月と秘密とプールサイド

スケキヨ

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発覚

発覚(1)

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 週が明けた月曜日。
 今日は化学の授業がなかった。そのせいで、まだ火神かがみに会えていない。
 火神の家で過ごしたあの日から、ひな子はずっと中途半端に疼く身体を持て余していた。身体の中心に灯った劣情の火が、いつまでも燻りつづけていて、消えてくれない。
 ひな子は、放課後、化学室へ行こうと決めた。

「よし……!」

 胸に手を当てて、ひとり頷いたひな子の声は、ざわめいた教室のなかで誰にも気づかれることなく消えていった。

「はーい、席について」

 ざわつく生徒たちに向かって呼びかけながら、ひな子の担任が教室へと入ってきた。
 声のする方へと何気なく目をやったひな子の視線の先に――あの女がいた。
 廊下に向かって開け放された窓の向こうから、ひな子を睨みつける真山。蜘蛛の糸のような粘っこい視線が纏わりつく。
 ひな子の視線を捕えると、真山はニヤリと唇の片側を持ち上げてみせた。
 男のひとであれば、きっと一瞬で魅了されてしまうであろう妖艶な微笑みも、ひな子にとっては不気味以外の何物でもなかった。ぬらぬらと紅く艶めく唇が気持ち悪い。
 ひな子は自分の両腕で自分の身体を抱きしめて、下を向いた。時間にすれば数秒のことだったはずだが、ひな子にはやけに長く感じられた。真山が立ち去ってからも、しばらくその格好のまま動けなかったくらいに……。





*****

「ひな、帰ろー」

 ホームルームが終わると、いつものように、果穂かほがひな子の席へとやって来た。

「ごめん。今日、ちょっと用事があって……」

 顔の前で手を合わせて小さく頭を下げると、ひな子は足早に教室の出口へと急いだ。

「あ、羽澄さん。ちょっといいかな?」

 教室を出ようとしたところで、担任に呼び止められた。

 ――急いでるのに……!

「何ですか?」

 ひな子がはやる気持ちを抑えて担任に向きなおると、

「あー……うん、ちょっと、聞きたいことがあってね。教頭室まで来てもらえるかな?」

 担任の門倉かどくらがひな子の顔から目をそらしたまま、言いにくそうに告げた。
 門倉は物腰の柔らかな男性教諭だが、ハキハキとした喋り方が特徴で、こんなふうに奥歯に物が挟まったような言い方をするのは珍しい。

「えー、なになに? 私もついていっていいですか?」
相澤あいざわさんは駄目」
「えー!?」

 果穂と門倉の会話が聞こえる。その明るい調子はいつも通りだった。
 なのに――ひな子の胸には嫌な予感しかなくて、心臓が痛いほどバクバクと音を立てていた。





*****

 水泳部の生徒たちが練習する様子を見やりながら、火神は屋内プールの片隅の壁に背中をもたせかけた。
 外はすっかり冬めいているというのに、この屋内プールの中は温水プールの発する蒸気と練習に励む高校生たちの熱気に満ちている。ワイシャツの上からカーディガンを着込んだ火神の額には、かすかに汗が滲んでいた。

「速いな、あいつ」

 火神の視線の先には、龍一郎りゅういちろうがいた。
 ほかの三年生はとっくに部活を引退していたが、すでにスポーツ推薦での進学が決まっている水島は変わらず練習に参加しているようだ。
 龍一郎の泳ぎは、一緒に練習している一、二年生と比べても、やはり群を抜いていた。
 ひと掻きするだけで、水の中を何メートルも進んでいく。

「魚だな、まるで……」

 火神の口から思いがけず素朴な感想が漏れた。
 専門的なことはわからない火神の目にも、龍一郎のフォームは無駄のない優雅なものに映った。

「魚って、水島のことですか?」

 すぐ近くから聞こえてきた声に驚いて顔をそちらに向けると、いつのまにか火神の隣に立っていた脇田わきたのニヤついた顔が目に入った。
 脇田の目線は火神とほとんど変わらないが、ポロシャツの半袖から覗く二の腕は太く、火神の倍はありそうに見えた。

「ええ、あんなに速いとは思いませんでした。あ、そういえば……今週末の練習試合、引率できなくて、すいません」

 脇田は苦手だ。
 火神は最低限の事務的な内容へと話題を変えた。
 
「いいですよ。どうせ居ても居なくても変わんないですし」

 脇田の斟酌しんしゃくのない物言いに、火神は目を細めた。
 たしかにその通りだが、いちいち癪に障る言い方をする脇田にどうしても不快感を覚えてしまう。
 真山と同級生ということは今年で二十四歳のはずだが、年齢の割に子供っぽさの残る男だった。垂れ目がちな目は一見やさしそうそうなのに、その媚びたような上目遣いからは、そこはかとない厭らしさが滲み出ている気がしてならない。
 学生時代の実績から水泳部のコーチとして学校への出入りを許可されているが……火神はどうしてもこの男を信用できなかった。

「それより、火神センセ」

 ニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべながら、脇田が馴れ馴れしく火神の肩に手を置いてくる。

「へっへっへっ……どうでした?」
「……何が?」

 気安く触るなよ。
 そう思いながらも火神が冷たい声で答えると、

「いーえ、何でもありません」

 脇田は薄笑いを浮かべたまま、両手を上げてみせた。
 片側の口の端だけを持ち上げるその笑い方が、ひどく下卑て見えた。人を喰ったような、脇田のこの笑い方が、火神は嫌でたまらない。

「じゃあ、よろしくお願いします」

 おざなりにそう言って、火神がその場を離れようとした時――

「火神先生!」

 鋭い声がプールサイドに響いた。
 火神が声のした方へ顔を向けると、屋内プールの出入口に、眉間に皺を寄せた教頭が立っていた。

「あーあ。バレちゃいましたかねぇ?」
「え……?」

 教頭の姿を確認した脇田が、愉しそうに口をはさんだ。

「ダメですよ、もっとうまくやらないと……」

 脇田が火神の耳元へ口を寄せて、笑いながら囁いた。
 まだ日も高いというのに、脇田の息は酒臭い。火神はもう不快感を隠すこともなく、これ見よがしに大きく顔をしかめた。


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