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本編

60話 光と影の季節 その5

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そして、

「ギャー」

とミナの叫びが玄関に響き、同時に、

「バカー、アホー、タロー、ウニャー」

と可愛らしいミナの罵詈雑言が続いて、

「ウワーン、タロー、バカー」

と泣き声が響いた、ソフィアはあらあらと玄関へ駆け込み、食堂の面々は何事かと静まり返って玄関を注視する、その泣き声の中、ソフィアの落ち着いた声と男性の声、やがてゴソゴソと動く物音が響いた、恐らく足を拭っているのであろう、ミナの甲高い泣き声は収まる気配さえ無い、

「あー、ごめんねー」

とソフィアが困り顔で食堂へ戻った、誰も応える者はおらず、ポカンとソフィアの顔を伺っている、

「別にいいわよ、で、あのアホタレなの?」

静まり返る一同の中、ユーリがやれやれと口を開いた、

「そうみたいね、えらく小汚い恰好だけど許してあげて、あー・・・どうしようかしら、宿舎に突っ込んでもいいんだけど、こっちに顔を出させていいかしら?」

ソフィアは一度玄関を振り返りどうしたものかと首を傾げた、寮は基本的には男子禁制である、そうは言ってもクロノスや学園長らはまるで気にせずに出入りを繰り返し、あまつさえ酒盛りまでしているのであった、何をいまさらとジャネット達は鼻で笑ってしまう、

「あっ、えっと、是非お会いしたいと思っておりました、その、ソフィアさんにはお世話になってますし、ちゃんとご挨拶出来ればとも思います」

エレインは軽く腰を上げる、それはエレイン個人の意見であったが、タロウに関する噂を時折耳にしていたジャネットとケイスはコクコクと頷き、テラとオリビアも挨拶は当然であろうと背筋を伸ばした、グルジア達もその情報量は少ないであろうがソフィアの旦那となれば無視できないなと同意のようで、カトカやサビナ、ゾーイとルルはその正体を面識は無いが聞いてはいる、その為突然ではあったがこれもまたユーリやソフィアの傍にいる限り続くであろう事象の一つであるなと、あっさりと受け入れており、まるで理解できずにポカンとしているのはニコリーネであった、

「そう?じゃ、入ってもらうわね」

ソフィアは玄関へ首を突っ込むとなにがしか話したようであるが、ミナの泣き声の為に食堂の者に届くことは無かった、そして、

「失礼、おわっ、そうか女子寮なんだな、いや、失礼」

左肩に泣きじゃくるミナがしがみ付いた大男がユラリと入って来た、背丈はクロノスほどではないがかなり大きい方である、扉の上枠を軽く潜らなければぶつける程度のそれで、クロノス程には太っていない、若干こけた頬が埃っぽく薄汚れており無精ひげにまみれた顔の下半分のお陰でさらに薄汚れた印象が強まっている、髪もまた乱雑に伸ばしっぱなしで真っ黒いそれを適当に後ろ頭で結んでいる様子であった、その服装もまた独特で、こちらではまず見ない意匠が施された長くこれもまた泥やら埃やらで汚れた布を、ただ巻きつけただけのような衣服である、

「えっと、一応これが私の旦那ね、タロウ・・・なんだっけ?」

泣きじゃくるミナを放っておいてソフィアが戸惑いつつも薄ら笑いで紹介し始める、

「ん?お前の家門名でいいんじゃないのか?」

「それでいいの?」

「かまわんだろう」

「なら、タロウ・カシュパルになるわね、どうぞよろしくね」

ソフィアがニコリとぎこちない笑顔を見せた、旦那を紹介する日がいずれ来るであろうとは思っていたが、まさか今日になるとは思わず、まして、夕食の終わり際になるとは夢にも思っていなかった、寮の関係者が全員揃っているのであるから都合が良いと言えば都合が良いのであるが、

「ほら、ミナ、そろそろ泣き止め」

そこでやっとタロウがミナの頭を撫でて優しく諭す、しかし、ミナは再びギャンギャンと勢いよく泣き始めた、少し落ち着いたかと思った所である、タロウはアチャーと顔をしかめ、ソフィアももうと顔を顰める、

「ほら、座んなさい、あんたらだけ立たせておくとなんか変だわ」

ユーリがニヘラと口を開き、ソフィアの隣り空いてる席を顎で示した、

「そうね、そこに座ってて、あー、夕飯は?」

「まだだが、いいのか?」

「いいわよ、今日は作りすぎたくらいだから、ユーリ、あとお願い」

ソフィアはどうやらそれなりに気恥ずかしいらしい、タロウとミナを置いて厨房へ向かい、ユーリは、

「アッハッハ、何よあの慌てぶり」

と一人快活に笑うと、

「ほれ、あんたは座んなさい、ミナー、そろそろ泣き止まないとソフィアに怒られるわよー」

再びのギャン泣きが収まりつつあったミナは、さらに大声を上げようとするが、力尽きたのか、泣く事に飽きたのか、一度大きく、

「ウワーン」

と吠えると静かになった、そのまま黙り込んでタロウの肩に顔を埋める、その様にユーリは苦笑いを浮かべ、生徒達は子供らしいなとやっと小さな笑顔を浮かべる、

「ありゃ、収まったか?」

タロウはやれやれとミナの頭を左手でなでつつ、ユーリの勧めに従って席に着いた、ユーリはここは私かしらねと、

「じゃ、どうしようかな、ソフィアは恥ずかしいだろうから、私から紹介するわね」

とユーリは腰を上げ、

「改めてになるけど、これがタロウさんね、ソフィアの旦那で私の冒険者時代の仲間?でいいかな・・・付け加えるなら・・・ま、それはいいか・・・ソフィアに聞く限り半年くらい?あっちこっち放浪してたみたいね、何してたかは知らないけど、俗にいう根無し草ってやつかしら?そういう性分なんでしょ?」

「いや、別に訳もなく放浪していた訳ではないぞ」

タロウが口をへの字に曲げて、ユーリを見返す、ユーリも実は直接会うのは数年振りであったりする、変わらない独特の眼光とソフィアと似て飄々とすっとぼけたような雰囲気に、変わらないわねーと微笑み、

「そうなの?でも、ミナとレインとソフィアを置いてったのは事実じゃない、冷たい男だわねー」

「そうだがさ・・・それはほれ、家庭・・・の事情・・・個人の事情かな・・・ってやつでさ・・・」

「ま、ソフィアがそれで良いらしいから、私が口出すことではないんだけど、それにしたってねー」

とユーリは女性達を冷ややかな目で眺め回す、同意を求めているのであろう、しかし女性達はどう受け取るべきかと困っている様子であった、ユーリやソフィアから聞く噂程度の話しには人物像に直結する情報は一つも無く、故に単にソフィアの旦那という一事でもって、それぞれになんとはなしに架空の人物像を思い描いていた、それは大概は見知った中年男性を模倣したり、そこへ付けたり足したりしたものである、それは想像力の限界と呼ぶべきものであるが、至極当然の心理でもある、しかし実際に目にした件の男はどうにもあいまいな印象であった、掴み所が無いというか、存在が希薄というか、それは想像していたそれとの乖離による事が原因の一つで、もう一つ原因を上げるとすれば彼女達が知る中年男性の誰とも似ていないのである、その容貌もそうであるが纏った雰囲気もかなり独特のものがあった、社会人経験が豊富で、対象の人となりは初見で見抜けると自負するテラでさえ、軽く混乱している、しかし、ユーリと気さくに話しているのを見る限り、悪い人間では無い事だけは理解でき、それはユーリに対する信頼感もあってそう感じられた事であった、

