てだから?」
「それもあるでしょうね、パンも焼き立ては本当に美味しいですから、でも、全然違う感じです」
「まったくですよ・・・えっ、なにが違うんだ?」
と大人達の興奮しつつも冷静な分析が続いた、タロウは背を向けたまましてやったりとニンマリと微笑む、タロウがあっさりと焼いて見せたのはその名の通り南部煎餅である、タロウの郷里に近い地方の特産物であり、子供の頃に食べた焼き立てのその甘さと美味さに度肝を抜かれた記憶があった、大人になってすっかり忘れていたのであるが、こちらに来てから毎日のように焚火か暖炉の世話になっている、となるとどうしてもその炎を見つめ郷愁に浸るもので、すると何故かこの南部煎餅を焼いた時の記憶が呼び起され、機会を見て焼き型を作って試してみたいなと思っていたのだ、材料も小麦と塩と水なのである、その点でも大変に都合が良かった、
「次は・・・」
とタロウは焼き型に胡麻を散りばめる、ユスティーナの体質があり寮では胡麻を食する事が殆ど無かったが、今日、市場を覗いてみれば胡麻はこちらの特産であるとの事で、大量に安く売られていた、これは丁度良いとタロウは黒胡麻を仕入れており、それを早速と使ってみる、素の南部煎餅も美味いが、胡麻のそれはまた格別で、ピーナッツ入りのそれはよりである、そのピーナッツはスヒーダムから貰ってきた分はすっかり跡形もなくなってしまったが、また貰ってこようかなと考えていたりする、在庫が残っていればの事であったが、
「タロー、もっとー」
ミナがタロウの背中におぶさった、
「わっ、こりゃ、危ない」
「大丈夫ー、もっとー」
「はいはい、分かっているから、次々焼くぞ」
「うん、ワカッター」
「ならよし、あっ、リノルトさんね、こう使うんだけどさ、あと・・・そだね、10本ぐらい追加で注文してもいい?この焼き機?」
ミナに抱き着かれたまま首を大きく捩じるタロウに、
「わっ、はい、勿論ですよ、作ります、喜んで、あの・・・ちゃんと教えてもらっていいですか?その作り方、ナンブセンベイですか?」
リノルトが慌てて振り返り、あっ、俺もとブラスも目の色を変えている、
「ん、いいぞー、っていうか、さっき見せたまんまかな?小麦粉に水を入れて塩を入れて、適当に練って、焼く?」
「いや、それだけですか、ホントに?」
「だって、それだけだったろ?水の分量とかそりゃあるけどさ、それはほら、何となくでもなんとでもなるよ」
「そんな簡単にー」
「簡単なの、言ってみればこれはほら、竈を使わない薄いパンなんだよ、だから、あまり気にしないで色々やってみればいいんだよ、それが家庭の味ってやつになっていくんだから」
「そういうもんですか?」
「そういうもんなの、あっそれとね、結構保存も利くからさ、一月以上は持つと思うよ、ほら、保存用の固パンあるだろ?あれと同じくらいに水分が無いからね、俺の田舎じゃ保存食だったらしいし」
「えっ、そんなにですか」
「うん、だけどね、やっぱり味は落ちるから、焼き立てがねー・・・一番美味いんだ・・・」
暖炉の火に焼き機を翳しながらタロウは微笑む、
「そうでしょうけど・・・」
すっかり空になった皿を見つめるリノルト、ブラスも物足りなさそうにしており、子供達もまだかまだかと落ち着かない、エルマやカトカ、フェナもこりゃまた大したもんだと目を丸くしてしまっていた、タロウ曰くの薄いパンというのは言い得て妙であった、若干固いと感じるが、それもその薄さ故に大して気にならず、パリパリとしたその食感は心地良い程で、極少量を口にした程度であるが腹持ちも良さそうに感じる、そしてなによりもその調理の手軽さであった、竈では無く暖炉の薪で焼いているのである、そこがパンとは大きく違う所で、これは何気に薪の節約にもなるし、夕食の直前に焼けばより簡便に美味しい薄パンが調理できる事となる、これは凄いぞと主婦の目線になってしまうエルマとフェナである、
