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2. 敵うわけないのだ
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ミアとエイミー、そしてリアムの三人は同じ王立学院を卒業した同級生である。
王立学院といえば、将来、王の下で国を支える優秀な官吏を養成するための機関で、設立からしばらくの間は貴族しか入学が認められなかった。
その慣習が撤廃され、平民にも門戸が開かれるようになったのはおよそ二十年前のことだ。「身分に関わらず優秀な人材を育てたい」という現国王の方針を受けて、家柄や称号の有無に関係なく、入学試験を突破したものであれば誰でも入学することが可能になったのである。
だからと言って、完全に平等になったかといえば嘘になる。
現にミアが入学したばかりの頃、貴族と平民の間には明確に壁があった。
当然といえば当然である。
貴族制度はこの国が始まって以来、何代にもわたって維持されてきた制度である。選民意識の高い貴族たちが平民と同じ扱いに納得するわけがなかった。
一方の平民の生徒たちも最難関の試験を突破してきた優等生ばかりだ。自分の頭脳には絶対的な自信を持っていたし、そうした者たちの大半は商売で一財を成した裕福な家庭の出身であった。家名に胡座をかいて威張り散らしておきながら、その実は借金まみれという貴族たちの実態を知っているがゆえに、大人しく言うことを聞く気になれないのも無理はない。
ミアはそういった平民の代表的な生徒だった。
一般生徒向けに行われた入学試験の成績はトップ。学院に入学してからも常に成績上位の座をキープしてきた。ろくに試験も受けないで裏口から入ってきたアホな貴族たちに負けてたまるか、とミアは寝食も忘れて勉学に励んだ。そんな彼女を心配した父親からは、
「女の子なんだから、ほどほどでいいんだよ」
こんな慰めの言葉を掛けられることもよくあったが、そのたびにミアは心のなかで反発した。
父は何もわかっていない。
「女」だからこそ、「平民」だからこそ、頑張らなければいけないのだ。目に見える形で結果を出して、自分の優秀さを周囲に認めさせなければならないというのに……。
ただし、ミアがどれだけ勉強しても、どうしても超えられない同級生が一人だけいた。
それが、リアム・ド・モレロだ。
成績優秀、容姿端麗、しかも爵位は最高位の「公爵」である。
――敵わない。
ミアは生まれて初めて報われない努力があることを知った。
だからアイツのことは学院にいる頃から気に入らなかった。アイツのせいでミアは首席の座を逃したのだ。
さらに腹立たしいのは、リアムがただの「アホな貴族」ではないということだ。
ミアが入学した当初、学院内には非公式の「しきたり」がいくつもあった。
やれ貴族の名を呼ぶときには「様」を付けろ、やれ貴族が廊下を歩くときには道の端に寄って頭を下げろ、など時代錯誤も甚だしいものばかりだ。
いつだったか、ミアが学院の廊下を歩いていると、前方から大柄な貴族の男がやって来たことがあった。ミアはお互いの身体がぶつからない程度に道を譲ったが、壁に張り付いて頭を下げることはしなかった。やる意味を感じなかったからだ。
すると、その貴族の男が、
「貴様! 平民のくせにデカい顔して歩きやがって」
大声で怒鳴りつけたうえに、体当たりしてきたのだ。
デカい顔してるのはそっちでしょ?
ミアはそう思ったが、突き飛ばされた衝撃でうまく口がきけなかった。床に打ち付けられた際に切ったのか、口の端からタラリと血が流れていた。
「ミア! 大丈夫か?」
心配そうにミアの名前を呼んで駆けつけてきてくれたのは……リアムだった。
「……お前か。ミアにケガさせたのは?」
凄みのある低い声が聞こえてきて、ミアは思わず顔を上げた。
今のは、リアムの声?
