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70話 公爵様を迎えて その32

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その頃荒野である、シトシトと陰鬱な雨が落ちる中、クンラートを中心にした集団が岩陰から要塞を遠望していた、

「・・・なるほど・・・」

クンラートは腕を組みジッと要塞を見つめている、隣りに立つレイナウトは黙しており、その後ろのカラミッドもまた黙していた、その重苦しい沈黙は見えない圧となって一行にのしかかり、外套を叩く雨音が耳に煩い、

「フォンス、確かなのだな・・・」

クンラートが要塞から視線を外さずに腹心の名を呼ぶ、

「はっ、お伝えした事は全て真であります」

カラミッドの背後でフォンスは背筋を正して答えた、

「そうか・・・いや・・・フフッ、面白いな、素晴らしい」

クンラートが実に楽し気な声音となった、

「はっ?」

フォンスは思わず問い返し、しかし、慌ててその表情を引き締めた、

「笑い話ではないぞ」

レイナウトがまったくと息子を睨む、共にフードを被っている為に顔は見えないが、恐らくクンラートは極上の笑みを浮かべていることであろう、息子は祖父に似て好戦的な男であり、幸いな事に祖父に似ず、戦巧者であった、レイナウトには授けられなかった天運と軍事の才がある、それを認めてさっさと後を継がせたのだが、それはどうやら間違いでは無かったらしい、少なくとも今日この場ではそう思え、嘗ての大戦でもそう実感している、

「おう、これは楽しい話だ、愉快な事だ」

ガッハッハとレイナウトは笑いだす、一体何を言い出すのやらとカラミッドの従者達は顔を顰めるが、レイナウトの人となりを知る従者達はニヤリと微笑んだ、

「そうかな?」

「だろうよ・・・フンッ、しかし、ボニファースへ向けようと鍛え上げた軍勢をこちらに割かねばならぬのは不愉快だ・・・そればかりは心残りだな・・・」

「・・・なに、お前は若い、次もその次もあろう」

「そうだがな、昨日のあれでは、完全に取り込まれてしまう・・・次があるとすれば、少なくとも今の倍は手勢が欲しくなる・・・反抗はより一層困難になろう・・・しかし・・・まぁ、取り合えず目の前の事だな・・・カラミッド、昨日の策で良いのだな?」

クンラートがスッと振り返りカラミッドを睨みつけた、フードの奥に輝く瞳がカラミッドを捉え、カラミッドはそれを正面から受け止める、

「・・・民の事を思えば・・・また・・・敵が多いのは確か、今後それはより増えましょう・・・魔族もあります、蛮族も未だ優勢、都市国家群に・・・」

「分っている、その理屈は王国のそれだ、俺はお前の考えを聞きたい」

「昨日と変わりません、私はモニケンダムとそこに住む者の為に身命を賭しております、そこに害をなす者は相手がなんであろうと出来うる策、あらゆる方策を手繰るでしょう、そしてそこに差し出された助けの手が積年の恨みがある王家であっても握る事に躊躇いはありません、どのような汚名を受けようと誹りを受けようと、愚か者と歴史書に名が残ろうと・・・民とその生活と、土地と財産を守るのが私の使命であります」

「・・・そうか・・・あくまで、モニケンダムの為と言い切るのだな?」

「はい、我が伯爵家、発生来の使命であります、その為には・・・我が命、我が家名・・・如何程の価値がありましょうか・・・」

「わかった・・・致し方ない・・・今般は・・・いや、今度もだな、あやつらと手を組むしかないようだ・・・」

クンラートが苦々しく口にするが、その顔は奇妙に歪んでいる、王族と手を組む不愉快さと、新たな合戦が始まる喜びに顔の筋肉が同時に反応してしまっているのだ、幸いにもその顔はフードに隠れ見えなかったが、

