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共犯者
共犯者④
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「え……梢江先生?」
あやちゃんに呼ばれた男がこちらを振り返った。顔の向きを変えた拍子にずり落ちた眼鏡を、骨ばった長い指でくいっと持ち上げる。
「あ…………」
その顔には見覚えがあった。
――音楽の教師だ。
ひょろりとした体型と、肖像画のベートーベンのようにまとまらない髪型が印象的な男だった。
実際の年齢はわからないが、意外に若そうに見えた。二十代後半くらいだろうか。楠ノ瀬やあやちゃんが親しそうに話していたのも頷ける。
俺は音楽の授業を取っていないから、さっきあやちゃんが口にするまで名前すらろくに知らなかったのだが……。
そういえば、先日あやちゃんにここへ連れてこられた時、この先生に「勝手に入るな」と注意されたばかりだ。
「はぁ、またお前たちか……。勝手に使うな、って言ってるのに」
俺とあやちゃんを見た先生が、溜息を吐きながら呆れ声で言った。
「……しかも、これはどんな悪戯だ?」
先生が顔をしかめて、ソファに座り込む楠ノ瀬に目を落とした。
「え?」
先生の目線を追って、俺も楠ノ瀬に目をやると――
「清乃! 大丈夫!?」
楠ノ瀬の姿に驚いたあやちゃんが取り乱した声を上げると、慌てて俺の後ろから飛び出して楠ノ瀬のもとに走り寄った。
楠ノ瀬は後ろ手に縛られていた。
手だけじゃない。
足首も閉じた状態で拘束され、動きを封じられている。これでは自分ひとりで立ち上がるのも難しいだろう。
「俺が来た時には目隠しもされてたぞ。口にはガムテープも貼られて……」
状況を説明しながら、梢江先生が痛ましそうに楠ノ瀬のことを見つめた。
「何があった? 誰がやったんだ?」
「あ、いや、その……」
犯人はわかっていたが、先生に言うわけにはいかなかった。
あいつ――藍原朔夜の言うことが本当なら、あの男は高遠家の身内なのだ。学校側にバレて、下手に詮索されるのは嫌だった。そもそも俺自身がもまだ何もわかっていないというのに……。
「君はたしか……高遠くん、だっけ?」
梢江先生が目を細めて俺を見た。
「あ、はい」
先生が俺の名前を覚えていたことに少し驚く。俺は姿勢を正して、先生に向き直った。
「……君は楠ノ瀬さんと付き合ってるの? まさかコレ、君がやったんじゃないだろうね?」
「は?」
どういう発想をしたら、そういうことになるんだ……!?
なんで俺が楠ノ瀬を縛る……??
「よし、これで全部ほどけた」
俺がどう答えたものか困惑しているうちに、あやちゃんが楠ノ瀬の拘束を解いていた。
「んん~……っ」
体の自由を取り戻した楠ノ瀬はソファから立ち上がると、天井に向かって大きく腕を伸ばした。
しばらく首を捻ったり、足首を回して体をほぐすと、楠ノ瀬は梢江先生の方を向いて、
「高遠くんは全然悪くないです。そういうプレイでもないです。私が放課後、音楽室でピアノの練習をしていたら、突然知らない男の人に襲われて……ここに連れ込まれたんです」
しっかりとした口調で説明した。
プレイ、って…………。
「そ、そうか……。いや、疑って悪かった」
先生も清楚で大人しそうな楠ノ瀬から、まさかそんな単語が出てくるとは思わなかったらしく、たじろいだ様子で俺に謝った。
「しかし、そうだとすると一大事だな……。変なヤツが校内をうろついてる、ってことだろう? 校長に報告しないとな……必要なら警察にも」
――マズい……!
