悪魔祓いと復讐者

陸亜

文字の大きさ
上 下
8 / 8

悪魔祓いと復讐者(8)

しおりを挟む
ラウルは反射的に、この男を殺す状況を思い浮かべようとした。
けれど、脳内でそれが果たされるよりも早く、それが不可能であることを理解した。

今のラウルでは、オースに触れることすら儘ならないだろう。ただでさえ戦いのひとつも知らない身体は、精神ともどもすっかり疲弊しきっている。感情の制御すら覚束ないというのに、悪魔を(そして母を)殺すことができるような男に敵うはずがない。殺すなどもっての他である。
そして、今の状況でオースを殺すことが正しいことかどうかは、既にさいぜん答を出していたはずだ。それを忘れてしまいかねないほど、絶妙にラウルを煽る誘いであった――当人がそれを意識しているかは兎も角として。うっかり飛びつこうものなら、良くて昨夜の二の舞、悪ければ教会から放り出されていただろう。

それでも憎悪と憤怒は抑えきれず、軋んだ歯のあいまから鈍い音が響く。張り詰めた弦のように震える空気を、シュウのかるい溜め息が和らげた。ほそめられた黄金瞳が、隣に立つ男をねめつける。

「人のことが言えた口か? お前も十分人が悪い」
「別に、おかしなことを言ったつもりは無いけれど」

いまいち判然としないものの、その言葉からして半分以上は本気のようであった。何をそんなに驚くのかと言わんばかりに広い肩をそびやかした男は、あおむけていた顎を引いて小首を傾げてみせる。
シュウはすっかりあきれ返った様子であったし、ラウルとしても同意したいところではあったが、どのみち当人にその理由は分かりそうもなかった。それが分かるような人物であったなら、そもそもあんな煽りが飛び出すはずもない。その証左と言わんばかりに、ゆるやかな口調に見合わぬ言葉が続けられる。

「母親の仇を討ちたいなら、その傍に居ることは間違いじゃない。いつでも仕掛けてきてくれて構わないよ。勿論、ただで死んであげるつもりは無いけれどね」
「……お前がそこまでマゾヒストだと知っていたらな」
「人聞きが悪い。それで、君は?」

唐突に話題と視線と意識を向けられて、ラウルの胃がひっくり返る。口の中に溜まっていた唾液が空気にからげて嚥下され、噎せ込みそうになるのを何とか耐えた。
不格好に呼吸を整えながら見上げれば、オースはやはり自分の言葉に何の疑問も持っていない様子で、ごく真面目にラウルの意見を求めているようであった。

「流石に本人が拒否するようなら、シュウも無理強いはしないだろうけど」
「とはいえ、俺の下に付いたところで学べるのは情報部隊としての仕事だからな」
「それはまあ、そうだろうね。実働部隊で他に手が空きそうな人とか居ないの?」
「居たらお前に仕事を回すと思うか?」
「それもそうか。それで、君は……ええと、」

こちらを見下ろす双眸、その瞳孔がいっとき窄まり、ラウルを捉えた。名前を問うているのだと気付き、答えるべきか思案する。ごく短いその一瞬、ふたりの視線は確かに絡み合った。相手を認識しようという意味では、おそらく初めて。

「……ラウル、」
「ラウル、か。君はどうしたい?」
「俺に、選択権は無いんじゃないか?」
「そんなことは無いよ。シュウはそもそも、君を無理に留め置こうとしたわけじゃあないし」
「そうだな。此処に留まるのであれば、この男に付けと言っただけだ」
「君がそれに、十分なメリットを感じられるなら」
「……そう、だな」

メリットはある。いくらでもある。悪魔狩りを目指すのならば、こんなチャンスは二度と訪れないだろう。そして、母の仇を討つとしても――それが本質的であれ、実質的であれ。
強いてデメリットを挙げるとするならば、その仇当人に師事することに対する抵抗感くらいのものだ。それが決して些細なものでないことは、ラウル自身理解している。それでも。それだからこそ。
顔を上げる。凪いだ灰の瞳は、変わらずラウルを見下ろしていた。

「……アンタに付いて行く。それなら、教会に居られるんだろ?」
「ああ。最低限でもその間は、オースもこの教会の所属として扱うからな」
「僕は構わないよ。最近は悪魔も活性化しているようだから、何処に行ってもやることは変わらないし」
「活性化……?」
「その辺りの講義については後日だな。一先ずはその流れで進めるぞ」

言うだけ言って、シュウはくるりと踵を返す。長い黒髪が、気まぐれな猫のようにゆらりと揺れた。

取り残されたふたりの間に、何とも言葉にしがたい沈黙が落ちる。もとい、言葉にできないが故の沈黙が。
ちらと視線を向けてみるものの、オースが同じような居心地の悪さを感じている様子は見受けられなかった。もとより、その眼差しや表情からは、あまり感情の起伏を感じられなかったが。
それがなんだか悔しくて、つい唇を尖らせてしまう。子どもみたいな仕草だと分かっていても、何かしらの形で不満を表さなければ気が済まなかった。果たしてそれは男にも届いた様子であったものの、それが自分の思惑通りなのかさえ分からない。

「まあ、やれる範囲で頑張ると良い。僕は誰かを教えることには向かないと思うけれど」
「随分余裕だな。隙を見せたら、本気で殺しにかかるぞ」
「それくらいじゃないと、張り合いが無いからね」
「……ふん」

穏やかな口調のまま、人の神経を逆撫でするような言葉を平気で吐く。どれほど意図しているのかすら掴めず、ラウルは鼻を鳴らすだけにとどめた。

シュウによって開かれたままの扉から、やわらかな風が吹き込んでくる。清潔感のある、けれど生活の色がありありと見て取れる香り。それでいて、ラウルがこれまで生きてきた中で嗅いだことのないものが、多分に含まれている。
扉の向こうに広がっているのは、ラウルの知らない世界だ。その陰に悪意がひそんでいるなんて思いもしない、爽やかで親しみのある気配。その前に立ちはだかるように――あるいは、その先へラウルを誘い出そうとするかのように。悪魔のような男が、立っていた。



神父らしからぬ悪魔祓いと、未熟な復讐者。
ふたりの奇妙な旅路は、此処から始まるのであった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ある国の王の後悔

黒木メイ
恋愛
ある国の王は後悔していた。 私は彼女を最後まで信じきれなかった。私は彼女を守れなかった。 小説家になろうに過去(2018)投稿した短編。 カクヨムにも掲載中。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

盲目剣士と鍛冶見習い

陸亜
ファンタジー
怨霊や怪物といった異形のものがはびこる世界を旅する青年たちを描いた、伝奇ファンタジー長編。「祭刀」と呼ばれる特殊な刀を持つ盲目の青年「晄」と、刀鍛冶の弟子である少年「八雲」の二人が主人公。探し物をして旅する晄に、成り行きでついていくこととなった八雲。旅の中で絆を深めながら、晄が探す物の正体、八雲に負わされた役目が明らかになってゆく。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

悪役令嬢は処刑されました

菜花
ファンタジー
王家の命で王太子と婚約したペネロペ。しかしそれは不幸な婚約と言う他なく、最終的にペネロペは冤罪で処刑される。彼女の処刑後の話と、転生後の話。カクヨム様でも投稿しています。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

もう、終わった話ですし

志位斗 茂家波
ファンタジー
一国が滅びた。 その知らせを聞いても、私には関係の無い事。 だってね、もう分っていたことなのよね‥‥‥ ‥‥‥たまにやりたくなる、ありきたりな婚約破棄ざまぁ(?)もの 少々物足りないような気がするので、気が向いたらオマケ書こうかな?

「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!

七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ? 俺はいったい、どうなっているんだ。 真実の愛を取り戻したいだけなのに。

処理中です...