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本編

65話 密談に向けて その8

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「あっ、そうだ、フィロメナさんね」

とタロウはポンと手を叩く、何やら思い出したらしい、先程までの打合せはある程度煮詰まり、これ以上やってもキリが無いとなった、結局フィロメナの協力を得られる事にはなったのであるが、問題は技術者であった、実験として実際の染髪行為をする事は可能であるが、やはりその段階から技術の蓄積は進めていきたい、何よりユスティーナに対してタロウはそのように説明しており、エレインもまたそのつもりである、しかし、人がいなかった、生徒達や研究所組は問題外としてマフダとリーニーもまた別途仕事を抱えている、助力や協力は可能であるが、本職として取り組むのは難しいとの事であった、そこで、フィロメナが心当たりがあるその人物と相談してみるとの事で染髪に関しては一旦棚上げとなったのであった、

「はい、なにか?」

フィロメナは笑顔のままにタロウを見上げる、一同の視線の下では今まさにオートミールが焚きあがる頃合いで、ミナは粉砕され粉になった発芽大麦を手にして今か今かとソワソワしていた、

「楽師さんを借りる事って出来る?」

「楽師ですか?」

フィロメナはキョトンとした顔で問い返す、

「うん、ほら、お店で吟遊詩人かな?のお姉さんいるじゃない?一晩借りる事って出来ないかなって思って」

タロウがより詳しく問うがフィロメナはん?と首を傾げ、あっと背筋を伸ばし、

「あぁ、はい、分かりました、演奏の方ですよね」

と表情を明るくする、

「そりゃそうでしょ、他に何があるのさ?」

「いや、そういう趣味なのかなって、年上の人の方がお好みの方もいらっしゃいますし」

フィロメナは朝も早いうちから艶事を連想したらしい、なんの悪びれも無くシレっと口にする、

「フィロメナさん・・・それはないわ・・・」

タロウが流石に呆れ顔となり、

「何言ってるのよ、もう」

マフダがフィロメナに食って掛かる、

「御免なさい、だって一晩借してって聞かれたら、ねぇ」

とフィロメナは言い訳がましく照れ笑いを浮かべた、

「他に言いようがないでしょー、まったく、年がら年中脳みそお花畑なんだからー」

さらに噛みつくマフダである、

「でもさー・・・」

フィロメナが笑いながら反論しようとした瞬間に、

「あー、ごめん、で、借りれる?演奏で」

タロウがそれを遮った、姉妹喧嘩も面白そうではあるが、それはまたもっと余裕のある時で構わない、

「あっ、はい、楽師ですと、二人居りますから、お貸しする事は可能ですが・・・」

フィロメナはしかし、はてどうしたものかと首を捻る、恐らくタロウが考えている事はどこかの宴席で音楽を奏でたいのであろう、その場に楽師を送る事は出来るが、そういう事をやった事例が無かった、その理由としてはフィロメナの店であるセイレーンの羽で雇っている楽師はどらも女性であり、主に夜の仕事となる為他の遊女と同じ扱いをしていた、いくら裏社会を牛耳っているグルア商会とはいえども夕刻を過ぎて女性を一人で街中を歩かせるのは考えられなかったのである、つまりその二人は他の遊女と同じく店の近くの宿舎で生活しており、その送迎もグルア商会の若衆が請け負っていた、

「難しい?」

「・・・どうでしょう・・・そういう依頼をお受けしたことが無いので・・・」

そう答えるフィロメナであったが、グルア商会の若衆さえ付けておけば行きも帰りもある程度は安心できる、どこで仕事をするかにもよるが危ない地域にみすみす近寄るような愚か者はグルア商会に居場所はない、

「そっか・・・いやね、明後日かな?食事会の世話を頼まれてね、そこで演出として音楽があったら面白いんじゃないかなと思ってさ」

タロウの言葉にエレインがパッと顔を上げる、

「食事会に楽師を呼ぶんですか?」

「そうだよ、駄目かな?」

「・・・聞いた事・・・無いですね・・・」

エレインが不安そうに首を傾げた、少なくともエレインの経験上は無い、こちらや都会の貴族社会ではよくある事なのかもしれないが、エレインはどちらの事情にも詳しく無かった、

