「承知しました。」~業務命令により今夜もトロトロに焦らされています〜

スケキヨ

文字の大きさ
上 下
47 / 54

47. こ…………こ…は、私に…かせて、ください

しおりを挟む
「……え? 咲坂さきさかさん、結婚するんですか? え、小田桐おだぎりさんと? え、社長の息子と?」

 社長と専務の声は近くにいた人間には丸聞こえだったらしく、案の定、鬼頭きとうが明らかに不審げな目を向けてくる。鬼頭だけじゃない。周囲にいた人間がざわざわしはじめた。好奇心に満ちた視線が痛くて、琴子ことこの頭痛も悪化する。

「ちょっと社長! なんでこんなところでそんな話を持ち出すんですか……!」と言ってやりたいところだったが、さすがに立場をわきまえて琴子は口に出すのを堪えた。

「なに? とうとう結婚? 咲坂さん、おめでとう」

 どこからともなく現れた大川おおかわ部長までもが満面の笑みで社長と専務に追従している。この会社にはイエスマンしかいないのか?

「いえ、あの、まだ、そんな……具体的なことは、なにも……」

 琴子は朦朧とする意識のなかで四苦八苦しながら言葉を絞り出したが、その発言内容はいろいろ間違っている。「まだ」ってなんだ、「まだ」って。まだも何もこれから先の進展なんてないよ、何も。どちらかと言えば「もう」でしょう? 直人なおととは「もう」終わって、ふたりの将来は二度と交わらないのだから。もう、二度と。

 そんなことを考えて俯いた琴子の周りを近くにいた二課のメンバーたちが取り囲んだ。

「咲坂さん、本当ですか? えー、おめでとうございます。えーと……すごくお似合い? ですよー」

 柿澤かきざわが完全に面白がっている。おめでとうございます、にまったく感情がこもっていない。棒読みが過ぎる。それでも営業か。あと、なんで「お似合いです」の後に疑問符をつけた? 

「おいおい、咲坂さんが困ってるだろう。今日調子悪いみたいだし、あんまり追求すんなよ」

 へらへら笑う柿澤とぶすっと不機嫌そうな鬼頭のあいだに入って琴子を庇ってくれたのはもちろん鴻上こうがみ課長である。

 そういえば鴻上にもすべては報告していなかった。メッセージアプリでただひと言、

 ――確認しました。

 とは送ったけれど、鴻上からは「そうか」としか返ってこなかったので、彼がどう理解したかはわからない。勘のいい人だから、おそらく察してくれたと思うけれど……直人とのを。

 それから社内で顔を合わせても、はっきり聞かれないのをいいことに、ちゃんと伝えていない。たまにすごく物言いたげな視線を感じはしたものの、気づかぬフリをしてきたのだ。

 それにしても、いったい社長は何を思ってこんなに大勢の人の前で、直人の結婚話を持ち出したのか。
 そして直人はこの状況をどう思っているのか。このままでは会社のみんなに知れ渡ってしまう……実体もない婚約話が。

 社長の背後でひっそりとたたずむ直人をうかがい見ると、彼はあらぬ方向を向いていた。その視線の先をたどっていくと――ヤツがいた。
 琴子から直人を奪ったアイツ……新堂しんどうの姿が。
 気だるげに腕を組みながら壁にもたれかかる新堂は妙な色気を醸し出している。軽く交差させた脚が長いのも癪に障る。直人と見つめあっているのも腹立たしい。なにを目だけで語り合っているのか。ここは会社である。ふたりだけの世界に入るのはやめていただきたい!

 琴子が軽く憤りを覚えながら男ふたりの絡み合う視線を憎々しげに見つめていると、自分に向かう憎悪に気がついたのか、新堂の視線が思いがけず琴子を捉えた。めつけるようなジトっとしたその瞳からは言い知れぬ圧を感じる。

「否定しろ」ということ? 琴子は新堂の視線の意味を読み取ろうとした。社長の発言を否定して、婚約話を破談にして、そして――「直人くんを解放しろ」ということか。

 新堂の思惑を感じ取ってしまった琴子は思いっきり顔をしかめてみせた。それでなくとも今日は気分が悪いというのに。最悪だ。どうして自分がそんな憎まれ役を買わなければいけないのか。二十年以上に渡って築き上げてきた社長からの信頼を自分から壊さなければならないのか。

 自分で言えばいいのに、と琴子は苛立つ。そうだ、直人くんが自分の口ではっきり言えばいいのだ。「他に好きなひとがいる」と。

 でも……言えるわけないか。

 直人くんは自分の立場をよくわかっている人だ。その立場にふさわしい人間であると認めてもらうための気づかいだって人一倍やってきている。そのことは琴子もよく知っていた。だから言えない。言えるわけない。自分の気持ちを。本心を。
 しかも彼の場合、「好きなひと」じゃない……「好きなひと」なのだ。

 ……社長が知ったら、ひっくり返ってしまうかもしれない。

 それに、いずれ告白カミングアウトするにしても、この場はマズい。いくら時代がそういうことに寛容になってきたとはいえ、何もこんな衆人環視のもとで明かす必要はないはずだ。これは非常にプライベートでデリケートな問題なのだから。

 琴子はもう一度、直人の様子をうかがった。
 直人は瞼を震わせて思いつめたように俯いている。明らかに動揺しているのが丸わかりだ。あのポーカーフェイスの直人がめずらしく感情をダダ洩れにしているのが可笑しくて哀しくて、琴子は思わず社長の前に一歩進み出た。

「……おじさん、あの、私、ごめんなさい……実は、」

 なんと言っていいのか、考えがまとまらないうちに口を開いてしまったせいで、琴子の言葉はしどろもどろだ。社長のことを「おじさん」と言ったのはわざとだが、その先の「言い訳」が思いつかない。ぐるぐると次の言葉を探しているうちに――突然、琴子の視界が暗転して、身体がぐらりと揺れる。

「琴子ちゃん!? どうした……!」

 薄れゆく意識のなかで琴子はたしかに自分の名前を呼ぶ社長の声を聞いた。そして――

「こ…………こ…は、私に…かせて、ください」

 鴻上の声が聞こえた気がする。その声がどこから聞こえたのか、琴子にはもはや判然としなかった。遠くから叫んでいるようにも思えたし、すぐ近くで囁かれているような気もした。
 ふいに包まれた温かな感触とふわりと身体が浮き上がるような感覚に、琴子の力が抜けていく。ぼんやりとしながら薄く目を開けると、なぜかそこには琴子の好きなホクロがあった。いつだったか、琴子が「好き」と言ってひと舐めした、あのサクちゃんの顎のホクロが。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

処理中です...