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9. なんか仲良いですよね
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*****
「咲坂さーん」
「……はい?」
「ごめん、ちょっと教えてほしいんだけど」
「…………」
鴻上課長が入社してから一週間が経った。
彼はもう琴子のことを「サキちゃん」とは呼ばない。
さすが若くして課長に起用されるだけのことはある。大人の対応だ。
――それはいいのだけれど。
課長は事あるごとに琴子を呼ぶ。
もちろん業務に関係のあることだから、琴子も応じざるをえない。
琴子は小さく溜め息をついてから、自分を手招きする鴻上のデスクへと足を向ける。
「ほら、あの『社内申請システム』ってやつ? 柿澤くんから早く承認してくれって言われたんだけど、使い方がわかんなくてさぁ」
『社内申請システム』とは、その名の通り、上長の承認を得るためのシステムだ。経費やら見積りやら契約書やら、割といろんな場面で使われるものなのだが、たしかに使い勝手がいいとは言えない。新しく入った人が苦戦するのも仕方ないので、琴子は余計な私心は捨てて、冷静に対応する。
「どれですか? ああ、これは……一旦このボタンからPDFファイルを出力して、次にそのPDFに電子署名をして、最後にもう一回このボタンからアップロードしてもらえますか」
琴子が画面を指しながら説明すると、
「めんどくさいな」
鴻上がどんよりと呟いた。
「これでもマシになったほうですよ。前はPDFを印刷して、ハンコ押して、スキャンして、電子ファイル化して、それを全部手でやってから、システムにアップしなおしてましたからね」
「……うわぁ」
鴻上が心底めんどくさそうに顔を歪める。
「まぁ、古いシステムをつぎはぎして無理やり使ってますから。仕方ないんですけどね」
この面倒な社内システムのおかげで勤務時間が増えてしまうこともあるくらいだ。社内のシステムにお金は掛けられないとはいえ、もう少し何とかならないものか。
「そっか。でもそれは改善したほうがいいよな……」
パソコンの画面を見つめながら、鴻上がもっともらしいことを言っている。
琴子はそんな鴻上の横顔を無言で睨みつけた。
なぜなら――
デスクの上に置いていた琴子の手の甲を、鴻上の指先が撫でまわしていたからだ!
信じられない。
すぐ側に他の社員が大勢いるというのに。
「ん? どうかした? 咲坂さん」
琴子のトゲのある視線に気づいた鴻上が、かすかに片側だけ唇を持ち上げて、隣に立つ琴子にだけわかるような意地の悪い笑みを浮かべる。
「嫌なら振り払えよ」
鴻上が口の動きだけでそう言った。
そうだ。
嫌なら振り払えばいい。
それができないのは琴子の弱さだ。
嫌なのに、嫌じゃない。
止めてほしいのに、止めてほしくない……。
鴻上が触れた先から、ピリピリと痺れるような快感が琴子の身体に流れていた。
慣れ親しんだサクちゃんの指。
――もっと。もっと他のトコロも触ってほしい。
ついそんなコトを願ってしまう自分のことも琴子は信じられなかった。
ここは職場だというのに……!
「鴻上さーん、ちょっといいかな?」
部長に呼ばれて、サクちゃんの指が何ごともなかったかのように離れていく。
「ありがとう、咲坂さん。助かった」
鴻上は自然な笑みを浮かべて礼を言うと、琴子をその場に残して、部長の元へと向かった。
最後に見せた笑顔にはさきほど浮かべた意地悪な表情のカケラもなくて、それがまた琴子には腹立たしい。
あの男、面白がってるな。
そう思うのに、完全に拒絶できないのが悔しい。惚れた弱みというやつか。
いや、惚れてるわけではないから、どちらかといえば「溺れた弱み」とでも表したほうが合っているかも。
「恋」と呼ぶほどキレイな感情ではない。
もっとこう……生々しくてイヤラシイ感情だ。
大したことはしていないのにドッと疲れ果てて自分の席へ戻ると、待ちかねていたかのように隣の鬼頭が声をかけてきた。
「なんか仲良いですよね、咲坂さんと鴻上課長。もしかして課長がここに来る前からの知り合いなんですか?」
なかなか鋭い質問に、「そうだった。この娘、やる気はまったくなさそうなのに、仕事はソツなくこなすんだった」と琴子は妙に感心しながら、
「そんなわけないでしょ。フレンドリーな人なんじゃない? 鴻上課長」
と、投げやりに答えてしまってから少し後悔する。
鴻上がああいう調子で琴子に接してくるのなら、いっそ昔からの知り合いだと公言しておいたほうが自然だったかもしれない。何も本当の関係まで明かす必要はないのだから、適当に「友達の友達」とでも言っておけばよかった。それもウソではないわけだし。
「え~。そうかなぁ? 私に対してはもっと堅苦しい感じでしたよ」
鬼頭が鴻上とのやりとりを思い出しては首をひねる。
「いいなぁ、咲坂さん。私ももっと鴻上課長と仲良くなりたいですー」
「……そう」
もう疲れた。
課長の相手も、この娘の相手も。
適当に相づちを打って流そうとした琴子に、鬼頭は更なる追い討ちをかけてくる。
「そうだ! 歓迎会しないといけませんね、鴻上課長の」
「あぁ……そうだね。忘れてたわ」
あー、めんどくさい。
こういうとき、この間までならサクちゃんを呼び出してストレスと性欲を発散することができたのに……と、琴子はあらためて失ったモノの大きさを思い知らされたのだった。
