29 / 43
『教師と生徒』
『教師と生徒』(2)
しおりを挟む
*****
「いや、その、なんか……悪かったな」
コタツを挟んで向かい側に座る丹野が頭を下げる。バツが悪そうに、火神から視線をそらして頭を掻くと、収まりの悪い癖っ毛がさらにぐちゃぐちゃに乱れた。いつもは周りの空気なお構いなしのマイペースな男だが、後輩のラブシーンを目の当たりにして、さすがに気まずいと見える。
「いえ……」
火神の方もまさか先輩の前で続きをヤるわけにもいかず。涙目で見つめるひな子を振り切ると、滾る下半身を抑えて、彼女を駅まで送り届けてきた。
「カノジョか?」
「…………いえ」
丹野のもっともな質問に、火神は力なく首を振る。
「えりなちゃんはどうした?」
「えりな? ……あぁ」
丹野の言っているのが真山のことだと気がついて、火神の端正な顔が歪んだ。まるで腐った生ゴミでも見るようなその表情は、とても好意を寄せる女を思い浮かべたときのそれではない。
鈍感な丹野もさすがに察したらしく、それ以上、真山の名前を口にすることはなかった。
「ずいぶん、若い娘だったな」
斜め上を見やりながら、丹野が言いづらそうに切り出した。
「……お前の、生徒か?」
丹野の問いかけに、火神は小さく頷く。
昔から、なぜかこの先輩の前では嘘がつけない。
「そういうの……なんて言うか、知ってるか?」
コタツ布団を引き上げて、ずいっと身を乗り出した丹野が声を潜める。
「ロリコ……」
「せめて、恋と言ってくださいよ」
丹野の言葉を最後まで言わせないで、火神が割り込んだ。冗談めかして笑おうとしたが、変な具合に顔が引き攣っただけだった。
「え、そうなのか?」
火神の口から飛び出したまさかの言葉に、丹野が目を見開く。
「恋……だと?」
丹野は信じられないといった様子で、口の中で何度もその言葉を呟いた。
そんな丹野の様子を前に、火神自身も自分で自分の発言に戸惑っていた。
「そうか……じゃあどうするかな……あれ、でも、もしかして……ちょうどいいのか……?」
何やらひとりでブツブツと自問する丹野だったが、しばらくすると意を決したように顔を上げて、火神の目を見つめた。
「実は、うちの研究所でひとり、欠員が出るんだ」
その後に続く言葉を予測して、火神の目が揺れる。
「誰か探してこい……って言われてるんだけど。お前、受けてみないか?」
予想を裏切らなかった丹野の誘いに、しかし、火神はすぐに答えられない。
「大学に残りたいって言ってただろ? 親父さんが亡くなって、弟さんは大学に入ったばっかりだからって、慌てて辞めちまったけど」
火神は大学院生だった三年前のことを思い出した。
教師をしていた父親が突然倒れ、数ヶ月の闘病生活を経てあっけなく逝ってしまうと、あとには母親と火神、そして六歳下の弟が残された。
もともと裕福な家ではなかったが、大黒柱だった父が死んで、近所の弁当屋でパートする母親の収入だけではさすがに心もとなかった。
大学に入ったばかりの弟と、大学院まで行かせてもらった自分。もう充分だと、火神は思った。
「ほんとは、研究続けたいんじゃないのか? 俺にはずっとそう見えてたぞ」
相変わらず恐い人だと思いながら、火神は目の前の男を見返した。
鈍感なくせに、鋭い。
「なに、面接って言っても、形式的なもんだ。俺の紹介だしな」
得意げに言った丹野が豪快に笑うと、印象的な八重歯が覗いた。
「……すごく光栄なお話ですが、ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
「ん?」
自分の提案に喜んで飛びつくと思っていたのか、火神の浮かない表情に丹野が不服そうに眉を寄せた。
「まさか、女子高生と離れるのが寂しい、っていうんじゃないだろうな?」
「……そんなわけないじゃないですか」
火神が不愉快そうに目を細める。
「純粋な高校生を弄ぶなんて、お前、最低だぞ」
「……弄ばれてるのは、俺のほうですよ」
火神が自嘲したように小さく笑った。
カーテンの隙間から翳りかけたオレンジ色の陽が差しこんで、火神の顔を照らした。
「なるほど……。あの子、何年生なんだ?」
「三年ですけど」
「なんだ。じゃあ、あとちょっとだな」
ホッとしたように息をついた丹野が軽く笑ってみせる。
「よし、火神。もうちょっとだけ我慢しろ。そんで、俺の会社、受けろ」
自分の考えに納得したらしい丹野が、うんうん、と満足そうに頭を振った。
「なんでそうなるんですか?」
脈絡のない丹野の発言に、火神が呆れていると、
「まさか、『教師と生徒のシチュエーションに萌える』とか言わないよな?」
「……そんなわけないじゃないですか」
火神が顔をしかめると、
「よし。それを聞いて安心した。だったら、話は簡単だ。『教師と生徒』でなくなればいい。違うか?」
「違いません……けど」
「けど?」
「……ちょっと、時間をください。俺、今はまだ辞められないです……教師を」
「ほぅ?」
意外だというように丹野が眉をあげて身を反らせた。
「俺はてっきり、嫌々やってるのかと思ってた」
「……それもそうなんですが」
「なんだよ、はっきりしないな。火神らしくないぞ」
丹野の知っている火神は、自分の意見を言うのに躊躇するような人間ではなかった。
他人に斟酌しない物言いは誤解を与えることもあるが、そんな裏表のない火神の性格を丹野は信用していた。
「俺は教師としては全然駄目で、さっさと辞めたほうがいいって自分でもわかってるんですが……まだ、やり残したことがあるような気がして……今辞めたら、負けたままだな、と思って」
「ん? 負けた、って何に?」
「……あいつらに」
丹野の問いかけに答えながら、火神はあいつらの顔を思い浮かべた。
あいつら――羽澄ひな子と水島龍一郎のことを。
「いや、その、なんか……悪かったな」
コタツを挟んで向かい側に座る丹野が頭を下げる。バツが悪そうに、火神から視線をそらして頭を掻くと、収まりの悪い癖っ毛がさらにぐちゃぐちゃに乱れた。いつもは周りの空気なお構いなしのマイペースな男だが、後輩のラブシーンを目の当たりにして、さすがに気まずいと見える。
「いえ……」
火神の方もまさか先輩の前で続きをヤるわけにもいかず。涙目で見つめるひな子を振り切ると、滾る下半身を抑えて、彼女を駅まで送り届けてきた。
「カノジョか?」
「…………いえ」
丹野のもっともな質問に、火神は力なく首を振る。
「えりなちゃんはどうした?」
「えりな? ……あぁ」
丹野の言っているのが真山のことだと気がついて、火神の端正な顔が歪んだ。まるで腐った生ゴミでも見るようなその表情は、とても好意を寄せる女を思い浮かべたときのそれではない。
鈍感な丹野もさすがに察したらしく、それ以上、真山の名前を口にすることはなかった。
「ずいぶん、若い娘だったな」
斜め上を見やりながら、丹野が言いづらそうに切り出した。
「……お前の、生徒か?」
丹野の問いかけに、火神は小さく頷く。
昔から、なぜかこの先輩の前では嘘がつけない。
「そういうの……なんて言うか、知ってるか?」
コタツ布団を引き上げて、ずいっと身を乗り出した丹野が声を潜める。
「ロリコ……」
「せめて、恋と言ってくださいよ」
丹野の言葉を最後まで言わせないで、火神が割り込んだ。冗談めかして笑おうとしたが、変な具合に顔が引き攣っただけだった。
「え、そうなのか?」
火神の口から飛び出したまさかの言葉に、丹野が目を見開く。
「恋……だと?」
丹野は信じられないといった様子で、口の中で何度もその言葉を呟いた。
そんな丹野の様子を前に、火神自身も自分で自分の発言に戸惑っていた。
「そうか……じゃあどうするかな……あれ、でも、もしかして……ちょうどいいのか……?」
何やらひとりでブツブツと自問する丹野だったが、しばらくすると意を決したように顔を上げて、火神の目を見つめた。
