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本編

4話 お忍び貴族は下水道と魔法石より団子です その7

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「貴女のお陰なのです、主人と結婚できたのは・・・」

パトリシアは饒舌であった、ソフィアは勿論付き合いの長いリンドさえその様には呆気にとられている、エレインを捕まえ食堂の一画に陣取り百年の恋を成就させたかのように興奮を押さえずに話続けていた、

「それから、ライダー子爵に何度もお会いしたいと手紙をしたためましたのに、体調不良だのなんだのとはぐらかされまして、一度エレインさんからもお話した方が宜しいですわ」

「は、はぁ・・・」

エレインはこの場で最も混乱していたに違いない、初めて会った恐らく上位の貴族であるパトリシアにファンである等と手を取られ、それから続く流れるような言葉の渦にエレインは完全に打ちのめされている、何とか失礼にならないように相槌を打ちたいし、所々入って来る自身への過剰な誉め言葉を否定したいし、何よりもこれほど流麗に言葉を紡げるものなのかとそこに関心するも、終わりの見えない言葉の濁流に脳はその処理を放棄しつつあった。

「戻りました、・・・おや、どうされました」

帰寮したオリビアが食堂内の状況に何事かとソフィアの側に音も無く近寄る、

「えっとね、あちらの淑女がリシアさん、私のお友達なんだけど・・・、どうやらエレインさんのファン?らしくて、それで、こんな感じ?なの・・・」

ソフィアは何とも要領を得ない回答を捻り出す、オリビアはエレインの表情から危機である事を察すると、

「お茶を用意します、お湯はありますか?」

オリビアの鋭い目付きにソフィアは頷いて二人は厨房へ入った、すぐにオリビアは自前のティーセットを持ってエレインの元へ馳せ参じる、

「お嬢様、お茶を御用意致しました」

オリビアの一言が実に自然にパトリシアの言葉を堰き止めた、静寂が食堂内を支配しパトリシアの様子に視線を奪われていた全ての人がやっと息を吐いた、リンドがすかさずパトリシアの側に近寄ると、

「リシア様、少しばかり御自重下さい、エレイン様が・・・」

と耳打ちする、ハッと我に帰ったパトリシアはエレインの顔へゆっくりと視線を合わせる、エレインは何とも疲れたように目を廻してしまっていた、

「これは、申し訳ありません、いや、恥ずかしい・・・」

パトリシアは顔を真っ赤にして俯いてしまった、オリビアの茶を点てる音のみが暫く食堂を制し、その音が収まりオリビアが一礼すると、食堂は再び静寂に包まれた。

「さすが、情熱的ね、クロじゃなかったスイランズもそうやって落としたの?」

ソフィアが居た堪れなくなり口を出す、

「・・・いやですわ、からかわないで欲しいです・・・」

「そうね、取り合えず街へ散策へ行くんでしょ、ほらうちの可愛い二人の天使が待ってるわ、それに少ーーーし、頭を冷やしましょう、ね」

「そ、そうですわね、エレインさんすいません、ミナさんとレインさんに街を案内して頂くお約束をしていましたの、失礼をお詫び致しますわ」

そそくさと席を立つパトリシア、まだ少々混乱しているのかエレインは茶に手を伸ばしつつ、

「はい、今日は良い陽気で御座いますから」

とこれもまた何とも締まらない的外れな挨拶でパトリシアを見送った。

ソフィアは大きく溜息を吐く、パトリシアとは旧知であるが親密と呼べるほどの仲ではない、ソフィアの記憶では正に理想的な貴族であったパトリシアにこのような情熱的とも捉えられる一面があったとは驚きであった、まぁ、人間らしくて実に良い等と老成した事を考えつつ、

「オリビアさん、夕食の支度手伝ってくれる?今日は大仕事になるわ」

エレインの側で心配そうに佇むオリビアの背にそう言って腕捲りをすると厨房に入った。



「へぇー、人に歴史有りねぇーー」

大量の鶏肉を一口大に切り分けながらソフィアは事の真相を知るに至り感嘆の声を上げる、

「はい、何とも、はい」

背中合わせにオリビアは鶏卵と酢を合わせたものに食用オイルを添加しつつ掻き混ぜ続けていた、ソフィアに言われた通り彼女が良いというまで混ぜ続けるのが仕事であるが中々に重労働である。

先程の事件の後エレインは自室で休息する事になり、オリビアはその世話をした後で厨房に降りてきた、エレイン自身は少々眠気がある程度で大事はないようで、少し休みます、との事である。

