大嫌いなアイツが媚薬を盛られたらしいので、不本意ながらカラダを張って救けてあげます

スケキヨ

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ますます不憫だ

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「はぁ……」

 ミアは昼食のパンを持ったまま、溜め息をついた。
 
 官吏見習いのミアは王宮に隣接した庁舎が職場だ。伝統的な様式に則って建てられた庁舎は荘厳な雰囲気を漂わせている。古い神殿を思わせる回廊と開放的な中庭。季節の花々が彩りを添える庭には職員の休憩用にとテーブルとベンチが数セットほど設置されていて、ミアのお気に入りの場所だった。

 昼休憩のいま、庭にいるのはミアひとりだ。

 大体いつもここで昼食をとっている。とくべつ孤立しているわけではないが、昼食を共にするほど親しい人間は職場にはいなかった。人一倍負けん気の強いミアの性格もさることながら、やはり官吏として働く人材にはまだまだ貴族が多く、平民出身者はミアを含めても数人しかいないことが大きい。その中でも女性はミアひとりだった。

 中庭にはうららかな陽光が差し込んで庭の草木を輝かせているが、ミアの気分はどうにも晴れない。

「隣、座ってもいいか?」

 背後から声をかけられてミアが顔を上げると、見知った顔があった。
 声の主はミアの返事を待たず、当然のようにドカッと彼女の隣の椅子に腰を下ろした。
 ミアはだらしなく座っていた椅子に座りなおし姿勢を正す。
 ……この人の前だと緊張する。

 短く切りそろえられた黒い髪に落ち着いたブルーグレーの瞳。
 細身だが引き締まったその体躯は、身長こそ弟より少しばかり低めだが、落ち着いた身のこなしのせいか、年齢以上の貫禄を醸し出している。

 ミアの隣に腰を下ろしたその人は――リアムの兄、ラウルだった。

「どうした? 元気がないじゃないか、ミア。リアムに会えなくて寂しいのか?」

 ラウルがミアの顔を覗きこむように首を傾けた。その目には愉快そうな色が浮かんでいる。

「違います」

 面白がられていることがわかっているミアは迷うことなく即答する。

「そんなに速攻で否定しないでやってくれ。アイツが不憫すぎる」

 悲しそうに眉を下げるラウルに、

「どうしてリアムが不憫なんですか?」

 ミアは顔をしかめて問い返した。

「……ますます不憫だ」

 頭を抱えるラウルの意味不明な態度に、ミアは首を捻るしかなかった。
 なぜリアムが不憫なのか。いまだって皇太子に随伴して外遊中だというのに。
 随行メンバーに選ばれるだけでも名誉なことだし、おまけに外遊先のセリーニャ王国は温かい気候に恵まれた豊穣の国だと聞く。魚介類が美味しく、女性は美人が多いという。
 女性ウケのすこぶる良いリアムのことだ、きっと今ごろ美味しいものをたらふく食べて美女と戯れていることだろう。意外に女好きみたいだし……。

 ――リアムのニヤついた顔を想像したら、余計にムカムカしてきた。

 ミアは思わず手に持っていたパンを握りつぶしてしまった。ぐしゃりとつぶれたパンから中に入っていたクリームが零れた。隣でラウルが「あぁ……」と悲嘆の声をあげる。

 リアムが皇太子のお伴でこの国を離れてから、もうすぐ一ヶ月だ。
 寄ってくる女たちをことごとく袖にしているから、てっきり女性には淡白なのかと思いきや、リアムって結構……。
 ミアは外遊に旅立つ前のリアムの様子を思い浮かべた。

 二か月ほど前の生誕祭の日、ミアはとんでもない目にあった。同僚のシモンとその仲間たちに怪しげな媚薬を飲まされ襲われたのだ。

 シモンの奴め……!

 貴族なのに、平民のミアにも分け隔てなく声をかけてくれて悪い人ではないと思っていたのに。あんなロクでもない男だったなんて……海に沈めても気が済まない!

 ちなみに、シモンとその仲間たちはいつの間にか庁舎から消えていた。
 リアムが裏から手を回したらしい……。

 それにしても未遂で済んだからよかったようなものの、あいつらに輪姦まわされていたらと思うとゾッとする。
 リアムが救けてくれたおかげでなんとかシモンたちには犯されずに済んだけれど……。
 なんと、リアムとは「未遂」で済まなかったらしい。
 らしい……という曖昧な言い方になってしまうのは、ミアがそのときの行為をよく覚えていないからだ。
 でも、覚えていなくてよかった、とミアは心の底から思っていた。もし覚えていたとしたら……恥ずかしすぎてリアムと顔を合わすことなんてできなかっただろう。

