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本編

56話 三つ色の樹 その8

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公務時間終了の鐘が遠くに響き、カトカはもうそんな時間かと顔を上げ食堂内を見渡した、午前中の喧騒は幻のように落ち着き、今は一人である、サビナとゾーイは学園に向かい、そのすぐ後でユーリも慌てた様子のゾーイによって学園に連れ出されてしまった、まぁこんなもんだよねとカトカは留守番をしていたのである、実に静かで落ち着いている、

「さて、どしようかな・・・」

開いていた書を閉じてウーンと大きく伸びをする、テーブルの上には新品のコンロが2台鎮座していた、思わずそれの自分が作製した陶器板へ指を這わせる、自分でも会心の出来であった、しかし悔やまれる部分はある、どうしても金属の五徳が巨大であった為に陶器板を2枚並べるというその場しのぎの誂えになってしまった事がそれである、不細工になっちゃったかなと口の端を上げた、それも仕方ないと言えば仕方がない、金属加工は材と設備があればわりと思い通りに出来るものであり、ブノワトにはこちらの要望をそのまま実現する技術と機転がある、しかし、陶器となると難しかった、発注した品が届くのは少なくとも一月後となってしまう、その品には何の不満も無いし、全く持って注文通りである為満足している、しかし、やはり時間がかかる、それも季節によってはよりであった、それは乾燥の為である事はカトカは重々に承知しているし、焼き次第では最初からやり直しになる事も理解している、故にやはりもっとこう柔軟に対応できる素材が必要であるなと思う、そこまでつらつらと思考を巡らせハッと一息吐いた、どうにもこの寮に研究室が移ってから、いや、ソフィアが来てから、いや、ユーリと出会ってからであろうか、次々と新しい事が身辺を騒がせ、時の流れさえも置き去りにしている感がある、特にここ数カ月は目まぐるしい程で、どうやら自分もその勢いに呑まれて意識が急いている様子であった、それが良いのか悪いのか、カトカには判断できなかった、しかし、一つ言えることは充実して楽しんでいるという事であろうか、そう言えば先日から妙に体調も良い、ここ数年は倦怠感を感じて気分が落ち込む事もあったが、全くと言っていい程に快調である、研究室の掃除をした為であろうか、中央の作業場からサビナの木簡が無くなった事もあるかもしれない、何にしろ有難い事である、カトカはフンと鼻息を一つ吐いて、書をマントルピースに戻すと、別の書を手にした、せめてソフィアが戻る迄はここにいた方が良いであろうと思う、すると、

「失礼します」

勝手口でブラスの声が響く、カトカはおっと思って対応に走ると、今日の作業を終了し戻るとの事であった、カトカはブノワトの件で礼を言いもしかしたら商会にまだいるであろう事を告げた、ブラスは嬉しそうにありがとうございますと快活に微笑みサッと寮を辞した、仕事に関しては実に真面目な男である、変に仲の良い愛妻と一緒に行動するからどこか抜けたような印象なのよねとカトカはその背を見送って食堂に戻った、

「さて・・・」

しかし手持ち無沙汰な事に変わりはない、上から仕事を持ってこようかとも思ったが、大荷物になるなと思うと足が動かない、ここはやっぱり書に逃げるかと先程手にした書に手を伸ばす、すると、階段にドカドカと重い音が響き、

「おう、なんだ一人か?」

クロノスがヌッと現れた、

「あっ、はい、一人です」

慌てて答え、さらに慌てて、

「失礼しました、御機嫌麗しゅう」

と頭を下げる、

「何だ、急にめんどくさい」

クロノスは眉根を寄せてカトカを睨み付けた、

「えっ、いや、ほら、一応ちゃんとしませんと」

「別に構わん、今更だ」

クロノスはフンと鼻で笑い、すぐに何だそれはとテーブルのコンロに気付いた様子で、カトカは慌てた口調のままにその詳細を説明した、

「そうか、じゃ、これはこっちで持っていて良いのだな?」

「はい、所長からそのようにと言付かってます、それと取り扱い説明を、だいぶ使い易いものにはなっていますが注意点が無いわけではないので」

「だろうな・・・うん、あー、そうなると・・・」

クロノスは頬を掻いて少し悩み、

「うん、リンドを呼んでくるか、それと、イフナースを連れてか・・・うん、すぐに戻る」

とサッと踵を返す、カトカがあらっと思っていると、今度は軽い足音が階段を鳴らし、

「戻ったー」

ミナが笑顔で駆け込んできた、しかし、

「うおっ、どうしたそれは?」

「わっ、何?大丈夫?」

クロノスとカトカは同時に悲鳴を上げる、

「えへへー、ニコとお絵描きしてきたー、面白かったー」

ニコニコと楽しそうに微笑むミナに、二人は同時に首を傾げる、そこへ、

「あら、クロノスいたの?」

とソフィアとレインも入って来た、ソフィアはさっきまでと変わりは無いが、レインはミナと同様に酷い有様で、ミナは主に黄色の飛沫を全身に跳ね散かし、その顔も折角綺麗に整えた髪まで染まっている、レインは主に赤色であった、一見すると血塗れにも見え、ミナとは比べる事も出来ない程に猟奇的である、