いつもと全然ちがう迫力ある低音に、ミアのみならず、周囲にいた生徒全員が息を呑んだ。
「あ……リアム。ち、違うんだ、この平民の女が、俺が通るのを、邪魔したから」
おそらくその男は貴族といっても下級貴族だったのだろう。
公爵家のリアムに睨まれて、さっきの勢いはどこへやら、しどろもどろになって苦しい弁明を始めた。
「くだらない。この学院内ではみんな平等だろう。それが国王陛下の御意向のはずだ。そんな基本理念すら理解できていない人間はこの学院で学ぶ資格などない。さっさと退学したほうがいいんじゃないか。なんなら、うちの父親から学院側へ掛け合ってもらってもいいんだぞ」
リアムのこの発言に相手の男は顔色を失くした。
デカい図体を縮こまらせて懸命に許しを請う姿には、ミアの溜飲も大いに下がったものだ。
何より、リアムの発言のおかげで、この出来事以降、平民の生徒たちにとっては学院での生活がずいぶんと快適になったのだった。
学院を卒業したミアは、晴れてこの春から「官吏見習い」へと選抜された。
王立学院の中でも成績上位者しか選ばれない狭き門だ。平民の、しかも女性のミアが選ばれたのは大抜擢と言える。
近い将来、現国王の長男である皇太子殿下が即位される。
ミアたちは次代の王を支える有能な官吏になることを期待されているのである。
そして、その中にはもちろんリアムも含まれている。
腐れ縁というやつだろうか……ミアとリアムは同じ部署に配属された。
本当はミアだってわかっている。
リアムは心身ともに壮健な男性だ。絶対的な体力差もある。それにミアがどれだけ努力しても手に入らない「家柄」という武器も備えている。
――敵うわけないのだ。
近々、皇太子による初めて外交視察が予定されている。久しく国交の途絶えていたその国への外遊は国交を再開させるための第一歩であり、非常に重要なイベントだ。
こんなこともあろうかと、ミアは何年も前からその国の言葉を勉強してきた。日常会話であれば問題なくこなせる。まだ入官して日は浅いが、もしかしたら自分が皇太子のお伴をするメンバーに選ばれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていたのだが。
随行員の一員として選ばれたのは……やっぱりリアムだった。
王立学院といえば、将来、王の下で国を支える優秀な官吏を養成するための機関で、設立からしばらくの間は貴族しか入学が認められなかった。
その慣習が撤廃され、平民にも門戸が開かれるようになったのはおよそ二十年前のことだ。「身分に関わらず優秀な人材を育てたい」という現国王の方針を受けて、家柄や称号の有無に関係なく、入学試験を突破したものであれば誰でも入学することが可能になったのである。
だからと言って、完全に平等になったかといえば嘘になる。
現にミアが入学したばかりの頃、貴族と平民の間には明確に壁があった。
当然といえば当然である。
貴族制度はこの国が始まって以来、何代にもわたって維持されてきた制度である。選民意識の高い貴族たちが平民と同じ扱いに納得するわけがなかった。
一方の平民の生徒たちも最難関の試験を突破してきた優等生ばかりだ。自分の頭脳には絶対的な自信を持っていたし、そうした者たちの大半は商売で一財を成した裕福な家庭の出身であった。家名に胡座をかいて威張り散らしておきながら、その実は借金まみれという貴族たちの実態を知っているがゆえに、大人しく言うことを聞く気になれないのも無理はない。
ミアはそういった平民の代表的な生徒だった。
一般生徒向けに行われた入学試験の成績はトップ。学院に入学してからも常に成績上位の座をキープしてきた。ろくに試験も受けないで裏口から入ってきたアホな貴族たちに負けてたまるか、とミアは寝食も忘れて勉学に励んだ。そんな彼女を心配した父親からは、
「女の子なんだから、ほどほどでいいんだよ」
こんな慰めの言葉を掛けられることもよくあったが、そのたびにミアは心のなかで反発した。
父は何もわかっていない。
「女」だからこそ、「平民」だからこそ、頑張らなければいけないのだ。目に見える形で結果を出して、自分の優秀さを周囲に認めさせなければならないというのに……。
ただし、ミアがどれだけ勉強しても、どうしても超えられない同級生が一人だけいた。
それが、リアム・ド・モレロだ。
成績優秀、容姿端麗、しかも爵位は最高位の「公爵」である。
――敵わない。
ミアは生まれて初めて報われない努力があることを知った。
だからアイツのことは学院にいる頃から気に入らなかった。アイツのせいでミアは首席の座を逃したのだ。
さらに腹立たしいのは、リアムがただの「アホな貴族」ではないということだ。
ミアが入学した当初、学院内には非公式の「しきたり」がいくつもあった。
やれ貴族の名を呼ぶときには「様」を付けろ、やれ貴族が廊下を歩くときには道の端に寄って頭を下げろ、など時代錯誤も甚だしいものばかりだ。
いつだったか、ミアが学院の廊下を歩いていると、前方から大柄な貴族の男がやって来たことがあった。ミアはお互いの身体がぶつからない程度に道を譲ったが、壁に張り付いて頭を下げることはしなかった。やる意味を感じなかったからだ。
すると、その貴族の男が、
「貴様! 平民のくせにデカい顔して歩きやがって」
大声で怒鳴りつけたうえに、体当たりしてきたのだ。
デカい顔してるのはそっちでしょ?
ミアはそう思ったが、突き飛ばされた衝撃でうまく口がきけなかった。床に打ち付けられた際に切ったのか、口の端からタラリと血が流れていた。
「ミア! 大丈夫か?」
心配そうにミアの名前を呼んで駆けつけてきてくれたのは……リアムだった。
「……お前か。ミアにケガさせたのは?」
凄みのある低い声が聞こえてきて、ミアは思わず顔を上げた。
今のは、リアムの声?
いつもと全然ちがう迫力ある低音に、ミアのみならず、周囲にいた生徒全員が息を呑んだ。
「あ……リアム。ち、違うんだ、この平民の女が、俺が通るのを、邪魔したから」
おそらくその男は貴族といっても下級貴族だったのだろう。
公爵家のリアムに睨まれて、さっきの勢いはどこへやら、しどろもどろになって苦しい弁明を始めた。
「くだらない。この学院内ではみんな平等だろう。それが国王陛下の御意向のはずだ。そんな基本理念すら理解できていない人間はこの学院で学ぶ資格などない。さっさと退学したほうがいいんじゃないか。なんなら、うちの父親から学院側へ掛け合ってもらってもいいんだぞ」
リアムのこの発言に相手の男は顔色を失くした。
デカい図体を縮こまらせて懸命に許しを請う姿には、ミアの溜飲も大いに下がったものだ。
何より、リアムの発言のおかげで、この出来事以降、平民の生徒たちにとっては学院での生活がずいぶんと快適になったのだった。
学院を卒業したミアは、晴れてこの春から「官吏見習い」へと選抜された。
王立学院の中でも成績上位者しか選ばれない狭き門だ。平民の、しかも女性のミアが選ばれたのは大抜擢と言える。
近い将来、現国王の長男である皇太子殿下が即位される。
ミアたちは次代の王を支える有能な官吏になることを期待されているのである。
そして、その中にはもちろんリアムも含まれている。
腐れ縁というやつだろうか……ミアとリアムは同じ部署に配属された。
本当はミアだってわかっている。
リアムは心身ともに壮健な男性だ。絶対的な体力差もある。それにミアがどれだけ努力しても手に入らない「家柄」という武器も備えている。
――敵うわけないのだ。
近々、皇太子による初めて外交視察が予定されている。久しく国交の途絶えていたその国への外遊は国交を再開させるための第一歩であり、非常に重要なイベントだ。
こんなこともあろうかと、ミアは何年も前からその国の言葉を勉強してきた。日常会話であれば問題なくこなせる。まだ入官して日は浅いが、もしかしたら自分が皇太子のお伴をするメンバーに選ばれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていたのだが。
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