「承知しました。」~業務命令により今夜もトロトロに焦らされています〜

スケキヨ

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12. その代わり、条件がある

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*****

 このホテルに来るのは一ヶ月半ぶりだ。
 最後に来たのは去年の十二月。
 あのときも会社の飲み会の後だった。

 あのときは、まさかあれがサクちゃんとの「最後」になるとは夢にも思っていなかった。いずれ終わる関係だとはわかっていたけれど、それはまだ先のことだとたかをくくっていたのである。

「あー、気が重い」

 琴子ことこの口から大きな溜め息が漏れた。
 気力を振りしぼるように両頬をパチンと叩いてから部屋の中に足を踏み入れると、

「あ、来た来た。お疲れー、咲坂さきさかさん」

 先に着いていた鴻上こうがみ課長がベッドに腰かけてヒラヒラと手を振っていた。
 琴子の覚悟とは正反対の軽やかさに、なんだか気が抜けてしまう。

「なんだよー、さっきの返信……『承知しました。』って。仕事じゃねぇんだから、いつもどおりにしてくれよ。でないと、会社を出たあともずっと『課長』でいなきゃいけないだろ」

 小さく笑いながら抗議する鴻上に、琴子が会社にいるときと同じような調子で答える。

「……でも、いちおう上司ですし。前の課長から言われたことがあるんです。私が『了解しました』って返したら、『了解しました』は敬語じゃないから、目上の人間には『承知しました』を使うように……と。『かしこまりました』でもいいらしいんですけど、それはさすがにかしこまりすぎているような気がして、私はあんまり好きじゃないんですよね」

「どっちでもいいぞ、そんなの。前の課長はどうだったか知らないが、少なくとも俺はまったく気にしない。『了解』のひと言だけでも構わないし、なんなら『り』だけでもいいぞ」

「それはちょっと……。それより、二次会は行かなくてよかったんですか? 今日の主役なのに」

「『悪酔いして吐き気が止まらないんですよ~、オェッ』って言って抜け出してきた。だってつまんねぇんだもーん」

 ケラケラと笑いながら言った鴻上がドサっと後ろ向きに倒れ込んで、ベッドの上に寝転がった。

「もーん、て……。子供じゃないんですから」

 琴子が呆れながら突っ込むと、鴻上が拗ねたように続ける。

「でもさぁ、ビールじゃいくら飲んでも酔えねぇし、いいかげん『課長スマイル』しまくるのも疲れたしな。それに……」

 鴻上は何か言いかけたものの、途中で口を噤んでしまう。

「……それに? 何ですか?」

 気になった琴子が続きを促すと、

を知らされて、俺、傷心なんですよ。ねー、次期社長夫人の咲坂さん?」

「…………」

 そんな厭味ったらしい言い方しなくても……と思いつつ、琴子は何も言い返せない。
 居心地の悪さに、うつむいて足元を見つめるほかなかった。

「黙っててほしい? 俺たちのコト」

「……できれば」

 琴子は目線を落としたまま、蚊の鳴くような声で答える。

「じゃあ、こっち来て」

 琴子はしぶしぶ鴻上の元へと足を進める。ほんの数歩分の距離なのに、やけに長く感じた。鴻上のいるベッドの傍らまで行って立ち止まると、間髪入れずに伸びてきた鴻上の手が琴子の手首を掴んだ。

「わっ……!」

 強い力で引き寄せられてバランスを崩した琴子が、鴻上の胸の上に被さるような格好で倒れ込んだ。驚いて目を見開くと、琴子の目の前に鴻上の整った顔がある。
 琴子が起き上がろうとしても、鴻上の手がしっかりと背中を抱き込んでいるせいで動けない。観念して動きを止めると、鴻上の手が琴子の頭をやさしく撫ではじめた。

 え……?

 その優しい動作に戸惑った琴子が顔をあげると、鴻上の透きとおった焦げ茶色の瞳が、琴子の目をじっと覗きこんだ。

「黙っててもいいよ、俺たちのこと。会社のみんなにも、もちろん……小田桐おだぎりさんにも。その代わり、条件がある」

 条件?

 えー……。琴子はもはや本心を隠す努力も放棄して、思いっきりイヤそうな顔をしてみせた。

「……何ですか? お金ですか? 出世ですか?」

「おいおい。どんな悪代官だよ、俺は」

 矢継ぎ早に聞き返す琴子の顔を穏やかに見つめながら、鴻上がフッと眉を下げて笑う。

「そんな姑息なこと言うわけないだろ。金には困ってないし、出世なら実力でやってやる。というか、俺そんなに出世したくないんだよ。管理職は気苦労ばっか多くて仕事が楽しくなくなるからな。だから、」

 ひと息ついた鴻上が琴子の耳元へ唇を寄せて囁いた。

「今までみたいに『サクちゃん』って呼んで」


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