 もちろん救けてもらったことには感謝している。
 しかし、あの事件の後――リアムから妙に熱のこもった視線を感じるようになった気がするのだ。
 気のせいかとも思ったが、視線を感じてミアがそちらに目を向けると、なぜか顔を真っ赤にしたリアムが慌てて目を逸らすということがあったのだ。それも何回も。さすがにミアの勘違いというわけでもないだろう。
 それに、以前よりもスキンシップ(?)が増えた気がする。リアムは隙あらばミアに触れようとしてくる。リアムに触れられると、なんだか背筋がゾワゾワするから、やめてほしい。

「はぁ……」

 ミアはまた溜め息をついた。

「やっぱり元気がないな。何を悩んでるんだ?」
 
 ラウムが今度は本当に心配そうな顔で尋ねた。
 リアムと同じブルーグレーの瞳で見つめられて、ミアはドギマギしてしまう。
 ミアより五歳ほど年長の彼は皇太子殿下の補佐官の一人だ。皇太子の補佐官といえば、将来の宰相候補である。ミアにとっては雲のような存在であり、同い年のリアムに感じるような競争心は最初から抱きようもない。

 実は単純な見た目だけでいうと、リアムよりラウルのほうがミアの好みだったりする。
 もちろん、だからと言って、彼とどうこうなりたいわけではない。
 長兄のラウルはいずれモレロ公爵家を継ぐ身である。身分の差がありすぎる。

「身分の差なんて気にすることないぞ」

 ミアの思考を読んだかのようなラウルの発言に、ミアは思わず「へっ!?」と声が裏返ってしまった。

「今の国王陛下は身分の差に関わらず優秀な人材を取り立てていこうという方針だし、皇太子殿下もその意志を継いでいらっしゃる。まずは職業選択の自由からだが、そのうち婚姻制度にも適用されるはずだ。そうすればミアとリアムだって好きに結婚できるようになるさ」

「は!? ど、どうしていきなり私とリアムが結婚する話になるんですか?」

 国の未来について力強く語るのはいいが、ミアにとって少々的外れな意見は見過ごせない。

「まぁ家は俺が継ぐし、アイツは次男だから好きにしたらいいさ」

 ラウルの中では、リアムとミアのカップリングは既に既定路線らしかった。

「いえ、あの、本当にリアムは関係ないんですけど」

「えー。じゃあ何をそんなに思い悩んでるんだ?」

「実は上長から課題を出されまして……」

 ミアたち新米官吏に課された議題は『経済的に困窮した貴族の救済案』。
 ミアの溜め息の理由はこれだった。
 正直あまり気が進まない。
 最初から家も土地もあるような恵まれた環境に生まれておきながら、それを活かせなかった貴族など知ったことではない。
 公費で救済すべき人々は他にたくさんいるでしょう? 平民のミアにはどうしてもそう思えてならないのだ。

「はっきり言って、『自分で何とかしろ』という感じですね」

「手厳しいなぁ」

 ミアの発言にラウルが苦笑いを浮かべる。

「まぁ自己責任とはいっても、みんながみんなミアのように自分で道を切り開いていけるわけじゃないから。才覚の乏しい人間だっている。でもそういう人たちを見捨てていては国は成り立たない。それにどんなに健康な人間だって病気になることはあるし、裕福な商人が商売に失敗することもある。そうして弱った人間を支援し保護することも、国の大切な役割のひとつだ。そうだろう?」

「そうですね。そうですけど……」

 ラウルのもっともな意見に、ミアは同意するほかなかった。さすが若くして国の中枢を担う要職に就いているだけのことはある。正論すぎて、ぐうの音もでない。

「まぁ、リアムが戻ったら相談してみたらどうだ? アイツもミアに頼られたら張り切るだろうし」

「……張り切らなくていいです」

 リアムのことだ。本気を出したらきっとミアが思いもつかないような名案を出してくるにちがいない。そうしたら、ますます敵わなくなってしまう!

「いいなぁ、二人は仲が良くて。羨ましいよ、まったく。俺も恋人が欲しいなぁ」

「いや、あの、だから……もういいです……」

 ミアはラウルの誤解を解こうと反論しかけたものの途中で諦めた。
 何を言っても笑って流されそうだし、それになんだか、ラウルの顔が寂しそうだったからだ。
 もしかしてラウルにも想いを寄せる女性がいるのだろうか?
 家柄、能力、容姿。すべてを兼ね備えたラウルが女性にモテないわけはないだろうが、そういえば決まった相手がいるという話は聞いたことがない。
  次男のリアムと違って、ラウルは公爵家を継ぐことが義務付けられている。結婚も自分の選んだ女性と自由に付き合うわけにもいかないのだろう、とミアは目の前で鷹揚に笑うラウルを少し不憫に思うのだった。


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