「すると、もしかして、あの演劇になっていたり、吟遊詩人が歌ってたりする戯曲の元って・・・」

「はい、エレインお嬢様の逸話に尾ひれがたくさんついてますが・・・それですね」

「へぇー、へぇー、すごーい・・・ってエレインさんとしてはどうなの」

ソフィアは無神経に騒ぎすぎるのは宜しくないかと自制しつつ、当のエレインがどう考えるかが気になってしまう、

「はい、私も直接伺った事はないですが、一時期程気にはされていないようです」

「という事は昔は、気にしてた?」

「そりゃそうですよ、私だって嫌です、さらにそれを種にして面白可笑しくされては猶更・・・ではないですか?」

「それもそうね」

事の次第とは5年前にさかのぼる、その頃王国は北部を魔族に侵略され全土を上げて戦火に晒されていた、後に魔人戦争と呼ばれる騒乱である、その戦争自体は2年前の冬にクロノスをリーダーとした救国のパーティーと呼ばれる冒険者達の活躍で終結を見ている、前帝国以後の人類の歴史の中で最も苛烈な時代であったと現在の史学者は口を揃えていた、そんな時代の真っ只中に当時17歳であったエレインもその災禍を直接に受けており、4人の兄の内二人を戦禍で失うことになった、それが多感な時期の彼女に作用したのであろう、彼女の行為が貴族社会を揺るがす事となる。
「戦いにも行かず、後方で肥え太るとは何事か」
戯曲として様々に脚色されているが元の言葉は実にシンプルなものであった、エレインは自身の披露宴のその場で婚約者を罵倒しその勢いに腰を抜かした婚約者に手にしたワインをぶちまけたのである、
「貴族と呼ばれたくば前線に向かえ、何ゆえに我らは贅沢が許されるか貴様に分かるか」
当時のエレインを今のエレインは若気の至りと冷ややかに笑うが、その言葉には若さゆえの力強さと理想が多分に含まれている、
「私の婚約者となるものがこれほど脆弱であるとは笑止である、貴族の矜持があるのであれば貴族の意地を見せてみよ」
この婚姻はライダー子爵家とそれより高位の伯爵位とのものであり、この式は高位となる公爵も招かれた正式な結婚の場であった、エレインは事の重大さに青くなったライダー家の人間に取り押さえられ結婚は見事に流れる事になった。
この場合、エレインの処罰は勿論ライダー家の存続も危ぶまれるが出席した公爵の一言でその危機は免れる事となる、
「この戦禍の下にあって女なりとも貴族の魂を持った希少な人物である、貴族であればこそ前線に立たぬ腰抜けは我が王国にその席は無し」
公爵はエレインの逸話を王国全体に決起の材料として流布し、その思惑は見事に結実する事になる、尤も戦争自体の終結は救世のパーティーを待たなければならなかったが、魔族軍のそれ以上の侵攻が止まる契機にはなったのである。
しかし、ライダー家はエレインの扱いに苦慮する事となる、公爵の策略によってエレイン自身の罪は曖昧なものとなったが、当の伯爵家のとのわだかまりは厳として存在する、なにせ結婚の場であり公式な会において一方的に非難したのである、ライダー家としては何らかの処置を講じる必要があった、そこで期限を決めずに学園へ入学させたのである、多額の寄付金と共に穏便に放逐したのであった。

「私はまだ子供だったので、当時の騒動は見てはいましたが理解できてませんでした」

「・・・うん、想像するに・・・嫌ね、貴族の価値観は分からないけど・・・」

「そうですね、・・・こんな感じですか?」

オリビアはソフィアに手にしたボールの中を見せる、ソフィアの言う黄色がかった白いソースがその中には生成されていた、

「うん、見た目はイイ感じ」

ソフィアはボールの中のクリームを小指で掬うと味を確かめる、

「うん、味も良いかしら、も少しお塩が欲しいかな?オリビアさんはどう?」

「はい・・・」

オリビアもソフィアを見習い味を見る、

「わ、美味しい、なんですこれ、こんな美味しいなんて、え?卵と酢と油だけですよね」

「そうねぇ、びっくりよね、じゃ、これ試してみて」

ソフィアは短冊状に刻んであった人参を一本取るとクリームを付けてオリビアの口に押し込んだ、

「うぬ、美味しい、えっ、人参が美味しい」

「ふふん、生の人参も御馳走になるでしょ、ならば、どうしよう、もう少しお塩を入れて混ぜてもらったらそれで完成ね、終わったらこっちよ」

ソフィアの手元には大量の鶏肉が2種類に分けられて中程度の壺に収まっている、

「それとも、あっちに手を付けないと時間が足りないかしら・・・」

ソフィアはぶつぶつと段取りを考えつつも手が休まる事は無い、

「ソフィアさーーん、何かないーーー?」

帰寮したジャネットがフラリと厨房に入って来る、その後ろにはケイスの姿もあった、

「あら、お帰り丁度良かったわ」

ソフィアは満面の笑みでジャネットを迎えると、

「はい、この鶏肉に下味を付けます、ジャネットさん、よく揉みこんで?その前に手を洗ってらっしゃい、ケイスさんもお願いね、鶏肉は二つあるから」

ヘッと気の抜けた顔をするジャネットをソフィアは裏庭に叩き出し、ケイスもまた流れる様に裏庭に誘われた、

「うーーん、次は卵焼きだ、それとパンケーキを・・・、オリビアさん次はこれを混ぜて、焼きを担当してもらうからね、窯に火を入れないと、あっ適当な柑橘類があれば嬉しいな、蕎麦はあるし・・・ケイスさんには買い物頼もうかしら、それだと・・・」

ソフィアの大車輪の活躍にオリビアはエレインと同様に目を回し始めていた。
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