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51話 宴の始末 その11

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「こんなもんか・・・」

裏山の天辺広場にてイフナースはゆっくりと目を開いた、日課の瞑想である、午前の内に裏山へ登り、精霊の木の根本に身を横たえると、蟻や毛虫が這うのを横目にしながら瞑目し脱力する、すると何かが身体の各部の芯から蠢き集合して背骨に至り、やがて肩甲骨の辺りからじんわりと精霊の木の根へと染み出していく、冷たい血液のように感じるそれは日を増す毎に少なく、しかし、より濃くなっているように感じられ、恐らくそれが闇の精霊そものなのであろうとイフナースは考えている、その解釈が正しいかどうかは分からなかったが、英雄達がそう言うのであるからそうなのであろう、やがてその流動が収束し背中に感じていた冷たさが幻想であると感じられたら、瞑想は終わりである、日を追うごとに瞑想の時間が短くなっているように思う、これも幻想であろうかとも思うが、正確に計る気は無いし、その必要も無かった、

「さて・・・」

イフナースはそのまま半身を起こし服に乗り移った蟻やら名も知らぬ虫やらを払い落す、その様子に気付いた近衛が駆け寄って来るが、イフナースは軽く手で制すると腰を上げ、

「ふー」

と一息吐いた、先日から従者が側を離れない、ブレフト曰く何かあっては問題であるとして、近衛から数人イフナースの従者が選ばれイフナースの側に侍る事となった、本来であればこちらに来た時からそうすべきでしたとブレフトは神妙に進言し、それもそうだと国王どころかクロノスまでもが賛同する始末である、イフナースはいつまで自分を子供扱いするのかと憤慨したが昨日のあの有様を思えばこれは自分を守る為ではなく、民草を守る為だと認識を強引に改め受け入れる事とした、

「ここはこんなものなのだが・・・今日はどうしたものかな・・・」

何とも頼りなく近衛を見る、近衛は困った顔で口を開く事が出来ないようであった、本来であれば従者ともなれば主のその日の予定はしっかりと頭に入れておいて当然なのであるが、イフナースにはその予定そのものが無い、精々街を歩いて裏山に至り、瞑想の後は再び街を歩いて屋敷に戻る、その程度である、近衛の困った顔は実に理解できるのであった、

「・・・少し思ったが、あれかな・・・虜囚の身とか牢屋に入るとか、いや、謹慎の身とか、こんな感じなのかな?」

イフナースは感情の無い顔でそう問いかける、近衛はさらに困った顔で小首を傾げた、イフナースは、

「冗談だよ」

と何とも悲しそうに呟く、精霊の木のお陰でだいぶ心は晴れているのであるが、先日からの騒動はイフナース本来の根明な性分を最も苦しかった時期と同程度に陰鬱とさせていた、その原因として昨日のクロノスと国王の言葉が重くその両肩にのしかかっているようで、それはつまりイフナース自身は自分が王になるなどとは微塵にも考えていなかった事が原因でもある、それは子供の時分でもそうであるし、戦場を闊歩していた時も、病床に臥していた時でも同じである、イフナースはそこで苦しかった時を何とはなしに思い出していた、臥していた時の事である、その時はただ暗く惨めで起き上がるのさえ難しかった、身体の不調はそのまま思考力を奪い、覚醒している間でもまともな事を考える事が出来なかった、ただその短い経験の中で楽しかった事を思い出し、あの時はああすれば良かったと後悔し、何よりも多くの時間を費やしたのが不愉快な奴を殺し、その死体を踏みつけて高笑いをする事であった、どう殺すか、死以上の苦しみを与えるにはどうすればよいか、醜い顔を見たくはないが、その声は聞きたい、怨嗟の声と謝罪の声はどちらがより甘美に感じられるであろうか、あいつらは今どのような生活をしているのか、それを奪うにはどうすればよいか、四肢を切り落とし、家族を目の前で蹂躙するか、様々な妄想が渦巻くがそれらはやがて二つの疑問に収斂された、不幸とはという疑問と、幸せとはという疑問である、そして、不幸とは何だ、幸せとはなんだと繰り返し考え続けていた、やがて何らかの結論に行きつくが数刻後には幼い結論であったと再び出口を探す思考の迷宮に落ちていく、その堂々巡りである、なんとも陰湿で不健康な事である、しかし、それしか鬱憤を晴らす術が無く、回復に向かうにつれ、あの妄想はまさに悪夢であり闇の精霊の影響下にある幻影であったと感じられるようになっていた、そう感じられるようになって初めて数年寝込んでいたわりにはまだ自分の精神はまともなのだと自覚し始めてもいた、なんとかなりそうかなと思っていたのであるが、それがこの有様である、どうやら自分は大魔法使いである、さらには王位継承を望まれているらしい、

「まったく」

イフナースは大きく両手を上げて伸びをした、固く太い精霊の木の根の感触が背中に残っている、そして、こんな頼りなく萎れた王など誰も求めてはいないであろうと考えてしまう、イフナースは王位は兄が継ぐものと思っていた、自分よりも5歳ほど年上であった兄はイフナースから見ても才気に溢れ機知に富み、冷静でかつ大変に朗らかな人物であった、情熱的とは言えない人物でもあり、時折後手に回る事が多かったが、それは見方を変えれば慎重であるとも言える、十分に腕も立ちなにより兵に愛された人物であった、歳は若いが理想的な指導者であったと思う、クロノスの言う為政者となったらどう評価されるかは分らなかったが、少なくとも自分よりは王に相応しく、イフナースは特に疑問も無く安心してその兄の後ろについて回っていた、まだ16・17歳の頃の事である、共に馬を走らせ槍を振い弓を撃ち敵を倒した、とても充実した眩しい記憶である、それが、今ではもういない、その死に目にも会えなかった、その当時の記憶は朧気であり、兄の死を知ったのは後送されている馬車の中であったと思う、当時の従者が泣きながら一報を読み上げ、自分は何と答えたのであったか、記憶には無い、次に憶えているのは王城の自室で母親に手を握られていた事である、あの気丈で口を開けば小言しか出てこない母が喪服を身に纏いただ涙を流していた、弟を亡くした時も同じであったなと思った事を憶えている、そして、

「そうか・・・男は俺一人か・・・」

従者にも聞こえない呟きが漏れた、そうであったなと改めて実感する、言葉にすると何とも寂しく惰弱に過ぎる、王になりたい人間は掃き捨てるほどいるであろうが、その王の責務を知る者は少ないであろう、子供の頃から現王である父や先代の王である祖父の事は見てきた、昨日のクロノスの言葉が無くともその責と難解さは理解している、しているつもりである、故にまるで現実感が無く、展望もまた見えない、困ったものだなと溜息を吐いた、そこへ、

「おう、済んだのか?」

クロノスがフラリと広場に上がってきた、従者が恭しく頭を下げている、

「まぁな、この後どうしようかと考えていた所だよ」

イフナースは若干高い声で答えてしまった、思考の渦から急速に引き上げられ咄嗟に言葉を制御する事が出来なかったのである、

「そうか、じゃ、少し付き合え」

クロノスはニヤリと微笑み簡易天幕を親指で指す、

「む、いいのか?」

「勿論だ、二日も休んでは鈍るだろう?」

さらにニヤリと微笑むクロノスである、

「ふん、こっちは5年も寝込んでいたんだ、今更二日三日で何が変わる」

「ほう、言うじゃないか」

クロノスはニヤニヤと微笑みつつ天幕へ向かい、

「おう、お前さんも暇だろう付き合え」

と従者にも声を掛けた、従者は何の事やらと不思議そうにしているが、天幕の中から木剣を取り出したクロノスを見てえっと驚いている、

「何をしている、命令した方が良いか?近衛だろう?それなりに腕は立つであろうな?」

クロノスが挑戦的に従者を睨み、

「はっ、ありがたき幸せ、クロノス殿下と剣を合わせる等恐悦であります」

突然の事に背筋を伸ばしてこちらも甲高い声である、

「うむ、ほれ、イフナースお前もだ」

クロノスは無造作に木剣を投げつけ、イフナースは慌てて掴むと、

「そういう事なら遠慮はしないぞ」

「?なんだお前遠慮してたのか?」

「いや、先日から鬱憤が溜まっているからな、それにだいぶ動けるようになってきた・・・と思う」

「そうか、ほれ、お前さんも得物を選べ、好きに使って良いぞ」

「はっ」

従者が喜々として天幕に向かい、クロノスは木剣を2本両手で軽く振り回しつつ、

「さて、今日はどうするか・・・女子の支援は無さそうだが・・・お前大丈夫か?」

クロノスはさらにイフナースを挑発し、

「あん?足手まといがいないのだ、好きにできるさ」

イフナースはその挑発を笑顔で受け取り、木剣を構えた、

「そうだな、あっ、お前、魔法は無しだぞ」

「ふん、分かっておるわ」

「そうか、なら良い・・・そうだ、お前さんはイフナースの補佐に回れ、一応従者としての仕事だぞ」

「はっ」

満面の笑顔で丸盾と木剣を構える従者である、やはりしっかりとした構えと佇まいであった、ジャネット達とは一線を画すその立ち姿に、

「ふふん、こうでなければな」

「ぬかせー」

満足そうに微笑むクロノスにイフナースは一気に距離を詰めると遠慮ない一撃を打ち込んだ。
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