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本編
62話 アメとメダカとお嬢様 その10
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「まぁ・・・」
「あれは何ですか?」
女性の驚いた声と子供の若干甲高い声が廊下に響く、それとは別に幼児であろうか、ウーアーと意味を為さない声も混じって聞こえた、店舗内に入らず廊下で足を止めてしまう客は多い、ガラス鏡を初めてみる者は大概そうで、ここ数日の貴族の客の反応は皆そうであった、商売人の客はギルドでも全身鏡を目にしており、お披露目会の際にも目にしている者が多い為そういった事は少なくはなったが、それでも初見の者はいる為、既に目にした者がその連れをニヤニヤとからかうように笑うのがそちらはそちらで定番の光景になりつつある、
「えっ・・・」
エレインがピクリと反応する、テラやメイド達は居住まいを正し、アフラの言う重要なお客様のその一歩を持っている、これもまたいつもの事である、
「さっ、どうぞ、パトリシア様がお待ちです」
アフラが入室を促したようで、それでもややあって、貴族風の女性が一人、その足元にまといつくように男児が一人、そしてその御付きの者であろう、高齢の従者が幼児を抱いて入ってきた、
「ふふっ、お久しぶりね、マリアさん」
パトリシアは笑顔でその家族を迎えた、
「パトリシア様、お招き頂きましてありがとうございます」
マリアは深々と腰を折り、
「御機嫌麗しゅう、パトリシア様」
足元の男子も恭しく頭を垂れる、
「あら、相変わらず出来た子ね、お久しぶりイージス」
パトリシアは優雅に微笑む、テラ達はどういう関係なのかなと一瞬訝しく感じるが、低頭したまま様子を伺い、エレインは二人の姿を前にして完全に硬直してしまっていた、
「ふふっ、御免なさいね、座ったままで、すっかり大きくなってきてね」
「そんな、それは順調な証です、何よりですわ」
「そうね、皆がそう言うのよ、私としてはさっさと出てきて欲しいのだけどね」
「待ちきれないですよね」
「そうなのよ、最近だとお腹の中で動くのが分るの、聞いてはいたけど不思議なものよね」
「そうですね」
パトリシアとマリアは優しく微笑み合い、足元のイージスはその生真面目さもあって二人の会話を静かに聞いているが、やはりそこは子供である、若干ソワソワと落ち着きが無い、
「そうだ、でね・・・」
とパトリシアがさらに話しを続けようとするが、チラリとエレインを伺い、
「ふふっ、ほら、エレインさん大事なお客様よ、挨拶くらいしないとでしょ」
と意地の悪い笑みを浮かべる、
「・・・あっ・・・えっ・・・」
エレインは呻くように呟く、まるで言葉になっていない、テラがどうしたのかと顔を上げるが、見ればエレインはツーと涙を流し、硬直したままイージスを見つめていた、
「もう、パトリシア様もしかして、お話して無かったのですか?」
マリアが落涙しながら固まるエレインを見て優しく微笑む、
「あら、大事なお客様とは伝えたわよ、ね、アフラ?」
「はい、そのようにお伝えるようにとの仰せでしたので・・・そのように」
ニヤリと微笑むパトリシアと素知らぬ顔で答えるアフラである、
「悪戯が過ぎますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ、エレイン、元気そうね」
やっとマリアがエレインに正対し、
「エレイン叔母様、お久しぶりです」
イージスがペコリと頭を下げた、その瞬間、
「あー、イージスー、会いたかったー」
エレインはバッとイージズに駆け寄り思いっきり抱き上げる、イージスは突然の事であるが身動きせずにそれを受け止めされるがままであった、
「うー、会いたかったよー、イージスー」
従業員の前であるにも関わらず遠慮無く泣き叫ぶエレインである、従業員達は状況が理解できずポカンとその様を眺めるしかなく、テラとケイランはエレインの子供好きには薄々感付いていたのであるが、何もそこまでと言葉も無い、
「こら、エレイン、皆さんが呆れてます、しっかりなさい」
マリアがエレインを叱責するもその顔は何とも優しい、
