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18. 時代錯誤ですよねぇ。でも
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「昔はうちの父もタワダで働いてたんです」
エレベーターを待つ鴻上に、小田桐が話しかけてきた。
ようやく社長たちから解放され、ホッとひと息ついていたところである。時間にすれば十分かそこらのはずだが、鴻上にとってはとてつもなく長い時間のように感じられた。
小田桐社長も咲坂専務もさすがに企業のトップに立つだけあって、顔はニコニコと笑っていても、なんというか……圧がすごい。
そんな二人に挟まれて居心地悪いことこの上ない鴻上が発する無言のSOSを察してくれたのか、小田桐が早めに切り上げて社長室から連れ出してくれたのだった。
「そうなんですか」
「ええ。咲坂さんとは同期で仲が良かったみたいです。良かった、って過去形じゃないですね。いまもすごく仲良いですから。それこそお互いの子供を結婚させようとするくらい」
小田桐が唇の片側だけを引き上げてクスッと笑った。さわやかで謙虚な小田桐には似合わない笑い方だ、と鴻上は思った。
「あの……つかぬことをお聞きしますが」
鴻上はためらいがちに口を開いて、どうしても聞いてみたかったことを思い切って口にした。
「本当に結婚されるんですか? 小田桐さんと咲坂さん」
「え?」
鴻上の質問が予想外だったのか、小田桐がかすかに目を瞬かせた。
「いえ、親同士の仲が良いのはわかりますけど。だからと言って、いまどき親の決めた結婚なんて……ないですよね?」
鴻上の忌憚のない意見に、小田桐が口を開けて笑う。口元からこぼれた白い歯は清潔感に溢れていて、いまの笑い方は自然だ、と鴻上は安堵しながら相手の反応を待った。
「たしかに鴻上さんの仰るとおりです。時代錯誤ですよねぇ。でも」
笑いを止めた小田桐が正面にあるエレベーターのドアを見つめて答えた。
「僕は彼女のことが大切だし、もし彼女が他に結婚したいと思うくらい好きな男が現れないんであれば、そのまま結婚してもいいと思ってるんです」
その答えは鴻上の期待していたものではなかった。
隣に立つ鴻上に視線を向けることなく、小田桐は前を見つめたまま、話をつづける。
「だって昔はみんな『見合い』とか『知り合いの紹介』で結婚してたわけじゃないですか。周りが勝手にその人に合う相手をみつくろってくれたわけでしょう? いまの時代は自由すぎると思うんですよね、逆に。だから頑張って婚活とかしないと結婚できなくなってる。正直、面倒くさいですよ。誰かに決めてもらったほうがラクでいい」
思わず漏れた小田桐の本音に、鴻上は意外な思いで彼の横顔をまじまじと見つめてしまった。「人当たりのいい爽やか御曹司」が初めて生身の人間に見える。
「じゃあ小田桐さんは、咲坂さんがもし彼氏を連れてきて『この人と結婚したい』って言ったら、身を引くんですか」
小田桐はようやく鴻上のほうに顔を向けて答えた。
「もちろんです。琴子のことは子供の頃から知ってますし、たとえ結婚しなくても、もう家族みたいなもんです。あいつが幸せになれるんなら、相手は僕じゃなくてもいい。まぁ、親は残念がるでしょうけどね」
「琴子」。小田桐の口から自然と漏れたその呼び方に、鴻上はなんとも言えないイラ立ちを覚える。その言い方があまりにも自然だったからかもしれない。小田桐は別に鴻上に聞かせるためにワザとそう呼んだわけではない。きっと、ただただ無意識に素が出てしまっただけだ。
「……小田桐さんのほうはどうなんです? 咲坂さんのほかに気になる女性とか、いないんですか?」
内心のイラ立ちを隠しながら鴻上が小田桐に話を向けると、
「そうですね……近寄ってくる女の子はいますけどね……。ただ別に、僕個人に興味があるわけではないでしょうから」
小田桐の声がぐっと低く沈んだものになった。
御曹司。次期社長。