先生の言葉に俺は焦った。
犯人はわかっている。だからこそ……公にされると困る。
それに藍原の口ぶりから察するに、あいつの目的は楠ノ瀬の持つ「巫女としての力」だ。そんな動機を説明したところで、信じてもらえる気がしない。
どうすればいいのか……。
「待ってください」
途方に暮れる俺の横で、楠ノ瀬が声を上げた。
「先生が助けてくれたおかげで私は何もされませんでしたし、あんまり大袈裟に騒がないでほしいです」
「しかしなぁ」
「何もされなかったとはいえ、絶対ヘンな噂とか立てられると思うし……家族にも心配かけたくない」
綺麗な涙を浮かべながらひたむきに訴える楠ノ瀬の姿は、胸を打った。俺は今すぐにでも抱きしめたくなったくらいだ。
「……まぁ、本人がそういうなら、」
梢江先生は頭に手をやりながら、しぶしぶ楠ノ瀬の意見に同意した。
「何かあったら困るから、ほんと気をつけてくれよな……。今日はもう遅いし、早く帰りなさい。家の人に迎えに来てもらえよ」
先生はそう言うと、俺たち三人を音楽準備室から追いやった。最後に出てきた先生が電気を消して鍵をかける様子を何となく見つめていると、
「さあさあ、帰った帰った」
先生に追い立てられて、俺たちは学校を後にした。
外はすっかり夜が更けて深い闇に包まれていた。
あやちゃんに呼ばれた男がこちらを振り返った。顔の向きを変えた拍子にずり落ちた眼鏡を、骨ばった長い指でくいっと持ち上げる。
「あ…………」
その顔には見覚えがあった。
――音楽の教師だ。
ひょろりとした体型と、肖像画のベートーベンのようにまとまらない髪型が印象的な男だった。
実際の年齢はわからないが、意外に若そうに見えた。二十代後半くらいだろうか。楠ノ瀬やあやちゃんが親しそうに話していたのも頷ける。
俺は音楽の授業を取っていないから、さっきあやちゃんが口にするまで名前すらろくに知らなかったのだが……。
そういえば、先日あやちゃんにここへ連れてこられた時、この先生に「勝手に入るな」と注意されたばかりだ。
「はぁ、またお前たちか……。勝手に使うな、って言ってるのに」
俺とあやちゃんを見た先生が、溜息を吐きながら呆れ声で言った。
「……しかも、これはどんな悪戯だ?」
先生が顔をしかめて、ソファに座り込む楠ノ瀬に目を落とした。
「え?」
先生の目線を追って、俺も楠ノ瀬に目をやると――
「清乃! 大丈夫!?」
楠ノ瀬の姿に驚いたあやちゃんが取り乱した声を上げると、慌てて俺の後ろから飛び出して楠ノ瀬のもとに走り寄った。
楠ノ瀬は後ろ手に縛られていた。
手だけじゃない。
足首も閉じた状態で拘束され、動きを封じられている。これでは自分ひとりで立ち上がるのも難しいだろう。
「俺が来た時には目隠しもされてたぞ。口にはガムテープも貼られて……」
状況を説明しながら、梢江先生が痛ましそうに楠ノ瀬のことを見つめた。
「何があった? 誰がやったんだ?」
「あ、いや、その……」
犯人はわかっていたが、先生に言うわけにはいかなかった。
あいつ――藍原朔夜の言うことが本当なら、あの男は高遠家の身内なのだ。学校側にバレて、下手に詮索されるのは嫌だった。そもそも俺自身がもまだ何もわかっていないというのに……。
「君はたしか……高遠くん、だっけ?」
梢江先生が目を細めて俺を見た。
「あ、はい」
先生が俺の名前を覚えていたことに少し驚く。俺は姿勢を正して、先生に向き直った。
「……君は楠ノ瀬さんと付き合ってるの? まさかコレ、君がやったんじゃないだろうね?」
「は?」
どういう発想をしたら、そういうことになるんだ……!?
なんで俺が楠ノ瀬を縛る……??
「よし、これで全部ほどけた」
俺がどう答えたものか困惑しているうちに、あやちゃんが楠ノ瀬の拘束を解いていた。
「んん~……っ」
体の自由を取り戻した楠ノ瀬はソファから立ち上がると、天井に向かって大きく腕を伸ばした。
しばらく首を捻ったり、足首を回して体をほぐすと、楠ノ瀬は梢江先生の方を向いて、
「高遠くんは全然悪くないです。そういうプレイでもないです。私が放課後、音楽室でピアノの練習をしていたら、突然知らない男の人に襲われて……ここに連れ込まれたんです」
しっかりとした口調で説明した。
プレイ、って…………。
「そ、そうか……。いや、疑って悪かった」
先生も清楚で大人しそうな楠ノ瀬から、まさかそんな単語が出てくるとは思わなかったらしく、たじろいだ様子で俺に謝った。
「しかし、そうだとすると一大事だな……。変なヤツが校内をうろついてる、ってことだろう? 校長に報告しないとな……必要なら警察にも」
――マズい……!
先生の言葉に俺は焦った。
犯人はわかっている。だからこそ……公にされると困る。
それに藍原の口ぶりから察するに、あいつの目的は楠ノ瀬の持つ「巫女としての力」だ。そんな動機を説明したところで、信じてもらえる気がしない。
どうすればいいのか……。
「待ってください」
途方に暮れる俺の横で、楠ノ瀬が声を上げた。
「先生が助けてくれたおかげで私は何もされませんでしたし、あんまり大袈裟に騒がないでほしいです」
「しかしなぁ」
「何もされなかったとはいえ、絶対ヘンな噂とか立てられると思うし……家族にも心配かけたくない」
綺麗な涙を浮かべながらひたむきに訴える楠ノ瀬の姿は、胸を打った。俺は今すぐにでも抱きしめたくなったくらいだ。
「……まぁ、本人がそういうなら、」
梢江先生は頭に手をやりながら、しぶしぶ楠ノ瀬の意見に同意した。
「何かあったら困るから、ほんと気をつけてくれよな……。今日はもう遅いし、早く帰りなさい。家の人に迎えに来てもらえよ」
先生はそう言うと、俺たち三人を音楽準備室から追いやった。最後に出てきた先生が電気を消して鍵をかける様子を何となく見つめていると、
「さあさあ、帰った帰った」
先生に追い立てられて、俺たちは学校を後にした。
外はすっかり夜が更けて深い闇に包まれていた。
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