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このままじゃ、取って食われてしまう

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「セリーニャと我が国の友好と発展を願って……乾杯!」

 皇太子殿下の音頭に続いて、「乾杯!」という声がぱらぱらと沸き起こった。
 ビアンカ王女の発案……というかで、急遽、ちょっとした宴会が開かれることになったため、皇太子に近しい高官を中心に都合のつくメンバーをかき集めたのだ。参加者二十名ほどの小さな夜会である。

 ミアも一応この場に同席していたが、部屋の隅に立ったままじっと息をひそめて宴の様子を見守っていた。
 部屋の中央に置かれた大きな食卓を囲むのは全員男性である。……ビアンカ王女以外は。
 皇太子と同世代の比較的若い男性陣に囲まれて、王女はすこぶる機嫌が良さそうだ。
 世話役のミアとしては、このまま王女には機嫌よく過ごしてもらい、早めに帰国いただきたいところである。

 ビアンカ王女の隣の席には皇太子殿下。そして、斜め前には――

「リアム、遅くまでご苦労さま。さぁ、飲みましょう」

 ビアンカ王女がリアムの方を向いてワイングラスを掲げてみせた。顔には妖艶な笑みが浮かんでいる。

「は、はい。……いただきます」

 王女のオーラに圧倒されたのか、リアムは弱々しく俯いたまま、グラスを手に取った。
 いつもの颯爽とした立ち振る舞いはどこへやら、明らかに腰が引けている。まさにヘビに睨まれたカエルだ。
 王女の視線をかいくぐるように、リアムがちらりとミアへと視線を寄越した。
 すがりつくような視線は非難か、それとも救けを求めたものか……。
 おそらく後者だろうが、そうは言っても、新米官吏のミアに王女を諌めることなんてできるはずもない。
 ミアは横を向いてリアムの視線を遮った。

 どうしてこんなことになったかというと――。





「申し訳ございません。リアムはただいま外出中でして、夜まで戻らない予定でございます」

 居留守なんて気が進まなかったものの、リアムがあまりにも必死に頼み込むものだから、王女にはこう伝えたのだ。ところが――

「そう。残念ね。でも夜には戻るんでしょう?」

 長い金褐色の髪をいじりながら王女がしれっと聞き返してきた。

「え? えぇ、まぁ……」

 ミアは返答に迷った。たしかに『夜まで戻らない』ということは、『夜には戻る』ということである。言い回しを間違えたか、と後悔したが……もう遅い。

「では夜会の場を設けていただける? リアムと……そうね、ついでに皇太子もお呼びしましょうかしら」

「ついで……ですか」

 皇太子殿下を「ついで」扱い?
 ついではむしろリアムの方だろう!
 ……と、ミアは内心毒づいたものの、王女の意見に異議を唱えるわけにもいかない。ミアはなんとか笑顔を取り繕って王女に答えたのだった。

「かしこまりました」と――。

 ちなみにビアンカ王女がリアムに目を付けていることは先日の外交メンバーの間では周知の事実だったらしい。メンバーの間で「リアムを守ろう派」と「国益優先派」で意見が分かれたのだが、国益という大義の前に一官吏の人権など尊重されるわけもなく、リアムは強制参加させられることになったのである。

「……おい、ミア。ミア!」

「あれ、リアム? どうした……」

 最後まで口にする前に、リアムに腕を掴まれて部屋の外へと引きずり出された。廊下に出ると、夏の夜の生あたたかい風が頬を撫でる。

「ちょっとリアム! ダメでしょ、勝手に抜けてきちゃ。どうするのよ、王女様が機嫌を損ねたら」

 ミアの立場からすると、リアムには申し訳ないが、王女に気持ちよく過ごしてもらうことが最優先事項なのだ。

「……ミア、お願いだ。俺を逃がしてくれ!」

 リアムがめずらしく焦っていた。額にはうっすらと汗が浮かんでさえいる。

「このままじゃ、取って食われてしまう……俺」

 この世の終わりみたいに顔を青くして呟くリアムに、

「……そんなに嫌なの?」

 ミアは気遣わしげに眉をひそめた。
 どうやら事態はミアが思っているより深刻らしい。いつもなら自分の都合より周りを優先させることの多いリアムがここまで拒絶するということは、本当の本当に心の底から嫌なのかもしれない。

「だって断るわけにも逃げ出すわけにもいかないだろう? どちらにしろ、王女のプライドを傷つけてしまう。借金のカタに身売りされた娘の気分だ。どうすればいいんだよ……」

 リアムが困り果てたといった様子で短い黒髪を両手でわちゃわちゃとかき混ぜた。せっかく綺麗にセットされていた髪が崩れてしまう。

 ミアは背伸びしてリアムの乱れた髪を撫でつけてあげながら、リアムを救けるための案を口にした。

「しょうがないわね。わかった、リアムは体調が優れないから先に帰ったってことにしてあげる。しばらく別荘にでも雲隠れしたら? 病気療養中ということにすれば、さすがの王女も……」

「リアム? リアム―!」

 ミアの話の途中に割り込んできた艶っぽい女性の声。

「げ」

 声の主に気づいたミアとリアムの二人の声が重なる。
 ミアはリアムの頭に置いていた手を慌てて下ろすと、姿勢を正して軽く目を伏せた。一歩後ろに下がって、近づき過ぎていたリアムとの距離を改めて取りなおす。

「もう! リアムったら、こんなところにいたの? 捜したわよ」

 リアムを見つけて駆け寄ってきたビアンカがピタリと彼の横にくっついた。
 王女の肉体から発せられる花の匂いと夏の夜の暑気が混ざり合って、ミアは思わず咽そうになる。

「あら。貴女、まだいたの? 今日はもういいわよ。はい、ご苦労さま」

 ビアンカはリアムの斜め前に立つミアを一瞥すると、ひらひらと手を振って追い立てた。王女にこう言われてしまっては従わざるを得ない。

「……かしこまりました。ではお先に失礼させていただきます。明日もよろしくお願いいたします」

「はいはい。気を付けてお帰んなさいね」

 リアムがビアンカの肩越しに「ミア!」と口の動きだけで叫んだ。

「ごめん」と、これまた口の動きだけで謝ると、ミアは後ろ髪を引かれながらも、その場を離れるしかなかったのである。


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