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本編
リフレインsideA 4 〚キサ〛
しおりを挟むおつかれーと口々に声を掛け合って、すれ違い様に肩を叩かれてドラムとベースの人が去っていく。
このあと本命のバンドの出番だから、おそらく聞いていくんだろう。裏をぐるりと回って二階から眺めるらしい。
熱い高揚感が冷めないままそれを見送り、鼓動を鎮めるためにひとつ息を吐いた。
「キサちゃん。ちょっと話せる?」
スピーカーから爆音が流れはじめ、それに負けないようにカナが耳元で叫んだ。
見下ろすと、存外真剣な面持ち。こいつにとってはこのバンドの演奏を聞くよりも大切なことらしい。
―――これが、ルナ?
正直カナの印象と、あの曲や歌詞は全く結びつかない。
天真爛漫でいつも楽しそうなカナに対して、どこか物悲しく憂いた曲を作る繊細なルナ。
けれど憂いだけで終わらず、何度も何度も「だからどうしたっていうんだ」と強く抗う歌詞。それを、カナが?
熱気のこもるライブハウスから出て、錆の浮いた非常階段をのぼる。
火照った身体が急激に冷やされるのが何とも言えず心地いい。
細さのせいか大きく身を震わせたカナに羽織っていたジャケットを被せて話を待つ。
手持ち無沙汰に白く流れる息を見ながら、信じられないようなひとときを思い返していた。
ギラギラとした照明。熱気にうねる客席。
喉が涸れるほど叫び、汗が滴るほどに歌った。
あの感覚をなんと言うのか。
日頃の憂鬱も倦怠も吹き飛んで、目の前がちかちかと輝いて。聞こえるのは、演奏の音と、カナの声だけ。
ずれて軋んでいた歯車がぴたりと噛み合うような、欠けていたものが埋まるような、あの感覚。
あのとき。たった三曲分のわずかな時。
俺は確かに、生きていた。
「………今日はありがとう。“plena”復活とか言われてたけど、今回のはまだお試しみたいなものなんだ。ただ、キサちゃんが嫌でなければボーカルになってほしいと思ってる。これからの話を聞いて、判断してほしい。」
真剣な声が夜空に溶けた。
ひとつ頷いて了承の意を示せば、カナが少しずつ言葉をこぼしていく。
雨だれのように断続的に続くそれを聞くうち、いつの間にかルナとカナの印象が重なっていった。
✢
「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき」
「兼明親王か。突然なんだ?」
何から話すか逡巡していたカナが口にしたのはそんな言葉だった。
「“plena”の名前の由来。」そう端的に答えたカナが、背中を向けて空を見る。
薄汚い路地裏。ぎらぎら光るネオン。星なんて見えないのに、星を探すみたいに。
「八重山吹の学名と、アヴェマリアの一節から取ったんだ。
俺たち三人はみんな実のならない花だから、せめてたくさんの人に声を届けたい、そんなふうに思って。」
―――実?
何かの比喩だろうかと思って尋ねたら、カナがゆっくりと振り向いた。
その手が真っ白になるほど握られている。
「俺は、ゲイなんだ。あの二人も恋人同士。想い合っても先はないし、何かを成すこともできない。………俺たちはそんな、八重山吹だから。」
前のボーカルには特に言ってなかったんだけど、ゲイだってバレてから折り合いがつかなくて、こうなった。
だから、次のボーカルには、すべてを打ち明けてから入ってもらおうって皆で決めたんだ。
こう言っては変だが、妙に納得するところがあった。
別にカナをゲイだと思っていたわけではない。ただ、ルナの作る歌は何かの苦しみを抱えていないと作れないものだから。
カナとルナとは印象が全く違う。
けれど、あのルナならば何かの傷を抱えていてもそれを曝すことを良しとしないのではないかと思った。
そして、伏せられていたカードは開かれて、曝された傷はそんなもので。
固く握りしめた拳は、拒絶を恐れてか。
強張った肩は、俯いた顔は、カナの過去の痛みからか。
……さっきから目が合わないのも。
ひどい苛立ちが胸を焼き、顎に手をかけて無理矢理に目を合わす。
「それで?それがどうしたっていうんだ。」
きつく睨みつけてそう言えば、カナがくしゃりと顔を歪めた。
泣きそうなほどに歪んだ顔は痛みを呑んだ笑顔に変わり。
「キサちゃんなら、そう言ってくれると思ってた。」
そう囁いたくせに、なんでそんな顔してんだ。
痛みと嬉しさが、苦しみと幸せがないまぜになった顔で、切なげに眉を下げて瞬きをひとつ。
様々な感情がめぐる大きな瞳には隠しようもなく熱がこもっていて。
周囲の空気がとろりとまとわりつき、覚えのある感覚にこのあとの言葉を悟る。
「好きなんだ。ずっと。友達としてじゃなくて、恋愛対象として。」
ごめん。
やっぱりか、という思いが半分。
なんでなんだ、という思いが半分。
―――なんで、ただ人を好きになるだけで、謝らなければならないのか。
少なくとも俺は謝ってほしいなんて思っていない。
男を恋愛対象としたことはないが、女だって恋愛対象にしたことはない。誰かを好きになったことも。
そんな欠落した人間に比べて、人を好きになれるカナの方がよっぽどマトモだ。
謝る謂れなんてないだろ。
苛立ちのまま頭を掴む。ライブ用にセットされた髪を乱暴にかき乱せばピンクの髪がひよひよと跳ねた。
可愛らしすぎてロックバンドには似合わないが、カナは絶対にこっちの方がいい。
「謝るな。悪いことしてねーだろ。」
睨みつけてそう言えば、大きな目からぼろっと涙がこぼれた。
ハンカチなんて気の利いたモンを持ったことはないしタオルは控室だ。
仕方ないから掴んだままの頭を引き寄せて胸を貸す。
熱い涙。抱き込んだら収まりそうな小さな身体。
この華奢な身体からあんなにも重たいリフが出てくるなんて信じられない。
好きという気持ちはよくわからないが、俺はカナを尊敬している。
苦しみに抗うその姿を。その心を。
だから。
「俺は好きとかよくわかんねーけど結構好きに生きてる。だからカナも好きに生きればいい。」
耳に吹き込むように伝えたら、またカナが泣き出した。
何度も頷きながら、声を噛み殺して肩を震わせて。
他のやつなら放っておいてさっさと去るところだが、カナならこんなときでも居心地が悪くない。
星のない空にステージの光を思い出して、リフレインを口ずさむ。
伸びやかなコーラスがないことを寂しく思いながら、そのままずっとそうしていた。
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