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…………変態
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*****
リアムの帰国から程なくして、ミアは皇太子付き補佐官の長から呼び出しを受けた。
リアムの兄、ラウルの上司にあたる人物だ。ミアからすると立場が違いすぎて、ろくに口をきいたこともない。正直、いったい何の用で呼ばれたのか見当がつかず、ミアはめずらしく緊張していた。
補佐官長専用の部屋へ足を踏み入れると、柔らかな絨毯の感触が足を包んだ。部屋の奥に目を向けると、大きな執務用のデスクを前に腰を下ろす補佐官長の姿が目に入った。ミアがおずおずと進み出てデスクの前に立つと、補佐官長も立ち上がってミアの隣へとやって来た。
「急に呼び出して悪かったね。さっそくだが、ひとつ確認してもいいかな?」
親し気に話しかけられて、ミアの緊張が少し和らいだ。「はい」と小さく頷いてみせると、
「君はセリーニャの言葉が話せるんだって?」
補佐官長の質問に、ミアははっきりと頷いてみせた。
「ええ。日常会話程度ですが」
ミアの答えに補佐官長が満足そうに破顔する。
「そうか、それはよかった。実は来週、セリーニャの第三王女がわが国を訪問されることになってね」
「来週……ですか? それはまた急な話ですね」
ミアたちの国の皇太子殿下がセリーニャを訪れたのはつい先月のことだ。何か問題でも起きたのだろうか?
「あの、どのような目的でいらっしゃるのですか?」
心配になったミアが疑問を口にすると、補佐官長はわずかに目を泳がせた。
「ん……。まぁ軽い『表敬訪問』みたいなものだろう。それはともかく、君には第三王女の世話役を頼みたいんだが」
「私が、王女様の世話役を……?」
ミアは自分を指差しながら聞き返した。
「あぁ。君が適任だと思う。セリーニャの言葉に明るく、王女とは同性で歳も近い。王女もきっと気安いのではないかな」
補佐官長はそう言うと、ぽんとミアの肩を軽く叩いた。
いまの言い方から察するに、どうやらミアが女性だから選ばれたみたいだ。
完全に実力が評価されての抜擢……というわけではないのが少々不満だが、それでもリアムではなく自分を選んでくれたことは、ミアにとって誇らしいことに違いなかった。
「わかりました。精いっぱい務めさせていただきます!」
*****
「はじめまして。ミア・ラヴェルと申します。ビアンカ様の滞在中、身の回りのお世話をさせていただきますので、何かご不便がございましたら何なりとお申しつけください」
ミアは軽く微笑みながら挨拶すると、礼儀正しく頭を下げた。
「……そう。よろしく」
相手はミアにちらりと一瞥をくれただけで、すぐさま目を逸らして金色の長い髪の毛を弄りはじめた。
セリーニャ王国の第三王女・ビアンカである。
ミアはそのあまりにも素っ気ない態度に失望しつつ、その失望を悟られないように顔に笑顔を張り付けたまま、異国の王女を観察した。
ビアンカ王女は非常に迫力のある美女だった。
目はくっきりと大きく、唇は肉厚、胸元の大きく開いたドレスからは褐色でいかにも健康的な胸の谷間が惜しげもなく晒されている。
香水だろうか、王女の身体はほのかに花の匂いを漂わせていて、ミアは同性でありながら、彼女の強烈な色香にあてられてしまいそうだった。
「……それより、リアムはどこかしら?」
ビアンカがきょろきょろと首を振りながら言った。ミアには目もくれず。
「は? リアム……ですか?」
「そうよ。リアム・ド・モレロ。いるんでしょう? 私は彼に会いに来たのよ」
なぜリアム?
「えっと……あの、彼になんの御用で」
予想外の要求にミアがしどろもどろで応じると、王女はキッとミアを睨みつけた。その鋭利な視線に、ミアはまるで女豹に睨まれた子猫のように肩を震わせる。
「そんなのどうでもいいでしょ。それより、なにボーっとしてるの? はやく彼を呼んできなさいよ」
シッシッと追い払われるように手を振られて、ミアはリアムを呼びに行かざるをえなかった。
「リアム。ちょっといい?」
机に張り付くようにして職務に励んでいたリアムの背中に向かってミアは声をかけた。隠しきれない不機嫌さが声に滲み出てしまったが、いまの状況では仕方ないだろう。完全に使い走り、しかも「リアムを呼んでこい」なんて……ミアにとっては不愉快以外の何ものでもない。
「ん? どうした」
不機嫌さ丸出しのミアとは対照的に、振り返ったリアムの顔には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「ビアンカ王女が『リアムを連れてこい』って言ってるんだけど」
もはや敬語もクソもなかった。
一方のリアムも先ほどまでの穏やかさから一転して、その表情が険しいものへと変わる。
「ミア、ちょっと」
リアムは声を潜めながらミアの腕を取ると、執務室を出て回廊の柱の陰へと連れて行った。周りに人がいないことを確認してから、リアムが気まずそうに口を開く。
「……いない、と言ってくれないか」
「は? え、居留守を使えってこと?」
リアムらしくない発言にミアが驚いて聞き返すと、
「そうだ。『リアムはあいにく席を外しております。夜まで戻りません』って言っといてくれ。頼む」
リアムはそう言ってパチンと顔の前で手を合わせた。
「えぇぇ……」
真面目で律儀なリアムがこんなことを言い出すなんて……と、ミアは反応に困ってしまう。
たしかにあの王女はお世辞にも尊敬できるとは言い難いが、それでも一国の王女様である。しかも彼女の国とは久しく途絶えていた外交を復活させようという大事な時期でもある。リアムの頼みとはいえ、不誠実な対応をとるのはいかがなものか。
ミアがそう説明すると、リアムは妙に慌てた様子でまくしたてた。
「俺が食べられたらどうするんだよ!?」
「はぁ?」
――食べられる?