「実は、うちの研究所でひとり、欠員が出るんだ」
その後に続く言葉を予測して、火神の目が揺れる。
「誰か探してこい……って言われてるんだけど。お前、受けてみないか?」
予想を裏切らなかった丹野の誘いに、しかし、火神はすぐに答えられない。
「大学に残りたいって言ってただろ? 親父さんが亡くなって、弟さんは大学に入ったばっかりだからって、慌てて辞めちまったけど」
火神は大学院生だった三年前のことを思い出した。
教師をしていた父親が突然倒れ、数ヶ月の闘病生活を経てあっけなく逝ってしまうと、あとには母親と火神、そして六歳下の弟が残された。
もともと裕福な家ではなかったが、大黒柱だった父が死んで、近所の弁当屋でパートする母親の収入だけではさすがに心もとなかった。
大学に入ったばかりの弟と、大学院まで行かせてもらった自分。もう充分だと、火神は思った。
「ほんとは、研究続けたいんじゃないのか? 俺にはずっとそう見えてたぞ」
相変わらず恐い人だと思いながら、火神は目の前の男を見返した。
鈍感なくせに、鋭い。
「なに、面接って言っても、形式的なもんだ。俺の紹介だしな」
得意げに言った丹野が豪快に笑うと、印象的な八重歯が覗いた。
「……すごく光栄なお話ですが、ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
「ん?」
自分の提案に喜んで飛びつくと思っていたのか、火神の浮かない表情に丹野が不服そうに眉を寄せた。
「まさか、女子高生と離れるのが寂しい、っていうんじゃないだろうな?」
「……そんなわけないじゃないですか」
火神が不愉快そうに目を細める。
「純粋な高校生を弄ぶなんて、お前、最低だぞ」
「……弄ばれてるのは、俺のほうですよ」
火神が自嘲したように小さく笑った。
カーテンの隙間から翳りかけたオレンジ色の陽が差しこんで、火神の顔を照らした。
「なるほど……。あの子、何年生なんだ?」
「三年ですけど」
「なんだ。じゃあ、あとちょっとだな」
ホッとしたように息をついた丹野が軽く笑ってみせる。
「よし、火神。もうちょっとだけ我慢しろ。そんで、俺の会社、受けろ」
自分の考えに納得したらしい丹野が、うんうん、と満足そうに頭を振った。
「なんでそうなるんですか?」
脈絡のない丹野の発言に、火神が呆れていると、
「まさか、『教師と生徒のシチュエーションに萌える』とか言わないよな?」
「……そんなわけないじゃないですか」
火神が顔をしかめると、
「よし。それを聞いて安心した。だったら、話は簡単だ。『教師と生徒』でなくなればいい。違うか?」
「違いません……けど」
「けど?」
「……ちょっと、時間をください。俺、今はまだ辞められないです……教師を」
「ほぅ?」
意外だというように丹野が眉をあげて身を反らせた。
「俺はてっきり、嫌々やってるのかと思ってた」
「……それもそうなんですが」
「なんだよ、はっきりしないな。火神らしくないぞ」
丹野の知っている火神は、自分の意見を言うのに躊躇するような人間ではなかった。
他人に斟酌しない物言いは誤解を与えることもあるが、そんな裏表のない火神の性格を丹野は信用していた。
「俺は教師としては全然駄目で、さっさと辞めたほうがいいって自分でもわかってるんですが……まだ、やり残したことがあるような気がして……今辞めたら、負けたままだな、と思って」
「ん? 負けた、って何に?」
「……あいつらに」
丹野の問いかけに答えながら、火神はあいつらの顔を思い浮かべた。
あいつら――羽澄ひな子と水島龍一郎のことを。
0
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説
溺愛旦那様と甘くて危険な新婚生活を 番外編
蝶野ともえ
恋愛
「溺愛旦那様と甘くて危険な新婚生活を」の番外編です!
