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悪魔祓いと復讐者(5)
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「あの男も、ここの悪魔祓いなんですか」
「いや、この教会に所属しているわけではない。協力者と言った方が適切なんだろうが、あまり協力的には見えないのが困りものでな」
シュウは深い溜め息をひとつ吐くと、ほそい指先で前髪を搔き上げる。頭に巻いた布地からぶら下がる金属の装飾品がかぼそい音を立てた。ラウルの村にやってきた神父とはだいぶ雰囲気が異なり、本で読んだ地方の部族みたいな印象を受けるが、これも悪魔祓いの特徴なのだろうか。
とはいえ、あの夜見た男(名こそ聞いたものの、心中に思い浮かべることすら気が進まない)からはそういった雰囲気は感じられなかったはずだ。月光を背にしていたためほとんど黒ずくめに見えていたが、少なくとも細やかな装飾を――神父なら必ず持っているだろう十字架の一つさえ見当たらなかった。目前のシュウでさえ、装飾の一部には十字があしらわれているというのに。
ぼんやりと浮かべた思考は、少なからず現実から逃避しようとしていたのだろう。そんなラウルに気付いているのかいないのか、シュウは愚痴るように続ける。
「今回の件についても、あいつが先走ってほとんど一人で終わらせやがった。後処理やら何やら任された実働部隊の連中に文句を言われたが、そもそも俺が手綱を握れるような男じゃあない」
「今回の件って、母のことですか」
「そうだ。本来ならお前のような被害者の保護も仕事の内なんだが、ものの見事に放り出しやがって……まあ、これに関してはあいつに任せなくて良かったんだろうが」
「……そう、ですね」
全てを把握できてはいなくとも、大筋は納得しつつある冷静な自分に、ラウルは内心嫌気がさしていた。悪魔だの悪魔祓いだのと御伽噺(もとい、聖書のような)話ではあるが、事実あの夜の母はどこかおかしかった。その原因が人間を破滅に向かわせる悪魔のものであると聞かされて、納得してしまいそうになるのは、それ以外の理由――喩えば、ラウルのせいであるなどとは思いたくなかったからだろう。
思えば、悪魔が仇であるのならば、ラウルこそが母を守れば良かったのだ。そうすれば、母があの男の手にかかることも無かったかもしれないのに。悪魔のことを正しく理解しており、ラウルに事態を解決するだけの力があったならば。
きつく、拳を握る。小さくて白い、子どもの手だ。こんな手で、母を守ることなぞ土台無理であったのだ。現状を正しく認識したところで、過去が変わるわけではない。分かっている、それでも。
「……悪魔が、母に何かをしたんですよね」
「そうだな。端的に言えば、悪魔がお前の母を唆した。それによって、お前の母はお前を襲おうとしたんだろう」
「母は、助けられなかったんでしょうか」
「実際に現場を見ていないから何とも言えないが、おそらく難しかっただろう」
「助けられた可能性は、あったんですか」
「不可能と断言はしない。が、過去に対する仮定の話は建設的じゃあないな」
「……、」
「時に少年」
シュウは続ける。今日の夕餉をたずねるような気軽さで。
「悪魔によって保護者を喪った未成年者に関しては、本人の所属する集落だけでなく教会にも保護権が与えられる」
「……ここに、ですか?」
かるく、顎を引くようにうなずいてみせる。かるい声音とは裏腹に、見詰めてくる金瞳は実に直向きで真摯ないろを帯びていた。おのれで選択することを許されるだけの信頼と、その選択を見定めようとする審判を向けられ、ラウルの呼吸が一瞬止まる。
見透かされている。そして、その上で試されているのだ。そしてこれは、ほぼ間違いなくただ一度きりの機会だろう。
ラウルは本来、あの村を出ることさえ無いまま、その人生を終えてもおかしくはなかった。母を援け、村の中で役目を持ち、村の娘と結婚し、そして村の墓に己の骨を埋められたはずだ。母と同じように。
