「承知しました。」~業務命令により今夜もトロトロに焦らされています〜

スケキヨ

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53. すぐにでも叶えてやれる

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「え? 一緒に……って、シンガポールにですか?」

 鴻上こうがみの発言の意味がわからない。
 いや、意味はわかるけど……がよくわからない。
 一緒に行くって、それは仕事として? それとも、まさかのプロポーズか……!?

 どちらにしても話が飛び過ぎていて、琴子ことこはいまいちピンとこない。

「あの、それはどういう意味で仰ってますか?」

 考えてもわからないことは確かめるしかない。琴子は首を捻りながら鴻上に尋ねた。

「シンガポールなら英語も通じるだろう? ちょうどいいよな?」

 ちょうどいい? え、何が?

「えーと……それは『通訳として』ちょうどいい、ということですか? もしかして『海外赴任』ってことなんでしょうか?」

 琴子の質問に、鴻上は少し考えこむように天井を仰ぎ見た。

「そうだよ。とは言っても、まだ正式なものじゃないし、もちろん断る権利もある。いますぐってわけでもないから、ちょっと検討してみてくれないか」

「…………」

 いきなり予想外の話を振られて、琴子は困惑した。
 いちおう留学の経験はあるし、英語が使えるなら何とかなるだろう。
 しかし琴子がこれまでやってきた仕事は営業サポートだ。鴻上がこれから手掛けようとしているのは海外での販路拡大とかそういう新しい事業のはず。琴子の業務経験では一緒に連れていく人間として力不足なのでは……。

「私でいいんでしょうか。ほかにもっと適任な人がいると思うんですけど」

 琴子が控えめに答えると、鴻上が渋い顔になる。

「あのな、俺が『咲坂さきさかさんがいい』って言ってるの。もっと自信持ちなさい。わかった?」 

 まるで子供に言い聞かせるみたいな言いかたに、琴子は思わず「はい」と小さく返事をする。

「咲坂さんはちゃんと『仕事のデキる人』だと思うんだけど、どうも大川おおかわ部長にしろ、前任の課長にしろ、みんな君に遠慮してたみたいなんだよな。いずれ小田桐おだぎりさんと結婚して辞めることになるんだろうし、あんまり仕事の負担増やして社長の機嫌を損ねるようなことになっても面倒だし……ってことで。一種の忖度だよ」

「え。そうだったんですか」

 たしかに思い当たる節があるような気もする、と琴子は妙に納得した。いつかの飲み会でも、大川部長は「琴子が直人と結婚して仕事を辞める」ことを決定事項のように語っていたっけ。

「でも、まぁ、たしかに他にも候補はいた。このあいだ名古屋に行ったメンバーなんかもそうだったんだけど」

 なにを思い出したのか、鴻上が困ったように顔をしかめる。

「まず新堂しんどうは外すとして……。松風まつかぜはいいなと思ったけど、結婚して奥さんの実家の家業を継ぐとか言ってるし」

 そうだった。松風まつかぜくんはようやく長い春にけじめをつけ、日南ひなみとの結婚を決めたのだった。日南のお父さんの体調が良くないとかで、早めに彼女の実家がある九州へと引っ越すらしい。同期が退職してしまうのは寂しいが、あの二人なら何処へ行ってもきっとうまくやっていくだろうから、琴子としては何も心配していない。

「それにしても、松風は総務のあのした子と付き合ってたんだな。なんだよ、知ってたんなら教えてくれよな」

「シャキシャキって」

 鴻上の日南さんへのイメージは「シャキシャキ」なのね、と琴子は得心する。

「そんで麻生あそうさんはコレだろ?」

 鴻上がお腹が膨らむジェスチャーをしてみせる。

「その噂、本当なんですか? 麻生さんが妊娠してるって。麻生さん、独身ですよね」

 ここ数週間、そういう噂が社内で囁かれていたのだが、琴子は半信半疑だった。

「あれ、しおりちゃんから聞いてないのか?」

 鴻上が意外な人物の名前を挙げる。

「え、なんで栞さん?」

「だって麻生さんの相手は――」

 鴻上の話によると。
 麻生さんのお腹の子の父親は、なんと栞さんのお兄さんなのだそうだ。
 麻生さんと栞さんのお兄さんは何年か前に結婚したものの、いろいろあって離婚したらしく……。

「いろいろっていうか、家族の反対だな。本人たちは別れたくなかったみたいだけど。この間の名古屋にも呼んでたみたいだしな、隠れて」

 鴻上はそう言って遠い目をした。栞さんのお兄さんは鴻上と同い年だけれど、なんでも小説家になることを夢見て未だに本屋でバイトをしているらしい。
 栞さんのお兄さんがそんな夢追い人だったとは……。そりゃ麻生さんの家族も反対するはずだ。

「さすがに子供が生まれるんだから、今度こそ定職に就いてくれるといいんだが。あと、栞ちゃんのブラコンも大概にしてほしいもんだな。いい加減、麻生さんをいびるのはやめてほしい」

 なんと、嫁・小姑問題も離婚原因のひとつだったのか。たしかに栞さんは敵にまわすと怖そうではある。

 そういえば。
 かつて直人なおとが目を輝かせて麻生のことを話していたとき、琴子はてっきり直人が彼女に恋慕しているものと疑って、ひそかにヤキモチを焼いていたのだが……。いま思うと、あれは純粋に「上司に対する尊敬の念」だったんだなぁ。琴子は今さらながら固定観念に毒された自分の発想を反省した。

「でもそれじゃあ、やっぱり私が選ばれたのは単なる消去法なのでは……?」

 新堂はともかく。他の候補者たちの事情を考慮するに、そうとしか思えない。
 琴子はまたネガティブな思考に囚われてしまいそうになった。

「だからさ」

 鴻上がもたれていた長テーブルから手を放して、ひょいっと琴子の前に立ちはだかった。ふたりの距離がまた近くなる。

「さっきも言ったけど、俺が『咲坂さんがいい』って言ってんの。公私ともに一緒に連れていきたいんだよ。信じてもらえるまで何回でも言うからな」

 真面目な顔をした鴻上に至近距離で見つめられて、琴子はたまらず目を逸らした。このまま鴻上と向かい合っていたら、また体温が上がってしまいかねない。

「公私ともに、って……。それじゃ、まるでプロポーズじゃないですか。私なんて、ついこのあいだ、婚約が破談になったばっかりだっていうのに」

 琴子は床に視線を落としたまま、自虐するようにそう言った。
 すると鴻上が琴子の両頬をむにっとつまんで強引にその顔を上向かせた。琴子の目をまっすぐに射抜きながら、

「なら、余計にちょうどいいタイミングだったな。ようやく公私ともにサキちゃんを俺のものにできるんだから」

「へ……?」

 琴子の間の抜けた返事は、鴻上の口の中へと吸い込まれた。

「んぅ……っ!?」

 ほんの数秒ほどのキスを終えると、鴻上がペロリと琴子の下唇をひと舐めしてから離れていく。

「ちょっ……ここ、会社ですよ!」

 琴子が熱を帯びた唇を隠そうとして、ことさらに非難してみせると、

「そうだな。ヤバいな。なんか普通にホテルでヤるより興奮する」

 鴻上がニヤリと口角を引き上げた。

「なに言ってるんですか……」

 琴子が呆れていると、

「ひゃあ……っ!」

 今度は耳をぱくりと齧られてしまう。

「久しぶりにキスしたら、もっとしたくなってきた。今日うちに来ないか?」

 なにかのスイッチが入ってしまったのか、鴻上の声が妙に艶っぽい。しかも耳元で直に囁いてくるものだから、琴子は一瞬ここが会社だということも忘れて流されそうになってしまう……が、なんとか踏ん張った。

「……今日はまだ火曜日ですよ。明日も仕事があるのに」

「次の日が休みならいいんだ?」

「…………」

 琴子が否定しないでいると、鴻上がくすくすと嬉しそうに笑う。

「じゃあ金曜日ならいいよな?」

 矢継ぎ早に繰り出される鴻上のに、琴子は降参した。

「しょう……」

「おいおい、『承知しました』はやめてくれよ。仕事の延長みたいだし、なにより部下を無理やり手籠めにしてるみたいで逆に興奮する」

 琴子の言葉を遮った鴻上が、またもや冗談とも本気ともつかないことを言う。

「いえ、『しょうがないなぁ』って言おうと思ってました」

「なんだ。じゃあオッケーってことだよな」

 課長モードの鴻上にしてはめずらしくはしゃいだ様子の鴻上に、琴子もなんだか嬉しくなってくる。自分の返事ひとつでこんなに喜んでくれるなんて。

「なぁサキちゃん。俺はさ、夢なんて生きてるあいだに何回だって更新していいと思うんだよ。子供の頃に見た夢が破れたからって、それで終わりじゃないだろう。人生は長いんだから。だからさ、今度は『鴻上こうがみ咲夜さくやの嫁さんになること』を夢にしてみないか。それだったらすぐにでも叶えてやれる。サキちゃんの返事ひとつで」

 鴻上が目を細めて琴子の顔を見つめていた。穏やかでやさしい眼差しだった。

「ありがとうございます。……考えておきます」

 琴子は嬉しかった。
 鴻上の気持ちが。自分を求めてくれる……その気持ちが。
 自分がそんな風に感じていることを少しでも彼に伝えられたらいいな。そう願いながら、琴子は出来るかぎりの笑顔を返すのだった。


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