「次は胡麻入りだからねー、これはこれで美味いんだよねー」
ニヤニヤと焼き機を裏返すタロウに、ホントにこの人は何なんだと訝しげに目を細めてしまう大人達、
「ゴマー」
「美味しいのー?」
「美味しそー」
とキャッキャッとはしゃぎだす子供達、
「勿論だ、あっ、どうしようかな・・・上の人達と、ソフィアとミーンさんも呼んできて」
「あっ、はい、そうですね」
慌てて階段に走るカトカ、エルマもそういうことならと厨房へ向かい、
「ん、じゃあもうちょっとだな、あっ、お前ら次は遠慮しろよ、食べてない人が先だからな」
エーと子供達の非難の声が上がり、その気持ちはよくわかると頷いてしまうブラスとリノルトであった。
とティルとミーンが玄関から勢いよく食堂に入ると、
「あら、あんたらも今日はそっちから?」
とソフィアがグデーと椅子に伸びており、その隣のフェナも見事に伸びていた、子供達はワイワイと暖炉の前に集まり、職人達が隅で何やら作業中である、さらにエルマとカトカとレインがパチパチと何やらを弄り回して楽しそうに笑っていた、
「なんじゃこりゃ?」
ミーンの正直な感想がポロリと飛び出し、アッと叫んですいませんと誰にともなく謝り、ティルも今日もまた騒がしいなとフフッと微笑んでしまう、
「いつもの事よ、じゃ、お仕事にしますか」
よっこらしょとソフィアはテーブルに手をついてゆっくりと立ち上がった、
「・・・大丈夫ですか?」
「そうですよ、なんか・・・疲れてます?」
ティルとミーンがソフィアを気遣うと、
「あー、大丈夫よー、今日はねー、朝から走るわ、さっきは跳びはねるわでね・・・すっかり歳なのよ・・・」
ソフィアにしては珍しい気弱な言葉にエッと言葉を無くすティルとミーン、
「そうですねー・・・歳なんですかねー・・・」
フェナも溜息交じりであった、
「あら・・・何です?二人して・・・」
ティルが眉を顰めてしまう、
「いいの、歳なの、決してあれよ、運動不足とか鍛え直さないとミナにも負けるって事じゃないの、歳なの、歳」
どうやらソフィアは筋力と持久力の衰えを年齢の為であると結論付けたらしい、それはある意味で逃避である、つい一年前であればこの程度の運動で音を上げる事等あるはずも無く、決して寮母の仕事にかまけて身体を鈍らせた訳ではない、と、自分に言い聞かせてみたりしていた、実際には見事に鈍らせてしまったわけである、ソフィアの内にあるちょっとした矜持に大きな傷が入った数刻の出来事であった、
「ならいいですけど・・・」
とミーンがもうと目を細めると、フワリと甘く香ばしい香りが漂ってきた、あらっとソフィアが暖炉を見つめ、それにつられる二人である、
「良い匂いね」
「だろー」
とタロウが振り返る、しかし、子供達が邪魔をしてその顔は見えず、
「ちょっと邪魔」
とノールとノーラの間に隙間を作りそこから顔だけ覗かせた、
「わっ、タロウさんも戻ってたんですか」
ティルが小さく驚いた、ティルは今日、屋敷での朝礼とミーンとの打ち合わせの後、エレインとテラのお願いで商会の事務所に顔を出していた、ミーンがパスタの製法を身に付けていなかった為であり、ティルは商会で奥様達にパスタの製法の指導にあたったのである、リーニーとカチャーもそれに加わるが、マフダはチャイナドレスとメイド服の改良に忙しく、そちらにも数人の奥様が従っている、ティルはあくまで王家に雇われたメイドであったが、こういった和気藹々とした雰囲気もいいよなー等と思いつつも、厳しく教え込み、リーニーとカチャー、奥様達もそれに応えるべく奮闘した、何より大変に美味しく保存も聞く素晴らしい食材だとのティルの説明に、本気にならざるを得なかった事もある、