「そうね、褒めるべきところはあれね、ソフィアの料理の師匠である点だけかしら?冒険者やってる時から何かと器用な人だったんだけどね」

「それだけ?」

「それだけよ、普通の人にはそれで十分」

「・・・そういう事か?」

「そういう事、で、その料理に助けられてる人がこの場に多いからね、あんたらその点だけは尊敬しなさい、それ以外は嫌ってあげましょう、私が許す、虐めていいわ」

「おいおい」

ユーリのざっくばらんに過ぎる紹介にタロウは困った顔を隠さない、しかし、虐め云々は置いておいても確かにそうだと食堂の面々はその目の色が変わったようであった、第一初めて会う人物なのである、すぐにその善悪を含めた人間性まで理解する事は難しい、さらにユーリの言葉通りにこの場にいる人間でソフィアの諸々の知識の恩恵に預かっていない者はいない、恐らくニコリーネ以外は何らかの利益を得ている、ニコリーネでさえ間接的ではあるがソフィアが寮母でなければこの場にはいなかったであろう、ユーリの言葉を素直に受けとれば、商会の関係者は勿論であるし、新入生達もソフィアの料理に胃袋を鷲掴みにされ、商会を手伝って賃金を得ている、しかし研究所の三人とルルはそれだけではないであろう事は理解しており、下手に口を挟む必要は無いだろうなと考える、それを話し出したらユーリとソフィアのより深い情報を開陳しなければならなくなる、恐らくこの程度のふざけた曖昧な状態が最適なのであろうと理解した、

「じゃ、この程度ね、そうだ、あんたここで落ち着く気あるの?」

「どういう意味だよ?」

「長居するの?」

「あー、一応な、取り合えず今日はそこらに寝かせてくれ、明日には家を探すよ」

急に現実的な話題になる、

「あら、宿舎があるわよ、こことは別で、ソフィアとミナとレインはそっちで寝泊まりしてるわよ」

「そうなのか?」

「そうよ、ここを紹介する時にね、あんたも住めないと嫌だってソフィアが言ったのよ、感謝しなさい」

「それは・・・そうなのか、ありがたい」

タロウは素直に謝意を示した、生徒達は良い人なのかなとほんの少しであるが印象を良くする、

「ん、じゃ、そういう事で受け入れてあげましょう、少々扱き使っても壊れないから安心してね、クロノスとかと違って大して偉くないし、堅苦しくする必要は無いわ、じゃまずは」

とユーリは生徒達から紹介し始めた、それは名前だけの取り合えずのものであったが、タロウはそれぞれに律儀で柔らかい笑顔と会釈を繰り返し、ルルに関してはエッと素直に驚き、カトカとゾーイに対しては微妙に固く畏まっている様子であった、それはタロウにしてみたら小さな反応であったが、女性独特の触覚にはしっかりと見抜かれていたようである、そしてタロウはソフィアが新しく持って来た皿を前にして、

「では」

と咳ばらいを一つ挟むと、

「突然お邪魔して申し訳ない、夕食中に騒がせてしまった事を先に謝りたい、で・・・まぁ、ユーリの言葉の通りでね、色々あってあっちこっち放浪していた身であります、本来であればソフィアと一緒にいるのが正しいのであろうが・・・まぁ、なんだ、ソフィアとミナ、レインもそうだな、お世話になっております、今後とも宜しくお願いしたい」

ミナを左肩にしがみ付かせたまま器用に頭を下げた、それがごく当たり前の事のように見える、生徒達は勿論カトカ達は礼儀もしっかりしているちゃんとした大人だとその言葉で理解し、その柔らかい物腰にも好感を感じる、たが、やはりその服装には疑問というか違和感を感じるし、しがみ付いたままのミナに関しても同様で、確かユーリがそんな事を言っていたなと思い出した、

「じゃ、ほら、食事済ませちゃいましょう、暗くなっちゃうしね、ミナ、ほら、降りて」

ソフィアはこんなもんかとユーリに目配せする、ユーリはニヤリと微笑んで腰を下ろした、すると、

「ヤダー」

ミナが顔を上げて大声で叫ぶ、流石のタロウも顔を顰めた、

「えっ、なんでよ」

「離したらタロウどっかいくー、だから、ヤダ、離さないー」

「えっ、それでそうなってるの?」

「おいおい、大丈夫だから、何処にも行かないから・・・」

「嘘だー、絶対どっかいくー、だから離さないー、タロウのアホー」

「ありゃー・・・」

「こうなるのかー・・・」

夫婦の困った声が小さく響く、一同はミナはやっぱり子供だなーと柔らかく微笑んでしまうのであった。
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