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本編

72話 初雪 その10

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昨日も行われたその儀式めいた所作は麻酔魔法の訓練であった、昨日ソフィアがうんうんと苦労して編み上げたその呪文をユーリは一度試し、これなら自分なら大丈夫かなとソフィアと共に確認している、さらにその解呪魔法の呪文も編み、その二つをケイスに指導した、ケイスはこれは凄いと目を丸くし、さらには治療魔法もユーリから伝授され、こんな便利な魔法があったのかと医学生らしく、若者らしく興奮し、さっそくと麻酔魔法はソフィアを相手に練習する事となった、治療魔法に関しては実践するのが難しいという現実的な問題が発生している、なにせ傷をつけない事にはどうしようもないのであった、故に治療魔法は取り合えずと後回しになり、麻酔魔法に注力する事となっていた、エルマはどうやら自分の治療をこの賢そうな娘さんに任せるのだなと察し、若干不安に感じるが、ソフィアとユーリから医学科に通う生徒であり、魔法に関しても常人とは一線を画した才媛であると紹介され、ケイスはケイスで情熱的で生真面目に魔法に対しているようで、なるほど、どうやらソフィアはめんどくさい風を装って生徒の事もしっかりと考えているのだなと思い直すが、ユーリ曰くやっぱりめんどくさいだけらしい、まぁ、それはそれでなんとかなればいいのだけれどと取り合えず静観する事としたエルマである、

「じゃ、どう?想像する形は安定してきた?」

「はい、大丈夫かと思います」

ケイスはフーと大きく息を吐き出し、もごもごと黒板を確認しながら呪文を呟く、ケイスはこの二つの呪文は是非とも身につけなければと奮起している、麻酔魔法の有用性や、治療魔法のあり得ない回復力は医学生であるケイスにとって、これこそが求めるものだと目が覚める思いで、と同時にユーリの治療魔法はもっと早く教えてくれればいいのにと口には出さずとも不満を感じ、麻酔魔法に関しては呪文も無かったのかと呆れてしまっていたりする、またケイスは以前教わった空間魔法による吸引と排出の魔法も医療に役立てられないかと思案中であった、しかし生徒一人でどうなるものでもなく、結局日々の授業と魔力増加の訓練、商会の仕事、さらに寮内の雑多な騒動に振り回され、落ち着いて考える暇も無かったりする、それらは大変に充実し楽しいのであるが、障害になってしまっている事には変わりない、楽しいのが良くないな等と根暗な事を考えてしまうケイスであった、

「やります」

右手を口元に運びフッと息を手に握り込む、魔力の光が指の間から漏れ落ち、そのまま右手をそっとソフィアの手の甲に翳した、そのままモゴモゴと呪文を呟きつつ、光を広げるように馴染ませるようにと念じる、

「ん、そこで考えるのは手の中の神経ね、血管でも骨でもなく、蜘蛛の糸みたいに細く広がっている糸を意識して」

ケイスはソフィアの助言にコクリと頷く、やがて魔法の光はソフィアの手にジワリと広がり急速に染み込んでいった、あっという間の工程である、昨日よりも格段に手際が良くなっており、ソフィアもその時点で違和感は少ないようで、特に指摘する事も無いようだ、

「・・・どう・・・ですか?」

フゥとケイスが不安気に顔を上げる、学園でも何となく思い出して、脳内に思い浮かべる映像とその流れ、手に広がる神経の様子を想像して仮想練習を繰り返していた、故に授業が耳に入ってこず、慌てて集中しなおしていたりする、

「ん、抓ってみて」

「はい」

ケイスがその言葉の通りにソフィアの手の甲を抓り上げる、昨日はこの時点で、痛いとソフィアが叫び、解呪して始めからと数度繰り返していた、しかし、

「ん、いいわね、全然痛くない」

「ホントですか?」

ケイスの顔が明るく輝く、

「だけど・・・そうね、昨日よりは痛くないって感じかな?他の場所も」

ソフィアはしかし冷静に自身の左手を見つめている、この魔法独特の脱力感と喪失感は左手のみに感じられている、これなら使いものになるかなと思えた、

「はい」

ケイスは場所を変えて抓り始め、その度毎に痛くないとかちょっと痛いとかソフィアはすぐに反応を示す、エルマはすっかりベルメルを放置してその様子を見つめてしまっていた、とても魔法の修練には見えない二人の姿であった、事情を知らなければケイスがソフィアを虐めているだけのように見えるであろう、

