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あの夜
あの夜(1)
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「ハハ、ハ…………」
ひと頻り笑ってしまうと、もう笑っているのか、泣いているのか、自分でもわからなくなった。火神は身を起こして、目尻に滲んだ涙を指先で拭った。
せっかく仮眠しようと思っていたのに、とても眠れそうにない。
火神は立ち上がると、さっきまで自分が横になっていた布団を跨いで、窓のそばへと移動した。その窓は校庭に面していて、カーテンを開くと、闇に沈んだ校庭が一望できる。
仮眠室から漏れ出た明かりが、校庭の端っこに転がっていたサッカーボールに影を作った。それ以外には人影ひとつない。
火神は校庭の隅にひっそりと佇む屋外プールに目を向けた。
――あの日。
プールサイドで、初めてひな子に触れた日のことを思い出す。
あの夏の夜も、火神はこの窓からプールを見ていた。
今よりはもう少し早い時間帯だったかもしれない……プールの隣に設置された更衣室の辺りでチラついた、小さな光。
こんな時間に誰かいるのか……不審に思いながら、火神は懐中電灯を片手にプールへと向かった。
施錠されているはずの更衣室の扉が開いている。
室内に明かりを向けると、壁に沿ってずらりと並べて置かれたスチール製のロッカーが浮かび上がった。
懐中電灯の光を部屋の中央へと向けると、乱雑に散らかった床が目に入る。
そこには、何本かのビールの空き缶が転がっていた。缶の口にはタバコの吸い殻が無造作に突っ込まれている。さらに何個か散らばった……コンドームの空き袋。
「おいおい……何だよ、これ」
火神が言葉をなくして立ち尽くしていると――
ちゃぽん、という水音が耳をついた。
「……誰か、いるのか……?」
顔を顰めて舌打ちしながら、火神は音のしたプールの方へと足を向けた。
(まったく、面倒なことになったな……)
深夜の学校への侵入も、酒も、タバコも、セックスも……見つけてしまったからには、教師として放置するわけにはいかない。生徒の仕業なら事実を確認し、然るべき処分と指導をしなければならない。
(そういうの、苦手なんだよ……)
化学のことならいくらでも教えてやれるが、道徳やら倫理やら……そういったものはどう教えていいかわからない。そもそも誰かに偉そうなことを言えるほど、自分も立派な人間ではないというのに……。
火神が重い気分でプールサイドに足を踏み入れると、青い水面にひとりの女が浮かんでいるのが目に入った。月明かりに照らされて、そこだけスポットライトが当たっているみたいに、灰白く浮かび上がっている。
「おいっ……大丈夫か!?」
火神は懐中電灯を放り出すと、血相を変えてプールの中へと飛び込んだ。
身じろぎもせず、ただ水の動きに任せて揺れているその女が、死体のように思えたのだ。
水を含んで纏わりつく衣服に難儀しながらも、火神は何とか女の浮かぶプールの中ほどまで辿り着いた。
「っ……! お前は……」
女の顔を見た火神が、小さく息を呑む。
――女は、三年A組の羽澄ひな子だった。
「羽澄っ! おい、大丈夫か?! しっかりしろ!」
火神が軽く頬を叩いても、焦点の合わない目でどこか遠くを見つめているひな子。彼女の視線を追って上を見やると、そこにはぼんやりと白い光を放つ月があった。
「月が……視てる」
ひな子の口が幽かに動いた。
「……え?」
火神が聞き返すと、ひな子はそこで初めて彼の存在に気づいたのか……驚いたように目を大きく見開いた。
火神の姿を映した瞳が、怯えたようにふるふると震える。正気を取り戻した目に、じわじわと涙が溜まっていく。
「ぁ……か、がみ、せんせ……? ……なんで、ここ……に」
唇をわななかせながら、言葉にならない言葉を紡ぐひな子。震えるその唇が、火神にはやけに赤く見えた。
「……とにかく、上がれ」
きつめの口調でそう言うと、火神はひな子の腕を掴むと強く引っ張って、水の中を進んだ。ひな子は引きずられるがまま、火神の後をついていく。
水から上がると、ひな子は浜辺に打ち上げられた人魚のように、力なくプールサイドに倒れ込んだ。しなやかに伸びる白い脚が、月明かりの下、まるで人魚の尾のように輝いている。
火神はその白い脚に目を奪われた。
細い足首、程よく筋肉のついたふくらはぎ、そして、引き締まった太腿……。
吸いつけられたように、目が離せなかった。
さらに目線を上へ辿ると、くびれた腰から、なだらかな曲線を描いて大きく盛り上がる胸元が嫌でも目に入ってくる。
(どこを見てるんだ、俺は……。生徒だぞ……!)
そう思うのに、濡れた水着の中で窮屈そうに息づく、その柔らかそうな白い双丘から、どうしても目を逸らせない……。
(……触りたい)
身体の中心に血が集まって、熱を帯びる。
(何を考えてるんだ……相手は生徒なんだぞ)
頭の隅で、なけなしの理性が囁いている。
(わかってる)
わかってるんだ。だけど――
(触りたい、触りたい、触りたい……)
自分でも気がつかないうちに、火神の身体が動いていた。
そして――
気づいた時には、もう遅かった。
濡れたプールサイドでぐちゃぐちゃになりながら、羽澄ひな子を……犯していた。
ひと頻り笑ってしまうと、もう笑っているのか、泣いているのか、自分でもわからなくなった。火神は身を起こして、目尻に滲んだ涙を指先で拭った。
せっかく仮眠しようと思っていたのに、とても眠れそうにない。
火神は立ち上がると、さっきまで自分が横になっていた布団を跨いで、窓のそばへと移動した。その窓は校庭に面していて、カーテンを開くと、闇に沈んだ校庭が一望できる。
仮眠室から漏れ出た明かりが、校庭の端っこに転がっていたサッカーボールに影を作った。それ以外には人影ひとつない。
火神は校庭の隅にひっそりと佇む屋外プールに目を向けた。
――あの日。
プールサイドで、初めてひな子に触れた日のことを思い出す。
あの夏の夜も、火神はこの窓からプールを見ていた。
今よりはもう少し早い時間帯だったかもしれない……プールの隣に設置された更衣室の辺りでチラついた、小さな光。
こんな時間に誰かいるのか……不審に思いながら、火神は懐中電灯を片手にプールへと向かった。
施錠されているはずの更衣室の扉が開いている。
室内に明かりを向けると、壁に沿ってずらりと並べて置かれたスチール製のロッカーが浮かび上がった。
懐中電灯の光を部屋の中央へと向けると、乱雑に散らかった床が目に入る。
そこには、何本かのビールの空き缶が転がっていた。缶の口にはタバコの吸い殻が無造作に突っ込まれている。さらに何個か散らばった……コンドームの空き袋。
「おいおい……何だよ、これ」
火神が言葉をなくして立ち尽くしていると――
ちゃぽん、という水音が耳をついた。
「……誰か、いるのか……?」
顔を顰めて舌打ちしながら、火神は音のしたプールの方へと足を向けた。
(まったく、面倒なことになったな……)
深夜の学校への侵入も、酒も、タバコも、セックスも……見つけてしまったからには、教師として放置するわけにはいかない。生徒の仕業なら事実を確認し、然るべき処分と指導をしなければならない。
(そういうの、苦手なんだよ……)
化学のことならいくらでも教えてやれるが、道徳やら倫理やら……そういったものはどう教えていいかわからない。そもそも誰かに偉そうなことを言えるほど、自分も立派な人間ではないというのに……。
火神が重い気分でプールサイドに足を踏み入れると、青い水面にひとりの女が浮かんでいるのが目に入った。月明かりに照らされて、そこだけスポットライトが当たっているみたいに、灰白く浮かび上がっている。
「おいっ……大丈夫か!?」
火神は懐中電灯を放り出すと、血相を変えてプールの中へと飛び込んだ。
身じろぎもせず、ただ水の動きに任せて揺れているその女が、死体のように思えたのだ。
水を含んで纏わりつく衣服に難儀しながらも、火神は何とか女の浮かぶプールの中ほどまで辿り着いた。
「っ……! お前は……」
女の顔を見た火神が、小さく息を呑む。
――女は、三年A組の羽澄ひな子だった。
「羽澄っ! おい、大丈夫か?! しっかりしろ!」
火神が軽く頬を叩いても、焦点の合わない目でどこか遠くを見つめているひな子。彼女の視線を追って上を見やると、そこにはぼんやりと白い光を放つ月があった。
「月が……視てる」
ひな子の口が幽かに動いた。
「……え?」
火神が聞き返すと、ひな子はそこで初めて彼の存在に気づいたのか……驚いたように目を大きく見開いた。
火神の姿を映した瞳が、怯えたようにふるふると震える。正気を取り戻した目に、じわじわと涙が溜まっていく。
「ぁ……か、がみ、せんせ……? ……なんで、ここ……に」
唇をわななかせながら、言葉にならない言葉を紡ぐひな子。震えるその唇が、火神にはやけに赤く見えた。
「……とにかく、上がれ」
きつめの口調でそう言うと、火神はひな子の腕を掴むと強く引っ張って、水の中を進んだ。ひな子は引きずられるがまま、火神の後をついていく。
水から上がると、ひな子は浜辺に打ち上げられた人魚のように、力なくプールサイドに倒れ込んだ。しなやかに伸びる白い脚が、月明かりの下、まるで人魚の尾のように輝いている。
火神はその白い脚に目を奪われた。
細い足首、程よく筋肉のついたふくらはぎ、そして、引き締まった太腿……。
吸いつけられたように、目が離せなかった。
さらに目線を上へ辿ると、くびれた腰から、なだらかな曲線を描いて大きく盛り上がる胸元が嫌でも目に入ってくる。
(どこを見てるんだ、俺は……。生徒だぞ……!)
そう思うのに、濡れた水着の中で窮屈そうに息づく、その柔らかそうな白い双丘から、どうしても目を逸らせない……。
(……触りたい)
身体の中心に血が集まって、熱を帯びる。
(何を考えてるんだ……相手は生徒なんだぞ)
頭の隅で、なけなしの理性が囁いている。
(わかってる)
わかってるんだ。だけど――
(触りたい、触りたい、触りたい……)
自分でも気がつかないうちに、火神の身体が動いていた。
そして――
気づいた時には、もう遅かった。
濡れたプールサイドでぐちゃぐちゃになりながら、羽澄ひな子を……犯していた。
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