「フン・・・ようやくか?」

「ようやくだよ、親父殿・・・」

レイナウトがやれやれとクンラートを睨み、クンラートは微笑みで返す、そして、

「さてだ、リンド、少し話せるか?」

クンラートが一行からやや離れた場所、転送陣のすぐ近くで待機しているリンドへ視線を向けた、一同の目がリンドに向かい、リンドは静かに低頭し、

「はい、私が話せる範囲であれば」

と慇懃に答える、

「それでいい、親父、カラミッドも残れ、他は周囲を探索、我等の話は聞くな」

明確な指示である、ようは人払いなのであるが、場所が場所であった、フォンスら従者達はその意を汲むのは当然であったが、さてどうしたものかと周囲を見渡す、巨大な岩塊の隙間で、通路のように細くうねった狭間しか無いこの地では主の声が届かない場所を探すのも一苦労で、さりとてこの地に主を残して転送陣へ入るわけにもいかなそうである、

「あー・・・それでは、向こうに、もう少し広い場所があります、そちらに待機しております」

フォンスがすぐに勘付いてクンラートに確認する、この面子であれば荒野に詳しいのは自分だけで、それでもたかだか数日程度の先達でしかなかったが、この地に不案内な従者達をまとめられるのは自分しかないであろう、

「あぁ、頼む」

クンラートの許可を受け、フォンスは頭を垂れると先に立った、ゾロゾロと従者達が従い、その背を見送ってリンドがゆっくりと近寄る、

「どのような御用件でしょうか?」

ニコリと微笑むリンドであるが、やはりその顔はフードに隠れて見えない、とてもではないがゆっくりと話せる場所でも状況でもなかった、

「うむ、まずは聞きたい、タロウだな、あの平民はあれだろう?英雄の一人であろう」

クンラートはあっさりと切り出した、エッとレイナウトとカラミッドがその顔を見つめる、

「・・・確かにその通りであります」

リンドがさらにあっさりと認めた、レイナウトとカラミッドの顔がリンドに向かう、

「だろうな、聞いた事があると思っていたのだ、珍しい名前だな・・・とな・・・しかし、いまだにクロノスとつるんでいるとは思わなかったな、あれだろう、何とかって女、今は学園の講師であったか?あれとやくざ者もいた筈だが・・・」

「はい、どちらも協力者でございます」

「そうか・・・情報は間違っていなかったな・・・フンッ、あの時に出遅れなければな、お前も英雄達も取り逃さなかったものを・・・しくじったわ」

「かもしれませんね」

リンドがニコリと微笑む、

「で、クロノスはそいつらを使って何を考えている、王になるつもりか?」

クンラートの瞳が怪しく輝いた、レイナウトとカラミッドは少々混乱しながらも、その懸念もあったとリンドの言葉を静かに待つ、二人はイフナースの生存を知っているが、まだクンラートには伝えていなかった、レイナウトが止めていたのである、実はクンラートとイフナースには少しばかり因縁があり、その点を配慮した形となっている、つまりクンラートの心中では、クロノスが王太子としてその立場を確固たるものにする為に昔の仲間を使っており、そこに偶々帝国軍の侵攻が重なったとの筋書が朧気ながら出来ていたのだ、それを今クロノスの腹心であるリンドに正面から問い質しているのである、レイナウトであればもう少し腹芸を交える事も出来たと思うが、クンラートは軍人らしい直情傾向の男で、その点はクロノスによく似ていた、

「・・・それはありませんね、クロノス殿下は自分には政は不向きであると、そう公言していらっしゃいます」

リンドがこれまたハッキリと答えた、三人はムッとリンドを睨みつけ、その真意を探ろうと試みるが、フードの奥に顔が隠れている為難しかった、

「真か?」

「はい、パトリシア妃殿下もそれがいいわねと納得していらっしゃいます」

「待て、では、次代はどうする」

「どうとでも・・・公爵家の有能な男子を向かえる計画もあります、王家は・・・大きいですよ」

ニヤリとリンドが微笑んだらしい、しかし、三人にはそれが見えなかったが、

「フェルベークとボスフェルトか?」

「はい、どちらも優秀な子に恵まれている様子、王家としては大変に楽しみでございます」

「ぬかせ、フェルベークはまだしも、ボスフェルトの現状を理解していないわけでは無いであろう」

「・・・ほう・・・それを御存知とは・・・流石でございます公爵閣下」

リンドが厭らしい笑みを浮かべるが、無論それは他の三人には見えていない、リンドもまた三人の反応を見る事は出来なかったが、恐らく大きく歪めている事であろう、クンラートが口にしたフェルベークとは王国の西南一帯を治めるフェルベーク公爵家の事である、現当主はボニファースの叔父にあたり、先代王の弟である、男子が三人、女子が四人おり、王族とは友好関係を築いている、対してボスフェルトは王国の西北を治めており、現当主はボニファースの甥に当たる、問題はその地がかつては別の王国であった事にある、王国に吸収されるにあたり、為政者の尽くが粛清され、ボスフェルト公爵家が統治する事となった、ボスフェルト公爵家は充分に善政と言える政に励んでいるが、それでも独立思考の強い地方であり、大きな騒乱は無いが、小さい事件が散発している、また、若いボスフェルト公爵その人を担ぎ上げ王位に就けようとする勢力も暗躍しているらしい、ヘルデルのように表だって軍を揃える事まではやっていない様子であるが、それも状況次第ではどう転ぶか分らない状態である、そして何よりも王家とその中枢が問題視しているのはその裏で様々な手引きをしているのが誰でもない、クンラートとレイナウト、今リンドの眼前にあるこの二人である事であった、

「フンッ・・・これでも耳は良いのでな、遠くの音ほど良く聞こえるものだ」

「それは重畳でございます、しかし、聞こえ過ぎるのも問題かと、あるいは、届け過ぎ・・・ですかな?」

リンドがさらに微笑み、クンラートがフンッと鼻で笑った、どうやらこちらの動きはある程度把握している様子である、その上で昨日の友好的な提案を持って来たという事のようだ、これは敵に塩を送る等という生易しいものではなく、王家としてはコーレイン公爵家を敵視していないとの意思表示なのであろう、もしくは敵として認知すらしていないという事である、

「・・・随分舐められたものだな・・・」

諸々を察してレイナウトが苦々しく口を開く、クンラートに表舞台を任せ暗躍し続けていたのは誰でもないレイナウト本人である、その労苦も投入した財も悪戯で済む規模では無い、

「いいえ、そのような事は決して・・・陛下の言葉を使わせていただければ、出来の悪い臣もまた臣、この国を構成する大事な民であり、守るべき配下である・・・との事です」

「フンッ、戯言を」

「いいえ、真実でございます」

「・・・そうか・・・」

クンラートとレイナウトは憎々し気にリンドを睨みつけ、カラミッドはこれは困ったなと額に汗を滲ませる、カラミッドとしても二人が陰に陽に王家打倒を掲げて動いている事は理解していたが、その内容までは把握していない、そしてどうやらそれらの奸計は王家に看破されていたらしい、

「少し考え違いをされている様子ですね」

リンドが静かに切り出す、

「どういう事だ?」

「・・・そうですね・・・一つだけ・・・昨日の会議でも出されなかった情報があります」

「なんだ?何を隠している」

「隠してはおりません、ただ、確証が足りない・・・という事で議題には上げるなとされています、確証があれば情報として提供されていた事でしょう」

「だから何だという」

「はい、魔族です」

「なに?」

「魔族の大陸・・・そう仮称しておりますが、その存在を認知しております」

「なっ・・・」

「事実か?」

「ですから確証はまだ、しかし、確度は高いかと思います、そして問題はかつての魔王・・・どうやらそれと比肩する勢力がその地にはあるという事です」

「なんと・・・」

「それが攻めてくるというのか?」

「いいえ、現時点ではまだ先・・・と報告されておりますが、わかりません、どうやらその地も乱れている様子でして、しかし、これは私の見解になりますが、その地はこちらに比べて恐ろしい程に荒れています、その報告を信じればですが・・・そうなるとこちらの地を知る魔族達はやがて矛先をこちらに向ける・・・こちらの地の方が格段に住みやすい・・・らしいのです・・・これは確実であると考えます」

「待て、その情報は一体誰からのものだ?まさかクロノスがその地を見付けたなどとは言うまい」

「はい、クロノス殿下ではありません、タロウ殿ですね」

「なっ・・・」

「なんと・・・」

あっさりと明かされたその名に三人は愕然とリンドを見つめるしかなかった。
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