「そだよー、あっ、ティルさんお店にいなかったねー」
「はい、今日はあれです、パスタの指導で事務所の方に来てました」
「あっ、そうなんだ・・・フフッ、素早い対応だね、流石エレインさんにテラさんだ」
アッハッハとタロウが笑うと、
「まだー」
とミナがその顔面をペシリと叩く、
「あっ、痛いなもー」
「いいのー、まだー」
「良くない、簡単に人を叩いたら駄目だ」
「ムー、タローが真面目にやらないからでしょー」
「真面目ってさ、まぁ、そうだけど、大人だからいいの」
「良くないー、まだー」
「まだ」
とタロウは暖炉に向き直り、子供達はウズウズと暖炉を覗き込む、
「えっと・・・何ですか?」
ミーンが不思議そうにソフィアに訊ねると、
「新しい料理だって、美味しいらしいわよ、タロウさんの郷土料理って言ってたかな?私も初めてだけどね、どうかしら?」
「えっ、またですか」
ミーンが小さく驚いた、
「また?」
「はい、さっきもお店で新しい料理を見せてくれたんです、だし巻き玉子ってよんでましたけど」
「なにそれ?」
「はい、えっとですね、玉子をいっぱい溶いて、そこに鳥の骨のスープを入れてそれでこう、まるっと焼くんですよ、だからダシの入った巻く玉子焼き?なのでだし巻き玉子だそうです、ソフィアさんにも教えてないって言ってましたけど・・・」
「・・・確かに・・・聞いた事無いわね・・・」
ムッとソフィアが眉間に皺をよせゆっくりとタロウの背を睨む、アッ、まずかったかなとミーンは背筋を寒くするも、
「まぁ、そういう事もあるのよね、気まぐれなんだから、もう・・・」
とソフィアは呆れたように溜息を突き、
「じゃ、今日はそれにしてみようかしら、美味しいの?」
「勿論です、絶対売れるってみんなで喜んじゃいました」
「そっか、じゃ、それにしましょう、玉子あったかな?」
「あっ、屋敷から頂いてきますよ」
「あー・・・悪いわね、お願い、じゃ、今日はそれと、後はどうしようかなー」
とソフィアは厨房に向かい、ティルはミーンに目配せして階段に向かう、ミーンもソフィアの後を追って厨房に入った、あー、もう夕食の準備なんだなーとのんびりと眺めてしまうフェナである、エフモント家の夕食時間は若干遅かった、エフモントの帰りが遅い為で、それに合わせて準備をする為、今すぐに戻らなくても間に合うのは確実で、さらにタロウが作っているそれを食さなければフロールとブロースも泣き出してしまうだろう、ここはゆっくりと待つことにしようかと、身体の各所から響く痛みのようなむず痒い悲鳴もあって、怠惰に堕してしまった、その瞬間、
「ん、出来たぞ」
とタロウがよっと腰を上げ、オッと大人達も振り向いた、
「出来た?出来た?」
「おう、いい匂いだろ?」
「うん、いい匂いー」
「美味しそー」
「どんなの?どうなるのー」
と子供達がピョンピョン飛び跳ね、
「こりゃ、危ない、跳ねるな」
すぐにタロウの叱責が飛ぶ、ピタリと跳ねるのを止めた子供達であるがその目は爛々と輝いている、
「ん、じゃ、三枚しかないからな、ちょっと待ってな、割るから、喧嘩しないで食べるんだぞ、あっ、離れてろ、危ないからな」
タロウは子供達を二三歩下がらせると、真っ黒い無骨な鉄の棒の先、小さな皿状の丸い鉄板からポンと何かを手元の皿に取り出し、
「うん、良い感じだ」
ニヤリと微笑む、
「ホント?」
ミナがズイッと首を伸ばし、当然のように子供達も距離を詰める、
「おう、ホントだ、あっ、こら、近づくな、まだ危ないぞ」
タロウはまったくと一睨みし、さらに二枚のそれを皿に載せると、パキリと幾つかに割り砕いてテーブルに置いた、
「なにこれー」
ミナが我先にと飛び付き、子供達がワッとばかりに覗き込む、さらにブラスとリノルトも子供達の上から首を伸ばし、レインにカトカ、エルマもそっと腰を上げた、無論フェナも重い腰をゆっくりと上げる、
「んー・・・まぁ、いいか、南部煎餅って食べ物だ」
「ナンブセンベイ?」
「そうだぞ、南部煎餅」
「変な名前ー」
アハハーとミナが笑い、そうだねーとフロースもノールもノーラも笑顔になる、
「なんだよ、美味いんだぞ、ほれ、焼き立てが一番だ、喧嘩するなよ、ブラスさんもリノルトさんも食ってみ?」
と若干遠慮している様子の大人達に笑いかけタロウは次を焼くかと準備にかかる、すると、
「ん、美味しいー」
ミナの大声が響き、
「美味しー」
と子供達の声が続いた、そして、
「わっ、すげぇ、甘い・・・あれか小麦の甘さだ・・・すげー」
「うん、これは美味いな」
「ホントだ・・・えっ、小麦だけでしたよね?」
「そうですね、小麦だけでした・・・」
「これは凄いな・・・いや、固パンなんかより全然美味しいぞ・・・」
「ですね、なんでしょう、焼き立てだから?」
「それもあるでしょうね、パンも焼き立ては本当に美味しいですから、でも、全然違う感じです」
「まったくですよ・・・えっ、なにが違うんだ?」
と大人達の興奮しつつも冷静な分析が続いた、タロウは背を向けたまましてやったりとニンマリと微笑む、タロウがあっさりと焼いて見せたのはその名の通り南部煎餅である、タロウの郷里に近い地方の特産物であり、子供の頃に食べた焼き立てのその甘さと美味さに度肝を抜かれた記憶があった、大人になってすっかり忘れていたのであるが、こちらに来てから毎日のように焚火か暖炉の世話になっている、となるとどうしてもその炎を見つめ郷愁に浸るもので、すると何故かこの南部煎餅を焼いた時の記憶が呼び起され、機会を見て焼き型を作って試してみたいなと思っていたのだ、材料も小麦と塩と水なのである、その点でも大変に都合が良かった、
「次は・・・」
とタロウは焼き型に胡麻を散りばめる、ユスティーナの体質があり寮では胡麻を食する事が殆ど無かったが、今日、市場を覗いてみれば胡麻はこちらの特産であるとの事で、大量に安く売られていた、これは丁度良いとタロウは黒胡麻を仕入れており、それを早速と使ってみる、素の南部煎餅も美味いが、胡麻のそれはまた格別で、ピーナッツ入りのそれはよりである、そのピーナッツはスヒーダムから貰ってきた分はすっかり跡形もなくなってしまったが、また貰ってこようかなと考えていたりする、在庫が残っていればの事であったが、
「タロー、もっとー」
ミナがタロウの背中におぶさった、
「わっ、こりゃ、危ない」
「大丈夫ー、もっとー」
「はいはい、分かっているから、次々焼くぞ」
「うん、ワカッター」
「ならよし、あっ、リノルトさんね、こう使うんだけどさ、あと・・・そだね、10本ぐらい追加で注文してもいい?この焼き機?」
ミナに抱き着かれたまま首を大きく捩じるタロウに、
「わっ、はい、勿論ですよ、作ります、喜んで、あの・・・ちゃんと教えてもらっていいですか?その作り方、ナンブセンベイですか?」
リノルトが慌てて振り返り、あっ、俺もとブラスも目の色を変えている、
「ん、いいぞー、っていうか、さっき見せたまんまかな?小麦粉に水を入れて塩を入れて、適当に練って、焼く?」
「いや、それだけですか、ホントに?」
「だって、それだけだったろ?水の分量とかそりゃあるけどさ、それはほら、何となくでもなんとでもなるよ」
「そんな簡単にー」
「簡単なの、言ってみればこれはほら、竈を使わない薄いパンなんだよ、だから、あまり気にしないで色々やってみればいいんだよ、それが家庭の味ってやつになっていくんだから」
「そういうもんですか?」
「そういうもんなの、あっそれとね、結構保存も利くからさ、一月以上は持つと思うよ、ほら、保存用の固パンあるだろ?あれと同じくらいに水分が無いからね、俺の田舎じゃ保存食だったらしいし」
「えっ、そんなにですか」
「うん、だけどね、やっぱり味は落ちるから、焼き立てがねー・・・一番美味いんだ・・・」
暖炉の火に焼き機を翳しながらタロウは微笑む、
「そうでしょうけど・・・」
すっかり空になった皿を見つめるリノルト、ブラスも物足りなさそうにしており、子供達もまだかまだかと落ち着かない、エルマやカトカ、フェナもこりゃまた大したもんだと目を丸くしてしまっていた、タロウ曰くの薄いパンというのは言い得て妙であった、若干固いと感じるが、それもその薄さ故に大して気にならず、パリパリとしたその食感は心地良い程で、極少量を口にした程度であるが腹持ちも良さそうに感じる、そしてなによりもその調理の手軽さであった、竈では無く暖炉の薪で焼いているのである、そこがパンとは大きく違う所で、これは何気に薪の節約にもなるし、夕食の直前に焼けばより簡便に美味しい薄パンが調理できる事となる、これは凄いぞと主婦の目線になってしまうエルマとフェナである、
「次は胡麻入りだからねー、これはこれで美味いんだよねー」
ニヤニヤと焼き機を裏返すタロウに、ホントにこの人は何なんだと訝しげに目を細めてしまう大人達、
「ゴマー」
「美味しいのー?」
「美味しそー」
とキャッキャッとはしゃぎだす子供達、
「勿論だ、あっ、どうしようかな・・・上の人達と、ソフィアとミーンさんも呼んできて」
「あっ、はい、そうですね」
慌てて階段に走るカトカ、エルマもそういうことならと厨房へ向かい、
「ん、じゃあもうちょっとだな、あっ、お前ら次は遠慮しろよ、食べてない人が先だからな」
エーと子供達の非難の声が上がり、その気持ちはよくわかると頷いてしまうブラスとリノルトであった。
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「こいつ面倒見良すぎじゃねwwwお母さんかよwwww」
俺の性別がバレ、身バレし、更には俺が金に困っていない事もバレて元英雄な事もバレた。
面倒見が良いためお母さんと呼ばれてネタにされるようになった。
おかしい、俺はそこまで配信していないのに奴隷より登録者数が伸びている。
思っていたのと違う!
俺の計画は破綻しバズっていく。
気がついたら異世界に転生していた。
みみっく
ファンタジー
社畜として会社に愛されこき使われ日々のストレスとムリが原因で深夜の休憩中に死んでしまい。
気がついたら異世界に転生していた。
普通に愛情を受けて育てられ、普通に育ち屋敷を抜け出して子供達が集まる広場へ遊びに行くと自分の異常な身体能力に気が付き始めた・・・
冒険がメインでは無く、冒険とほのぼのとした感じの日常と恋愛を書いていけたらと思って書いています。
戦闘もありますが少しだけです。
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