「そっか、なら逆に良いと思うんだけどな・・・どうだろう?仕事料は奮発できるよ」

エレインの懸念を意に介さずフィロメナに確認するタロウである、

「はい、私の権限で可能は可能です、ただしうちの若いのが護衛につきます、それで構わなければ・・・」

「そのくらいならいいよ、ただ食事会の中にまでは入れられないけどね、その楽師さんのお手伝いって感じで着いてきてもらう分にはこちらとしても問題無いと思うよ」

「であれば、可能ですね・・・」

若干不安そうなフィロメナであった、

「じゃ・・・あー・・・ごめん、エレインさん、ちゃんと打合せが必要かな」

とタロウは水飴の作業は放っておいて二人とテーブルを囲い直す、また何やら画策しているなとカトカは聞き耳を立てマフダはもーとあからさまに義姉を睨んだ。



その頃三階である、サビナが染髪の資料を抱えて戻ると、

「サビナさん邪魔しておるぞ」

学園長がニコリと笑顔を浮かべて振り返る、

「わっ、おはようございます、学園長」

「うむ、おはよう、での、これなんじゃがな」

と学園長は挨拶もそこそこに作業テーブルに並んだ染物へ視線を落とす、その対面にはユーリが立っており、学園長の視界に入らないのが分かっているのか実にめんどくさそうな顔でサビナに目配せしている、

「はいはい、何か?」

「大変に興味深いな、これはあれか、タロウ殿から教えられたと聞いたが・・・」

と学園長は染めた手拭いを持ち上げ表に裏にと確認し、乱雑に表記されただけでまとめていない黒板と照らし合わせている、サビナはバタバタとサンダルに履き替えて二人の元に駆け寄ると、学園長の質問に一つ一つ答えていった、

「なるほど・・・良いな・・・実に良い」

「そうだ、似た事例等はあるものでしょうか?」

「ん?他でという意味か?」

「はい、学園長の資料を見る限りですと、染めるという文化は各地にあるのが分かりますが、このような手法は見当たりませんでしたので」

「おう、確かにそうじゃな、染めるとなると均一に染める技術ばかり高くなっているな、それはそれで中々に難しいのだが、しかし、これは染めないという技術なのであろうな、そこが興味深い」

「染めない技術ですか・・・」

「じゃろう、それも意図して染めないという技術だな、それとどのような結果になるのかが分らない偶然性が相まっておる、それなのにこれほど美しいと感じられる絵柄になるのだ、この美しさは何と呼ぶべきかな・・・」

「タロウさんはワビとかサビとか呼んでましたけど・・・」

「なんじゃそれは?」

「はい、ワビとは足りないという事を尊ぶ価値観なのだとか、それとサビとは古いものとか静かな状況の中に感じる美しさとか奥深さと・・・タロウさんも難しい感覚だと言ってました、言葉で伝えるのはさらに難しいとも・・・」

「ほう・・・」

学園長は小さく吐息を吐いて並べられた染物を眺める、先程迄の動的な観点から一転、静かに呼吸を落ち着け視線を落としている、ユーリとサビナは今度はどうしたのだろうと顔を見合わせ、暫しの沈黙を共有した、

「・・・なるほど・・・確かに足りない、もう少し何かが出来そうだが、それをすると壊れてしまうな・・・この青が寂しくも鮮烈なのじゃな・・・そして古いとは感じないが、それは初めて目にしたからかな・・・それと・・・静かじゃな、それもこの色の為か、そう感じさせるのか・・・その上で確かに美しい・・・なるほど、ワビとサビじゃな・・・ふむ・・・」

学園長は再び黙して染物を見つめる、ユーリとしては何もそこまで高尚なものではなかろうと首を捻り、サビナとしてはやはり学園長をしてその知識には無かった技術なのだなと再認識するに至った、

「うん、サビナさん、これは文化祭で発表するべきじゃな、誰にでも出来るとのことだが、どうだろうかな?」

学園長はスッと静かに顔を上げた、

「そう・・・ですね、昨日下の学生達が作った分もあります、そちらと合わせても良いかと思っておりました」

「ほう、それは何か違うのかな?」

「違いますね、昨日見た感じですと、よりハッキリしております、こちらのろうけつ染めを使っておりますので、名前が書かれているものもありました、意図した絵柄が作れますからね、なので、彼女達らしい実に愛らしい品ばかりです」

「むっ・・・それも良いと思うのじゃが、儂としてはこちらじゃな、この芯のある曖昧な直線、それと円ではあるが人では作れぬ円、こういった偶然が織りなす美というものが良いと思うぞ」

「そうですね・・・でも、そこはほら、各人の好みの問題ですから・・・」

サビナは苦笑いで受ける、

「そうか・・・確かにそうかもしれん・・・しかし、そうか、なるほど、ろうけつ染めであれば意図した柄を作れるか・・・」

「そうですね、ただし細かい絵柄は難しい様子ですね、ミナちゃんはニャンコとかメダカとか描いてましたけど、髭が上手くいかなかったらしくて、キャーキャー言ってましたけど」

「そうかそうか、それもまた良しじゃろうな・・・あれか、学園祭で実際に体験できるとしたら・・・少しばかり難しいかな?」

「出来なくは無いと思いますが、その、大変に汚れます、タロウさんなんか手が真っ青ですから、それと乾かす時間も欲しいですし・・・」

「・・・それもあるか・・・いや、了解した、その辺はサビナさんにお任せしよう、でじゃ」

と学園長は染髪に関する報告をサビナに要求し、サビナはだろうなとおもいつつ試料を開き直す、そして今日二度目となる説明を終えると、

「なるほど・・・なるほど・・・」

学園長は大きく頷きながら試料を見渡した、ユーリは一応と相手をしていたが立っているのもあれだからと傍の椅子に腰を下ろしており、学園長とサビナは立ったままである、

「では、実際に染める作業はまだなのじゃな?」

「はい、それを先程まで下で打合せておりました、遊女さん達に協力をお願いした所ですね、それと実際に関わる人員に関しても」

「ほう・・・そうか、遊女であれば、まぁ・・・あれらは目立つ事がまず大事だからな・・・そこまで考えておったのか・・・」

「そのようですね、この髪もその遊女さん達の御協力で提供頂きましたので」

「なんと・・・至れり尽くせりじゃな・・・しかし・・・」

うん、と唸って学園長は近場の席に腰を下ろす、腕を組みなんとも難しい顔であった、

「あー・・・すまんなサビナさん、少しその・・・ユーリ先生と話したいのだが」

厳しい顔でサビナを見上げる学園長である、ユーリはあらっと顔を顰め、サビナはすぐに察して自分の作業部屋へと移った、

「での・・・儂としては此度の戦・・・何とか止められんかなと思っているのだが・・・」

俯いたまままるで違う話題を口にする学園長である、

「・・・それは難しいかと・・・」

ユーリは驚きつつも若干枯れた声で答えた、学園長とサビナが話し込んでいた為意識して黙っていた故のしゃがれ声である、そして、学園長がゆっくりと話したいと言った目的をやっと理解した、今朝学園に向かい打合せを持ったのであるが、ここではなんだからと二人はユーリの研究所へ場所を移したのである、どうやらこれが今日の本題であったのだろう、

「そうだろうか・・・タロウ殿にな、その荒野の端の町に連れていかれてな・・・この帽子もそうなのだが・・・あちらはあちらでやはり良い文化がある・・・儂としては・・・もう少し若ければ・・・あのまま帝国とやらを放浪したいと思ってしまってな・・・」

「でしょうね」

ユーリは柔らかい笑みを浮かべた、ユーリが学園長に師事した頃はユーリは子供で、学園長もまだまだ若いと言える年齢で、今よりも髪は多く、筋骨は逞しく、今以上に活力に溢れていた、王国内を勝手気ままに放浪している学者であると、何とも胡散臭い事を言って村に居着き、金があれば毎晩のように誰彼と酒を呑み、翌日の授業では見事な二日酔いであった事もある、ソフィアと共に駄目な大人だとからかった事もあった、

「難しいであろうな、こちらが攻めるわけではない、向こうから来るのだ、儂がどうした所で諫められる問題ではないし、恐らく言葉も通じない・・・」

「確かに・・・」

「ユーリ先生としてはどう考えるかな・・・昨日も御前会議に呼ばれてな、その食事会の件も聞いておるし、その席に招かれてもいるのだが・・・」

「どう・・・と言われても困りますが・・・私としては・・・」

とユーリは少しばかり言葉を探した、ユーリもまたここ数日バタバタとしているが一人になるとどうしても考えこんでしまっている、ユーリ個人は大戦を経験しているとはいえ、あれは魔族との争いであって、人と人との戦争では無かった、故にどこまでも魔族を憎むことが出来たし、ゴブリンやオークを殺傷することになんの疑問も感じなかった、しかし、今度は違う、まだユーリは目にしてはいないが相手は明確な同族である、どうやら肌の色やら髪の色やらと少々違う事はあれど、立派な人で立派な国であるらしい、冒険者時代には野盗やごろつきを相手にする事もあったが、それとこれとはまた違うであろう、まるで想像できない事であった、

「そうですね、血の気の多い者は多いです、どのような国にもどのような組織にも、個人差はあれどこれはどうしようもなく存在します、そして、人は英雄を求めます、自分より上の者に・・・英雄が上に立てば良いのでしょうが、そうでない場合は、英雄になるしかありません、恐らく先方にはそのような理屈があるのではないかと思います、耳にする限りで分析しただけですが」

「それはタロウ殿も言っていたな・・・箔をつける為の戦争か・・・」

「はい、特にかの国は巨大な国であるとも聞きました、そのような国はより巨大な英雄が欲しいのかと・・・そう感じます、と同時に軍を強く維持する為には実戦が不可欠です、あれは訓練どうこうで慣れるものでは決して無いですね・・・」

「なるほど・・・」

二人は午前の柔らかい陽光の下、ゆっくりと互いの思考を交換するのであった。
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