35 / 54
35. おっぱい好きですか?
しおりを挟む
琴子は思わず地を這うような声で聞き返した。
鴻上の言ったことの意味がわからない。いや、意味はわかるが、なぜいまこの場面でそういった質問が出てくるのか……意図がわからなかった。
「あの、どういうことですか? なんで、そんなことを……」
「俺の勘違いかもしれない。さすがに直接確かめる勇気はなかった。だけど、あの雰囲気は……たぶん、そうだと思う」
「そうだと思う、って……何をどう思ったんです?」
琴子の質問には答えないで鴻上はおもむろに立ち上がるとキッチンへと向かい、追加のビールを持ってきた。二本目のビールをプシュってと開けて、またゴクゴクと勢いよく飲み干す。ひと口で結構な量を流し込んだせいか、口の中に収まりきらなかった液体が唇からタラリとひとすじ溢れた。
「小田桐さんと新堂…………デキてるな」
口元をグイッと拭ってから鴻上が声を潜めて言った。
「………………は?」
琴子は再び地を這うようなドスの効いた声を漏らした。
何を言っているんだ、この人は……と思って鴻上の顔を見返すが、その目があまりにも真剣だったので琴子はそれが冗談ではないことを悟る。
「でも、まだ付き合うところまでいってるかどうかはわからないしな。しかし新堂が惚れてるのは間違いない。問題は小田桐さんがどう思っているかだ……」
ブツブツと一人で喋りながら思案に暮れる鴻上に、琴子が口を挟む。
「それは、その……BLとか、そういう意味ですよね? 男性同士の……」
琴子の声がしりつぼみに小さくなる。
そんな彼女に向かって鴻上はためらいながらもはっきりと頷いてみせた。
「そうだ。だから聞いたんだ。咲坂さんと小田桐さんの関係を……」
「…………でも、」
なにか反論しようと琴子は過去の記憶をたどった。しかし決定的な証拠を見つけられない。
いや、待てよ。
そういえば昔、小田桐のおばさんが「直人はモテるのよねー」って自慢してたことなかったっけ? それを聞いてわかりやすく落ち込む琴子を見て親たちが笑っていたような気がするんだけど……。
ダメだ、昔すぎる。
それに、たとえ直人が他の女性と付き合っていたとしても、立場的に琴子の耳に届くはずがなかった。直人が彼女らしき女性と一緒にいる場面を目撃する……なんてドラマみたいな展開に遭遇したこともないし。
「あ――――――…………」
琴子は両手で顔を覆うと下を向いて呻いた。反論できない。しょうがないから、これまでに自分が直人と過ごした何度かの夜を思い出してみる。
「あの、直人くんとは、その……」
手で顔を隠したまま、琴子は言おうか言うまいか迷った。迷って迷って迷ったすえに――
「スミマセン。直人くんとは一度も最後までシたことがありません」
ついに腹を括って打ち明けた。
「別に謝ることじゃないけど。でもそれじゃあ本当にただの幼なじみじゃないか」
鴻上は顎をさすりながら、訝しげな目で琴子を見た。
「……何度か試してみたことはあります」
痛いところを突かれた、とは思ったが、琴子はもはや恥を捨てて、今までの直人との関係についてぽつぽつと語り出した。
「初めて挑戦したのは私が二十歳のときでした」
恥ずかしくていたたまれない話なので、あまり思い出さないようにしているのだけれど、思い出そうとすればいくらでも琴子はその日のことを事細かく思い出すことができた。
その日は直人の誕生日だった。
琴子がプレゼントを持って直人の部屋を訪れると、彼は快く(少なくとも琴子にはそう見えた)招き入れてくれた。当時ふたりは大学生で、直人はキャンパスが家から少し遠いという理由で大学近くのマンションでひとり暮らしをしていた。
琴子がその部屋――実家ではない直人の部屋に入るのは初めてだった。
琴子が二十歳、直人は二十二歳になったばかりで、部屋にはふたりしかいなかった。
直人が紅茶を出してくれたけれど、琴子はひと口も飲むことができなかった……緊張して。
そう、琴子は期待していたのだ。
直人との進展を。
琴子の気持ちに彼はとっくに気がついていたと思う。その想いを明確に拒否されたことはなかったし、むしろ受け入れてくれているものと琴子は感じていた。そうでなければ、今どき「親が決めた相手と結婚」なんて話、成立するわけがない。
最初にキスを求めたのは琴子からだったと思う。違った。「思う」だなんて曖昧なものじゃなく、確実に琴子からせがんだのだ。
そして直人は応じてくれた。