けれど、母はそうならないだろう。十中八九、教会が身柄を(もとい、躯を)引き取ったはずだ。村の住人がどこまで把握できているかは分からないが、可能な限り事実を隠蔽するだろう。教会がそれを促すまでもなく。
村に戻って、ラウルの境遇がどう変わるかは分からない。村長も、他のものたちも、きっと悪いようにはしないだろう――ラウルが下手なことを口に出さないか、見張りはするだろうが。もとより、同年代の子供たちからは遠巻きにされるような子供ではあったけれど、今後は向けられる視線に少なからず憐憫の情が混じるに違いない。
平和に生きることはできるかもしれない。全てに蓋をして、母を亡くした哀れな子を演じれば。真実を口にすることなく、村に支えられ、その生涯を終えることができるだろう。そして、母がいない墓へと入るのだ。
「俺は……、」
あれだけ水を呑んでおきながら、なおも喉が渇く。見開いた瞳までもが乾き、視界に映る男の姿が揺れ動いた。心までもか揺らがぬよう、そっと瞼を閉じる。
言うまでもなく、答は一つだった。それでも、それを口にするには、年端もいかない少年にとって多大なる覚悟を要した――そして、それをこそ眼前の男は求めていたのだろう。
これまでの生き方を捨てるのだ。約束されていた未来を、安全な籠の中での生活を。それでも、ラウルが欲しかったのは孤独ではなかったから、未練を抱くことはできなかった。僅かに胸を焼く寂寥を、深い呼吸の裡に鎮める。
視界を占める暗闇は、思いのほか柔らかかった。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、広がる光景は変わらずラウルを受け入れてくれていた。こちらを見る、見届けようとする黄金眼と、視線が絡み合う。
それだけで、答には充分であるようだった。
「決まりだな」
シュウが笑う。機嫌の良い猫のようにきらめく瞳が、三日月のように細められた。
すると、彼の背後でそれまで音の一つも立てなかった扉が、唐突に開かれる。もとより知っていたかのように、彼は肩をそびやかして顎をしゃくってみせた。促されるように向けられたラウルの視線が、ある一点へと絞られる。
開かれた扉の先に居たのは――あの、黒い悪魔……もとい、悪魔祓いであった。
「いや、この教会に所属しているわけではない。協力者と言った方が適切なんだろうが、あまり協力的には見えないのが困りものでな」
シュウは深い溜め息をひとつ吐くと、ほそい指先で前髪を搔き上げる。頭に巻いた布地からぶら下がる金属の装飾品がかぼそい音を立てた。ラウルの村にやってきた神父とはだいぶ雰囲気が異なり、本で読んだ地方の部族みたいな印象を受けるが、これも悪魔祓いの特徴なのだろうか。
とはいえ、あの夜見た男(名こそ聞いたものの、心中に思い浮かべることすら気が進まない)からはそういった雰囲気は感じられなかったはずだ。月光を背にしていたためほとんど黒ずくめに見えていたが、少なくとも細やかな装飾を――神父なら必ず持っているだろう十字架の一つさえ見当たらなかった。目前のシュウでさえ、装飾の一部には十字があしらわれているというのに。
ぼんやりと浮かべた思考は、少なからず現実から逃避しようとしていたのだろう。そんなラウルに気付いているのかいないのか、シュウは愚痴るように続ける。
「今回の件についても、あいつが先走ってほとんど一人で終わらせやがった。後処理やら何やら任された実働部隊の連中に文句を言われたが、そもそも俺が手綱を握れるような男じゃあない」
「今回の件って、母のことですか」
「そうだ。本来ならお前のような被害者の保護も仕事の内なんだが、ものの見事に放り出しやがって……まあ、これに関してはあいつに任せなくて良かったんだろうが」
「……そう、ですね」
全てを把握できてはいなくとも、大筋は納得しつつある冷静な自分に、ラウルは内心嫌気がさしていた。悪魔だの悪魔祓いだのと御伽噺(もとい、聖書のような)話ではあるが、事実あの夜の母はどこかおかしかった。その原因が人間を破滅に向かわせる悪魔のものであると聞かされて、納得してしまいそうになるのは、それ以外の理由――喩えば、ラウルのせいであるなどとは思いたくなかったからだろう。