「うん、まぁまぁいい感じかな・・・たぶんだけど・・・」

とソフィアはウーンと悩みつつこうすればと指導を始め、素直に頷き黒板を鳴らすケイスである、そして解呪魔法の練習に移り、その状態で再び抓るも今度は痛みを感じたらしい、

「ちゃんと痛いのよねー」

抓りまくった為に赤く染まった手の甲をヒラヒラと振るソフィアに、ケイスはすいませんと謝ってしまう、

「いいのいいの、そういうもんだから、解呪の方は習得できたかしらね」

「はい、過剰な魔力を霧散する感じは掴めてます」

「それでいいわよ、流石覚えが早いわね」

「そんな、昨日は全然でした」

「そりゃ、そんなもんでしょ、やれって言われて出来たら講師も師匠も親方も必要なくなるわよ」

「そうですけどー」

「そういうもんなの、逆に早いくらいだわ、まぁ、まだ手だけだからね、これがほら、前腕から二の腕?出来れば腕全体とか脚全体とか、そういう大きい部分で使えるようにならないと使い物にはならないわね」

「はい、特に怪我の時とかはどうしても四肢をマスイしないと駄目だと思います、骨折の時とかもその部位だけってのは難しいでしょうね」

「そう思うわね、正直ほら、指先をちょっと切ったで使う魔法ではないかしら、だから・・・そうよね、結局大きい部位で使う魔法になっちゃうのよね」

「確かに」

「ん、じゃ、もう一回、魔力は大丈夫そうだけど、疲れは無い?」

「平気です、ずっと鍛えてますから」

「うん、それでいいわよ」

と赤みの残る手の甲を差し出すソフィアである、エルマは大した自己犠牲だよなと感心してしまった、エルマ自身は魔法は扱える程度で日常作業の助け程度にしか使っていない、学ぶ機会もあったのであるが、結局数学の方が楽しくて、それがいつの間にやら様々な縁が重なって王城に務める程になってしまった、その家庭教師の誘いが来た時にはどうしたものかと困惑してしまったものだが、夫と義両親は我が事のように喜んでくれて、幼かった子供達の世話も義母は任せろと笑顔を見せてくれた、エルマの人生で最も幸せで満ち足りた時期の事である、

「・・・凄いな・・・」

エルマがポツリと呟く、ケイスやソフィア、ユーリに対する不安感と不信感を感じていたのであるが、こうして訓練の姿を見ていると、その二つの悪感情が信頼に変わりつつあるのを感じる、ケイスがこの魔法をどう活用するかは分からないが、少なくとも今は自分の為に二人は修練を積んでいるのだ、これほど嬉しい事は無いであろう、

「ん、もう少し先の方まで、さっきはたぶん指先の方がおざなりだったかな?」

ケイスが呪文を呟きながらコクンと頷いた、いつのまにやらレインがエルマの隣りに座っており、独特の暇そうで眠そうな、しかしジッと熱の籠った視線を二人の手先に向けている、

「こんな感じで・・・」

「ん、いい感じ、じゃ、また抓ってみて」

「はい」

再びちょっとした虐めのような光景である、そこへ、失礼します、と来客のようであった、あっ、とソフィアが腰を浮かせるも、レインが待っておれと押し止め玄関へ向かう、ありがとうとその背に告げるソフィア、すぐに、

