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35話 秋のはじまり その9

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執務室は途端に酷く冷たい雰囲気に支配され、クロノスとリンドの暗く冷徹な視線がソフィアへと注視される、三人は共に黙り込み、ミナとレインの遠慮の無い咀嚼音だけが小さく響いた、木戸から入る陽光さえもその静寂によって押し返されているかのようである、流石のミナとレインの存在があってもその凄然な空気は緩和される事は無かった、

「あー、聞き方が拙かったかしら」

しかし、ソフィアも豪胆である、クロノスとリンドという歴戦の勇士の苛烈な視線の前でもなんらその態度に変わりがない、しかし、それなりに緊張はしているようで、わざとらしく後ろ頭をボリボリと掻くと、

「私の特技知っているでしょ」

クロノスから向けられる冷たい視線を遥かに凌駕する目力で睨み返す、

「・・・どの特技だ?」

静かにクロノスが問い返す、

「報告あがってるんでしょ、ユスティーナ様の件・・・」

クロノスはユスティーナと小さく呟き、

「あ、もしかして」

クロノスの視線は一転し、リンドもあっと小さく何かに気付いたようである、

「そういう事、詳しくは言えないし、まだ仮定の段階だから変な希望を持たせる事はしたくないんだけど」

とソフィアは防衛線を張りつつ、

「これ、すぐに、王子様の身近に置きなさい、できれば身に着けさせて、悪いことにはならないわ」

ミナが王子様のと置いた大きめの木工細工をスッとクロノスへ押し出した、

「詳しく話せ」

クロノスの目は真剣である、しかし、先程の狂暴さは無い、リンドも同様である、

「それは無理、変な希望を持たれると困るのよ、上手いこといく保証が無いの、それこそ、下手打ったら私の首が飛ぶでしょ」

「いや、しかしだな」

「そうね、たぶんだけど、効果はあると思うわ、で、それを確認してからその後の対処ね、はっきり言うけど私も聞いた事がある程度の方法よ、実際に目にもしたけど、実行した訳ではないし治療の技術は私には無いわ、ただ、そうすれば治るはず・・・その程度の事よ、そういう意味で期待されると困るのよ」

「だから・・・いや、うん・・・」

クロノスは鼻息を吐き出して両目を瞑り、

「そうか、だから、王か・・・」

クロノスは静かにそう吐露し、リンドもなるほどと頷く、

「そうよ、上手くいけば王子様は快癒されるわよ、あの方に関しては直接は知らないけど噂は散々聞いたからね、良い王になれるんじゃない?分かんないし、私が考えることではないんだけど・・・」

「確かにな」

クロノスは片目を上げてソフィアを睨む、

「でね、王子様がそうなるなら、あんたはどうするのかなって、あんた、むかしは良くそう言って笑ってたでしょ」

「あー、幾つの時の話しだよ」

「あんた、あの頃もう立派な大人だったわよ」

「酒の席の話しだろ、それ言いだしたら、酒場にはそうなりたいやつばかりだぞ」

「そうね、でも、あなたはそうではないでしょ、立場ってものが出来たのだからね」

ソフィアはフンスと鼻を鳴らし、

「ま、でも、さっきの感じだとなる気は無いみたいね」

ソフィアはクロノスとリンドへ視線を送る、

「む、まぁ、うん」

クロノスはゴニョゴニョと否定でも無い肯定でも無い曖昧な言葉を飲み込み、

「ソフィアさん、それは一平民が考えることではありません」

リンドは優しく諭す、その言葉には威圧感は皆無であった、それどころかどこかホッとしたような安堵感が滲んでいる、

「そうね、でも、一応ね、数少ない友人の事よ、まして・・・まぁ、そういう事ね」

ソフィアはそう言ってこちらも真意を口に出さない、

「しかし、イフナース殿下が快癒されるとなれば」

リンドは静かにクロノスを伺う、

「うむ、俺としても嬉しいが・・・何よりもパトリシアが喜ぶな」

クロノスはリンドを見上げ、小さく頷いた、

「はい、陛下は勿論ですし」

「王妃もな」

「懸念が一つ無くなりますね、公爵方が静かになるかと」

「それも・・・あるな、少しばかり寂しくなるが、俺の目は北に向けておきたいし、王家を盤石にできればそれに越したことはない、それも平和裏に・・・」

「はい、少々組み替えが必要ですが、陛下ともその辺は相談の必要があります」

「しかし、快癒したからと言って、すぐには動けないだろう」

「そこはそれ、王家の侍従達は皆一線級の強者ばかりです、私が此処にいるように」

「そういう事か、何とでもなるか・・・」

「はい、殿下は生まれ持って中心に立つべき人かと、それと、殿下もまた強者です、もし、病に倒れなければ、この城の主であったのはあの方か兄君かと、私はそう思うときもあります」

