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秘事
秘事②
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太陽は沈み、山はすっぽりと青い闇に包まれている。
俺は家の物置から引っ張りだしてきた懐中電灯の明かりだけを頼りに山の中を進んできた。
目の前には月明かりに照らされた楠ノ瀬の大きな家が仄暗く浮かび上がっている。
広大な楠ノ瀬家は使われていない部屋も多いのか、電気が点いているのはごく一部だけで、ほとんどの敷地が闇に沈んでいた。
俺は懐中電灯を消した。闇の中では目立ちすぎる。
手元の光がなくなると、辺りの闇がいっそう濃くなる。
俺は何回か瞬きを繰り返して、闇に目を慣らした。
今日が満月でよかった。
思ったより明るい月の光のおかげで、家の様子を伺うことができる。
――そう、居ても立ってもいられなくなった俺は、楠ノ瀬の家まで来てしまったのだ。
学校の帰り際に見せた楠ノ瀬の沈んだ表情が気になって仕方ない。
俺に何ができるわけでもないのは百も承知だけど……それでも、何もしないではいられなかった。
楠ノ瀬家へ目をやると、門は開いていて、入ってすぐの砂利道に黒い車が一台停まっていた。
俺は静かに自分の身体を門の内に潜らせて、いつも案内される離れへと足を向けた。家の人に見つからないよう、なるべく影になっている場所を選んで進んでいく。
「あぁ……んっ……」
銀の糸を引くような悩ましい女の声が、かすかに耳をついた。
鈴の鳴るような高く涼やかな声には聞き覚えがある。
――楠ノ瀬の、声だ。
声のする部屋に面した庭の椿の茂みに身を隠して、じっと様子を伺う。
部屋の障子越しに、絡み合う二つの影がぼうっと浮かび上がっている。
「はぁはぁ」という乱れた呼吸に合わせて、影が上下に動く。
部屋の中でどんな行為が行われているかは確かめるまでもなく明らかだった。
楠ノ瀬の白い肢体と、今まさに彼女を抱いているであろうあの男の薄笑いが目に浮かぶ。
「くそっ……」
俺は悔しさのあまり唇を噛んだ。
思わず踏み出した一歩が、足元の小石を鳴らす。
しまった、と思ったが、障子の向こうの二人には聞こえなかったのか、動きは止まらなかった。
「はぁ……っ…………んン……」
楠ノ瀬の鼻にかかった甘い声が漏れ聞こえる。
「おぉ……最高だな、これは……。病気も治って、若い娘も抱けるとは……」
彼女の下で横たわる影が下卑た調子で嗤う。
その声は低く嗄れていた。
「……え?」
――今の声は、誰だ?
障子の向こうで楠ノ瀬ともつれ合う男……俺はてっきり、楠ノ瀬の婚約者・徳堂直之だと思っていた。
しかし、今聞こえた声は奴よりずっと年嵩の男のものだ。
もう少し近づいてみようと、茂みの影から顔を出したところで――
「覗きですか?」
氷のように冷徹な声が後ろから聞こえた。
同時に――
喉元に当たる冷たい感触。
「高遠の次期当主ともあろう方が……悪趣味ですね」
耳元で嘲笑めいた聞き覚えのある声が響く。
「……なんで、お前がここに……?」
俺の喉仏を正確に捉えたナイフの切っ尖が月の明かりを反射して、きらりと閃いた。
動きを封じられた俺は、目線だけを後ろにやり、震える声でその男に問いかけた。
俺は家の物置から引っ張りだしてきた懐中電灯の明かりだけを頼りに山の中を進んできた。
目の前には月明かりに照らされた楠ノ瀬の大きな家が仄暗く浮かび上がっている。
広大な楠ノ瀬家は使われていない部屋も多いのか、電気が点いているのはごく一部だけで、ほとんどの敷地が闇に沈んでいた。
俺は懐中電灯を消した。闇の中では目立ちすぎる。
手元の光がなくなると、辺りの闇がいっそう濃くなる。
俺は何回か瞬きを繰り返して、闇に目を慣らした。
今日が満月でよかった。
思ったより明るい月の光のおかげで、家の様子を伺うことができる。
――そう、居ても立ってもいられなくなった俺は、楠ノ瀬の家まで来てしまったのだ。
学校の帰り際に見せた楠ノ瀬の沈んだ表情が気になって仕方ない。
俺に何ができるわけでもないのは百も承知だけど……それでも、何もしないではいられなかった。
楠ノ瀬家へ目をやると、門は開いていて、入ってすぐの砂利道に黒い車が一台停まっていた。
俺は静かに自分の身体を門の内に潜らせて、いつも案内される離れへと足を向けた。家の人に見つからないよう、なるべく影になっている場所を選んで進んでいく。
「あぁ……んっ……」
銀の糸を引くような悩ましい女の声が、かすかに耳をついた。
鈴の鳴るような高く涼やかな声には聞き覚えがある。
――楠ノ瀬の、声だ。
声のする部屋に面した庭の椿の茂みに身を隠して、じっと様子を伺う。
部屋の障子越しに、絡み合う二つの影がぼうっと浮かび上がっている。
「はぁはぁ」という乱れた呼吸に合わせて、影が上下に動く。
部屋の中でどんな行為が行われているかは確かめるまでもなく明らかだった。
楠ノ瀬の白い肢体と、今まさに彼女を抱いているであろうあの男の薄笑いが目に浮かぶ。
「くそっ……」
俺は悔しさのあまり唇を噛んだ。
思わず踏み出した一歩が、足元の小石を鳴らす。
しまった、と思ったが、障子の向こうの二人には聞こえなかったのか、動きは止まらなかった。
「はぁ……っ…………んン……」
楠ノ瀬の鼻にかかった甘い声が漏れ聞こえる。
「おぉ……最高だな、これは……。病気も治って、若い娘も抱けるとは……」
彼女の下で横たわる影が下卑た調子で嗤う。
その声は低く嗄れていた。
「……え?」
――今の声は、誰だ?
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しかし、今聞こえた声は奴よりずっと年嵩の男のものだ。
もう少し近づいてみようと、茂みの影から顔を出したところで――
「覗きですか?」
氷のように冷徹な声が後ろから聞こえた。
同時に――
喉元に当たる冷たい感触。
「高遠の次期当主ともあろう方が……悪趣味ですね」
耳元で嘲笑めいた聞き覚えのある声が響く。
「……なんで、お前がここに……?」
俺の喉仏を正確に捉えたナイフの切っ尖が月の明かりを反射して、きらりと閃いた。
動きを封じられた俺は、目線だけを後ろにやり、震える声でその男に問いかけた。
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