揺り籠の計略

桃瀬わさび

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だいじな人 後 〚葵〛

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久しぶりの家は、もう俺の家ではなくなっていた。
いつの間にか、俺の家は侑生の家になっていたから。
「ただいま」も「おかえり」も、侑生が与えてくれた。
この家では、じいちゃんが旅立ってからはそんなのはなかったから。
そして、今もよそよそしく、俺を迎える。


鍵なんて持っていないから仕方なくチャイムを鳴らす。
焦らすようにゆっくりと扉が開いて、茜がそっと手招きをした。
よく晴れた明るい外と対象的な昏い玄関。
緊張にごくりと喉を鳴らして、そこに一歩を踏み出した。


「―――おかえり、葵。」


入ると同時に抱きしめられて、全身に鳥肌が立つ。
なんだろう、この、―――不快感。
さわりと腰や背中を撫でられて、吐き気がする。

―――侑生の腕は安心するのに。



「ああ。知らないにおいだ。服も、髪も。………あの陰険なヤツに汚されちゃって。かわいそうな葵。」

俺が、消毒してあげるから。



その言葉とともにがりっと首筋に噛みつかれた。
あの時と同じ痛みに、顔を顰めながら―――考えるのは、侑生のこと。


侑生。俺のせいで、傷つけた。
あんなに良くしてくれたのに、その恩を仇で返して。
陰険なヤツ?―――記事の内容からして、侑生のことだろうか。
汚された?かわいそう?
むしろ、俺が侑生を汚した。かわいそうなのも、侑生だ。
俺なんかに関わらなければ、評判を落とすこともなかった。


連れ込まれたのは、玄関脇の元俺の部屋。
物置に戻っているかと思ったら、意外にもそのままで―――それが却って不気味だ。
このベッドしかない部屋に連れ込んで、何になるんだろうか。


ベッドに突き飛ばされて、今度は両手に手錠が掛けられて。
あの時と同じような展開だけど、妙に頭は冷静で。
ただじっと、のしかかる茜を見つめる。
瞳孔が開いた昏い瞳。残忍な微笑み。

茜は、どうしたいんだろう。
ずっと俺が目障りなのだと思っていたのに、視界から消えればこの仕打ち。
―――ずっと、茜の支配下にいろと?


「どう、して………?」


掠れた声を絞り出せば、茜が軽やかに笑った。
俺の上でひとしきり笑って、残酷な笑顔のまま制服のボタンを外していく。


「あはは。面白い質問。葵は、産まれたときから、俺のものでしょ?………なのにあんな下衆に汚されるなんて、赦せないよねぇ?」


全く似ていない端正な顔立ちが醜く歪んで、鎖骨に噛みつかれた。
軽い口調だけれど、どこか狂気を感じさせる。
のしかかられた身体の重み。
太腿にあたる熱は、まさか。

けれどそのまさかを肯定するように、みるみるうちに服が脱がされていく。



大丈夫。
俺が消毒してあげるから。
後で首輪もしようね。俺のものっていう証に。
二度と逃げ出せないように、ちゃあんとリードで繋いであげる。
―――邪魔なあいつも、潰してあげる。



狂気に満ちた譫言を呆然と聞いていたけれど、最後の言葉で我に返った。


邪魔なあいつとは、侑生のことか。
それを、潰すと、言ったか。



かぁっと頭に血が上って、目の前が真っ赤に染まった。

侑生。
俺なんかに、優しくしてくれて。
つらいときにそばにいてくれて。
“大丈夫”
“怖いものはない”
そうやって俺を抱き締めて。
すこし照れたような笑顔。
空に焦がれる綺麗な横顔。
そんなものを、ずっとずっと見ていたいと………


そんな、俺の、だいじな人を。
潰すと、言ったか。


あまりの怒りに理性なんて欠片も残らず、茜に思いっきり噛み付いた。
そのまま脚をばたつかせて急所を狙う。
反撃に怯んだ茜の下からなんとか這い出ようと身を捩ったら、茜の顔が怒りに染まった。

「っ、このっ………!」

舌打ちをした茜が右手を高く振り上げて―――殴られる。
ぐっと奥歯を噛み締めて目を瞑ったら、ぱしっという音。




恐る恐る目を開けたら、見慣れた背中。

おおきくて、あたたかくて、―――見惚れる背中。



「………ずいぶんと穏やかじゃないね?」


いつもの優しい声とは違う、低く威圧する声。
俺を背に庇ったその人に、安心して涙があふれだす。



―――ああ、俺、いつから、



こんなに、好きになっていたんだろう。
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