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悪魔祓いと復讐者(6)
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凍てついた突風が駆け抜けたかのように、その場の空気が張り詰める。
しかしながら、それはあくまでラウルのみに言えることであり、シュウや目の前の男――オースにとっては何の変化も感じなかったのだろう。二人の様子でそれを悟るも、ラウルの裡に生まれた緊張は膨らむ一方であった。
理屈では分かっている。目の前の男は、事実母の生命を奪った相手ではあるが、それはあくまで悪魔狩りとしての本分を果たしただけだということを。理性では受け止めている。この男が母を止めていなければ、ラウルや村の人々が犠牲になっていたかもしれないことを。理解していて、それでも。
それでも――母の頭蓋を叩き潰した脚の向うで閃いた、あの眼光に心が乱されてしまう。
「ラウル」
落ち着いたトーンで短く名を呼ばれ、視界がふっと拓かれたことを知る。自らが閉じていたのだと気付くと同時、律していたつもりの我を失いかけていたことを覚り、耳が熱を孕んだ。
意図しないうちに凝視していた男の双眸から、自分を呼んだ男へと視線を移す。その動きすら、強く意識しなければならなかった。ようやく視界に納めた月の色が、呆れと憐憫を滲ませてゆるく垂れる。
「分かっているな?」
言葉はきわめて短く、単純で、それ故に明解であった。
ラウルの覚悟が本物ならば、場所に、そして相手に応じて相応の態度を取るのは当然である。いくら相手が事実上母の仇であろうとも、今この時この場所において、その行動はまったく咎められるべきものではないのだ。それを咎めるということは、すなわちこの場所で生きていくことを拒むということ。それが分からないほどラウルが幼くも愚かでもないことを、既にシュウは知っている。
故に、諫める声は必要最低限に。それで「分からない」ようであれば、それまでの男と見做されるだけの話だ。
拳を握り、唇を噛み、ほそく長く息を吸う。同じだけの時間を使って吐く。合わせてそろりと力を抜くと、部屋の全貌を正しく眺めることができるようになっていた(すなわち、たった一瞬前まで、そんなことすらできずにいたのだ)。
自分でも分かるほどぎこちない仕草で頷いてみせれば、シュウは満足そうに鼻を鳴らす。ふたりの応酬に何を察したのか、男は俄に眉根を寄せるとシュウを軽くねめつけた。
「性格が悪いね、シュウ」
「お前にだけは心の底から言われたくない」
おもむろに吐き出された男の言葉に、うっかり同意してしまいそうになる。頷くまで至らなかったことにこそりと安堵した直後、可能な限り眉間に力を込めて己を呪った。
そうすると、なんだか、すっかり肩の力が抜けてしまうのであった。
*
わざとらしく咳払いをしたシュウが、まあいい、と気を取り直して一歩後ずさる。ラウルの視界に男の全身が晒され、思わず意識を奪われる――そこに立っているだけで、強い存在感を与える男であった。
威圧するとも、主張するとも違う。ただ、そこに「在る」ことを意識させる男。夜の藍よりもなお深い色の髪がざんばらに首筋や額を覆っている。前髪のあいまから覗く双眸は、記憶の中にある鋭さをごっそりとそぎ落としていたが、それでも毅い眼差しを放っていた。あの夜は血の色を孕んでいたように思われたが、こうして改めて眺めてみると、色彩らしい色彩を忘れてきたような淡い灰のひとみであった。
日に風に晒された肌を、戦いの中で研磨された輪郭がかたどっている。その中心、鼻筋のやや高いところに奔る、一筋の旧くとも浅くはない傷痕が、余韻のように目蓋に貼り付くようであった。
良く言えば精悍、そうでなければ粗削りといった風貌の男は、大した興味も無さそうにラウルを見下ろしていた。路傍の石、とまでは言わないが、少なくとも昨夜自分に襲い掛かろうとした相手だとは見做していないだろう。あるいは、そう認識していたところでさしたる問題だとは感じていないのか。どちらもあり得ると思って、実際その通りだとも思って、ラウルは素直に唇をひん曲げた。
あの夜ほど感じた巨躯でこそないものの、男はかなりの長身であった。上下とも黒い衣服を纏っているからか、髪の色も相まって夜の闇に溶けてしまいそうな出で立ちだ。肩や胸、肘などに革が当てられているものの、極力動きを阻害しまいとした造りであることにはある種の納得がいく。シュウの姿といい、ラウルの記憶にある神父の姿とはあまりにもかけ離れた姿であったが。
シュウ、と男が呼ぶ。低く、響きの良い声音だ。紡いだ名前の韻によるものもあるからか、男の印象とはずいぶん離れた、やわらかい感触を思わせる。
その口調も、声に見合う穏やかさで言葉を繰るものだから、昨夜とはまるで別人さながらの雰囲気だ。それでも、あの夜の静寂の中で、ただただ淡白に放たれた音の羅列とも、確かに通じる響きがそこにはあった。
「それで、僕はどうして呼ばれたのかな」
「ああ、それなんだが」
明らかに分かっていて放置していただろうに、いかにも言われて思い出しましたというふうに、シュウがぽんと手を打った。しらじらしい、と思ったのはオースも同じなのだろう。灰色のひかりにねめつけられようとも、シュウはまるで意に介していない様子であった。
ほそい指先を顎に当てると、何かを考えるように小首をかしげてみせる。それも長くは続かず、うん、と一つ頷くと二人を順に眺め、そしてこう告げてみせた。
「細かい事を省いて結論だけを言うと、ラウルーーこいつはオース、お前に任せる」
「は?」
今度は留めることも間に合わず、果たして二人はそっくり同じタイミングに、そっくり同じ音を奏でたのであった。
しかしながら、それはあくまでラウルのみに言えることであり、シュウや目の前の男――オースにとっては何の変化も感じなかったのだろう。二人の様子でそれを悟るも、ラウルの裡に生まれた緊張は膨らむ一方であった。
理屈では分かっている。目の前の男は、事実母の生命を奪った相手ではあるが、それはあくまで悪魔狩りとしての本分を果たしただけだということを。理性では受け止めている。この男が母を止めていなければ、ラウルや村の人々が犠牲になっていたかもしれないことを。理解していて、それでも。
それでも――母の頭蓋を叩き潰した脚の向うで閃いた、あの眼光に心が乱されてしまう。
「ラウル」
落ち着いたトーンで短く名を呼ばれ、視界がふっと拓かれたことを知る。自らが閉じていたのだと気付くと同時、律していたつもりの我を失いかけていたことを覚り、耳が熱を孕んだ。
意図しないうちに凝視していた男の双眸から、自分を呼んだ男へと視線を移す。その動きすら、強く意識しなければならなかった。ようやく視界に納めた月の色が、呆れと憐憫を滲ませてゆるく垂れる。
「分かっているな?」
言葉はきわめて短く、単純で、それ故に明解であった。
ラウルの覚悟が本物ならば、場所に、そして相手に応じて相応の態度を取るのは当然である。いくら相手が事実上母の仇であろうとも、今この時この場所において、その行動はまったく咎められるべきものではないのだ。それを咎めるということは、すなわちこの場所で生きていくことを拒むということ。それが分からないほどラウルが幼くも愚かでもないことを、既にシュウは知っている。
故に、諫める声は必要最低限に。それで「分からない」ようであれば、それまでの男と見做されるだけの話だ。
拳を握り、唇を噛み、ほそく長く息を吸う。同じだけの時間を使って吐く。合わせてそろりと力を抜くと、部屋の全貌を正しく眺めることができるようになっていた(すなわち、たった一瞬前まで、そんなことすらできずにいたのだ)。
自分でも分かるほどぎこちない仕草で頷いてみせれば、シュウは満足そうに鼻を鳴らす。ふたりの応酬に何を察したのか、男は俄に眉根を寄せるとシュウを軽くねめつけた。
「性格が悪いね、シュウ」
「お前にだけは心の底から言われたくない」
おもむろに吐き出された男の言葉に、うっかり同意してしまいそうになる。頷くまで至らなかったことにこそりと安堵した直後、可能な限り眉間に力を込めて己を呪った。
そうすると、なんだか、すっかり肩の力が抜けてしまうのであった。
*
わざとらしく咳払いをしたシュウが、まあいい、と気を取り直して一歩後ずさる。ラウルの視界に男の全身が晒され、思わず意識を奪われる――そこに立っているだけで、強い存在感を与える男であった。
威圧するとも、主張するとも違う。ただ、そこに「在る」ことを意識させる男。夜の藍よりもなお深い色の髪がざんばらに首筋や額を覆っている。前髪のあいまから覗く双眸は、記憶の中にある鋭さをごっそりとそぎ落としていたが、それでも毅い眼差しを放っていた。あの夜は血の色を孕んでいたように思われたが、こうして改めて眺めてみると、色彩らしい色彩を忘れてきたような淡い灰のひとみであった。
日に風に晒された肌を、戦いの中で研磨された輪郭がかたどっている。その中心、鼻筋のやや高いところに奔る、一筋の旧くとも浅くはない傷痕が、余韻のように目蓋に貼り付くようであった。
良く言えば精悍、そうでなければ粗削りといった風貌の男は、大した興味も無さそうにラウルを見下ろしていた。路傍の石、とまでは言わないが、少なくとも昨夜自分に襲い掛かろうとした相手だとは見做していないだろう。あるいは、そう認識していたところでさしたる問題だとは感じていないのか。どちらもあり得ると思って、実際その通りだとも思って、ラウルは素直に唇をひん曲げた。
あの夜ほど感じた巨躯でこそないものの、男はかなりの長身であった。上下とも黒い衣服を纏っているからか、髪の色も相まって夜の闇に溶けてしまいそうな出で立ちだ。肩や胸、肘などに革が当てられているものの、極力動きを阻害しまいとした造りであることにはある種の納得がいく。シュウの姿といい、ラウルの記憶にある神父の姿とはあまりにもかけ離れた姿であったが。
シュウ、と男が呼ぶ。低く、響きの良い声音だ。紡いだ名前の韻によるものもあるからか、男の印象とはずいぶん離れた、やわらかい感触を思わせる。
その口調も、声に見合う穏やかさで言葉を繰るものだから、昨夜とはまるで別人さながらの雰囲気だ。それでも、あの夜の静寂の中で、ただただ淡白に放たれた音の羅列とも、確かに通じる響きがそこにはあった。
「それで、僕はどうして呼ばれたのかな」
「ああ、それなんだが」
明らかに分かっていて放置していただろうに、いかにも言われて思い出しましたというふうに、シュウがぽんと手を打った。しらじらしい、と思ったのはオースも同じなのだろう。灰色のひかりにねめつけられようとも、シュウはまるで意に介していない様子であった。
ほそい指先を顎に当てると、何かを考えるように小首をかしげてみせる。それも長くは続かず、うん、と一つ頷くと二人を順に眺め、そしてこう告げてみせた。
「細かい事を省いて結論だけを言うと、ラウルーーこいつはオース、お前に任せる」
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