小田桐の背負っている肩書きが、世の結婚したい女性たちにとって、ひどく魅力的なものに映るであろうことは、女性の気持ちに無頓着な鴻上でもさすがに想像できた。
「条件だけを見て寄ってくる女は懲り懲りってわけですか?」
「まぁ……そういうことです」
小田桐が疲れたように笑う。
鴻上は戸惑っていた。
琴子が小田桐と婚約していると知ったときからずっと不思議に思っていたことがある。それは――なぜ真面目な彼女が、婚約者がいるにも関わらず、他の男とも関係を持っていたのか――ということだ。
その疑問は、普段の琴子を知るにつれて、ますます大きくなっていった。
だから鴻上はこう思ったのだ。
もしかして周りが盛り上がっているだけで、当人たちは結婚なんてする気がないんじゃないか、と。
しかし小田桐の答えは鴻上の期待していたものではなかった。
もし琴子にその気はなくても、小田桐が「どうしても彼女と結婚したい」と強く願っているのであれば……。自分はもう大人しく身を引くしかない、と思っていた。彼女との五年に及んだ関係はきれいさっぱり忘れて、スマホの中に大切に保存している何枚かの秘蔵画像も削除して……。そう、思っていた。
この間は悪ノリしてちょっとイジメすぎてしまったけれど、彼女に言われるまでもなく鴻上自身もわかっている。もう終わりだ、と。
だが、小田桐の返事は鴻上の予想していた答えのどれでもなかった。
だから、途方に暮れてしまうのだ。
これまで、仕事でもプライベートでも、自分が何を求められているのか、何をすればいいのか、はっきりと理解していた。鴻上はどちらかと言えば頭のいい人間である。何が自分のためになるかを考えて、感情よりも理性を優先できる人間だ。
なのに――。
いまは自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか……わからない。
「鴻上さん? どうしたんですか?」
ハッとして声のしたほうに目をやると、いつのまにか到着していたらしいエレベーターに小田桐が乗り込んでいた。
「あ、すみません。乗ります」
軽く頭を下げてから、鴻上もあわててその狭い空間に足を踏み入れた。
「昔はうちの父もタワダで働いてたんです」
エレベーターを待つ鴻上に、小田桐が話しかけてきた。
ようやく社長たちから解放され、ホッとひと息ついていたところである。時間にすれば十分かそこらのはずだが、鴻上にとってはとてつもなく長い時間のように感じられた。
小田桐社長も咲坂専務もさすがに企業のトップに立つだけあって、顔はニコニコと笑っていても、なんというか……圧がすごい。
そんな二人に挟まれて居心地悪いことこの上ない鴻上が発する無言のSOSを察してくれたのか、小田桐が早めに切り上げて社長室から連れ出してくれたのだった。
「そうなんですか」
「ええ。咲坂さんとは同期で仲が良かったみたいです。良かった、って過去形じゃないですね。いまもすごく仲良いですから。それこそお互いの子供を結婚させようとするくらい」
小田桐が唇の片側だけを引き上げてクスッと笑った。さわやかで謙虚な小田桐には似合わない笑い方だ、と鴻上は思った。
「あの……つかぬことをお聞きしますが」
鴻上はためらいがちに口を開いて、どうしても聞いてみたかったことを思い切って口にした。
「本当に結婚されるんですか? 小田桐さんと咲坂さん」
「え?」
鴻上の質問が予想外だったのか、小田桐がかすかに目を瞬かせた。
「いえ、親同士の仲が良いのはわかりますけど。だからと言って、いまどき親の決めた結婚なんて……ないですよね?」
鴻上の忌憚のない意見に、小田桐が口を開けて笑う。口元からこぼれた白い歯は清潔感に溢れていて、いまの笑い方は自然だ、と鴻上は安堵しながら相手の反応を待った。
「たしかに鴻上さんの仰るとおりです。時代錯誤ですよねぇ。でも」
笑いを止めた小田桐が正面にあるエレベーターのドアを見つめて答えた。
「僕は彼女のことが大切だし、もし彼女が他に結婚したいと思うくらい好きな男が現れないんであれば、そのまま結婚してもいいと思ってるんです」
