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54話 水銀の夢 その13

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そして、5人は屋敷の転送陣を通り北ヘルデルを経由して寮のソフィアの宿舎へと入った、身重のパトリシアがいる為の領地を跨いだ近道である、アフラにすれば当然の処置なのだが、パトリシアは街中程度は歩けると大声で愚痴を言い、エレインとテラは苦笑いを浮かべるしかなく、アフラはお腹の子に愚痴を聞かせるなと叱責する始末で、パトリシアはムッとアフラを睨み、フンッとソッポを向いて、

「まったく、私が人質を取っているような事を言うのよ、私よりもお腹の子を大事にして、どういう理屈なのかしら、私だって赤ちゃんは大事なんですからね、私の子なのよ、まったく誰の子供だと思ってるんですの?みんなして悪者にして、理不尽だわ」

何とも良く分からない不満の声を上げた、これにはエレインとテラは何とも答えようがなく、

「もう暫くの辛抱です」

アフラの冷静な突き放した言葉に、パトリシアはさらに鼻息を荒げた、ニコリーネはその4人の様子を楽しそうに眺めている、やはり肝の座った娘である、それとも貴族に囲まれる事に慣れているのであろうか、さらに転送陣にも驚く事は無く、しかし移動中は無駄口を一切口にしていない、ただ静かに一行の後ろに付き従っている、自分がそういう立場である事を理解しているのであろう、そして一行は内庭から寮の玄関先へ向かい、パトリシアが休めるようにと一旦食堂へ入る、食堂にはミナとレインが勉強中で、ソフィアは仕事中であろうか姿は見えなかった、

「あー、どうしたのー、エレイン様ー」

ミナがヒョイと顔を上げた、

「お客様ですよ」

「リシア様だー、ゴキゲンウルワシュー」

ミナがピョンと飛び跳ね駆けて来る、

「おはよう、ミナさん」

パトリシアは笑顔を浮かべるも、ミナの勢いにアフラが慌てて手を差し入れるが、

「うふふ、おはようございます」

流石のミナもそのまま突撃する事は無く、パトリシアの手前で踏み止まり幼くも可愛らしく頭を垂れた、

「あら、礼の仕方を覚えたの?」

「えー、えっとね、えっとね、エレイン様のマネー」

ミナはお道化た笑顔を見せると、スカートの中程を持ち上げてスッと再び頭を垂れた、それなりに形になっている、

「優雅ですよ、中々様になってますわ」

「そう?そう?」

ミナは嬉しそうに跳ね、二人の遣り取りにアフラは取り敢えず安堵の吐息を吐く、

「えーと、ソフィアさんは仕事中?」

エレインが問うと、

「うん、お掃除だよー、呼んで来る?」

「お願いできる?」

「うん、ソフィー」

ミナはそのまま階段へ走り、すぐさまソフィアがヒョイと顔を出す、

「あら、リシア様、おはようございます、アフラさんも」

掃除用具を手にしたままソフィアは階段から食堂へ入り、簡単な挨拶を交わすと、

「どうされました?こんな早くに」

「ガラス店舗の壁画の件で絵師さんをお連れ頂いたのです」

とエレインが事情を説明した、

「あら、その娘さん?」

ソフィアの視線の先には玄関と食堂の間に立ってキョロキョロと食堂内を覗いているニコリーネの姿があった、玄関で足を拭うエレイン達に驚いており、アフラからここはこういうやり方なのですと大雑把な説明を受け、ニコリーネはそういう事ならと念入りに足を拭っていた、

「そうですわ、ほら、ニコリーネ入りなさい」

パトリシアが手招ねき、ニコリーネはスッと食堂へ入った瞬間、

「素晴らしい絵ですね、あれはどなたが描いたものなのですか?」

甲高い大声である、そのキラキラと輝く瞳はマントルピースの上に向けられている、ソフィアはあら珍しいと目を剥いた、初めてこの食堂に入る者は大概がまずガラス鏡に興味を示す、エレインもやはり視点が違うのかしらと感心してしまった、

「もう、節操が無いんだから」

パトリシアは苦笑いを浮かべ、アフラも微笑みつつソフィアとミナとレインに絵師としてニコリーネを紹介する、そして、うずうずと落ち着かないニコリーネにソフィアはそんなに好きなのかしらと、

「どうぞ、ゆっくり見て下さい、描いたのはうちの娘達です」

「ありがとうございます」

先程のミナに負けずとも劣らない勢いで暖炉に走った、そして、二つ並んだ絵画を言葉も無くじっくりと眺める、

「えっと・・・」

流石のソフィアも呆気にとられたのかその背を見つめ、

「いいの?」

とどう聞けばよいのか分からないといった感じの曖昧な疑問をパトリシアに投げた、

「あぁいう子なんですよ」

パトリシアはアフラが引いた席にヤレヤレと腰を下ろし、さらにひざ掛けをアフラから受け取ってお腹を中心に掛けた、

「あっ、寒くない?暖を焚く?」

ソフィアが慌てて気を利かせた、

「平気ですわ、こちらは北ヘルデルよりもだいぶ温かく感じます、あっちは海風が酷くて、冷たい上に強いのです、あれと比べたこちらは春ね、過ごしやすいくらいですわ」

「それは言い過ぎじゃないの?でもその身体では用心し過ぎるという事は無いと思いますね、欲しい物が有ったら言って下さい、何より、こっちに来て何かあったらクロノスと陛下に会わせる顔が無いですから」

