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奪取
奪取②
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「……その噂のことで、祖父さんに聞きたいことがあるんだけど」
ずっと気になっていた話を切り出すと、祖父さんが俺の顔に視線を戻した。
「なんだ?」
もちろんあの男について聞きたかったが、そういえば、あいつの名前すらろくに知らなかった。どう切り出せばいいのか……。
「……噂を流したヤツに、心当たりが、あるんだけど、」
俺はあの男の特徴を頭の中に思い浮かべながら、ぽつりぽつり、と言葉を並べていく。
「最近、たまにこの家にいて、俺は使用人だと思ってた。若い男で……たぶん俺とそう変わらないくらい……愛想がよくて、人懐っこい感じの。でもなんか、やけに馴れ馴れしくて……」
「…………」
「シゲさんはあいつが誰か教えてくれなかった。祖父さんか父さんに聞け、って。自分が勝手に教えるわけにはいかない、って……」
「…………」
祖父さんは唇を引き結んだまま、何も言ってはくれない。
「なぁ、あの男は誰なんだ……?」
俺が思い切って率直に尋ねると、祖父さんは額に手を添えて大きく息を吐いて、がっくりと肩を落とした。背中を丸めた祖父さんは何だか急に小さくなった気がした。……こんなに弱々しい祖父さんは見たことがない。
しばらく沈黙が続いた。
「……照森に、聞きなさい」
ようやく開いた祖父さんの口から出てきたのは、父さんの名前だった。
「自分の口で説明すること……それが、あいつの責任だろう」
――責任?
祖父さんの言葉の意味がわからなかった。
もう少し突っ込んで問い詰めたかったけど……いつもの岩のような頼もしさからは想像できないほど力なく項垂れる祖父さんに、それ以上追求することはできなかった。
「……わかった、父さんに聞いてみるよ。いつ帰ってくるかわかんねぇけど」
そう言って、俺は小さく苦笑した。
「理森」
祖父さんが厳かな声で俺の名前を呼んだ。
二人っきりの静かな部屋の空気がかすかに震えた。
「なに?」
「お前、楠ノ瀬の娘が好きか?」
俺の目をまっすぐに見つめて、祖父さんが言った。
「……」
俺は小さく目を伏せた。視点の定まらない瞳が小刻みに震えるのがわかった。
「言ったはずだ。いっ時の想いにすぎないのであれば、燃え上がる前に消してしまえ……と」
「……」
「……その想いは、消せないのか?」
気遣うような、優しい声が降ってきた。
思わずハッと目を上げて、祖父さんの顔を見つめた。
「高遠の跡継ぎは、お前だ」
「……うん」
俺は小さく頷いた。
「神も、お前を選んだ」
「……うん、わかってる」
「何があっても、儂はお前を信じておる」
「…………あぁ」
俺を見つめる祖父さんの目が柔らかに細められている。それは黒いままだったが、たしかに温かな光を湛えていた。
「お前の、納得いく道を行きなさい」
祖父さんが腹の底にまで沁みとおるような、低く穏やかな声で告げた。
その声には俺への信頼と思いやりが溢れているような気がした。
ずっと気になっていた話を切り出すと、祖父さんが俺の顔に視線を戻した。
「なんだ?」
もちろんあの男について聞きたかったが、そういえば、あいつの名前すらろくに知らなかった。どう切り出せばいいのか……。
「……噂を流したヤツに、心当たりが、あるんだけど、」
俺はあの男の特徴を頭の中に思い浮かべながら、ぽつりぽつり、と言葉を並べていく。
「最近、たまにこの家にいて、俺は使用人だと思ってた。若い男で……たぶん俺とそう変わらないくらい……愛想がよくて、人懐っこい感じの。でもなんか、やけに馴れ馴れしくて……」
「…………」
「シゲさんはあいつが誰か教えてくれなかった。祖父さんか父さんに聞け、って。自分が勝手に教えるわけにはいかない、って……」
「…………」
祖父さんは唇を引き結んだまま、何も言ってはくれない。
「なぁ、あの男は誰なんだ……?」
俺が思い切って率直に尋ねると、祖父さんは額に手を添えて大きく息を吐いて、がっくりと肩を落とした。背中を丸めた祖父さんは何だか急に小さくなった気がした。……こんなに弱々しい祖父さんは見たことがない。
しばらく沈黙が続いた。
「……照森に、聞きなさい」
ようやく開いた祖父さんの口から出てきたのは、父さんの名前だった。
「自分の口で説明すること……それが、あいつの責任だろう」
――責任?
祖父さんの言葉の意味がわからなかった。
もう少し突っ込んで問い詰めたかったけど……いつもの岩のような頼もしさからは想像できないほど力なく項垂れる祖父さんに、それ以上追求することはできなかった。
「……わかった、父さんに聞いてみるよ。いつ帰ってくるかわかんねぇけど」
そう言って、俺は小さく苦笑した。
「理森」
祖父さんが厳かな声で俺の名前を呼んだ。
二人っきりの静かな部屋の空気がかすかに震えた。
「なに?」
「お前、楠ノ瀬の娘が好きか?」
俺の目をまっすぐに見つめて、祖父さんが言った。
「……」
俺は小さく目を伏せた。視点の定まらない瞳が小刻みに震えるのがわかった。
「言ったはずだ。いっ時の想いにすぎないのであれば、燃え上がる前に消してしまえ……と」
「……」
「……その想いは、消せないのか?」
気遣うような、優しい声が降ってきた。
思わずハッと目を上げて、祖父さんの顔を見つめた。
「高遠の跡継ぎは、お前だ」
「……うん」
俺は小さく頷いた。
「神も、お前を選んだ」
「……うん、わかってる」
「何があっても、儂はお前を信じておる」
「…………あぁ」
俺を見つめる祖父さんの目が柔らかに細められている。それは黒いままだったが、たしかに温かな光を湛えていた。
「お前の、納得いく道を行きなさい」
祖父さんが腹の底にまで沁みとおるような、低く穏やかな声で告げた。
その声には俺への信頼と思いやりが溢れているような気がした。
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