「あー、こうなるのかー」
パトリシアはニヤニヤと微笑み、
「流石にやり過ぎましたか・・・」
アフラも微笑ましく眺めつつも反省の言葉を口にする、
「でもねー、先に言ってもつまらないじゃない?」
「それがやり過ぎなのです」
アフラがジロリとパトリシアを睨む、そうかしらとすっとぼけるパトリシアであった、そして、イージスが流石にジタバタと苦しそうに暴れ始め、
「エレイン、その辺にしなさい、イージスが苦しそうです」
「あっ、そうね、大丈夫、御免ね、痛くした、大丈夫?」
エレインは慌ててその抱擁からイージスを解放し優しく下ろす、
「大丈夫です、叔母様も元気そうで何よりです」
イージスはニコリと微笑む、
「あー、イージス、何ていじましい・・・もうー」
「こら、いい加減になさい」
再びイージスを抱き上げようとするエレインをマリアが流石に遮った、エレインは涙と鼻水でグチャグチャになった顔で不満そうにマリアを見上げる、
「もう・・・ほら、顔を拭いて、酷い顔よ、皆さんにも恥ずかしいし、イージスの教育に良くないわ」
「そんなー」
涙で崩れた顔をさらに顰めるエレインにマリアは懐から手拭いを差し出すと、
「綺麗な顔にならないと、マリエッテに変な顔の叔母さんって覚えられちゃうわよ」
「マリエッテ・・・」
「そうよ、連れて来たの、マリエッテ」
マリアが従者に目配せすると、従者がその胸に抱く幼児をエレインにクルリと向ける、
「マリエッテー、エレイン叔母さんよ、初めましては?」
マリアが幼児に話しかけるが、幼児はウーアーと呻きつつ両手をマリアに向ける、
「母様、マリエッテはまだ話せないでしょう」
イージスが冷ややかにマリアを見上げた、
「寂しい事言わないの、マリエッテはちゃんと分ってますよ」
「そうなのですか?」
「そうよ、ほら、エレイン・・・」
マリアに呼ばれたエレインであるが、エレインはエレインで再び完全に固まっていた、初めて会う姪のその愛くるしい様に完全に心を奪われてしまっている、
「・・・マリエッテ?」
「そうよ、話したでしょ、前はほら小さすぎたからね、連れてくるのは難しかったけど、もう一人で歩けるのよ、大丈夫かなと思ってね」
「そうなんですよ、叔母様、見てないとどっか行っちゃうんですよ、フラフラしながら」
「イージス、赤子とはそういうものですよ」
「ですが、何でも口に入れちゃうし、すぐに投げるし、赤子は良くないです、泣いたら止まらないし」
「あなたもそうだったのよ」
「覚えてないです」
親子の親子らしい会話であるが、その一言足りともエレインの耳には入っていないようで、エレインは思わずゆっくりとその両手が伸びる、するとマリエッテの瞳がエレインに向かい、そして、その瞳が大きく開くと、ニパーと輝くような笑顔を向け、
「バー、バー」
とエレインへ両手を振り回した、
「あら、ほら、エレイン抱いてあげて」
エレインはエッと驚いてマリアを見つめる、
「軽いですよ、暴れますけど」
イージスが奇妙な助言を付け加える、エレインは再びエッと驚いてイージスを見下ろした、
「ほら、マリエッテも抱いて欲しいって、ねー」
マリエッテは短い腕と短い脚をエレインに向けて必死にバタつかせており、
「・・・あの、あの・・・」
エレインはすっかり混乱してワタワタと視線を走らせる、
「ふふっ、もう首も座ってますから、抱き上げるだけで大丈夫よ」
マリアが目配せすると、従者が一歩進み出てエレインの胸にマリエッテを預けた、エレインはそっとマリエッテを支える、赤子の抱き方等知る由も無かったが本能的なものなのであろうか、右腕を椅子のようにしてマリエッテの尻を乗せ、左手でその背中を抑える、瞬間、マリエッテは嬉しそうに、キャッキャッとはしゃぎだす、
「あら、分るのかしら?」
「母上、さっきマリエッテは分っているっておっしゃったじゃないですか?」
「それもそうね」
「適当なんだからー」
イージスのおしゃべりもここ数か月でだいぶ達者になったようである、元より賢い子供であったが、妹が出来た事により兄としての自覚も芽生え、大人ぶっている感すらある、
「あー、あー、うー」
対してエレインはその胸にマリエッテを抱いて何とか話しかけようとするがまるで言葉にならない、マリエッテの真似をしているのか呻き声しか発せず、それでもマリエッテはエレインの顔をペチペチと叩いてはキャッキャッと微笑む、そこへ、
「男に泣かれるのはもう飽きたのだ」
「そう言われましてもですね」
「挙句、どいつもこいつも俺より年上だぞ、まして軍人だ、人の顔を見ては泣きじゃくりおって、全軍団を鍛え直すぞ」
「そんな事をおっしゃらずに」
男性の声が二つ廊下に響き、そのままズカズカとイフナースと如何にも軍人らしい逞しい男性が入ってくる、
「おわ、何事だ?」
しかし、イフナースはその足をすぐに止め、男性は室内を見渡し、ガラス鏡に驚いてこちらも足を止める、
「あら、イフナースどうしたの?」
パトリシアが満足そうな笑みを湛え、
「ああ、イザークがめんどくさくてな、細君、こいつはあれか、酒でも入れて来たか?」
「そんな、パトリシア様のお召しにそのような事は決して」
「そうか、それより、どうした、エレイン嬢、随分とまた・・・」
完全に空気を読めない存在と化したイフナースである、しかし、マリエッテを抱き、これ以上ない程に幸せそうな笑みを浮かべるエレインの立ち姿に言葉を無くして魅入られた、
「そうだ、イザーク様、お会いするのは二度目かしら?」
マリアがガラス鏡を見つめて呆けているイザークに声を掛ける、
「ん、あぁ、どうした?」
「どうしたもなにも、妹のエレインです、お会いするのは二度目ですよね」
「あっ、あぁ・・・」
イザークはガラス鏡に気を取られながらもマリアに近寄る、従者がサッとその場を空けた、
「エレイン嬢かな、イザークだ、殿下に仔細は伺った、素晴らしい功績と思うが・・・どうかされたか?」
イザークが我が娘を抱き、その娘に完全に心を囚われてしまったエレインを見下ろす、
「ほら、エレイン・・・まったく、マリエッテ、さ、こっちに」
マリアがこれはいかんなとエレインの手からマリエッテをそっと受け取る、エレインは無意識に若干抵抗してしまうが、ハッと我に返ると、慎重にマリアに渡し、
「エレインです、えっと、イザーク様、御無沙汰しております」
やっとそれなりの挨拶を口にして低頭する、イザーク・クイ・レイモンドは第八軍団軍団長補佐を本業とし、子爵家の長男である、故に現当主の跡を継ぐのは確実であった、マリアの夫であり、イージスとマリエッテの父親である、
「あぁ・・・うん、何かと苦労した事は聞いている、私としても何か出来ればと思っていたのだが、戦場を駆けずり回る日々でな、力になれなかった事、申し訳なく思う」
イザークは用意していたであろう言葉を口にした、今朝になって漸くマリアから今回の呼び出しの真相を説明され、それはとても納得できる事ではなかったが、愛する妻の妹であり、王族とも懇意にしていると聞き、形だけでも整える必要があると考えていたのであった、しかし、そのような薄っぺらな言葉はどうやら必要では無かったらしい、
「そんな・・・すいません、その・・・」
エレインは手拭いに顔を埋める、どうやら少しばかり冷静になり、自分の有様に恥ずかしくなったようであった、
「父上、エレイン叔母様は泣き虫なんです」
イザークがどこまで理解しているのか知った風な事を口にした、
「そうか、まぁ、久しぶりにマリアと会えたのだ、そういう事もあろう、お前は前にもお会いしていたな」
「はい」
「そうか、あっ、申し訳ありません、パトリシア様」
イザークはハッと顔を上げてパトリシアに向き直る、何とも忙しい事であった、
「構いませんよ、イフナース、そっちの件は終わったの?」
「あっ、はい、こちらはほれ、挨拶程度になってしまいました、忙しいのは明後日からですよ」
イフナースもハッと我に返って事務的に答えた、
「そう・・・じゃ、テラさん、エレインさんはこんなだから、ちゃんとお店の方案内してあげて、エレインさん、ほら、座って、イザーク、マリアさん、ゆっくりお店を楽しみなさい、エレインさんの努力の結晶ですからね、イージスもね、珍しい物がいっぱいよ・・・マリエッテちゃんはそうね、エレイン叔母さんに預けちゃっていいわよ・・・少し不安かしら?」
パトリシアがニコニコとその場を収めた。
「あれは何ですか?」
女性の驚いた声と子供の若干甲高い声が廊下に響く、それとは別に幼児であろうか、ウーアーと意味を為さない声も混じって聞こえた、店舗内に入らず廊下で足を止めてしまう客は多い、ガラス鏡を初めてみる者は大概そうで、ここ数日の貴族の客の反応は皆そうであった、商売人の客はギルドでも全身鏡を目にしており、お披露目会の際にも目にしている者が多い為そういった事は少なくはなったが、それでも初見の者はいる為、既に目にした者がその連れをニヤニヤとからかうように笑うのがそちらはそちらで定番の光景になりつつある、
「えっ・・・」
エレインがピクリと反応する、テラやメイド達は居住まいを正し、アフラの言う重要なお客様のその一歩を持っている、これもまたいつもの事である、
「さっ、どうぞ、パトリシア様がお待ちです」
アフラが入室を促したようで、それでもややあって、貴族風の女性が一人、その足元にまといつくように男児が一人、そしてその御付きの者であろう、高齢の従者が幼児を抱いて入ってきた、
「ふふっ、お久しぶりね、マリアさん」
パトリシアは笑顔でその家族を迎えた、
「パトリシア様、お招き頂きましてありがとうございます」
マリアは深々と腰を折り、
「御機嫌麗しゅう、パトリシア様」
足元の男子も恭しく頭を垂れる、
「あら、相変わらず出来た子ね、お久しぶりイージス」
パトリシアは優雅に微笑む、テラ達はどういう関係なのかなと一瞬訝しく感じるが、低頭したまま様子を伺い、エレインは二人の姿を前にして完全に硬直してしまっていた、
「ふふっ、御免なさいね、座ったままで、すっかり大きくなってきてね」
「そんな、それは順調な証です、何よりですわ」
「そうね、皆がそう言うのよ、私としてはさっさと出てきて欲しいのだけどね」
「待ちきれないですよね」
「そうなのよ、最近だとお腹の中で動くのが分るの、聞いてはいたけど不思議なものよね」
「そうですね」
パトリシアとマリアは優しく微笑み合い、足元のイージスはその生真面目さもあって二人の会話を静かに聞いているが、やはりそこは子供である、若干ソワソワと落ち着きが無い、
「そうだ、でね・・・」
とパトリシアがさらに話しを続けようとするが、チラリとエレインを伺い、
「ふふっ、ほら、エレインさん大事なお客様よ、挨拶くらいしないとでしょ」
と意地の悪い笑みを浮かべる、
「・・・あっ・・・えっ・・・」
エレインは呻くように呟く、まるで言葉になっていない、テラがどうしたのかと顔を上げるが、見ればエレインはツーと涙を流し、硬直したままイージスを見つめていた、
「もう、パトリシア様もしかして、お話して無かったのですか?」
マリアが落涙しながら固まるエレインを見て優しく微笑む、
「あら、大事なお客様とは伝えたわよ、ね、アフラ?」
「はい、そのようにお伝えるようにとの仰せでしたので・・・そのように」
ニヤリと微笑むパトリシアと素知らぬ顔で答えるアフラである、
「悪戯が過ぎますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ、エレイン、元気そうね」
やっとマリアがエレインに正対し、
「エレイン叔母様、お久しぶりです」
イージスがペコリと頭を下げた、その瞬間、
「あー、イージスー、会いたかったー」
エレインはバッとイージズに駆け寄り思いっきり抱き上げる、イージスは突然の事であるが身動きせずにそれを受け止めされるがままであった、
「うー、会いたかったよー、イージスー」
従業員の前であるにも関わらず遠慮無く泣き叫ぶエレインである、従業員達は状況が理解できずポカンとその様を眺めるしかなく、テラとケイランはエレインの子供好きには薄々感付いていたのであるが、何もそこまでと言葉も無い、
「こら、エレイン、皆さんが呆れてます、しっかりなさい」
マリアがエレインを叱責するもその顔は何とも優しい、
「あー、こうなるのかー」
パトリシアはニヤニヤと微笑み、
「流石にやり過ぎましたか・・・」
アフラも微笑ましく眺めつつも反省の言葉を口にする、
「でもねー、先に言ってもつまらないじゃない?」
「それがやり過ぎなのです」