最初は軽く触れ合っていただけの唇が、だんだんと湿り気を帯びていって、やがて直人くんの舌がおずおずと琴子の口内に差し込まれた。琴子も慣れないながら自分の舌を突き出して彼の動きに懸命に応じた。「やり方、ヘンじゃないかな?」と不安を感じながらも琴子は心の中で信じていた。
――直人くんも喜んでくれているに違いない、と。
女から迫れば男のひとは無条件に悦ぶものなのだろう……と、この時の琴子は無邪気に信じていたのだ。
キスの最中、直人くんの手が服の上から琴子の胸を撫でた。その手つきは優しくて、優しすぎて……。琴子はもどかしさのあまり、「もっと強く触って」と口走ってしまいそうだったが、直人に引かれてしまうかもしれないと思うと、自分の願望を露骨に口にすることは憚られた。
服を脱がされ、下着も外され、裸に剥かれた上半身が晒されると、琴子の胸の先端を直人が口に含んだ。
ずっと「お兄さん的存在」だった彼が自分の胸をちゅうちゅうと赤ん坊みたいに吸っているのがなんとも可愛らしくて、琴子は思わず直人の頭をかき抱いた。すると、直人は弾かれたように頭を上げて琴子の胸から離れていったのだった。
その時の……琴子を見下ろした直人くんの目が――ゾッとするほど冷静だったことを今でも鮮明に覚えている。
琴子は自分が握りしめていたせいで少し温くなってしまったビールを開けると一気に喉の奥へと流し込んだ。この程度の量ではまだ酔えないが、素面で続けるにはキツい思い出だった。
「課長は、おっぱい好きですか?」
琴子の唐突な問いかけに、鴻上が目を丸くする。
「……なんだ、いきなり」
しかし、すぐに調子を取り戻したのか、ニヤリと口角を引き上げて、
「好きに決まってるだろ。なんなら今すぐにでも揉みしだきたいし、しゃぶりつきたい」
目尻を下げて軽口を叩いた。
「……ですよね」
琴子は鴻上の冗談に特に反応することもなくチラリと一瞥してから目を伏せた。そして小さく溜め息をついてからゆっくりと口を開いた。
「……勃たなかったんです、直人くんは」
鴻上の言ったことの意味がわからない。いや、意味はわかるが、なぜいまこの場面でそういった質問が出てくるのか……意図がわからなかった。
「あの、どういうことですか? なんで、そんなことを……」
「俺の勘違いかもしれない。さすがに直接確かめる勇気はなかった。だけど、あの雰囲気は……たぶん、そうだと思う」
「そうだと思う、って……何をどう思ったんです?」
琴子の質問には答えないで鴻上はおもむろに立ち上がるとキッチンへと向かい、追加のビールを持ってきた。二本目のビールをプシュってと開けて、またゴクゴクと勢いよく飲み干す。ひと口で結構な量を流し込んだせいか、口の中に収まりきらなかった液体が唇からタラリとひとすじ溢れた。
「小田桐さんと新堂…………デキてるな」
口元をグイッと拭ってから鴻上が声を潜めて言った。
「………………は?」
琴子は再び地を這うようなドスの効いた声を漏らした。
何を言っているんだ、この人は……と思って鴻上の顔を見返すが、その目があまりにも真剣だったので琴子はそれが冗談ではないことを悟る。
「でも、まだ付き合うところまでいってるかどうかはわからないしな。しかし新堂が惚れてるのは間違いない。問題は小田桐さんがどう思っているかだ……」
ブツブツと一人で喋りながら思案に暮れる鴻上に、琴子が口を挟む。
「それは、その……BLとか、そういう意味ですよね? 男性同士の……」
琴子の声がしりつぼみに小さくなる。
そんな彼女に向かって鴻上はためらいながらもはっきりと頷いてみせた。
「そうだ。だから聞いたんだ。咲坂さんと小田桐さんの関係を……」
「…………でも、」
なにか反論しようと琴子は過去の記憶をたどった。しかし決定的な証拠を見つけられない。
いや、待てよ。
そういえば昔、小田桐のおばさんが「直人はモテるのよねー」って自慢してたことなかったっけ? それを聞いてわかりやすく落ち込む琴子を見て親たちが笑っていたような気がするんだけど……。
ダメだ、昔すぎる。
それに、たとえ直人が他の女性と付き合っていたとしても、立場的に琴子の耳に届くはずがなかった。直人が彼女らしき女性と一緒にいる場面を目撃する……なんてドラマみたいな展開に遭遇したこともないし。
「あ――――――…………」
琴子は両手で顔を覆うと下を向いて呻いた。反論できない。しょうがないから、これまでに自分が直人と過ごした何度かの夜を思い出してみる。
「あの、直人くんとは、その……」
手で顔を隠したまま、琴子は言おうか言うまいか迷った。迷って迷って迷ったすえに――
「スミマセン。直人くんとは一度も最後までシたことがありません」
ついに腹を括って打ち明けた。
「別に謝ることじゃないけど。でもそれじゃあ本当にただの幼なじみじゃないか」
鴻上は顎をさすりながら、訝しげな目で琴子を見た。
「……何度か試してみたことはあります」
痛いところを突かれた、とは思ったが、琴子はもはや恥を捨てて、今までの直人との関係についてぽつぽつと語り出した。
「初めて挑戦したのは私が二十歳のときでした」
恥ずかしくていたたまれない話なので、あまり思い出さないようにしているのだけれど、思い出そうとすればいくらでも琴子はその日のことを事細かく思い出すことができた。
その日は直人の誕生日だった。
琴子がプレゼントを持って直人の部屋を訪れると、彼は快く(少なくとも琴子にはそう見えた)招き入れてくれた。当時ふたりは大学生で、直人はキャンパスが家から少し遠いという理由で大学近くのマンションでひとり暮らしをしていた。
琴子がその部屋――実家ではない直人の部屋に入るのは初めてだった。
琴子が二十歳、直人は二十二歳になったばかりで、部屋にはふたりしかいなかった。
直人が紅茶を出してくれたけれど、琴子はひと口も飲むことができなかった……緊張して。
そう、琴子は期待していたのだ。
直人との進展を。
琴子の気持ちに彼はとっくに気がついていたと思う。その想いを明確に拒否されたことはなかったし、むしろ受け入れてくれているものと琴子は感じていた。そうでなければ、今どき「親が決めた相手と結婚」なんて話、成立するわけがない。
最初にキスを求めたのは琴子からだったと思う。違った。「思う」だなんて曖昧なものじゃなく、確実に琴子からせがんだのだ。
そして直人は応じてくれた。
最初は軽く触れ合っていただけの唇が、だんだんと湿り気を帯びていって、やがて直人くんの舌がおずおずと琴子の口内に差し込まれた。琴子も慣れないながら自分の舌を突き出して彼の動きに懸命に応じた。「やり方、ヘンじゃないかな?」と不安を感じながらも琴子は心の中で信じていた。
――直人くんも喜んでくれているに違いない、と。
女から迫れば男のひとは無条件に悦ぶものなのだろう……と、この時の琴子は無邪気に信じていたのだ。
キスの最中、直人くんの手が服の上から琴子の胸を撫でた。その手つきは優しくて、優しすぎて……。琴子はもどかしさのあまり、「もっと強く触って」と口走ってしまいそうだったが、直人に引かれてしまうかもしれないと思うと、自分の願望を露骨に口にすることは憚られた。
服を脱がされ、下着も外され、裸に剥かれた上半身が晒されると、琴子の胸の先端を直人が口に含んだ。
ずっと「お兄さん的存在」だった彼が自分の胸をちゅうちゅうと赤ん坊みたいに吸っているのがなんとも可愛らしくて、琴子は思わず直人の頭をかき抱いた。すると、直人は弾かれたように頭を上げて琴子の胸から離れていったのだった。
その時の……琴子を見下ろした直人くんの目が――ゾッとするほど冷静だったことを今でも鮮明に覚えている。
琴子は自分が握りしめていたせいで少し温くなってしまったビールを開けると一気に喉の奥へと流し込んだ。この程度の量ではまだ酔えないが、素面で続けるにはキツい思い出だった。
「課長は、おっぱい好きですか?」
琴子の唐突な問いかけに、鴻上が目を丸くする。
「……なんだ、いきなり」
しかし、すぐに調子を取り戻したのか、ニヤリと口角を引き上げて、
「好きに決まってるだろ。なんなら今すぐにでも揉みしだきたいし、しゃぶりつきたい」
目尻を下げて軽口を叩いた。
「……ですよね」
琴子は鴻上の冗談に特に反応することもなくチラリと一瞥してから目を伏せた。そして小さく溜め息をついてからゆっくりと口を開いた。
「……勃たなかったんです、直人くんは」
0
お気に入りに追加
329
あなたにおすすめの小説
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜
みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
身長172センチ。
高身長であること以外はいたって平凡なアラサーOLの佐伯花音。
婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。
名前からしてもっと可愛らしい人かと…ってどういうこと? そんな人こっちから願い下げ。
−−−でもだからってこんなハイスペ男子も求めてないっ!!
イケメン副社長に振り回される毎日…気が付いたときには既に副社長の手の内にいた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる