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監視者
監視者④
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窓の向こうに見える月はいつのまにか位置を変え、はるか高みへと昇っていた。
生徒たちはもうみんな帰ってしまっただろう。
誰もいない校舎、捨て置かれたように静まり返ったこの部屋で。
押し殺しきれない嗚咽だけが、ぐずぐずと冷たい空気を震わせていた。
俺の左目から零れ落ちた涙が……鼻を伝って……頬を伝って……そのまま床へと吸い込まれていった。
「……理解ったようだな」
梢江先生が溜息を吐きながら静かに告げた。
床に顔を伏せたまま泣き呻く俺を高い位置から見下ろしている。
やがてふわっと空気が歪んで、長身の先生が身を屈めたのがわかった。
先生の気配を近くで感じる。
俺は恐る恐る彼の顔に目を向けた。
先生の目は――もう光ってはいなかった。
薄茶色のごくごく平凡な二つの瞳が、俺の顔を覗きこんでいた。
「さっきの目は……?」
先生の黄金色の目から解放されて、ようやく俺は声を出すことができた。
「ああ、梢江家に伝わる力だよ。君たちの力と同じようなものだ。まぁ……君の『碧い目』ほどの力はないけどね」
先生は自嘲気味にそう言うと、俺の後ろに回って拘束を解いた。
体の自由を取り戻した俺は大きく肩を回す。ゴキっと骨が軋む音がした。
「……私たち梢江家も、元々は君たちと同じ一つの氏族だった。高遠と楠ノ瀬が二つに分かれたときに、双方を監視する役目を担って分家されたと言われている」
先生が窓の向こうを見つめながら語った。
月の光に照らされて、背の高い先生の影が黒々と浮かび上がっている。
「だから、君たちほどの力はない。私たちの役目は、高遠家と楠ノ瀬家が間違った方向へと進みそうであれば……それを諌め、正すことだ」
「……間違った方向……」
俺は先生の言った言葉を反芻した。
「そうだ」
「間違って……いるんですか? 俺たちの気持ちは……」
思わず口を突いた俺の疑問に、
「…………」
先生は何も言わなかった。
ひょろりと背の高い影がこちらを振り返る。
刺すような視線を感じた。
「出なさい」
先生に促されて、音楽準備室を後にした。
一緒に出てきた先生が、外側から部屋に鍵をかける。
「もしかして藍原にここを手引きしたのは……梢江先生ですか?」
「……どうして、そう思う?」
先生は試すような口調で俺に尋ねた。
「楠ノ瀬が言ってたんです。藍原がここを出て行くとき鍵をかけたような音を聞いた、って。でも、この部屋の鍵を自由に持ち出したり貸し出したり出来る人は……そういない」
「……そうだよ」
かすかに笑みを浮かべながら、先生は俺の推理を認めた。
「どうして……!? 俺よりあいつを支持してるってことですか?」
俺が問いつめると、
「別に、とくべつ彼に肩入れしているわけではないよ。梢江家は平等でないといけないからね。ただ彼は楠ノ瀬さんに対してなんの思い入れもないから、彼にも後継者としての素養があるのであれば、そっちのほうが面倒がなくていいかな……って」
「なんだよ、それ……」
俺がいじけたように呟くと、
「私たちは最善の道を選びたい……選んでもらいたいだけだ。楠ノ瀬にとっても、高遠にとっても」
視線を落としたまま、先生が答えた。
生徒たちはもうみんな帰ってしまっただろう。
誰もいない校舎、捨て置かれたように静まり返ったこの部屋で。
押し殺しきれない嗚咽だけが、ぐずぐずと冷たい空気を震わせていた。
俺の左目から零れ落ちた涙が……鼻を伝って……頬を伝って……そのまま床へと吸い込まれていった。
「……理解ったようだな」
梢江先生が溜息を吐きながら静かに告げた。
床に顔を伏せたまま泣き呻く俺を高い位置から見下ろしている。
やがてふわっと空気が歪んで、長身の先生が身を屈めたのがわかった。
先生の気配を近くで感じる。
俺は恐る恐る彼の顔に目を向けた。
先生の目は――もう光ってはいなかった。
薄茶色のごくごく平凡な二つの瞳が、俺の顔を覗きこんでいた。
「さっきの目は……?」
先生の黄金色の目から解放されて、ようやく俺は声を出すことができた。
「ああ、梢江家に伝わる力だよ。君たちの力と同じようなものだ。まぁ……君の『碧い目』ほどの力はないけどね」
先生は自嘲気味にそう言うと、俺の後ろに回って拘束を解いた。
体の自由を取り戻した俺は大きく肩を回す。ゴキっと骨が軋む音がした。
「……私たち梢江家も、元々は君たちと同じ一つの氏族だった。高遠と楠ノ瀬が二つに分かれたときに、双方を監視する役目を担って分家されたと言われている」
先生が窓の向こうを見つめながら語った。
月の光に照らされて、背の高い先生の影が黒々と浮かび上がっている。
「だから、君たちほどの力はない。私たちの役目は、高遠家と楠ノ瀬家が間違った方向へと進みそうであれば……それを諌め、正すことだ」
「……間違った方向……」
俺は先生の言った言葉を反芻した。
「そうだ」
「間違って……いるんですか? 俺たちの気持ちは……」
思わず口を突いた俺の疑問に、
「…………」
先生は何も言わなかった。
ひょろりと背の高い影がこちらを振り返る。
刺すような視線を感じた。
「出なさい」
先生に促されて、音楽準備室を後にした。
一緒に出てきた先生が、外側から部屋に鍵をかける。
「もしかして藍原にここを手引きしたのは……梢江先生ですか?」
「……どうして、そう思う?」
先生は試すような口調で俺に尋ねた。
「楠ノ瀬が言ってたんです。藍原がここを出て行くとき鍵をかけたような音を聞いた、って。でも、この部屋の鍵を自由に持ち出したり貸し出したり出来る人は……そういない」
「……そうだよ」
かすかに笑みを浮かべながら、先生は俺の推理を認めた。
「どうして……!? 俺よりあいつを支持してるってことですか?」
俺が問いつめると、
「別に、とくべつ彼に肩入れしているわけではないよ。梢江家は平等でないといけないからね。ただ彼は楠ノ瀬さんに対してなんの思い入れもないから、彼にも後継者としての素養があるのであれば、そっちのほうが面倒がなくていいかな……って」
「なんだよ、それ……」
俺がいじけたように呟くと、
「私たちは最善の道を選びたい……選んでもらいたいだけだ。楠ノ瀬にとっても、高遠にとっても」
視線を落としたまま、先生が答えた。
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