アフラがジロリとパトリシアを睨む、そうかしらとすっとぼけるパトリシアであった、そして、イージスが流石にジタバタと苦しそうに暴れ始め、
「エレイン、その辺にしなさい、イージスが苦しそうです」
「あっ、そうね、大丈夫、御免ね、痛くした、大丈夫?」
エレインは慌ててその抱擁からイージスを解放し優しく下ろす、
「大丈夫です、叔母様も元気そうで何よりです」
イージスはニコリと微笑む、
「あー、イージス、何ていじましい・・・もうー」
「こら、いい加減になさい」
再びイージスを抱き上げようとするエレインをマリアが流石に遮った、エレインは涙と鼻水でグチャグチャになった顔で不満そうにマリアを見上げる、
「もう・・・ほら、顔を拭いて、酷い顔よ、皆さんにも恥ずかしいし、イージスの教育に良くないわ」
「そんなー」
涙で崩れた顔をさらに顰めるエレインにマリアは懐から手拭いを差し出すと、
「綺麗な顔にならないと、マリエッテに変な顔の叔母さんって覚えられちゃうわよ」
「マリエッテ・・・」
「そうよ、連れて来たの、マリエッテ」
マリアが従者に目配せすると、従者がその胸に抱く幼児をエレインにクルリと向ける、
「マリエッテー、エレイン叔母さんよ、初めましては?」
マリアが幼児に話しかけるが、幼児はウーアーと呻きつつ両手をマリアに向ける、
「母様、マリエッテはまだ話せないでしょう」
イージスが冷ややかにマリアを見上げた、
「寂しい事言わないの、マリエッテはちゃんと分ってますよ」
「そうなのですか?」
「そうよ、ほら、エレイン・・・」
マリアに呼ばれたエレインであるが、エレインはエレインで再び完全に固まっていた、初めて会う姪のその愛くるしい様に完全に心を奪われてしまっている、
「・・・マリエッテ?」
「そうよ、話したでしょ、前はほら小さすぎたからね、連れてくるのは難しかったけど、もう一人で歩けるのよ、大丈夫かなと思ってね」
「そうなんですよ、叔母様、見てないとどっか行っちゃうんですよ、フラフラしながら」
「イージス、赤子とはそういうものですよ」
「ですが、何でも口に入れちゃうし、すぐに投げるし、赤子は良くないです、泣いたら止まらないし」
「あなたもそうだったのよ」
「覚えてないです」
親子の親子らしい会話であるが、その一言足りともエレインの耳には入っていないようで、エレインは思わずゆっくりとその両手が伸びる、するとマリエッテの瞳がエレインに向かい、そして、その瞳が大きく開くと、ニパーと輝くような笑顔を向け、
「バー、バー」
とエレインへ両手を振り回した、
「あら、ほら、エレイン抱いてあげて」
エレインはエッと驚いてマリアを見つめる、
「軽いですよ、暴れますけど」
イージスが奇妙な助言を付け加える、エレインは再びエッと驚いてイージスを見下ろした、
「ほら、マリエッテも抱いて欲しいって、ねー」
マリエッテは短い腕と短い脚をエレインに向けて必死にバタつかせており、
「・・・あの、あの・・・」
エレインはすっかり混乱してワタワタと視線を走らせる、
「ふふっ、もう首も座ってますから、抱き上げるだけで大丈夫よ」
マリアが目配せすると、従者が一歩進み出てエレインの胸にマリエッテを預けた、エレインはそっとマリエッテを支える、赤子の抱き方等知る由も無かったが本能的なものなのであろうか、右腕を椅子のようにしてマリエッテの尻を乗せ、左手でその背中を抑える、瞬間、マリエッテは嬉しそうに、キャッキャッとはしゃぎだす、
「あら、分るのかしら?」
「母上、さっきマリエッテは分っているっておっしゃったじゃないですか?」
「それもそうね」
「適当なんだからー」
イージスのおしゃべりもここ数か月でだいぶ達者になったようである、元より賢い子供であったが、妹が出来た事により兄としての自覚も芽生え、大人ぶっている感すらある、
「あー、あー、うー」
対してエレインはその胸にマリエッテを抱いて何とか話しかけようとするがまるで言葉にならない、マリエッテの真似をしているのか呻き声しか発せず、それでもマリエッテはエレインの顔をペチペチと叩いてはキャッキャッと微笑む、そこへ、
「男に泣かれるのはもう飽きたのだ」
「そう言われましてもですね」
「挙句、どいつもこいつも俺より年上だぞ、まして軍人だ、人の顔を見ては泣きじゃくりおって、全軍団を鍛え直すぞ」