「ビアンカ王女は男好きで有名なんだよ。国籍や年齢を問わず、気に入った男性はモノにしないと気が済まないらしいんだ」
背をかがめたリアムが口元に手を当てながらミアに耳打ちした。
「……リアムが次の獲物ってこと?」
ミアの問いかけに、リアムが大きく首を縦に振った。
やっぱりか。
ミアの予感が的中した。
この男は同じ国の女性だけでなく、異国の、しかも王女まで虜にしてしまったというのか。
ミアはビアンカ王女の肉感的な肢体を思い浮かべた。
意外に女好きらしいリアムのことだ。嫌がっているように見えても、いざあの肉体に迫られれば、きっとコロッと落ちてしまうに違いない。
ミアはなんだかムカムカしてきた。
「でもセリーニャの王女の御機嫌を損ねるわけにはいかないし。リアムが大人しく食べられればいいんじゃない? そうだ、私の胸なんか思い出してないで、あの王女様の豊満な胸を触らせてもらえばいいのよ」
「なっ……!? なに言ってんだよ」
ミアの投げやりな発言に、リアムが目を見開いた。
「俺はミアのがいいんだ!」
勢いよく言ったリアムがハッとしたように口を押さえた。
欲望をそのまま口にしてしまった自分の失言に気づいたらしい。ミアの顔色を伺うように瞳をキョロキョロさせている。
ミアはそんなリアムにじろりと冷たい視線を投げかけた。
「…………変態」
リアムの帰国から程なくして、ミアは皇太子付き補佐官の長から呼び出しを受けた。
リアムの兄、ラウルの上司にあたる人物だ。ミアからすると立場が違いすぎて、ろくに口をきいたこともない。正直、いったい何の用で呼ばれたのか見当がつかず、ミアはめずらしく緊張していた。
補佐官長専用の部屋へ足を踏み入れると、柔らかな絨毯の感触が足を包んだ。部屋の奥に目を向けると、大きな執務用のデスクを前に腰を下ろす補佐官長の姿が目に入った。ミアがおずおずと進み出てデスクの前に立つと、補佐官長も立ち上がってミアの隣へとやって来た。
「急に呼び出して悪かったね。さっそくだが、ひとつ確認してもいいかな?」
親し気に話しかけられて、ミアの緊張が少し和らいだ。「はい」と小さく頷いてみせると、
「君はセリーニャの言葉が話せるんだって?」
補佐官長の質問に、ミアははっきりと頷いてみせた。
「ええ。日常会話程度ですが」
ミアの答えに補佐官長が満足そうに破顔する。
「そうか、それはよかった。実は来週、セリーニャの第三王女がわが国を訪問されることになってね」
「来週……ですか? それはまた急な話ですね」
ミアたちの国の皇太子殿下がセリーニャを訪れたのはつい先月のことだ。何か問題でも起きたのだろうか?
「あの、どのような目的でいらっしゃるのですか?」
心配になったミアが疑問を口にすると、補佐官長はわずかに目を泳がせた。
「ん……。まぁ軽い『表敬訪問』みたいなものだろう。それはともかく、君には第三王女の世話役を頼みたいんだが」
「私が、王女様の世話役を……?」
ミアは自分を指差しながら聞き返した。
「あぁ。君が適任だと思う。セリーニャの言葉に明るく、王女とは同性で歳も近い。王女もきっと気安いのではないかな」
補佐官長はそう言うと、ぽんとミアの肩を軽く叩いた。
いまの言い方から察するに、どうやらミアが女性だから選ばれたみたいだ。
完全に実力が評価されての抜擢……というわけではないのが少々不満だが、それでもリアムではなく自分を選んでくれたことは、ミアにとって誇らしいことに違いなかった。
「わかりました。精いっぱい務めさせていただきます!」
*****
「はじめまして。ミア・ラヴェルと申します。ビアンカ様の滞在中、身の回りのお世話をさせていただきますので、何かご不便がございましたら何なりとお申しつけください」
ミアは軽く微笑みながら挨拶すると、礼儀正しく頭を下げた。
「……そう。よろしく」
相手はミアにちらりと一瞥をくれただけで、すぐさま目を逸らして金色の長い髪の毛を弄りはじめた。
セリーニャ王国の第三王女・ビアンカである。
ミアはそのあまりにも素っ気ない態度に失望しつつ、その失望を悟られないように顔に笑顔を張り付けたまま、異国の王女を観察した。
ビアンカ王女は非常に迫力のある美女だった。
目はくっきりと大きく、唇は肉厚、胸元の大きく開いたドレスからは褐色でいかにも健康的な胸の谷間が惜しげもなく晒されている。
香水だろうか、王女の身体はほのかに花の匂いを漂わせていて、ミアは同性でありながら、彼女の強烈な色香にあてられてしまいそうだった。
「……それより、リアムはどこかしら?」
ビアンカがきょろきょろと首を振りながら言った。ミアには目もくれず。
「は? リアム……ですか?」
「そうよ。リアム・ド・モレロ。いるんでしょう? 私は彼に会いに来たのよ」
なぜリアム?
「えっと……あの、彼になんの御用で」
予想外の要求にミアがしどろもどろで応じると、王女はキッとミアを睨みつけた。その鋭利な視線に、ミアはまるで女豹に睨まれた子猫のように肩を震わせる。
「そんなのどうでもいいでしょ。それより、なにボーっとしてるの? はやく彼を呼んできなさいよ」
シッシッと追い払われるように手を振られて、ミアはリアムを呼びに行かざるをえなかった。
「リアム。ちょっといい?」
机に張り付くようにして職務に励んでいたリアムの背中に向かってミアは声をかけた。隠しきれない不機嫌さが声に滲み出てしまったが、いまの状況では仕方ないだろう。完全に使い走り、しかも「リアムを呼んでこい」なんて……ミアにとっては不愉快以外の何ものでもない。
「ん? どうした」
不機嫌さ丸出しのミアとは対照的に、振り返ったリアムの顔には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「ビアンカ王女が『リアムを連れてこい』って言ってるんだけど」
もはや敬語もクソもなかった。
一方のリアムも先ほどまでの穏やかさから一転して、その表情が険しいものへと変わる。
「ミア、ちょっと」
リアムは声を潜めながらミアの腕を取ると、執務室を出て回廊の柱の陰へと連れて行った。周りに人がいないことを確認してから、リアムが気まずそうに口を開く。
「……いない、と言ってくれないか」
「は? え、居留守を使えってこと?」
リアムらしくない発言にミアが驚いて聞き返すと、
「そうだ。『リアムはあいにく席を外しております。夜まで戻りません』って言っといてくれ。頼む」
リアムはそう言ってパチンと顔の前で手を合わせた。
「えぇぇ……」
真面目で律儀なリアムがこんなことを言い出すなんて……と、ミアは反応に困ってしまう。
たしかにあの王女はお世辞にも尊敬できるとは言い難いが、それでも一国の王女様である。しかも彼女の国とは久しく途絶えていた外交を復活させようという大事な時期でもある。リアムの頼みとはいえ、不誠実な対応をとるのはいかがなものか。
ミアがそう説明すると、リアムは妙に慌てた様子でまくしたてた。
「俺が食べられたらどうするんだよ!?」
「はぁ?」
――食べられる?
「ビアンカ王女は男好きで有名なんだよ。国籍や年齢を問わず、気に入った男性はモノにしないと気が済まないらしいんだ」
背をかがめたリアムが口元に手を当てながらミアに耳打ちした。
「……リアムが次の獲物ってこと?」
ミアの問いかけに、リアムが大きく首を縦に振った。
やっぱりか。
ミアの予感が的中した。
この男は同じ国の女性だけでなく、異国の、しかも王女まで虜にしてしまったというのか。
ミアはビアンカ王女の肉感的な肢体を思い浮かべた。
意外に女好きらしいリアムのことだ。嫌がっているように見えても、いざあの肉体に迫られれば、きっとコロッと落ちてしまうに違いない。
ミアはなんだかムカムカしてきた。
「でもセリーニャの王女の御機嫌を損ねるわけにはいかないし。リアムが大人しく食べられればいいんじゃない? そうだ、私の胸なんか思い出してないで、あの王女様の豊満な胸を触らせてもらえばいいのよ」
「なっ……!? なに言ってんだよ」
ミアの投げやりな発言に、リアムが目を見開いた。
「俺はミアのがいいんだ!」
勢いよく言ったリアムがハッとしたように口を押さえた。
欲望をそのまま口にしてしまった自分の失言に気づいたらしい。ミアの顔色を伺うように瞳をキョロキョロさせている。
ミアはそんなリアムにじろりと冷たい視線を投げかけた。
「…………変態」
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