月と秘密とプールサイド

スケキヨ

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わかってる

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「どちら様……ですか?」
「ん?」

 ひな子の質問に、その若い男は首を傾げてみせた。
 大人の男のひとにしては可愛らしい仕草だな、とひな子は思った。

「あ、ごめん。いきなりロッカーの中から知らない人が出てきたら、驚くよね。僕は……」
「ぎゃ……っ!」

 説明の途中で、ひな子が目を見開いて奇声を上げた。男の後ろで呻いていた脇田が今にも立ち上がろうとしていたからだ。

「ん?」

 ひな子の視線の先を追うようにして、男が振り向く。

「うわ、さっすが水泳選手。回復、はやいねー」

 元、を強調する男の言いざまに、脇田の顔が悔しそうに歪む。

「元……じゃねえ!」
「あれ? こんなことして、まだ現役でいられると思ってんの? バカだねー。コーチだって無理だよ。もう、一生」
「……っく、そ」

 まだ染みるらしい目を押さえながら、激昂した脇田が男に向かって殴りかかってくる。
 男は動じることもなく軽やかにそれを躱すと、無駄のない動きで脇田の腹に一撃を加えた。

「っぐ……うぅぅぅ」

 身体を折り曲げて苦しそうに呻く脇田。
 男はすかさず、その背後に回りこんで、脇田の両腕を後ろ手に捻り上げる。上着のポケットから手錠を取り出すと、ガチャッと脇田の両手首を拘束した。

「え、警察?」

 呆気に取られていたひな子がぽかんと口を開けて呟くと、

「警察じゃないよー。僕は警察に行ったほうがいいと思ってるんだけど、君たちの意見を聞いてからじゃないとダメって言われてるからさ」
「え?」
「あ、そうだ。もう一人のヤツも捕まえとかないと」

 男が思い出したように呟くと、半裸で這いつくばっていた脇田の仲間にも同じように手錠をかけた。それから、脇田の隣に並べて座らせると、二人三脚のように脇田の左足と男の右足をひとつの足錠で繋いでしまう。

「これでよし、っと」

 男が満足げに呟いたところで――

「……羽澄はすみっ!」

 聞き覚えのある声がひな子の耳に飛び込んできた。

「せんせい」

 火神が来てくれたことに、ひな子は思わず泣きそうになる。

「羽澄! 大丈夫か!?」

 火神が血相を変えて駆け寄ってくる。
 ひな子の姿を認めると、慌てて自分の着ていた厚手のカーディガンをひな子の肩に羽織らせた。

「おい、遠馬とおま! こんな格好のまま放っとくなんて、何やってんだ!?」
「え? あぁ~、ごめんごめん」

 遠馬と呼ばれた男が床に落ちていたひな子の制服のブレザーを拾ってきてくれる。
 ひな子が改めて自分の姿に目を落とすと、ブラウスははだけ、下着はずらされて、胸が丸出しになっている。ひな子はあたふたと下着を整えて火神が掛けてくれたカーディガンの前をぎゅっと合わせた。

「ワザとじゃないからね。気がつかなかっただけだからね。決して、もうちょっと見ていたいなー、とか思ってたわけじゃないから」

「……あぁ!?」

 おそらく冗談だっただろうに……火神に本気で凄まれた遠馬が怯えて顔を引き攣らせる。

「……怖いよ、兄さん」
「兄さん?」
「俺の弟だ。信用できて、まぁ暇なヤツっていうと、こいつと丹野さんしか浮かばなかった」
「先生の、弟さん……」

 言われてみれば、たしかに遠馬という人は立ち姿や全体の雰囲気が火神とよく似ている。

「いや、僕はともかく、丹野さんはフツーに忙しい社会人だからね。今日だってリモート参加だし」

 遠馬の反論を完全にスルーして、火神が心配そうな目でひな子を見つめる。

「大丈夫か? 何もされてないよな?」
「あ……、え、と、大丈夫、」

 言い淀むひな子の横から遠馬が口を挟む。

「フェラはさせられてたみたいだけど」
「はぁ!? お前、もっと早く助けろよ!」
「ごめんごめん。だけど、いざって時は『強制性交罪』に持ち込めるように確実な証拠を押さえておかないと、って思ってさ」
「……お、おい! ちょっと待ってくれ!」

 火神兄弟のやり取りを聞いていたらしい脇田が焦った声を上げる。
 そんな脇田を見下ろしながら、火神が冷酷に告げる。

「学校側には報告する。当然コーチは辞めてもらうし、学校への出入りも今後一切禁止になるだろう」
「兄さん、それじゃ甘すぎるよ。やっぱり警察に突き出したほうがいいんじゃない?」
「ひっ……!」

 遠馬の容赦ない発言に、脇田が息を呑んだ。

「警察はなぁ……。できれば公にしたくないんだよ」

 小声で言った火神が、ちらりとひな子に視線を向ける。
 ひな子も火神のことを見つめ返した。彼が、ひな子や龍一郎りゅういちろうの将来を案じて内密に対処しようとしてくれていることはわかっている。

 ――あの日。

 火神の家でひな子のスマホが鳴った日。
 脇田から呼び出されたことを話すと、火神は「何とかする」と言ってくれた。
 そして、本当に助けてくれた。
 本人じゃなくて、弟さんだったけれど。

「兄さんはさ、優しいんだよね。まぁ、そこがいいとこなんだけど」

 遠馬が軽く微笑んで、呆れたように肩をすくめる。
 そういえば、以前、なんだか得意気に弟の話をしていた火神を思い出した。

 ――パチッ。

 電気のスイッチが入る音がして、だしぬけに室内が明るくなった。
 暗闇に慣れた目には痛いくらい、まぶしい。

「ヤダ、何があったんですか?」

 優雅な足取りで更衣室の中へと入ってきた真山まやまが怪訝そうに尋ねる。
 足錠で繋がれた脇田たちの姿を目にして、その整った顔が不愉快そうに歪む。
 脇田じゃないほうの男は下半身が露出したままだった。ひな子をさんざん嬲ったその男根はすっかり萎れている。

「またアナタなの? 羽澄さん」

「え……?」


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