「そんな事をおっしゃらずに」
男性の声が二つ廊下に響き、そのままズカズカとイフナースと如何にも軍人らしい逞しい男性が入ってくる、
「おわ、何事だ?」
しかし、イフナースはその足をすぐに止め、男性は室内を見渡し、ガラス鏡に驚いてこちらも足を止める、
「あら、イフナースどうしたの?」
パトリシアが満足そうな笑みを湛え、
「ああ、イザークがめんどくさくてな、細君、こいつはあれか、酒でも入れて来たか?」
「そんな、パトリシア様のお召しにそのような事は決して」
「そうか、それより、どうした、エレイン嬢、随分とまた・・・」
完全に空気を読めない存在と化したイフナースである、しかし、マリエッテを抱き、これ以上ない程に幸せそうな笑みを浮かべるエレインの立ち姿に言葉を無くして魅入られた、
「そうだ、イザーク様、お会いするのは二度目かしら?」
マリアがガラス鏡を見つめて呆けているイザークに声を掛ける、
「ん、あぁ、どうした?」
「どうしたもなにも、妹のエレインです、お会いするのは二度目ですよね」
「あっ、あぁ・・・」
イザークはガラス鏡に気を取られながらもマリアに近寄る、従者がサッとその場を空けた、
「エレイン嬢かな、イザークだ、殿下に仔細は伺った、素晴らしい功績と思うが・・・どうかされたか?」
イザークが我が娘を抱き、その娘に完全に心を囚われてしまったエレインを見下ろす、
「ほら、エレイン・・・まったく、マリエッテ、さ、こっちに」
マリアがこれはいかんなとエレインの手からマリエッテをそっと受け取る、エレインは無意識に若干抵抗してしまうが、ハッと我に返ると、慎重にマリアに渡し、
「エレインです、えっと、イザーク様、御無沙汰しております」
やっとそれなりの挨拶を口にして低頭する、イザーク・クイ・レイモンドは第八軍団軍団長補佐を本業とし、子爵家の長男である、故に現当主の跡を継ぐのは確実であった、マリアの夫であり、イージスとマリエッテの父親である、
「あぁ・・・うん、何かと苦労した事は聞いている、私としても何か出来ればと思っていたのだが、戦場を駆けずり回る日々でな、力になれなかった事、申し訳なく思う」
イザークは用意していたであろう言葉を口にした、今朝になって漸くマリアから今回の呼び出しの真相を説明され、それはとても納得できる事ではなかったが、愛する妻の妹であり、王族とも懇意にしていると聞き、形だけでも整える必要があると考えていたのであった、しかし、そのような薄っぺらな言葉はどうやら必要では無かったらしい、
「そんな・・・すいません、その・・・」
エレインは手拭いに顔を埋める、どうやら少しばかり冷静になり、自分の有様に恥ずかしくなったようであった、
「父上、エレイン叔母様は泣き虫なんです」
イザークがどこまで理解しているのか知った風な事を口にした、
「そうか、まぁ、久しぶりにマリアと会えたのだ、そういう事もあろう、お前は前にもお会いしていたな」
「はい」
「そうか、あっ、申し訳ありません、パトリシア様」
イザークはハッと顔を上げてパトリシアに向き直る、何とも忙しい事であった、
「構いませんよ、イフナース、そっちの件は終わったの?」
「あっ、はい、こちらはほれ、挨拶程度になってしまいました、忙しいのは明後日からですよ」
イフナースもハッと我に返って事務的に答えた、
「そう・・・じゃ、テラさん、エレインさんはこんなだから、ちゃんとお店の方案内してあげて、エレインさん、ほら、座って、イザーク、マリアさん、ゆっくりお店を楽しみなさい、エレインさんの努力の結晶ですからね、イージスもね、珍しい物がいっぱいよ・・・マリエッテちゃんはそうね、エレイン叔母さんに預けちゃっていいわよ・・・少し不安かしら?」
パトリシアがニコニコとその場を収めた。
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我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
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