ソフィアはニコニコと笑顔を見せた、半分冗談、半分本気の労りの言葉である、

「あら、ソフィアさんに優しくされると何やら特別な感じがしますわね」

「そうですよ、私は厳しい寮母さんなんですから、優しくするのは病人と妊婦さんと子供だけにしてます」

「えっ、そうなんですか?」

「あらエレインさん知らなかったの?」

「だって、いつも優しいじゃないですか」

「だから病人と妊婦さんと子供には優しいのよ」

「ふふ、そういう事ですか」

「そういう事です」

「あっ、私も子供ですか?」

「そうよー、何か変?」

「そりゃソフィアさんに比べたら子供ですけど・・・」

「ふふん、この寮に居る限りは子供でしょー」

「そうですわね、大事な生徒さんですもんね」

「そうなんです」

パトリシアとソフィアはニコニコと微笑み、エレインは納得できないのか口をへの字に曲げた、それを尻目に、

「ミナが描いたのよー」

ニコリーネの隣りでミナが小さく跳ねた、相変わらず人見知りという事を知らない娘である、ニコニコとニコリーネを見上げ、キョロキョロとその顔と絵画を見比べている、

「そうなの?とっても上手ですね、元気があって温かくて勢いがあるのに色彩が繊細です、素晴らしいです」

「えへへー、そっちはレインが描いたの、上手でしょー」

「はい、こちらも素晴らしいです、大樹の力強さが感じられるし息吹が伝わるようです、こちらは精緻なのに大胆で、力強い、なのに優しい・・・うん、凄いな・・・グスッ」

ニコリーネは甲高い声で二つの絵を評し、そして、大きく鼻を啜り上げ沈黙した、突然静かになったニコリーネをミナは首を傾げて見上げ、

「どーしたのー?」

その変化に驚いて不安そうに問いかける、ニコリーネは背筋を伸ばして落涙していた、大きな瞳から滂沱の涙を流しグズグズと鼻水を垂らしている、そしてそれらを押さえる事もない、只々真剣な瞳で食い入るように二つの絵画を見つめ涙も鼻水も流れるに任せている、

「えっと、えーえーえー」

ミナはワタワタと慌ててソフィアを見るが、ソフィアはこちらに気付いておらず、レインを見るが、レインは不思議そうにニコリーネを観察していた、

「レインー、どうにかしてー」

たまらずミナは大声でレインに助けを求め、その声でやっと大人達も事態に気付いたらしい、

「あら、どうしたの?」

ソフィアが慌てて駆け寄るが、

「あー、いつもの事ですから」

パトリシアとアフラは微動だにせず何とも素っ気ない、それどころかまたかといった顔である、エレインはエッと思わず声を上げて双方へキョロキョロと視線を送る、

「感激屋さんなんだそうです、すぐ泣くしすぐ笑うしすぐ怒る、大丈夫です体調不良とかでは無いそうなので」

アフラが静かに説明した、すると、

「はい、すいません、あの、この絵は素晴らしいです、その、嬉しくて、こんな、こんな、純粋で美しい・・・絵画の芸術性が凝縮されたような・・・ううっ、感激です、嬉しいです・・・」

グズグズと鼻を啜り上げてニコリーネは呟き、懐から手拭いを取り出すと顔を埋めた、

「そういう事ならいいですけど・・・」

ソフィアは嬉しいの?と不思議に思いつつ、感性は人それぞれらしいからと取り敢えず大きな問題は無さそうだと安堵した、

「大丈夫ー?」

ミナは尚心配そうにニコリーネを見上げている、

「大丈夫です、はい、いつもこうなんです、あの・・・この絵は本当にお二人が描いたのですか?」

「そうよ、学園長先生とね?」

「うん、学園寮先生とミナとレインでお絵描きしたのよ、絵具を使わせてもらったの、初めてだったの、面白かったの」

「そうなんですか・・・うん、素晴らしい作品です、元気が出ます、優しくなれます、幸せな感じです、うん・・・」

顔を上げたニコリーネは再び絵画に向き合った、真っ赤に腫れた顔はそのままに二つの絵画と相対している、

「もう・・・まぁいいです、そういう事なら、お茶の用意をしますから、少し落ち着きなさい」

ソフィアは人騒がせな事だと溜息を吐いて厨房へ向かうのだった。
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