その答えは鴻上の期待していたものではなかった。
隣に立つ鴻上に視線を向けることなく、小田桐は前を見つめたまま、話をつづける。
「だって昔はみんな『見合い』とか『知り合いの紹介』で結婚してたわけじゃないですか。周りが勝手にその人に合う相手をみつくろってくれたわけでしょう? いまの時代は自由すぎると思うんですよね、逆に。だから頑張って婚活とかしないと結婚できなくなってる。正直、面倒くさいですよ。誰かに決めてもらったほうがラクでいい」
思わず漏れた小田桐の本音に、鴻上は意外な思いで彼の横顔をまじまじと見つめてしまった。「人当たりのいい爽やか御曹司」が初めて生身の人間に見える。
「じゃあ小田桐さんは、咲坂さんがもし彼氏を連れてきて『この人と結婚したい』って言ったら、身を引くんですか」
小田桐はようやく鴻上のほうに顔を向けて答えた。
「もちろんです。琴子のことは子供の頃から知ってますし、たとえ結婚しなくても、もう家族みたいなもんです。あいつが幸せになれるんなら、相手は僕じゃなくてもいい。まぁ、親は残念がるでしょうけどね」
「琴子」。小田桐の口から自然と漏れたその呼び方に、鴻上はなんとも言えないイラ立ちを覚える。その言い方があまりにも自然だったからかもしれない。小田桐は別に鴻上に聞かせるためにワザとそう呼んだわけではない。きっと、ただただ無意識に素が出てしまっただけだ。
「……小田桐さんのほうはどうなんです? 咲坂さんのほかに気になる女性とか、いないんですか?」
内心のイラ立ちを隠しながら鴻上が小田桐に話を向けると、
「そうですね……近寄ってくる女の子はいますけどね……。ただ別に、僕個人に興味があるわけではないでしょうから」
小田桐の声がぐっと低く沈んだものになった。
御曹司。次期社長。
小田桐の背負っている肩書きが、世の結婚したい女性たちにとって、ひどく魅力的なものに映るであろうことは、女性の気持ちに無頓着な鴻上でもさすがに想像できた。
「条件だけを見て寄ってくる女は懲り懲りってわけですか?」
「まぁ……そういうことです」
小田桐が疲れたように笑う。
鴻上は戸惑っていた。
琴子が小田桐と婚約していると知ったときからずっと不思議に思っていたことがある。それは――なぜ真面目な彼女が、婚約者がいるにも関わらず、他の男とも関係を持っていたのか――ということだ。
その疑問は、普段の琴子を知るにつれて、ますます大きくなっていった。
だから鴻上はこう思ったのだ。
もしかして周りが盛り上がっているだけで、当人たちは結婚なんてする気がないんじゃないか、と。
しかし小田桐の答えは鴻上の期待していたものではなかった。
もし琴子にその気はなくても、小田桐が「どうしても彼女と結婚したい」と強く願っているのであれば……。自分はもう大人しく身を引くしかない、と思っていた。彼女との五年に及んだ関係はきれいさっぱり忘れて、スマホの中に大切に保存している何枚かの秘蔵画像も削除して……。そう、思っていた。
この間は悪ノリしてちょっとイジメすぎてしまったけれど、彼女に言われるまでもなく鴻上自身もわかっている。もう終わりだ、と。
だが、小田桐の返事は鴻上の予想していた答えのどれでもなかった。
だから、途方に暮れてしまうのだ。
これまで、仕事でもプライベートでも、自分が何を求められているのか、何をすればいいのか、はっきりと理解していた。鴻上はどちらかと言えば頭のいい人間である。何が自分のためになるかを考えて、感情よりも理性を優先できる人間だ。
なのに――。
いまは自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか……わからない。
「鴻上さん? どうしたんですか?」
ハッとして声のしたほうに目をやると、いつのまにか到着していたらしいエレベーターに小田桐が乗り込んでいた。
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