「マフダじゃ、遠慮せず入ればいいものを」

と不貞腐れたように戻ってくるレインと、背を丸めてオズオズと顔を覗かせるマフダである、途端、

「マフダー」

「マフダー、あのねー」

とノールとノーラが駆け出し、サスキアはもぞもぞと顔を上げた、どうやらしっかり午睡を堪能したようで、

「こら、走るな」

マフダが慌てて叱責するも、

「むー、いいのー」

「あのねー」

と興奮の収まらない双子をハイハイと押さえつけるマフダであった、そしてすぐに、

「良くない、あっ、ソフィアさんありがとうございます、その、迎えに来ないとって、遅くなっちゃって・・・」

マフダがしどろもどろとソフィアを伺う、

「んー、全然平気よー」

ソフィアが手元を見つめながら返すと、

「そうですね、三人とも良い子でしたから」

エルマがニコリと微笑むも、勿論その顔は見えていない、

「えっ、あっ、すいませんその・・・ホントですか?」

「本当ですよ、ねっ」

「うん、良い子だったー」

「真面目に勉強したー」

「編み物習ったのー、マフラー作るのー」

「ちょっとだけ字が綺麗になったのー、褒められたー」

ここぞとばかりに一生懸命に報告するノールとノーラ、サスキアはもぞもぞと寝台から下りてエルマの腕に縋りつき、眠そうにその顔を押し付ける、エッとマフダは絶句してしまった、昨日と今日のたかが二日であの人見知りの激しいサスキアが他人に懐くとは思えなかったのだ、

「フフッ、良く寝れた?」

やさしく問いかけるエルマに、サスキアはコクンと頷く、その様をホヘーと見つめ、やっぱり違うんだなーと感心してしまうマフダである、子育ての経験もあるであろうし、年齢的にも母親とするにはエルマの方が適任で、サスキアとしてもすっかりエルマを信用してしまっているのであろう、マフダは若干羨ましいなとも感じてしまった、

「あっ、でもそっか、マフダさんも少し遊んでいけば?」

ソフィアがフイッと振り返る、

「エッ、それは申し訳ないですよ・・・」

「気にしないでいいのよ、それにいつもよりも早いんじゃない?お仕事大丈夫?」

「あー・・・それなんですけど、今日は早仕舞いなんです」

「そうなの?」

「はい、生徒さん達がたぶん来れないだろうってオリビアさんが・・・」

「ん?あっ、もしかしてクロノス見に行ったの?」

ソフィアがそっちもかと顔を顰め、たぶんと小さく答えるマフダである、あらっとケイスも顔を上げた、二人の会話の間にもソフィアの手を抓りまくっていたがソフィアはまるで無反応で、どうやら今回も良い感じになっていると思われる、

「そっかー・・・じゃ、余計にあれよ、今帰ると碌な事にならないわよ」

「えっ・・・そうですか?」

「でしょー、だって、街中混んでるんじゃない?生徒達もそうだけど、街の人も、挙句に兵隊さん達が来るんでしょ」

「それもそうかもですねー」

とケイスが抓るのを止めて街路へ視線を向ける、薄く開けた木窓からその喧噪が見える訳も無いが、祭り好きなこの街の住民達がこの突発的な騒動を楽しまない訳が無い、

「そう・・・ですかね・・・」

「だから、少し待ちなさい、うちの生徒達が戻ったら帰ればいいわよ、もしくはフィロメナさんかヒセラさんが来るかもだし」

「あっ、それ聞きました、けど、先に帰っていいよって言われてます」

「そうなんだ、でも、やっぱり少し待った方がいいでしょうね・・・あっ、ついでにほら、マフダさんて編み物も出来る?」

「編み物ですか?」

「そっ、毛糸の」

「はい、その、ある程度は・・・」

「そうよねー、ノールちゃん、ノーラちゃん、マフダさんに編み物見せてあげて、ついでにもう少し編んでみましょう」

イイノーと二人が唱和し、ミナもヤルーと寝台で飛び跳ねた、今日はもうお別れかなと寂しく感じていたようで、悲しそうな顔が一転笑顔に変わった、

「じゃ、ほら、マフダさん、入って、ミナ、教えてあげて」

「わかったー、あのね、あのね、マフラー作るのー」

「そうなの、マフダこっちー」

「マフダならできるー」

ノールとノーラに手を引かれマフラーとは?と首を傾げるマフダである、サスキアもソッとエルマから離れてトテトテと編み物の輪に加わった、

「あっ、だいぶ良くなってきたわね」

スッと振り返るソフィアに、

「そのようですね」

ケイスがニンマリと微笑む、

「じゃ、もう二、三回かな?呪文を暗記するまでやる?」

「それは別でしっかり覚えます、それよりソフィアさんの手が大変な事に・・・」

「あら・・・まぁ気にしないで、次は前腕から先にしましょう、魔力量を多めにして、集中も切らさないようにかな?」

「はい」

と解呪魔法に取り掛かるケイス、エルマは随分と気の利く人なんだなとソフィアを優しく見つめてしまうのであった。
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