思えば、悪魔が仇であるのならば、ラウルこそが母を守れば良かったのだ。そうすれば、母があの男の手にかかることも無かったかもしれないのに。悪魔のことを正しく理解しており、ラウルに事態を解決するだけの力があったならば。
きつく、拳を握る。小さくて白い、子どもの手だ。こんな手で、母を守ることなぞ土台無理であったのだ。現状を正しく認識したところで、過去が変わるわけではない。分かっている、それでも。
「……悪魔が、母に何かをしたんですよね」
「そうだな。端的に言えば、悪魔がお前の母を唆した。それによって、お前の母はお前を襲おうとしたんだろう」
「母は、助けられなかったんでしょうか」
「実際に現場を見ていないから何とも言えないが、おそらく難しかっただろう」
「助けられた可能性は、あったんですか」
「不可能と断言はしない。が、過去に対する仮定の話は建設的じゃあないな」
「……、」
「時に少年」
シュウは続ける。今日の夕餉をたずねるような気軽さで。
「悪魔によって保護者を喪った未成年者に関しては、本人の所属する集落だけでなく教会にも保護権が与えられる」
「……ここに、ですか?」
かるく、顎を引くようにうなずいてみせる。かるい声音とは裏腹に、見詰めてくる金瞳は実に直向きで真摯ないろを帯びていた。おのれで選択することを許されるだけの信頼と、その選択を見定めようとする審判を向けられ、ラウルの呼吸が一瞬止まる。
見透かされている。そして、その上で試されているのだ。そしてこれは、ほぼ間違いなくただ一度きりの機会だろう。
ラウルは本来、あの村を出ることさえ無いまま、その人生を終えてもおかしくはなかった。母を援け、村の中で役目を持ち、村の娘と結婚し、そして村の墓に己の骨を埋められたはずだ。母と同じように。
けれど、母はそうならないだろう。十中八九、教会が身柄を(もとい、躯を)引き取ったはずだ。村の住人がどこまで把握できているかは分からないが、可能な限り事実を隠蔽するだろう。教会がそれを促すまでもなく。
村に戻って、ラウルの境遇がどう変わるかは分からない。村長も、他のものたちも、きっと悪いようにはしないだろう――ラウルが下手なことを口に出さないか、見張りはするだろうが。もとより、同年代の子供たちからは遠巻きにされるような子供ではあったけれど、今後は向けられる視線に少なからず憐憫の情が混じるに違いない。
平和に生きることはできるかもしれない。全てに蓋をして、母を亡くした哀れな子を演じれば。真実を口にすることなく、村に支えられ、その生涯を終えることができるだろう。そして、母がいない墓へと入るのだ。
「俺は……、」
あれだけ水を呑んでおきながら、なおも喉が渇く。見開いた瞳までもが乾き、視界に映る男の姿が揺れ動いた。心までもか揺らがぬよう、そっと瞼を閉じる。
言うまでもなく、答は一つだった。それでも、それを口にするには、年端もいかない少年にとって多大なる覚悟を要した――そして、それをこそ眼前の男は求めていたのだろう。
これまでの生き方を捨てるのだ。約束されていた未来を、安全な籠の中での生活を。それでも、ラウルが欲しかったのは孤独ではなかったから、未練を抱くことはできなかった。僅かに胸を焼く寂寥を、深い呼吸の裡に鎮める。
視界を占める暗闇は、思いのほか柔らかかった。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、広がる光景は変わらずラウルを受け入れてくれていた。こちらを見る、見届けようとする黄金眼と、視線が絡み合う。
それだけで、答には充分であるようだった。
「決まりだな」
シュウが笑う。機嫌の良い猫のようにきらめく瞳が、三日月のように細められた。
すると、彼の背後でそれまで音の一つも立てなかった扉が、唐突に開かれる。もとより知っていたかのように、彼は肩をそびやかして顎をしゃくってみせた。促されるように向けられたラウルの視線が、ある一点へと絞られる。
開かれた扉の先に居たのは――あの、黒い悪魔……もとい、悪魔祓いであった。
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