「ふっ、それを俺に言うのか?」

「認識は同じと思いますが」

「ふん、そうだな、そうかもしれんな」

クロノスとリンドはソフィアの前だというのに明け透けに話し合うと、

「うん・・・そうなると、お前さんは何を企んでいるんだ?」

クロノスがソフィアに向き直り問う、

「企むって何が?」

「いや、もしかして、お前、何も考えてないのか、その気になれば、好き放題できるぞ・・・上手くいけばだが」

ん?とソフィアは考え、あーと手を打つと、

「何、御褒美とかそういうの?」

「御褒美って、ガキのおつかいじゃないんだぞ」

クロノスは呆れて笑い、リンドも苦笑いを浮かべる、

「別にどうでもいいわよ、あの時の報奨金だって手付かずでタロウが持ってるし、その気になれば爵位もくれるんでしょ、口約束でも忘れてないわよ」

「それはそれだ、俺とリンドが生きている間は有効だよ、忘れてない、あ、そうか、お前さんはそういう奴だったな」

クロノスはソフィアの性根を思い出したらしい、

「なによその言い草」

ソフィアはジロリとクロノスを睨む、

「いや、そうか、うん、分かった、で、上手くいくのか?」

「だから、それは分からないわ、取り敢えず言った通りにしてみてよ、それで何らかの変化があれば・・・あると思うけどね、その上で対処を考えましょう、ただ、恐らくだけど完全に治るには時間がかかるわね、それと何度も言うけど、私も伝聞でしか聞いた事がないから、目論見通りにいけば・・・うん、ま、取り敢えずやってみて」

「なんだ、随分慎重な上に不明確だな」

「そりゃそうよ、もし何も変化が無かったらこの話しはここだけに留めておいてよ、変に騒ぎ立てたらあんた達だってただじゃ済まないでしょうしね」

「そうか・・・それもそうだな」

「ま、ほら、変な薬飲ませるとか、祈祷師に祈らせるとか、魔法をかけるとかではないんだから、誤魔化しようは、というか誤魔化す必要も無いわね、良い方向へ動けばよし、その時に種明かしをすればいいわ・・・別にその必要も無いかもだけど」

「確かに」

クロノスはテーブルの上の木工細工を手にするとジッと見つめる、

「うむ、分かった、リンド、早速持って行ってくれるか、いや、お前では近づけないかな?」

「はい、私でもクロノス様でも難しいかと、ここはパトリシア様に」

「そうだな、そうするとパトリシアに、いや、俺も一緒に行こう、パトリシアに訳を話すと話しがでかくなる、ソフィアの懸念通りにこの話しはここに留めておこう、うん・・・そうだな、先日の礼と見舞として顔を出すって感じでいいだろう、適当に何か、あ、サケが獲れたのであろう、適当に見繕って用意させて、ついでに見舞とした方が自然だな」

「そうですね、では、午後にも予定を入れましょう、パトリシア様の予定は空いていたはずです、あ、しかし、昨日迄パトリシア様は王城へ出向かれていました、今日もとなるとなにやら勘ぐられるかも・・・」

「なら、俺だけでもどんな理由でも良い、イフナースに会えればなんでも良いわ」

「分かりました、調整します」

「頼む」

リンドが執務室から駆け出し、クロノスは大きく溜息を吐くと、

「ふう、そういう事か、まったく、何事かと驚いたぞ」

やれやれと肩の力を抜いて前屈みになる、

「あら、もしかしてあの時の野心ってもう無いの?」

ソフィアはニヤリと微笑む、

「ふん、野心か、まぁいろいろあるさ、お前さんには分らんだろうが、俺には無理だな、ここの城主で手一杯だよ、身に染みたわ、これなら子爵家程度で田舎でのうのうとしていた方が楽だよ、まったく、貴族も大変だがさ。王族はさらに大変なんだよ」

「あら、平民だって大変よ、あと、子供も大変だし、老人も、学生もよ、あ、何気に寮母って大変だったわ、もう少し楽できるかと思ってたのよねー」

ソフィアはそう言って微笑み、ミナの頭を撫でつけた、ミナは不思議そうにソフィアを見上げ、レインはうんうんと誰にも気付かれないように頷いている、

「そうだな・・・そうだったな」

クロノスは一層優しい目でミナを見つめ、

「そう言ってしまえる、お前さんは大したもんだよ」

「そうかしら?でも、それでも、楽しいのよね、ミナとレインのお陰ね」

ニコリとミナを見下ろすソフィア、

「そうか、そうだな、楽しいな、まったく、やれやれだ」

クロノスはミナとレインへ柔らかい微笑みを向けた。
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