「酷いな・・・病気か?」

「えっ、レインちゃんまでどうしたんです?」

「あー、まぁ、こういう事もあるわよ」

こういう場合一番怒るであろうソフィアが涼しい顔で、ミナはムフンと胸を張り、レインはいつも通りの無関心なすまし顔である、

「そうですか・・・」

「うん、お前が良いのであれば何も言わんが・・・」

「そうねー、何も言わないでいいわよー、じゃ、お湯を沸かしてかな、うん、ミナ、レイン、どこにも触っちゃ駄目よ、作業場で待ってなさい」

ハーイとミナは素直に作業場に向かい、レインも静かに足を向けた、ソフィアは手にしたサンダルを玄関へと持っていく、勿論であるがそのサンダルも小さい二つは黄色と赤とさらに緑色に染まっていた、

「えっと・・・」

カトカがキョロキョロと三人を伺い、クロノスは、

「まぁ、いいか、一旦戻ってまた来るよ」

と階段へ向かう、すぐに食堂へ戻ったソフィアは、

「はいはい、あ、ユーリは?」

と居るはずの顔が無い事に気付いたようで、

「あっ、はい、学園長に呼ばれました、私一人です」

「えっ、そうなんだ、御免ね、留守番させた?」

「結果的にはそうですけど、それは構わないです、えっと、大丈夫です?」

「大丈夫よー、全然平気ー、でもあの色落ちると思う?」

「あー、どうでしょう、絵具ですか?」

「そうね、それも壁画に使うやつ、油臭いのよ」

「あー・・・もしかしたら服は駄目かもですね・・・」

「そっか・・・ま、いいか、冬服に着替えさせるか・・・駄目だったら雑巾ねー」

「そうですね・・・」

「ん、じゃ、御免、もうちょっとだけここ、お願いできる?」

「はい、勿論です」

ソフィアはパタパタと厨房へ走り、すぐに勝手口が閉じる音が響いた、

「・・・ソフィアさんも大変だな・・・」

カトカはポツリと呟いて、さてどうするかと三度食堂を見渡す、取り敢えずユーリが戻らない状況であればコンロの説明をしなければならない、クロノスはすぐに戻るであろうし、待つとするかと近くの椅子に腰掛けた、すると、また階段を鳴らす足音が響いて、

「あー、お疲れー」

ユーリがめんどくさそうな顔で下りて来る、

「お疲れ様です、どうでした?」

「どうもこうも無いわよ、まったく、クロノスは?」

「あっ、今来て、すぐに戻るって、リンドさんを呼びに行ったんだと思います、入れ違いですね」

「そっか、コンロの件?」

「はい、残った二つはクロノス様でいいんですよね」

「そうね、そっか、裏山かと思ったわ、時間的に、じゃ、待つか、ソフィアは?」

「戻りました、けど、ちょっと忙しいと思います」

「忙しい?」

「はい、えっと、ミナちゃんとレインちゃんが酷くて・・・」

「酷い?なんかあったの?」

「たぶん、確実に何かはあったと思います」

「あら・・・」

とユーリが困惑した顔になった瞬間、

「ソフィー、まだー」

作業場からミナが戻って来て、

「うわっ、ミナどうしたそれ?」

ユーリが思わず身を引いた、

「うふふー、お絵描きしてきたー」

ミナはニヤリと微笑み、

「そっか・・・なるほどこれは酷いな」

「ですよね・・・」

ユーリとカトカの遠慮の無い何か珍品でも見るような視線を受けたミナは、

「んー・・・うふふ・・・」

ニヤーと邪悪な笑みを浮かべ、

「えへへ・・・ユーリー」

どうやら何かを思い付いたらしい、その両手を獣のように構えゆっくりとユーリへ近付いていく、

「待て、ミナ、それは駄目だ」

ユーリは両手を前に突き出した、本能的な防御行動である、

「なにがー?」

「なにがじゃないわよ、待って、落ち着きなさい、それは駄目」

「うふふ・・・ダメー?」

「あんた分かってやってるでしょ」

バッとユーリは距離を開けるがすぐにその背は壁に阻まれた、

「うふふ、ユーリー、遊ぼー」

さらにニヤニヤと微笑みながらミナは距離を詰める、これにはカトカも身の危険を感じて後ずさるしかない、相手は子供である、その標的がいつ自分に向かうか分かったものではない、

「あー、カトカ助けて」

「どうやってですかー」

「なんとかしてー」

「無理ですよー」

「うふふー、ユーリー、観念しろー」

「またこの子は変な言葉ばかり覚えて・・・ってそうじゃない」

「はい、そうじゃないですね」

「うふふー」

ミナはさらにジワジワと嫌らしい笑みにわざとらしい舌なめずりを加え距離を詰める、その手がユーリの足に触れる程に近付いた瞬間、

「こら、やめい」

レインの大声が食堂に響いた、ビクリと肩を揺らしてミナは振り向き、ユーリとカトカはホッと一息吐いた、

「まったく、何を遊んでいる、ソフィアはまだか?」

「うー、だってー」

「だってじゃない、ほら、大人しくしていろ、ソフィアに怒られるぞ、折角褒められたんだ、無駄にするな」

「うー、分かったー」

ミナは残念そうに肩を落として作業場へ戻り、ユーリはまったくなんて日だよと毒づくのであった。
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