「咲坂さーん」
「……はい?」
「ごめん、ちょっと教えてほしいんだけど」
「…………」
鴻上課長が入社してから一週間が経った。
彼はもう琴子のことを「サキちゃん」とは呼ばない。
さすが若くして課長に起用されるだけのことはある。大人の対応だ。
――それはいいのだけれど。
課長は事あるごとに琴子を呼ぶ。
もちろん業務に関係のあることだから、琴子も応じざるをえない。
琴子は小さく溜め息をついてから、自分を手招きする鴻上のデスクへと足を向ける。
「ほら、あの『社内申請システム』ってやつ? 柿澤くんから早く承認してくれって言われたんだけど、使い方がわかんなくてさぁ」
『社内申請システム』とは、その名の通り、上長の承認を得るためのシステムだ。経費やら見積りやら契約書やら、割といろんな場面で使われるものなのだが、たしかに使い勝手がいいとは言えない。新しく入った人が苦戦するのも仕方ないので、琴子は余計な私心は捨てて、冷静に対応する。
「どれですか? ああ、これは……一旦このボタンからPDFファイルを出力して、次にそのPDFに電子署名をして、最後にもう一回このボタンからアップロードしてもらえますか」
琴子が画面を指しながら説明すると、
「めんどくさいな」
鴻上がどんよりと呟いた。
「これでもマシになったほうですよ。前はPDFを印刷して、ハンコ押して、スキャンして、電子ファイル化して、それを全部手でやってから、システムにアップしなおしてましたからね」
「……うわぁ」
鴻上が心底めんどくさそうに顔を歪める。
「まぁ、古いシステムをつぎはぎして無理やり使ってますから。仕方ないんですけどね」
この面倒な社内システムのおかげで勤務時間が増えてしまうこともあるくらいだ。社内のシステムにお金は掛けられないとはいえ、もう少し何とかならないものか。
「そっか。でもそれは改善したほうがいいよな……」
パソコンの画面を見つめながら、鴻上がもっともらしいことを言っている。
琴子はそんな鴻上の横顔を無言で睨みつけた。
なぜなら――
デスクの上に置いていた琴子の手の甲を、鴻上の指先が撫でまわしていたからだ!
信じられない。
すぐ側に他の社員が大勢いるというのに。
「ん? どうかした? 咲坂さん」
琴子のトゲのある視線に気づいた鴻上が、かすかに片側だけ唇を持ち上げて、隣に立つ琴子にだけわかるような意地の悪い笑みを浮かべる。
「嫌なら振り払えよ」
鴻上が口の動きだけでそう言った。
そうだ。
嫌なら振り払えばいい。
それができないのは琴子の弱さだ。
嫌なのに、嫌じゃない。
止めてほしいのに、止めてほしくない……。
鴻上が触れた先から、ピリピリと痺れるような快感が琴子の身体に流れていた。
慣れ親しんだサクちゃんの指。
――もっと。もっと他のトコロも触ってほしい。
ついそんなコトを願ってしまう自分のことも琴子は信じられなかった。
ここは職場だというのに……!
「鴻上さーん、ちょっといいかな?」
部長に呼ばれて、サクちゃんの指が何ごともなかったかのように離れていく。
「ありがとう、咲坂さん。助かった」
鴻上は自然な笑みを浮かべて礼を言うと、琴子をその場に残して、部長の元へと向かった。
最後に見せた笑顔にはさきほど浮かべた意地悪な表情のカケラもなくて、それがまた琴子には腹立たしい。
あの男、面白がってるな。
そう思うのに、完全に拒絶できないのが悔しい。惚れた弱みというやつか。
いや、惚れてるわけではないから、どちらかといえば「溺れた弱み」とでも表したほうが合っているかも。
「恋」と呼ぶほどキレイな感情ではない。
もっとこう……生々しくてイヤラシイ感情だ。
大したことはしていないのにドッと疲れ果てて自分の席へ戻ると、待ちかねていたかのように隣の鬼頭が声をかけてきた。
「なんか仲良いですよね、咲坂さんと鴻上課長。もしかして課長がここに来る前からの知り合いなんですか?」
なかなか鋭い質問に、「そうだった。この娘、やる気はまったくなさそうなのに、仕事はソツなくこなすんだった」と琴子は妙に感心しながら、
「そんなわけないでしょ。フレンドリーな人なんじゃない? 鴻上課長」
と、投げやりに答えてしまってから少し後悔する。
鴻上がああいう調子で琴子に接してくるのなら、いっそ昔からの知り合いだと公言しておいたほうが自然だったかもしれない。何も本当の関係まで明かす必要はないのだから、適当に「友達の友達」とでも言っておけばよかった。それもウソではないわけだし。
「え~。そうかなぁ? 私に対してはもっと堅苦しい感じでしたよ」
鬼頭が鴻上とのやりとりを思い出しては首をひねる。
「いいなぁ、咲坂さん。私ももっと鴻上課長と仲良くなりたいですー」
「……そう」
もう疲れた。
課長の相手も、この娘の相手も。
適当に相づちを打って流そうとした琴子に、鬼頭は更なる追い討ちをかけてくる。
「そうだ! 歓迎会しないといけませんね、鴻上課長の」
「あぁ……そうだね。忘れてたわ」
あー、めんどくさい。
こういうとき、この間までならサクちゃんを呼び出してストレスと性欲を発散することができたのに……と、琴子はあらためて失ったモノの大きさを思い知らされたのだった。
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