盲目剣士と鍛冶見習い

陸亜

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序(4)

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「なっ……?!」

突如響き渡った爆発音と、追って足元を震わせた振動に、八雲は周囲を振り仰ぐ。音の出所はほぼ間違いなく、この家の敷地内だろう。近すぎるが故に、その音源がすぐには察せない。
しめやかな夜を引き裂くその音にいち速く反応を見せたのは、それまで淑やかに佇んでいたはずの晄であった。
音もなくその場に立ち上がったかと思うと、やや低い位置に構える(構えだけを見れば、そこにはない刀を抜こうとする手付きに見えただろう)。今にも飛び出しそうな身体はけれど微動だにせず、代わりに押し出されたのは問い。声音こそわずかに上擦っているものの、八雲の精神よりもよほど落ち着いているように思われた。

「八雲どの、祭刀はどちらに?」
「か、刀? 作業の途中なら、鍛冶場から続く土蔵に――」
「僕はそちらへ。八雲どのは安吾どのをお願いいたします」
「へ? あ、おい場所!」

言うが早いが、晄は上衣をひるがえして廊下の向こうへと消えてゆく。
確かに鍛治場であれば日中のうちに顔を出していたが、ほとんど見知らぬ場所では勝手もきかないだろう。まして、いくら月が明るいとはいえ灯りのひとつも無い夜闇の中とあれば、住み慣れた八雲でさえ真っ直ぐ向かうことは容易ではない。
にも関わらず、晄の気配は着実に遠退いてゆく。その足音には、迷いのひとつも窺えなかった。

「……本当に見えてないんだよな? あいつ」

呆けたように晄が呑み込まれていった闇を見つめていた八雲だが、ほどなくしてはっと我に帰る。
あの爆発音からこっち、空気がざわめいているものの、同じ規模の音は発生していない。そも、爆発音としか表現しようが無い音ではあれど、あれが本当に爆発であったのかさえも分からなかった。
仮に自然発生したとすれば、場所は厨房か、あるいは鍛冶場――

「っそうだ、師匠……!」

晄に託された師のことを思い出した八雲は、兎角その安否を確かめるべく動き出す。裸足の足が床板を蹴り、かぼそい悲鳴めいた軋みをあげた。
周囲は、先の爆発音が嘘のように、しんと静まりかえっている。にも関わらず、八雲の胸の裡からは、得も言われぬざわめきが増してゆくばかりであった。

まず安吾が眠っているであろう自室を訪れた八雲が目にしたのは、もぬけの殻となった布団であった。乱雑に捲られたそれに半ば形振り構わずしがみつけば、師のものと思しき臭いこそ残されていたものの、その体温はほとんど感じられなかった。
周辺は明らかに荒らされた様子がなく、安吾は自発的に布団を飛び出したのだろうと推察される。それも、爆発音よりずっと前に。
その裏付けであると言わんばかりに、八雲が入ってきた障子とは別の、一見押し入れとしか思えない襖が開け放たれ、その先に続く深い闇が口を開いていた。本来は二段に仕切られているはずの空間はけれど、間の板がなく人ひとりをゆうに飲み込む広さであった。

(中が空なのは、布団が出てるから……じゃあ、ないよな)

思わず生唾を呑み込めば、ばかに煩く響く嚥下音に眉を潜める。動揺と不安を振り切るように拳を握れば、掌に滲んでいた汗の存在を嫌でも思い知らされることとなった。
八雲は頭を一つ大きく振るうと、おのれの両の頬を激しく打つ。ぱあんと小気味良い音が、もやもやとした迷いを吹き飛ばした――少なくとも八雲自身は、そうであれと願った。
そうして顔を上げると、一寸先も定かではない暗闇へと、大きく一歩を踏み出すも――

「な、」

――その先を踏み締めるに能わず、剥き出しの足は空を掻いたのだった。







それは時間にしてほんの数秒にも満たない、ごく僅かな瞬間だったのだろう。
気が付いた時、八雲は自身すら見えない完璧な暗闇の中で、ひやりとした何かを尻に敷いているようであった。強かに打ったのだろう、じわりと広がる熱のような痛みはあれど、他には主だった負傷をしていないようだ。多少の掠り傷はあるが、この程度で済んだのはせめてもの幸運であろう。
尻と同じく触れていた掌が、冷感だけでなくしっとりとした手触りをも伝えてくる。反射的に丸められた指先がわずかに沈む感触から、それが地中の土であることに思い至った。
つまり此処は、

(土蔵か……?)

見知った場所であるのではと推測し、ざわめいていた八雲の心がいくぶん穏やかになる。理由は分からないが、安吾は自室からこの土蔵へと直接繋がる導線を確保していたようだ。
八雲は勢い余って転がり込んでしまったが、あの師のこと、本来は縄梯子の類を用いていたのだろう。もし安吾が此処に降り立ち、かつ自室から追われまいとしていたのなら、そうした道具は回収していただろうが――そもそも、あの暗闇ではそのままであったとしても見付けられなかったろうが。

兎角、八雲はつとめて気を落ち着かせながら、周囲の様子を観察した。手元さえ見えない闇の中ではあるものの、八雲とて土蔵に出入りしたことは少なくない。方角や詳しい位置関係こそすぐには分からないが、壁や置かれているものの配置関係で大まかな推測は可能だろう。
湿った土の床に這わせた指を、注意深く動かしてゆく。落下地点からまだ遠く離れていない以上、比較的近い位置に壁があるはずだ。
八雲の予想は見事に的中し、同じくひんやりとしていながらもそれまでとは違う感触に気付く。石壁だろうと察し、ほっと息を吐いたところに――

「……ッ?!」

弾かれるように、背後へと振り返る。依然として光を許さない闇の中に、浮かび上がるものは無い。
それでも、首の後ろから背筋を伝う、あまりにも異質な気配がそこにはあった。

――何かが、「い」る。
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