沢山のリクエストをいただきましたので、続編を執筆決定しました。
結婚式を挙げた椋(りょう)と花霞(かすみ)は幸せな結婚生活を送っていた。
けれど、そんな時に椋にはある不思議なメールが届くようになっていた。
そして、花霞に好意を持って近づく若い男性のお客さんが来るようになっていた。
お互いの生活がすれ違う中でも、2人は愛し合い助け合いながら過ごしていくけれど、少しずつ事態は大きくなっていき…………
新たな事件は、あの日からすでに始まっていた………………。
★今回、R18に挑戦しようと思っています。ですが、その部分を読まなくても話がわかるようにしていきたいと思いますので、苦手な方は、その回を飛ばして読んでいただければと思います。
初めての試みで、R18は時間がかかり、そして勉強中なので上手ではないかと思いますが、よろしくお願いいたします。
☆鑑 花霞(かがみ かすみ) 椋の妻。花屋で働いており、花が大好きな29歳。椋と契約結婚をした後にある事件に巻き込まれる。ふんわりとした性格だが、いざという時の行動力がある
★鑑 椋(かがみ りょう) 花霞の夫。ある秘密をもったまはま花霞に契約結婚を申し込む。花霞を溺愛しており、彼女に何かあると、普段優しい性格だか凶変してしまう。怒ると怖い。
本編にshortstoryを更新しておりますので、ぜひチェックをお願いいたします。
また、「嘘つき旦那様と初めての恋を何度でも」に、キャラクターが登場しております!ぜひどうぞ。
乱交的フラストレーション〜美少年の先輩はドMでした♡〜
花野りら
恋愛
上巻は、美少年サカ(高2)の夏休みから始まります。
プールで水着ギャルが、始めは嫌がるものの、最後はノリノリで犯されるシーンは必読♡
下巻からは、美少女ゆうこ(高1)の話です。
ゆうこは先輩(サカ)とピュアな恋愛をしていました。
しかし、イケメン、フクさんの登場でじわじわと快楽に溺れ、いつしかメス堕ちしてしまいます。
ピュア系JKの本性は、実はどMの淫乱で、友達交えて4Pするシーンは大興奮♡
ラストのエピローグは、強面フクさん(二十歳の社会人)の話です。
ハッピーエンドなので心の奥にそっとしまいたくなります。
爽やかな夏から、しっとりした秋に移りゆくようなラブストーリー♡
ぜひ期待してお読みくださいませ!
読んだら感想をよろしくお願いしますね〜お待ちしてます!
【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。
——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない)
※完結直後のものです。
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
副社長と出張旅行~好きな人にマーキングされた日~【R18】
日下奈緒
恋愛
福住里佳子は、大手企業の副社長の秘書をしている。
いつも紳士の副社長・新田疾風(ハヤテ)の元、好きな気持ちを育てる里佳子だが。
ある日、出張旅行の同行を求められ、ドキドキ。
【完結】Mにされた女はドS上司セックスに翻弄される
Lynx🐈⬛
恋愛
OLの小山内羽美は26歳の平凡な女だった。恋愛も多くはないが人並に経験を重ね、そろそろ落ち着きたいと思い始めた頃、支社から異動して来た森本律也と出会った。
律也は、支社での営業成績が良く、本社勤務に抜擢され係長として赴任して来た期待された逸材だった。そんな将来性のある律也を狙うOLは後を絶たない。羽美もその律也へ思いを寄せていたのだが………。
✱♡はHシーンです。
✱続編とは違いますが(主人公変わるので)、次回作にこの話のキャラ達を出す予定です。
✱これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる