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あの娘には近づくな
あの娘には近づくな④
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庭の一角に作られた盆栽スペースに、その人はいた。
松だの梅だの……俺には何がそんなに面白いのか全く理解できないのだが……ここにある盆栽の時価総額を合わせると数千万は下らないのだという。
そんな高価なものを壊しでもしたら大変だからか、ここに近寄る家の者はいない。
今もその人が一人きりで鋏を片手にかがみ込んで盆栽の手入れをしていた。
昔に比べたら随分小さくなったが、それでも俺にとってはまだまだ大きいその背中に向かって声をかけた。
「祖父さん」
俺の呼びかけに祖父さんは手を止めて、ゆっくりと振り返った。
「……なんだ?」
祖父さんが鋭い視線を俺に向ける。
世間では孫を猫可愛がりするおじいちゃんが多いと聞くが……うちの祖父さんには当てはまらない。
七十を過ぎても一向に衰える気配のない鋭い眼光を前にすると、俺はいつも射すくめられて動けなくなってしまう。
俺だってもう十七歳だ。身長はとっくに祖父さんを超えている。体力だって、若い俺のほうがあるはずだ。
――なのに。
この人の前では、俺はいつまでたっても小さな子供のままなんだ。
「あ、あの……聞きたいことがあるんだけど」
「……」
俺の言葉に対して祖父さんは何も言わず、ただ目線だけで先を促した。
「なんで、楠ノ瀬に近づいちゃいけないんだ……?」
「……」
「祖父さん、昔から言ってたよな? 『楠ノ瀬の娘には近づくな』って……それが昔からの『言いつけ』だって。……それって、どういう意味なんだ?」
緊張して、少し早口になってしまった。
祖父さんは俺の顔を凝視したまま、口を固く結んでいる。
さっきまでは晴れていた空が、いつのまにか黒い雲で覆われていた。
辺りが暗くなって、重苦しい空気に拍車をかける。
「祖父さん……何か言ってくれよ」
たまりかねた俺が言うと、
「……なんでそんなことを聞くんだ?」
祖父さんがようやく重い口を開いた。
「いや、その……」
まさか楠ノ瀬の娘と「関係を持った」などとは言えず……俺は言葉に詰まってしまう。
「……覚えているのか、この間のことを」
――この間のこと?
「え、それって……」
祖父さんに問いかけようとした俺の声をかき消すように、空がピカッと光り、雷鳴が轟いた。ぽたぽた、と大きな雨粒が降ってくる。
「やばい、家に入ろう」
俺は母屋に向かって走り出そうとしたが、祖父さんの様子がおかしい。その場に蹲ったまま動こうとしない。体調でも悪いのかと俺は焦った。
「祖父さん、大丈夫か!?」
背中に手を添えて立たせようとしたが、祖父さんは動かない。それどころか、歯をガクガクと鳴らして全身を激しく震わせている。
「祖父さん、どうしたんだよ……!?」
発作でも起こしたのだろうか……家の者を呼んで来た方がいいかもしれない。このまま雨に打たれていたら悪化してしまうだろう。早く家の中に連れていかないと……。
「ちょっと待ってろ。今、他の人も呼んでくるから」
俺が助けを呼ぶためにその場を離れようしたその時――
「行くな」
祖父さんが野太い声で呟いて、俺の腕を掴んだ。
「痛っ……!」
もの凄い力で掴まれて、思わず声をあげる。
「なんなんだよ……」
俺の腕を掴んだまま震え続ける祖父さんの顔を覗き込もうとして、
「ひっ……!!」
息を飲んだ。
――祖父さんの瞳が、青く光っている。
「な、なん……だ、」
驚きのあまり、言葉が出てこない。
祖父さんがその青い目をギョロリと俺に向ける。俺は金縛りにでもかかったみたいに動けない。
「お前……名前は?」
祖父さんの口から発せられた質問に驚愕する。
――惚けたのか?
まさか俺の名前を忘れてしまったとでもいうのか。それとも、その青い目のせいでどこかおかしくなってしまったのだろうか。
「名前は?」
俺が混乱している最中、祖父さんが同じ質問をしてきた。
「……理森だよ。忘れちゃったのかよ」
俺が答えると、
「理森か……わかった」
我が意を得たり、というように俺の名を呟いてニタリと笑った。
「……!」
その蛇みたいな表情を目撃した俺は……。
何かとんでもない間違いを犯してしまったのではないか、と一気に不安になる。
祖父さんの体から力が抜けた。俺の腕からも手が離れる。
俺は掴まれたところをさすりながら、恐る恐る祖父さんの目を確認する。
「……よかった」
祖父さんの目は、いつもの黒色に戻っていた。
――何だったんだ、さっきのアレは……?
俺が首を捻って考えていると、
「……お前、教えてしまったんだな」
祖父さんがふいにそう言った。
「え?」
「名前を……教えてしまった。もう戻れない」
「どういう意味だ?」
思いつめた様子で呟く祖父さんを問いつめる。
「……いや、来るべき時が来てしまったということだろう。この間の一件から、いずれこうなることはわかっていたのだから」
一人で納得している祖父さんに俺は説明を求めた。
「なんのことだか全くわからないんだけど……ちゃんと説明してくれよ。何なんだよ……」
最近、俺の周りでおかしなことばかり起きている。
なのに、祖父さんも楠ノ瀬も何も話してくれない……。
「明日は土曜日だったな。お前、学校は休みか?」
調子を取り戻したらしい祖父さんが俺の予定を尋ねてくる。
「そうだけど……」
「朝から神社に行く。一緒に来なさい」
祖父さんが有無を言わせぬ口調で言った。
こういう場合、俺に拒否権はない。
了解の意を込めて頷いた俺を祖父さんが見つめている。
この人が何を考えているのか……俺にはまったくわからなかった。
松だの梅だの……俺には何がそんなに面白いのか全く理解できないのだが……ここにある盆栽の時価総額を合わせると数千万は下らないのだという。
そんな高価なものを壊しでもしたら大変だからか、ここに近寄る家の者はいない。
今もその人が一人きりで鋏を片手にかがみ込んで盆栽の手入れをしていた。
昔に比べたら随分小さくなったが、それでも俺にとってはまだまだ大きいその背中に向かって声をかけた。
「祖父さん」
俺の呼びかけに祖父さんは手を止めて、ゆっくりと振り返った。
「……なんだ?」
祖父さんが鋭い視線を俺に向ける。
世間では孫を猫可愛がりするおじいちゃんが多いと聞くが……うちの祖父さんには当てはまらない。
七十を過ぎても一向に衰える気配のない鋭い眼光を前にすると、俺はいつも射すくめられて動けなくなってしまう。
俺だってもう十七歳だ。身長はとっくに祖父さんを超えている。体力だって、若い俺のほうがあるはずだ。
――なのに。
この人の前では、俺はいつまでたっても小さな子供のままなんだ。
「あ、あの……聞きたいことがあるんだけど」
「……」
俺の言葉に対して祖父さんは何も言わず、ただ目線だけで先を促した。
「なんで、楠ノ瀬に近づいちゃいけないんだ……?」
「……」
「祖父さん、昔から言ってたよな? 『楠ノ瀬の娘には近づくな』って……それが昔からの『言いつけ』だって。……それって、どういう意味なんだ?」
緊張して、少し早口になってしまった。
祖父さんは俺の顔を凝視したまま、口を固く結んでいる。
さっきまでは晴れていた空が、いつのまにか黒い雲で覆われていた。
辺りが暗くなって、重苦しい空気に拍車をかける。
「祖父さん……何か言ってくれよ」
たまりかねた俺が言うと、
「……なんでそんなことを聞くんだ?」
祖父さんがようやく重い口を開いた。
「いや、その……」
まさか楠ノ瀬の娘と「関係を持った」などとは言えず……俺は言葉に詰まってしまう。
「……覚えているのか、この間のことを」
――この間のこと?
「え、それって……」
祖父さんに問いかけようとした俺の声をかき消すように、空がピカッと光り、雷鳴が轟いた。ぽたぽた、と大きな雨粒が降ってくる。
「やばい、家に入ろう」
俺は母屋に向かって走り出そうとしたが、祖父さんの様子がおかしい。その場に蹲ったまま動こうとしない。体調でも悪いのかと俺は焦った。
「祖父さん、大丈夫か!?」
背中に手を添えて立たせようとしたが、祖父さんは動かない。それどころか、歯をガクガクと鳴らして全身を激しく震わせている。
「祖父さん、どうしたんだよ……!?」
発作でも起こしたのだろうか……家の者を呼んで来た方がいいかもしれない。このまま雨に打たれていたら悪化してしまうだろう。早く家の中に連れていかないと……。
「ちょっと待ってろ。今、他の人も呼んでくるから」
俺が助けを呼ぶためにその場を離れようしたその時――
「行くな」
祖父さんが野太い声で呟いて、俺の腕を掴んだ。
「痛っ……!」
もの凄い力で掴まれて、思わず声をあげる。
「なんなんだよ……」
俺の腕を掴んだまま震え続ける祖父さんの顔を覗き込もうとして、
「ひっ……!!」
息を飲んだ。
――祖父さんの瞳が、青く光っている。
「な、なん……だ、」
驚きのあまり、言葉が出てこない。
祖父さんがその青い目をギョロリと俺に向ける。俺は金縛りにでもかかったみたいに動けない。
「お前……名前は?」
祖父さんの口から発せられた質問に驚愕する。
――惚けたのか?
まさか俺の名前を忘れてしまったとでもいうのか。それとも、その青い目のせいでどこかおかしくなってしまったのだろうか。
「名前は?」
俺が混乱している最中、祖父さんが同じ質問をしてきた。
「……理森だよ。忘れちゃったのかよ」
俺が答えると、
「理森か……わかった」
我が意を得たり、というように俺の名を呟いてニタリと笑った。
「……!」
その蛇みたいな表情を目撃した俺は……。
何かとんでもない間違いを犯してしまったのではないか、と一気に不安になる。
祖父さんの体から力が抜けた。俺の腕からも手が離れる。
俺は掴まれたところをさすりながら、恐る恐る祖父さんの目を確認する。
「……よかった」
祖父さんの目は、いつもの黒色に戻っていた。
――何だったんだ、さっきのアレは……?
俺が首を捻って考えていると、
「……お前、教えてしまったんだな」
祖父さんがふいにそう言った。
「え?」
「名前を……教えてしまった。もう戻れない」
「どういう意味だ?」
思いつめた様子で呟く祖父さんを問いつめる。
「……いや、来るべき時が来てしまったということだろう。この間の一件から、いずれこうなることはわかっていたのだから」
一人で納得している祖父さんに俺は説明を求めた。
「なんのことだか全くわからないんだけど……ちゃんと説明してくれよ。何なんだよ……」
最近、俺の周りでおかしなことばかり起きている。
なのに、祖父さんも楠ノ瀬も何も話してくれない……。
「明日は土曜日だったな。お前、学校は休みか?」
調子を取り戻したらしい祖父さんが俺の予定を尋ねてくる。
「そうだけど……」
「朝から神社に行く。一緒に来なさい」
祖父さんが有無を言わせぬ口調で言った。
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