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本編

65話 密談に向けて その4

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それからもう暫くして三階の研究所では、ゾーイが作業部屋で一人背を丸めて工作中であった、使い古しのインク壺をかき集め洗浄し見た目が綺麗なものを選別すると、それに光柱魔法の魔法陣を刻む、昨晩タロウとの打合せで本格的に作る事を依頼されたものであった、

「こんなもんかな・・・」

とゾーイはうーんと背を伸ばした、朝から一人静かな空間で作業を続けていたのであるが、流石に疲れたかなと完成した壺を見渡し小休止である、完成した壺は五つ、テーブルの端に並んでおり、それらは競うように光の柱を天井に伸ばしていた、ゾーイが見る限りではそれらに差異は無く自分で言うのもなんだが良い出来だなと思う、

「さて・・・」

とゾーイは腰を上げてどうしようかなと室内を見渡した、使い古しのインク壺でヒビも割れも無く傷も無い壺はこれだけであった、タロウの使用目的を考えると壺そのものの見た目にも拘らないととゾーイは考えている、イフナースが主催する食事会を彩る趣向の一つであり、公爵と伯爵を迎える品なのである、ゾーイとしてはインク壺のような装飾も無い安い品ではなく、貴族の食卓を飾る調味料の壺を使えば良いとも思ったのであるが、タロウ曰く、インク壺のような簡素な品であるからこそ都合が良いとの事であった、どうやら別に何やら考えているらしく、その壺自体が表に出る事は無いとの事で、ここでもタロウは多くを語らなかったが、そう言われてもやはり壺そのものには拘ってしまうゾーイであった、見えない所にも手を抜かない、ゾーイの少しばかりの美意識と矜持の発露である、

「お疲れさん」

そこへ、ユーリがフラフラと転送室から入って来た、

「お疲れ様です、どうでした?」

ゾーイがパッと振り返る、

「どうしたもこうしたも無いわよ、なんとかかんとかねー」

ユーリはヤレヤレと一息吐いて傍の椅子を引いて腰を下ろし、

「あら、もうそんなに作ったの?」

と五本の光柱を眩しそうに見つめる、

「そうですね、もう慣れたもんです」

「そっ、それは良かったわ、道具類はもう使い慣れた?」

「そっちもバッチリです、ここの道具は使いやすいですね、カトカさんとサビナさんに感謝ですよ」

ゾーイがニコニコと先程迄手にしていた工具類に視線を落とす、それらは研究所の三人が日々研鑽し作り上げた作業用の小さな細工用工具であった、カトカとサビナが主に担当していたが陶器板に魔法陣を刻む為に使用されているものである、かぎ爪状のものから先端だけをナイフ状にしたもの、三角の刃が付いたもの等とても魔法の研究所とは思えないものばかりであった、

「そうよね・・・それもいろいろあってね、フフッ、私もあの二人には感謝しないとな・・・」

ユーリが思い出し笑いを浮かべて微笑む、

「ありゃ・・・お疲れですか?」

「そう見える?」

「はい、まだ午前中なのに」

「そうよねー、まだ午前中なのにねー、困ったもんだ」

ユーリがゆるゆると腰を上げた、そしてアッと呟いて中腰のまま、

「そうだ、あんたどこまで聞いてるの?」

とゾーイを見つめる、

「何をですか?」

ゾーイは首を傾げて問い返す、

「今回の件・・・のあらまし」

ユーリは座り直すと真面目な顔でゾーイを伺う、

「あらまし・・・ですか?その・・・昨日タロウさんからもどこかで聞いてるかもって言われましたけど・・・」

ゾーイはうーんと首を捻る、正直な所イフナースからもリンドやアフラからも正確な事は聞いていない、無論ロキュス達との接触も無い為、政権中枢からの情報も無い、そちらは王都に居た頃からそれほど耳にはしていない事柄ではあったが、

「聞いてないか・・・」

「そう・・・ですね、私はあの、殿下の修行とかリンド様やアフラ様のお相手で手一杯で、特には・・・その・・・」

「そうなのね、私はまたその御三方から聞いたかなと思ったのよ、昨日の感じだとタロウもそう思っているみたいだけどさ」

「そうみたいですね、はい、どのことなのかなって私もちょっと悩みました」

「そうよね、うん、分かる・・・じゃ、どうしようかな、貴方には話しておいてもいいと思うんだけど・・・他言は駄目よ、それとこれ関係で質問も無し・・・特に上の人には間違っても聞いちゃ駄目、カトカとサビナにも話しちゃ駄目よ」

ユーリは落ち着いた口調で怖い事を言い出す、そこまでの重要機密なのかとゾーイは小さく息を呑んだ、

「でね・・・」

とユーリがどこから話すべきかと思った瞬間に、

「すいません、それほどの事であれば知らない方が宜しいかと」

ゾーイはおずおずと切り出す、ロキュスの下にいた時もそうであったが知らない方が良い事が多分にあった、ゾーイの経験上そういった事はまずは耳に入れないのが得策である、知ってしまえば何らかの対応が必要になるし、黙っていることそれだけでも苦痛に感じる場合がある、

「そっ・・・賢いわね・・・」

ユーリはニヤリと微笑んだ、ユーリとしては便利に使える手駒を増やしておこうとの思惑があったが見事に拒否された形になる、と同時にゾーイの聡明さに感心してもいる、女性はとかく秘事に首を突っ込みたくなるものであるが、それを理性で押さえる事の出来る者は少ない、ゾーイはどうやら感情よりも知識と経験に重きを置く女性なのであろう、

「はい、申し訳ないのですが」

「べつにいいわよ、それが正しいと思うしね、ただ、殿下とかからポロッと聞くかもしれないから、その時には甘んじて受け入れなさい、あの人達も人の子だからね、どうしても油断する時もあるだろうし、常に緊張している人ってのもいないしね」

「はい、肝に銘じます」

ゾーイはスッと背筋を伸ばした、

「そうね、そうしてもらえると嬉しいかな・・・じゃ、貴女は知らないって事にして・・・そうなると・・・やっぱり私が動かなきゃかな・・・あー、めんどくさい」

ユーリはガクリとわざとらしく項垂れて溜息交じりに文句を垂れる、

「そんな・・・えっと、頑張って下さい」

ゾーイは苦笑いで心無い応援を口にする、

「そうね・・・まったく、あー、愚痴は聞いてくれる?」

ユーリがムクリと顔を持ち上げた、

「愚痴であれば」

ゾーイは苦笑いのまま答える、

「ありがたいわね、でね」

とユーリがニヤリと微笑んだ瞬間、

「だから、難しくは無いだろう?」

「はい、確かに」

「そうですが、体重を支えられるとは思えないんですよ」

「だから、それはやってみないとだべさ」

「だべさって・・・」

「だべさだよ」

転送室からドヤドヤと男達が入って来る、タロウを先頭としたブラスとリノルトでブラスは豪奢な椅子を胸に抱えていた、

「あー、何よ、あんたら何処行ってたの?」

ユーリがゆらりと振り返り、

「お疲れ様です」

ゾーイがまた間の悪い時にと目を細めた、

「ん、あ、お疲れ、あっ、早速作ってくれたのか?」

タロウの視線はゾーイを飛び越えて光柱に向かい、その後ろの二人はオッと目を見張っている、

「あっ、はい、取り合えず5つ程、一応見た目が良い壺を選びましたが、取り合えず調子を見てます」

「そっか、ありがとう、そうだ、ブラスさんね、これの台座も作って欲しいんだよ」

「台座ですか?えっ、でもこれって、あれのあれですよね」

豪奢な椅子を床に置いてブラスが光柱を見つめる、リノルトもこれは凄いと目を奪われていた、

「あれのあれの意味が分らんが、たぶんそれだ、でね」

とタロウはズカズカと歩を進めて壺の一つを手にすると、

「あー・・・ゾーイさん陶器の皿有る?できれば磁器がいいかな・・・白いやつがいいんだが」

と実に遠慮が無い、

「えっと、皿ですか?・・・すいません、サビナさんに聞いてみないと何とも・・・」

ゾーイは周囲を見渡して困惑した、研究所に世話になって日も浅く、どこに何があるかなんてまるで把握していない、

「そっか、じゃ、御免、戻るぞ」

「えっ」

ブラスとリノルトが同時に驚いた、

「あっちなら色々あるからな、便利に使わせてもらおう」

タロウは壺を手にしたままズカズカと来た道を戻り、ブラスとリノルトは困惑しつつ着いていくしかないようで、それでも二人は何とかユーリとゾーイに小さく会釈をして転送室に消えた、

「何だありゃ・・・」

思わず毒づくユーリである、タロウは見事なまでにユーリを視界に捉えてなかった、ガン無視といった感じである、

「・・・まったくですね・・・」

ゾーイも渋い顔で呟く、

「もう、まぁいいか、あれがあーなると止まらないのよね、邪魔するとめんどくさいし」

ユーリは大きく溜息を吐くと腰を上げた、

「そうなんですか?」

「そうなのよ、あれも波が激しい男だからね、動きだすとあんな感じなのよ、下手に関わらない方が身の為だわね、関わっているけどもさ」

「そうですか・・・」

ゾーイは何とも返答に困る、

「じゃ、どうしようかな、一応下も見てみるか、ゾーイさんは下は見た?」

下とは食堂の事であろう、カトカとサビナが実験中である、

「まだですね、私もさっき一休みしようかと思ったところでした」

「そうなの?邪魔したかしら?」

「そんな事は全然」

「あー、御免ね気を使わせて、じゃ、気分転換に下を覗きましょう」

「そうですね」

二人はニコリと微笑み合うと階段へ向かった、その問題の下では、

「やはり金髪が一番染まりやすいんですね」

「そりゃそうだろうねー」

「うー、これでいいのー?」

「これでいいのよ」

「そうなの?」

「そうなの、分かんない?」

「今一つー」

「そっかー」

と女性達は染め上げた髪を見下ろし評価中であった、金髪、赤毛、黒髪に大別された試料はそれぞれに染料に漬ける時間を変更されタロウの計画通りに作業が進んだようで、数十本の髪の房がテーブルに広げられた白い布の上に整然と並んでいる、その様は当初の恐ろし気な印象から大きく変り、その色味もあってか毛糸の束を並べたような華やかで楽し気な雰囲気となっていた、

「サビナ先生としてはどうなのじゃ?」

それらを見渡してレアンがサビナの意見を求める、

「はい、タロウさんからも事前に聞いてはいたのですが、まずこの染髪という技術も職人的な感覚が必要であるとの事でして、その言葉を裏付ける感じですね・・・」

サビナは試料を眺めながら黒板に何やら書き付けており、

「そのようね、それはあれかしら、狙った色で染めるって所が難しいという事なのかしら?」

ユスティーナもすっかりと染色実験に嵌っていた、なんと自ら手を伸ばして試料を洗浄し、マルヘリートもいつの間にやら腕まくりをして作業に巻き込まれている、勿論レアンもミナと戯れつつ作業を手伝っていた、

「はい、この青とこちらの青は全然違いますし、特にヘナで染めた場合は経過時間によって色が大きく変りますね、これは難しいかもですね・・・」

「商売的に考えると確かにそこが難しいですわね」

エレインも顎に手を当ててうんうんと頷いている、

「ですよね、地毛の色にも左右されておりますし、太さも考慮する必要がありますね、染まり方が違います、タロウさんが実際の髪を使わないと駄目だと言った理由も良く分かります」

なるほどと大人達は同時に頷いた、サビナの分析の通りに、ヘナを使った染髪だと色が大きく異なることが一目瞭然で、短い時間だと橙色に、長い時間だと赤色に染まっている、インディゴの方も同様で、こちらは青である事は確かなのだがその濃さはやはり時間によってより濃い青色に染まっていた、また、金髪と黒髪ではまるで異なる発色を示している、青と言ってもこれ程に違うものかと、興味深い事象であった、

「ですがこれを例として見せる事は出来るのではなくて?」

「はい、そうなんですよね、タロウさんもその為だよとは言ってました・・・って、見事にタロウさんの思惑通りですね」

サビナは渋い顔で口の端を上げる、

「そのようねー」

ソフィアがニヤニヤと微笑む、ソフィアとしてもこの実験は何気に興味深かった、以前放浪中に見かけた時には随分派手で下品だなと感じたのであるが、その裏にある職人的な技術を体験してみると、これはこれでやはり面白いものなのだなとその考えを改めている、そこへ、

「わっ、ユスティーナ様、御機嫌麗しゅう」

ダカダカと遠慮なく靴音を響かせて下りて来たユーリがビタリとその動きを止めた、

「あら、ユーリ先生、御機嫌よう」

ニコリと微笑むユスティーナである、

「えっと・・・ユスティーナ様も実験を?」

恐る恐るとユーリは問いかけ、やがてユーリとゾーイもその輪に巻き込まれるのであった。
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